ふたりの距離①


 翌日。



 朝食を済ませてすぐ、珂月が出かけると言い出した。



「え、もう? すぐ支度しますっ」



 あたふたと片付けを始める瑚春に珂月は言った。



「おまえは留守番だ。水元を探しに行くのではないからな」



「ではどこへ行くのですか?」



「山へ探し物だ」



(水元とは別の探し物?)



 なんだかとても気になる。



「弟子も一緒に連れて行ってください」



「必要ない」



「なぜ一緒に行ってはいけないんですか?」



「いけないとは言ってないだろ。おまえ、夕べ咳してたな」



「ぇ………」



「夜中に咳が聞こえた。風邪でもひいたんじゃないか?」



「あの……。あれは………この時期はいつものことで。あ、煩かったですか? すみません。でも風邪ではないので大丈夫です」



「今日は天気も悪いし昨日より寒いだろ。だからおまえは家にいたほうがいい」



 珂月は言い終えると部屋を出て行ってしまった。



 そして 瑚春が庭を覗いたときにはもう、珂月は霧船で空高く昇っていくところだった。



 一体何の用があるのだろう。



(わたしの咳、そんなにうるさかったのかな。もしかして珂月さま、眠れなかったとか?)



 それで機嫌が悪いのだろうか。



(それとも。もしかして、私の身体を気遣ってくれてる?)



 もしもそうだとしたら。



 それはとてもありがたいことかもしれない。


 でも私、できれば一緒に行きたかったな。



 瑚春は小さく溜息をついた。



 しばらくして、沙弥子が訪ねて来た。



「おはようございます、瑚春様。今朝はとれたての青菜と芋を持ってきましたわ」



「わぁ。ありがとうございます」



「他に足りないものなどあったら遠慮なくおっしゃってくださいね。珂月様はいますか?」



「それが………。もう出かけてしまって」



「どちらに? 水元探しですか?」



「それが………」



 瑚春は珂月が行く先も言わずに出て行ったことを伝えた。



「まぁ、珂月様ったら!新婚早々、お嫁さまを不安にさせるなんて。帰ったら私が叱ってあげます。でも、もしかしたら一人でこっそり湧清水を探しに行ってるのかも。残りはまだ四つもありますから」



「それが湧清水は残り三つになったんです」



 瑚春は昨日、水元が一つ見つかったことを話した。そして更にもう一つ見つかるかもしれないことも。



「まぁ!そうでしたか!それは良かった。でも水の気配を探し当てたなんて凄いですね、瑚春様は。私は水とは縁遠い一族の出なので感心します」



「縁遠い?沙弥子さまは闇御津羽に縁のある一族の方ではないのですか? でもこちらへはいつも霧船で来てますよね?」



 霧船は神に縁のある一族の者だけが 大地から気の力を貰って造ることができる乗り物のはずだ。



「私は闇御津羽くらみつはではありません。私は級長戸辺しなとべ一族の縁者なんです」



「級長戸辺………。風を操るという神の一族ですね」



「はい、私自身は遠い親戚筋の者ですけどね。でも風一族は皆、昔から闇御津羽の一族に仕えてるので」



「そうでしたか」



「でも瑚春様を弟子扱いなんて、あんまりじゃありませんか」



 腹をたてる沙弥子に瑚春は首を振った。



「私はまだいろんな面で半人前なので。少しでも珂月さまのお役に立てたらそれでいいと思ってます。沙弥子さま、いまお茶など用意しますから、ゆっくりしていってくださいね」



 この後、沙弥子と二人でまったりとお茶をしながらお喋りを楽しんでいると。



「───あ、珂月様が帰ってきたんじゃないかしら」



 不意に沙弥子が言った。



「なぜ判るのですか?」



「瑚春様が水の気配に敏感なように、私も風の気配を身近に感じやすいのです。霧船は風を起こしますから」



 沙弥子の言葉の後にすぐ、廊下を歩く足音が近付いてくるのが判った。



 そして部屋の襖が開けられ珂月が顔を出した。



「沙弥子。来てたのか」



「お帰りなさいませ、珂月様。瑚春様に黙ってどちらにお出かけでしたか?」



「どちらって………。山へ入っていただけだが」



「何をしに?」



「なんだよ。なんでいちいち沙弥子に報告しなきゃならんのだ」



「では瑚春様にはきちんと報告してください。それになぜ瑚春様を連れて行ってあげないんです?」



「用がないからだ。水元を探しに行ってたわけじゃないから、連れて行かなかっただけだ」



「じゃあ何を探しに行ってたんです? ───あら?なんだか珂月様から凰霊葉オウレイハの香りがしますね」



「……き、気のせいだろ」



「いいえ。あれは匂いが強い植物だから、ほんの少し摘んだだけでも葉の匂いが身体に付くのですよ。………でもなぜ凰霊葉なんて」



 沙弥子は首をかしげた。



 瑚春も珂月から仄かに不思議な香りが漂うのを感じた。



「あの、オウレイハってなんですか?」



 聞いたことのない名前だった。



「あら、瑚春様の郷には無いのですか? 凰霊葉というのは薬草で、飲み薬にすると咳の症状によく効くんですよ」



「え、咳に?」



「珂月様、風邪でもひいたのですか?」



 沙弥子が訊くと珂月は気まずそうな顔で答えた。



「俺じゃない。夕べそいつの咳があんまり苦しそうだったから………」



 珂月がチラリと瑚春を見て言った。



「まぁ、瑚春様が?では瑚春様のためにわざわざ山へ凰霊葉を摘みに行ってたんですね。

 だったら最初からそう言えばいいのに」



 珂月は眉間に縦皺を刻みムッとしたまま、かなり不機嫌な様子で沙弥子に言った。



「鳳霊葉を知らないそいつに咳止め薬の作り方を教えてやってくれ」



 珂月の言葉に沙弥子は「あ、そうだわ!」と言ってから。



「残念ですが私、用事を思い出しました。そろそろ麓へ帰らないと。お薬作りは珂月様が教えてあげたらいいじゃないですか。───では瑚春様、私はこれで。お茶をご馳走様でした」



 沙弥子はなにやらニマニマと口元を緩めながら楽し気な表情で立ち上がる。そしてそのまま部屋を後にする沙弥子を玄関まで見送ろうと瑚春も立ち上がった。


 そのときふと、珂月と目が合う。


 なぜなのか、もの凄く恐い仏頂面にヒヤッとし、慌てて目をそらすと珂月が言った。



「───おい、沙弥子が帰ったら裏庭へ来い。薬作りの作業を教えてやる」



「はい……」


 教えてもらうなら沙弥子さまの方がいいなぁと内心思いつつ、瑚春は玄関へ向かう沙弥子の後を追った。



♢♢♢



「珂月様ったら、困った人ですね。ほんとに素直じゃないんだから」



 玄関先で笑う沙弥子に瑚春は尋ねた。



「でもなんだかとても怒ってます。どうしてあんなに不機嫌なんでしょう」



 瑚春の質問に沙弥子はうふふと笑いながら答えた。



「照れ隠しですね」



「ええっ⁉ あれで照れているのですか?」



(あんな恐い睨み顔が⁉)



 理解に苦しむといった顔の瑚春に、沙弥子は微笑みながら言った。



「怒るのも心配の裏返しかと思いますよ。でも瑚春様にどんなふうに接していいのか判らなくて、それで自分に苛ついてるのかも。本当はもっと優しくしたいと思っているかもしれませんよ」



「珂月さまは………優しいです。昨日、水元を探すために山へ入ったときも、そう感じることがありましたから」



 そして今も。



 わざわざ薬草を摘んできてくれたのだ。




「あの、つかぬ事を聞きますが、もしかして夕べは珂月様と寝屋を共にしなかったのですか?」




 沙弥子の質問に瑚春は慌てた。




「え、ぇ……っ、は……はい。寝室は別々です」




「まぁ、呆れた!」



「ぃ、いいんですッ。───ぁあの、まだ………なんというか。私、珂月さまに対して、なんだかまだそういう気持ちが追いつかないというか………」




 沙弥子はもじもじしながら恥ずかしそうに答える瑚春をじっと見つめ、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷き言った。



「そうですか。なんとなくお二人の間に距離があるような気はしていました。でもまずはお互いの気持ちが大事ですものね。それにこれはお二人の問題ですし、私がとやかく言うことじゃありませんから。………言えるのはこれだけ」



 沙弥子は瑚春の両手をとり明るく言った。



「瑚春様、頑張って!」



「は、はぃ………」



「ではまた!」



 沙弥子は霧船に乗り帰って行った。



(どうしたら、珂月さまとの距離が縮まるのだろう)



 沙弥子を見送りながら、瑚春はぼんやりと思うのだった。




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