小さな変化



 瑚春が目覚めると陽は西に傾いていた。



 なぜ自分が部屋で寝ていたのか、すぐには何も思い出せず、記憶がはっきりするのに数分かかった。



 そしてすべてを思い出すと、瑚春は飛び起きた。



 酔った勢いとはいえ言いたいことだけ言って泣き、しまいには眠り込んでしまうという失態に血の気が引いた。



 凰霊葉を漬ける作業もまだ途中だったはず。



 しかも昼食の時間も過ぎてしまったようだ。



(珂月さまにお昼ご飯も用意しないで昼から寝るなんて!)



 あたふたしながら部屋を出ると炊事場から凰霊葉の匂いが漂ってきた。



 見れば珂月が竃に火をくべて湯を沸かしていた。



「起きたか」



 瑚春に気付いた珂月が、チラリと視線を向け声をかけた。



「か、珂月さまっ。───ご、ごめんなさい!私………」



「そこにある凰霊葉を一束持ってきてくれ」



「ぇ……、あ、はい」



 見ると隅に置かれた籠の中に、漬けていない煮出し用の葉束が入っていた。



 瑚春は言われた通りに一束取り出し珂月に渡す。



 珂月はそれをお湯の沸いた土器の中に入れた。



「こうしてしばらく煮出せば飲み薬として使える。但し、これはまだあまり乾燥させてないから。このまま飲むとかなり苦いからな。水で薄めたり他の薬草茶に加えたり、蜜を混ぜてもいいだろう」



「………あの、ホントにすみません。私、お手伝いもしないで」




「呆れて怒る気も失せた」




 珂月の表情が、いつもよりなんだか少し違って見えた。



 気のせいだろうか。



 もっと怒られるかと思っていたのに。




「あの、お昼ご飯は?」



「芋を蒸した。おまえの分もあるから食べておけ」



「すみません………。なにからなにまで」



「もう謝るな。酒を飲ませたのは俺だ。酔わせてしまった責任が俺にもある。酔ったときのことは覚えているのか?」



「ぉ、覚えてます」



「まさかおまえがあんなことを………。おまえ、随分と大胆なんだな」



「えっ?」



 あんなこと?


 大胆?



 瑚春は首をかしげた。



 自分の発言は「どうしていつも不機嫌なのか」とか、「なぜ夫婦になれないのか」と聞き「嫌われたくない」と言ったことくらいで。



 珂月から嫌ってないと言われ、とても嬉しかったのを思い出す。



 そして眠る寸前に、嬉しいと言った覚えがある。



 自分にはそこまでの記憶しか残ってないが。



 もしかして私、思い出せないだけで、何かとんでもないことをしたのだろうか⁉




「か、か、珂月さまっ。わ………わ、わたしッ、なんかとんでもないことでもしてしまったんでしょうか⁉」



 不安でいっぱいになりながら瑚春は訊いた。



「まるでこの世の終わりというような顔だな」



 瑚春を見て珂月は吹き出すように笑った。



「なにもない」



「え?」



「おまえが思い出したこと以外なにもない。俺一人に作業させて眠りこけていた仕返しだ」



「……仕返し」



 唖然とする瑚春だったが、珂月の表情にも驚かされていた。



(珂月さま、笑ってる)



 とても楽しそうに微笑んで。



 あんなふうに笑うんだ。



「からかっただけだ。このくらいは許せ」



 瑚春は頷いて言った。



「構いません。私、珂月さまがそんなふうに笑ってくれるなら」



 もっとからかわれてもいいかも、などと思ってしまう自分に呆れながらも。



「不機嫌で怖い顔より、いつもそんなふうに笑っていてほしいです」



「じゃあいつも今のようにおまえをからかって楽しめばいいのかな?」



「いつもは困ります………」



「悪くないかもな、おまえを困らせるのも」



 クスッと笑う珂月に、瑚春はなんだかドキドキした。



「おまえの困った顔、わりと面白いから」



「………どっ、どうせ面白い顔ですよッ!」



 珂月さま、意地悪だ!



 プッとふくれっ面になっていると、瑚春の頭にそっと珂月の手が触れた。



「拗ねてないで芋でも食え」



 それからぽふぽふと、珂月の手が優しく頭を撫でる。



 驚いて見上げると、珂月は慌てたように目をそらし、どこか居心地が悪そうな顔で瑚春から離れた。



「俺は部屋で少し休む。後で湯浴みの用意をしておいてくれ。凰霊葉の匂いが染み付いてしまいそうだからな」



 こう言いながら、珂月は足早に炊事場から出て行った。



 笑った顔や優しく触れた手。



 ぎこちなさはあるけれど。



 珂月の小さな変化に、瑚春は胸が熱くなるのを感じた。





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