第五話 融解

「で、何の用? まさか、反省して真面目に生徒会長をやろうって宣言?」

「私は職務を怠ったことはないつもりだけどね」


日向は無事頼みを達成してくれたようで、手筈通りに燐華は生徒会室にやってきた。ノコノコと……ではなく、わざわざ足を運んでくれるあたり、根が律儀なんだろう。


「……そうね。そうよね、貴女は私なんかいなくても仕事を完璧にこなせるものね」


諦めたかのように下を向き、皮肉混じりでそう言う燐華からは、どこか隠しきれない劣等感が見え隠れしているように感じた。


「実はね、聞いたんだ。君の家のこととか」

「っ!?」


呼び出された理由にあたりをつけたのか、ぴくりと燐華の肩が動く。


「……帰る」


そして、一層声が低くしてそう言った燐華は踵を返してドアに手をかける。


「は?」


しかし、燐華が開けようとした扉はぴくりとも動かず、いくら力を入れても全く開く気配はない。


「あ、開かない……なん、で……!?」


パニック気味で私の方を向いた燐華の表情が、今度は驚愕に染まる。無理もない。彼女の眼前には、正真正銘の怪物、真の姿を露わにした私が立っているのだから。


「その扉は開かないよ。すまない、どうしても君と話がしたかった」

「異種族……!?」


私の正体を察した燐華は次の瞬間、恐怖に染まるでも嫌悪を顕にするでもなく……ただ、力なくへたり込んだ。


「は……はは……なんだ」

「……燐華?」

「そんなの……ズルじゃない……」

「……君が……いや、君の家がこの学園の生徒会長の座に固執していたことは聞いたよ。すみれとその座を争っていたことも」


ここ、聖美原女学園は理事長の家である氷堂家のお膝元であり、氷堂家と燐華の家である藤村家は犬猿の仲で、現生徒会副会長である氷堂すみれと燐華が同世代だったことから藤村家は氷堂の面子を潰そうと生徒会長の座を狙っていたらしい。中等部からこの学園にいる子たちの間では結構有名な話だそうだ。


「それは違う……氷堂は……私なんか初めから眼中にない。初等部からずっと比べられてきたけど、勝負になったことなんか一度もない! それでも私は勝ちたかった……勝って家族に認められたかった……! そんな時に、氷堂が会長選を降りてこの上ないチャンスだと思ったのに……アンタが……!」

「すまない。この役職にそれだけの意味があったとは……浅慮だったよ」


私が生徒会長選に立候補したのに大した理由はない。ただタイミングが良くて、周囲の後押しが大きかったから乗っただけに過ぎない。不正をしたわけではないが、やはり彼女には申し訳なく思う。つまり幸せにする責務がある。


「……はは、それで何? 密室まで用意して……人間の分際で何でもできる異種族様に楯突いた罰でも与える気なの?」

「いや、君を手篭めにしようと思って」

「…………は?」


自棄気味の表情から一変、目を丸くする燐華。私はしゃがみ込んで目線を合わせると、左手で手を握り、右手の指で燐華の顎を持ち上げる。


「え……手篭めって……そういう意味で?」

「そういう、が何を指すかは分からないが、君の全てが欲しいかな」

「いや、異種族が同性を襲うなんて普通聞いたことが……!」

「そうだな、君が普通じゃなく魅力的だから惑わされてしまったのかもしれない」

「魅力的……? 私が…………って、ほんっと口が回るわね七志明日乃……」


家庭環境の影響なのか、燐華は自己肯定感が低いらしい。そのせいか、軽い私の褒め言葉に一瞬照れたような反応をする。一応顔を合わせるたびに似たようなことを言っていたはずなのだが、こういう特殊な状況に追い込んで初めて彼女に心に言葉が届いたということなのだろうか。


……いや、単に私が普段から誰にでも同じことを言っているせいで適当なことを言っているという印象を持たれているのかもしれない。心外である。


「い、いやそもそも女同士……この学園はそういう子も多いけど、私にそういう趣味は……」

「安心してくれ。女の子を好きになる必要はない。君はただ私のことを好きになるだけなんだから……」

「そ、それが一番あり得ない! そもそも私はアンタがきら……ぁ……ぇ?」


叫ぶ途中で、燐華の身体がふらつく。それが分かっていた私は、焦ることもなく彼女を抱き支える。


「な、に……っ!? 七志明日乃……なにか、したわね……」

「君を救うには、まず素直になってもらわなきゃと思ってね。ちょうど密室だから、吐息に仕込みをさせてもらったよ」

「すな、お……? う……」


疑問を口に出す間もなく、燐華は気を失った。素直になると言ったが、これは従順になるという意味ではない。彼女が吸い込んだのは、深層心理を呼び起こす効果のあるものだ。


「あれ……?私……」


目覚めた燐華は、前触れもなく頬を濡らした。すかさず、先ほどよりも小さく見える燐華の身体を抱きしめる。


「え……あれ……なんで……?」

「燐華。辛かったこと、苦しかったこと。全部私に話してみてほしい」

「あ……私……ただ、褒められたくて……」

「うん」

「勉強、頑張っても……氷堂に負けてたら意味ないって……」

「うん」

「わ、私……使えない、って……し、失敗作だって……!」

「……うん」


心の障壁を取り払った結果、濁流のように感情が溢れ、その口から彼女の苦しみがありありと語られる。その中には耳を疑うようなものもあったが、とにかく今は私が燐華の救いになるのが先決だ。


「燐華」

「……あ」

「聞いてくれ。君は頑張っていた。その努力は誰に貶められて良いものではない。だから、まず君自身が自分の努力を認めてあげてほしい」

「自分を……?」

「それでも足りないなら、私がいくらでも肯定するよ。君が産まれてから今日まで浴びるはずだった愛を、今日から私が埋め合わせる」

「……ぅ」

「だから、私の前でなら何も気に病む必要はないんだ」


そう言って、優しく頭を撫でると、堰を切ったように泣き始めた。そんな彼女を私はひたすら抱きしめる。


それから、かなりの時間を燐華と過ごした。


「……そろそろ門限だね」

「……あ……わ、私……」

「仕方ない。これ以上は迷惑になってしまうね……もちろん送っていくから、とりあえずここを出ようか」


門限が迫っているのを理由にして、あえてひっつく燐華を引き離してから立ち上がり、人間擬態魔法をかけ直す。


「……あ……ま、待って……!」


急な喪失感に苛まれたのか、もうとっくに吐息の効果も切れているはずの燐華が再び不安定になって私を引き止める。


「……燐華? どうかしたのかい?」

「いや……その……まだ、一緒にいたい……」


俯きがちに、消え入りそな声でそう告げる燐華に、思わずこの場で押し倒してしまいそうになったが…‥あと少し。ほんのあと少しの辛抱だ。


「それなら……私の部屋、来るかい?」






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