第8話

「はぁ……」

 横領の一件以降、気分の晴れない日々が続いた。

 あれから耳に入ってくるのは、ゴルドバーク家に関する混乱ばかり。

 おかげで執筆も進まない。

「ニナ」

 今回はノックと共に声をかけられる。

「王様。いかがなさいましたか?」

「最近暗い顔ばかりしているものだから、気になってしまってね」

 タジラ王の金の装飾をつけた指先が、私の髪を梳く。

「気分転換に、時間を空けたんだ」


 王に伴われるまま、連れてゆかれたのは庭園だった。

 整備された大きな水路に、透き通った水が流れている。水路は庭の外から引かれ、そしてどこかへと流れてゆく。その周辺に様々な植物が植えられている。影があり風が吹くため、屋外であるにもかかわらずアズラク公国特有の暑さは感じない。

「素晴らしいだろう?おばあ様の世代からある庭園なんだ」

 王様は大きな葉をいつくしむように撫でた。

 おばあ様とは、初代王の正妃のことだ。

「王様のおばあ様はたしか……」

「ああ、南西諸島出身の、鳥人だ」

「元人と鳥人の夫婦が、アズラク公国の始まりになったと伺っております」

「そう。だから私にも二人の血が通っている」

 アズラク公国は元は商人が建てた国だ。

 そして、その商人は、南西諸島出身の鳥人と、定住地を持たない元人の集まりだったと聞いている。

「あばあ様は、出身地では見れないものに魅力を感じ、商人と共に故郷をでたと聞いている。それは僕らも同じだ」

 確かに、母国を出て私の目に入ってくるものは、全て知らないものばかり。

 一番最初に茶の飲み方を教えてくれたワルダを思い出し、私は目を伏せる。

 彼女はもう、シン皇国に。

「そうだ!」

 まだ暗い私の表情に、王様は焦ったのだろう。わざとらしく明るい声。

「おいしい果物が手に入ったんだ。きっと気に入ってくれるよ」

 早く私のところへ持ってこようと、ばたばたと中庭を出るタジラ王。そのあとを従者たちが慌てて追いかける。

 そのようすに、私はなんだか自身の悩みが小さなことのように思えてしまった。

 書斎での優しく楽し気な王も、タジラ王である。そして、先日の冷徹な王も、またあの方の一面だ。

 ゴルドバーク家に対する処分も、ワルダの件も、王様は正しい判断しかしていない。

 なにもしていない私が、不機嫌になる権利はない。

 私はなんの力もない。

 乾いたため息が地面に落ちる。


 その背後で足音が聞こえた。王様が戻ってきたのだろう。

 せめて私を受け入れてくれているあの方に、毅然と、明るい表情を―。

「王さ」

 振り向いた先。

 立っていたのは知らない人。

 賊だ。

「あっ」

 逃亡は間に合わなかった。

 ぎらりと光る手元。それを握る指は赤い鱗に包まれている。

 痛い。

 手の甲が熱く感じた。飛び散る自身の赤と、私に向けられた殺意。

 後ずさった背後は水路。

「きゃっ」

 大きな音と共に、私は水中に落下した。

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