霊水



 瑚春が案内したその水元は、岩と岩の間から湧き出ているものだった。


 湧き出ているといっても勢いは弱く、岩の隙間からじんわりと染み出ているという感じに見えた。



(見つかってよかった)



 全く自信がなかったわけではないが、水元を探し当てるなどという行為は大山主である山護りの仕事だと思っていた。


 瓊岐の郷でもカナデが一人で探し歩き、瑚春は手伝ったこともなかった。


 なので無事に見つけることが出来て瑚春はホッとしながら、そっと珂月の様子を伺う。



 珂月は無言のままその岩を見つめていたが、やがて両手を不思議な形に組み、水元の前で何かを呟き始めた。



「───八千穂の山に連なる峰の………これ祖霊宮みたまや神鎮かみしづまりす………遠津祖神とおつみおやのかみ代々よよ祖霊神達おやかみたち御前みまえつつしいやまひもまおす………」



祝詞ノリト?)


 でもそれは祝詞というよりは寿詞ヨゴトに近いもののように思えた。


 天へ捧げる古い言霊だ。



「───これ家内うちに………罪穢つみけがれあらしめず、夜の護り、日の守りに守り………幸を給い、まこと神国のみ民としての義務つとめを全うせしめたまへ………」



 珂月の声はいつもの不機嫌な口調からは全く想像もできない、優しい声音だった。


「───夜の護り日の守りに守り、捧ぐるものの絶間無く………この波八の湧清水、栄えしめたまへ」



 それは天と地の恵みに感謝の意を込めて神に捧げ、伝える寿詞。


 その声は清浄な息吹となって、静寂の森を包んでいくようで。


 とても心地よいものだった。



 寿詞を終えると、珂月は瑚春に向いて訊いた。


「おまえは今、ほかにも感じているのか? ここ以外の水元を。水の気配を。まだ見つかっていない湧清水の気配が判るのか?」



「今ここで感じるのは……ここ以外にもう一つだけ。ここから北方へ、わりと近い場所なので感じるのだと思います」



 ここへ降りる前、まだ空中を霧船に乗って飛んでいたときに、僅かだが別の方角に水の気配を感じることがあった。



 なぜなのか。



 どうして判るのか、と聞かれても瑚春にはうまく答えられない。



(水が呼んでいる………。そんなふうにも思うけれど)



 そう感じ取れることは水杜一族にとって、あたりまえのことなのだ。



 なぜ、どうして、などとは考えたこともなかった。



「そうか。北か」



 珂月はこう呟くと、水が染み出す岩へ手を触れた。



 すると、不思議なことが起こった。



 岩の隙間から勢いよく水が流れ始めたのだ。



「これはいったいどういうことです?」



「強い流れを呼び覚ましただけだ」



(流れを?)



 瑚春は沙弥子の言葉を思い出した。



(珂月さまは流れる水を操ることが得意なんだ)



「凄いですね」



 感心する瑚春に返事をすることもなく、珂月は持参していた袋の中からお椀を取り出し水を汲むと、それを瑚春に差し出した。



「飲め」



「え?」



 わけが判らず呆け顔でいる瑚春に、珂月は眉を寄せて言った。



「見つけてから一番に汲む湧清水は霊水だ。薬として身体にも効く。飲んでおけ」



「……だめですっ」



瑚春は驚き、ブルブルと顔を振りながら答えた。



「そんな貴重で大切なお水。これは年明けの若水の儀式で使うべきです」



「もう汲んじまったろうが。それに若水で使うのは次に探す水元の湧清水を使えばいい。さっきおまえも言っていた北の方角を探す」



「でも……」



「いいから。おまえが見つけたんだ、遠慮するな。………ほら、」



 ───ぐい、と。



 目の前に差し出されたお椀を、瑚春はおずおずと受け取った。



「ありがとうございます。………いただきます」



 瑚春は汲まれた清水を少しずつ口に含んだ。



「美味しい!」



 喉が渇いていたせいもあるが、その水はとてもとても冷たいのに。



 なぜなのかじんわりと、身体だけでなく心にまで温かく染み入るように思えた。






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