第23話 下層

 頬にひんやりとした水の感触があった。


 ハッと我に帰った僕は、慌てて身を起こす。


 僕がいたのは、見慣れた薄暗いダンジョンの中だった。


 見上げた天井には大きな穴が空いていて、そこから水が落ちてきている。


 それを見て、アデルに下層に落とされたことを思い出す。



「クソッ、アデルのやつ……」



 前から酷いヤツとは思っていたけれど、まさか犯罪行為までやるなんて。


 これは完全に、同業者殺しの未遂だ。

 クランに報告したらすぐに冒険者協会が調査に乗り出して、アデルたちは捕まることになるだろう。


 でも、「デバフの付与術」とか言ってたけど、どうせ余裕で探索できていたランクのダンジョンで苦戦しちゃってるとかじゃないの?


 僕の乗算付与で鬼強化してたんだし、それがなくなったら苦戦するよね。


 というか、エピッククラスの魔導具まで用意する執念を、もっと別のところに活かせばいいのに。



「……って、アデルのことは一端置いといて」



 今、やるべきことは状況確認だ。


 一体どこまで落とされてしまったのか。


 そして、仲間たちは無事なのか。


 水没エリアの水が落ちてきているせいか、すっかりくるぶしくらいまで溜まってしまっている水の中を歩いていると、ぼんやりと輝いている鎧が見えた。


 ガランドさんだ。


 そのとなりには、ドロシーさんの姿もある。



「ガランドさん! ドロシーさん!」



 ガランドさんの体をゆすると、ゆっくりと瞼を開いた。



「う、うむ……」

「う……デズモンドさん?」

「よかった。ふたりとも無事だったんですね」



 ほっと一安心。

 どうやら怪我もないようだ。


 みんなに付与していた【重量軽減】のおかげだろう。


 重さが100分の1くらいになっているから、落下の衝撃に耐えられたんだ。


 効果は数分足らずだけど、切れ間なくかけておいてよかった。



「こ、ここはどこですか? 水没エリア?」

「いえ。下の階層に落とされてしまいました。詳しくお話しますけれど、まずはリンさんの無事を確認して──」



 辺りを見渡すと、岩の傍に倒れている彼女の姿を見つけた。


 なんだかもがいている感じだったので、急いで駆け寄ったんだけれど──。



「……んもう、大金持ちになったんだからもっと呑んでよね……うひっ、うひひ」

「……」



 眠ったまま嬉しそうにくねくねと身を捩っていた。


 うん。どうやら幸せそうな夢を見てるみたいだし、このままそっとしてあげよう。

 ──というのは冗談で。


 リンさんの頬をペシペシと叩いて起こす。



「リンさん、大丈夫ですか?」 

「……んがっ!?」



 ガバッとリンさんが身を起こす。



「あれっ? あたしのお酒は?」

「知りません」

「あれぇ?」



 リンさんはしばしキョトンとしていたが、僕やガランドさん、ドロシーさんの顔を見て、ハッと何かに気づいた。



「く、くそぅ! あのお酒は幻影魔術かっ!」



 慌てて立ち上がると、悔しそうに奥歯を噛み締める。


 それを見て、僕は心の中で突っ込んだ。

 あなたが見ていたのは幻影ではなく、ただの欲望にまみれた夢です、と。



「……ていうか、一体何があったの?」



 リンさんが尋ねてくる。



「廃屋で人形を拾ったら動き出したところまでは覚えてるんだけど?」

「うむ、誰かが来たような気がしたが」



 ガランドさんが首をひねった。


 どうやらアデルたちが現れたとき、リンさんたちは気を失っていたようだ。


 僕は簡潔にアデルたちのことを説明する。



「……はぁ!? なにそれ!?」



 リンさんが怒りに満ちた声をあげた。



「じゃあ何!? 言いがかりであたしたち殺されかけたってこと!?」

「そのようですね……すみません。僕が一緒にいたばっかりに、みんなに迷惑かけちゃって」

「いやいや! デズきゅんは何も悪くない! 悪いのはそのエスパーダって連中だもん! ホント、最低! てか、冒険者協会に言いつけちゃおうよ」

「そ、その必要はないと思いますよ」



 そう返したのは、ドロシーさん。



「お師様も幻影を通じて見ていらっしゃったと思いますし、帰還してクランに報告すればすぐに対処してもらえると思います」



 確かに幻影が消える前、ララフィムさんはアデルたちを見ていたはず。

 もしかしたら、すでに動いてくれているかも。


 となれば、一刻も早くここから脱出して詳細を報告するべきかもしれないな。


 転送の魔術書を使えば一瞬で帰還できるからね。


 そう思って腰のポーチから魔術書を取り出したんだけど──。



「……え」



 愕然とした。


 ポーチに大切に保管していたはずの魔術書が真っ黒に焼け焦げていたのだ。


 まさか、これもあの魔導具の効果か?


 ララフィムさんの幻影も強制的に消えていたし、魔術に関係するものを使用不可能にするのかもしれない。


 してやられた。


 アデルのやつ、これも見越してあの人形を。



「……え? もしかして、転送の魔術書は使えなくなっちゃった?」



 不安げにリンさんが尋ねてくる。



「はい。自力で地上に戻る必要がありそうです」

「自力で戻るって……ここから?」



 僕は深くうなずいた。


 地上にあるダンジョンの入り口が閉められるのは、深夜遅くだ。

 探索を始めたのは朝だったから、まだまだ時間がある。


 ただ、問題は──。



「落とされたここが一体何階層なのか、ですね」



 ひとつ下に落とされたくらいだったら大丈夫なんだけどな。



「下に落ちたってことは、中層の第2階層なのかな?」

「わかりません。もしかするともっと下に落ちたのかも……あっ」



 と、ドロシーさんが声をあげた。



「どうしたんですか?」

「じ、実はお師様から預かったものがありまして……危険な中層に入るから、探索に使ってくれって」

「うわ、それってダンジョンマップじゃん」



 ドロシーさんが取り出したのは、一枚の羊皮紙。


 だけど、普通の羊皮紙と違うのは紙の真ん中に書かれている黒い丸が微妙に動いていることだ。


 これは現在位置を教えてくれる便利な魔導具で、勝手に周囲をマッピングしてくれるという優れもの。


 レアクラスの希少品だけど、エスパーダにいたときにも使っていたんだよね。


 ただ、現在位置を教えてくれると言っても最初はまっさらなので、実際に歩いて周る必要がある。


 初めて来る場所でわかるものと言えば、今何階層にいるかくらい。



「地形はわかりませんが、これを見れば今いる階層がわかるはずです」



 ドロシーさんがダンジョンマップの右上に書いてある階層を見た。


 瞬間、彼女の顔が真っ青になった。



「……う、うそ。下層第3階層!?」

「うええっ!?」

「か、下層だと?」



 リンさんとガランドさんが同時に声をあげる。


 まさかと思ってマップを見せてもらったけど、たしかに「下層・第3階層」と書いてある。


 マズいことになったな。


 中層第3階層くらいは覚悟してたけど……まさか、下層まで落ちていたなんて。


 想定していたなかで最悪の状況だ。

 ここから歩いて地上に戻るのは相当危険。


 ──となれば。



「……仕方ありません。下に向かいましょう」

「で、でもデズきゅん、この下って深層だよ?」

「はい。深層に行って……ダンジョンコアを破壊します」

「……っ!?」



 リンさんたちがギョッと目を見張る。



「ここから上に行くとなると、下層を探索して階段を探し、中層の階層主を倒す必要が出てきます。ですが、ダンジョンコアがなくなれば……」

「そうか。ダンジョンコアを破壊してモンスターたちが沈静化すれば、安全に地上に戻れるというわけだな?」

「そのとおりですガランドさん」



 ダンジョンコアも危険なモンスターに守られているけど、上に行くよりもいくらか安全だろう。



「なるほどね。どうせダンジョンコアを破壊するのがあたしたちの仕事だし、やっちゃおうってわけか」

「で、でも大丈夫ですか? その……ダンジョンコアって、深層の階層主が守っているんですよね?」

「幸運にもララフィムさんがひとりで暴れてくれたおかげで僕たちの消耗はあまりありません。十分行けると思います」



 消費しているのは僕のMPだけ。


 準備してきたマジックポーションを使えば、最大まで回復できる。


 万全な状態でダンジョンコアを守るボスと戦えるのは、相当大きい。



「……わ、わかりました。行きましょう」



 ドロシーさんが不安を押し殺すように唇を噛み締めて深く頷いた。


 そうして僕たちは、深層へと続く階段を探しはじめることにした。


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