ハンモックでお昼寝は全人類の憧れ



「ハンモックだ!!!」

「声おっきーよー、クレハー」



 所狭しと開発中の道具や実験機材が散乱している部屋の中。唯一綺麗に片付けられた机の上に広げられた布製品。

 布は通気性が良く伸縮性のあるもので、両端からはロープが伸びていた。


 すごいすごい! とテンションをあげるクレハの背中に抱きつくメル。そのままメルのことをおぶったクレハは、机の周りをくるくると回り始める。



「ほら、前寝袋以外の寝具が欲しいって言ってたじゃんかー。だから、作ってみたー。温度調整機能付き、若干の魔物避け機能付き、人が近寄った時に警告音鳴動機能付きー」

「はへー……使ってもいい?」

「もちのろんだよー。私のアイテムは全て、クレハのためにあるのだー」



 にへへ、と背中に乗ったメルが上機嫌に笑ったのを感じたクレハは、彼女を下ろして背中からメルのことを抱きしめ、小柄な彼女の頭を撫でる。



「ありがとう、メルちゃん! 明日も宣伝させてもらうね!」

「どーいたしましてー。それで……今日この後ノエルも来るんだけど、泊まってかないー?」

「え、ノエルちゃんも来るの!? ぜひぜひ!」



 ──などという会話を交わしたのが、今からおよそ十三時間前。



「ひー……ジメジメするー……」



 鬱蒼と生い茂ったジャングルを突き進むクレハ。彼女の周りを飛び回るカメラは草木に触れたせいか若干汚れていた。

 ここは森林型ダンジョン。改装という分かりやすい区切りこそないものの、森の中心に近付くにつれトラップの殺意や魔物の強さが上がっていく、中々難易度の高いダンジョンの形式。


 その中でも今彼女が侵入している『オルデラ大森林』は、数ある森林型ダンジョンの中でも屈指の広さを誇り、単純な踏破難易度は森林型ダンジョン最高峰とまで呼ばれている難関。



「あ! 見えた!」



 ……しかし、今ここを歩いているクレハにとっては、ただの巨大な森。最短ルートを進みつつトラップ解除や魔物討伐を鼻歌交じりに進む彼女に数多くの探検家がドン引きしている中、彼女はついに最深部……オルデラ湖に辿り着く。



「はい皆さん! ここがオルデラ大森林最深部! オルデラ湖です! ここまで来れればもう一人前の探検家を名乗れます! ちなみにー……この湖の底には、更なる高難易度ダンジョンの『オルデラ湖底ダンジョン』が存在しますがー……この世の地獄なのでオリハルコン級探検家以外は絶対に入らないでください。私も死にかけました」



 さらりと暴露された超高難易度ダンジョンの情報にコメント欄の速度は加速する。

 あのクレハ・ヴァレンタインですら死にかけるダンジョンの存在に動揺が走るコメント欄。そりゃあそうなるよねとため息を吐いたクレハは、カメラに向けてぴしりと指を指した。



「この情報は私の配信と同時に国際ダンジョン機構が発表してると思いますがー……難易度文句無しの神級。踏破者『2名』。長らく発見されていなかった七神ダンジョンの最後の一つだね」



 詳細については三日後に国際ダンジョン機構の配信で説明するから、楽しみにしててね! と締めくくり、彼女は湖に背を向ける。この湖、傍から見れば穏やかな水面をしているが、実際水中にはとんでもなく強力な魔物が所狭しと泳いでいるまさに魔境。

 今日はここに昼寝をしに来たのだ。危ない場所からはさっさと離れるに限る。



「まぁ、そんなことは置いといてー……今日のお昼寝はねー、これを使うんだ!」



 これまで未発表だった世界最難関ダンジョンのことを『そんなこと』呼ばわりしたことにコメント欄が爆速になるが、知ったこっちゃないと言わんばかりにクレハはカバンの中から前日メルから貰ったハンモックを取り出し、カメラの前に見せつける。



「こちら! 『メル工房』で販売予定の試作品、高性能ハンモック! なんと軽度の魔物避け機能と、温度調整機能付き! 更には人が近付いた時に警報が鳴り響きます!」



 そう言いながらいそいそとハンモックの準備を進めるクレハ。

 丁度いい間隔の2本の木を見繕い、腰より少し高いくらいの位置にまずは大きめのタオルを巻き付け木の保護。その上からロープを結ぶ。



「後はーもう片方のロープをー、テンション確認しながら結んでー……はいっ、本日の寝床のかんせー!」



 ぱちぱちぱち! と拍手をしてみせるクレハ。今この場には彼女一人しか生きている人間は存在しないが、画面の向こうには何万人という人間が彼女の拍手に呼応して拍手をしていた。

 キャンプに熱心になったクレハには、何を言っても流される……それを理解している視聴者達は、もう既に未発表ダンジョンについての質問をコメントすることは無くなった。


 よっこいしょとハンモックに登ったクレハは、一先ず横になってみることにした。



「あー……これは、いいですわー……温度調整機能付きだったっけなー……えーっと、説明書によるとー……裏地にあるツマミを回すのか」



 このへんかな、とごそごそと裏側を探ると、指先で回せる程度の大きさのツマミを発見する。それを回すと、ハンモック全体がほんのりと温もりを持ち始めた。

 湖の近くということで若干肌寒さを感じていたクレハは、その温もりに頬を緩ませる。



「あー……あったかい……これは寝袋じゃなくって、掛け布団とかの方が良いかなぁ……うーんでも、掛け布団だと落ちちゃうし……」



 どうしたものか。と思案しながらのんびりと上を眺めていた。

 木々の隙間から降り注ぐ木漏れ日。頬を撫でる優しい風が実に心地よい。身体をじんわりと温めるハンモックの上でゆらゆらと揺れると、段々と睡魔が襲いかかってきて……



「だめだめだめだめ! まだお昼食べてないっ!」



 瞼が落ちかけてきたところでがばっと起き上がり、その勢いでハンモックから飛び降りる。



「私の目的は至高のお昼寝っ! お昼ご飯を食べないお昼寝は……それはそれでいいけど、そうじゃないっ!」



 急いで折りたたみのテーブルと椅子を広げるクレハ。

 既に眠気が体全体にのしかかっている現状、あまり複雑かつ長時間の調理工程を踏む料理は難しい──そう判断したクレハは、いつもよりもテキパキと行動をしていく。


 取り出したのは、メルに依頼して作ってもらった、元の世界で言うところのメスティンと呼ばれる、金属製の箱のような調理器具。煮る焼く米を炊く何にでも使える万能さが売りだ。


 そこに油を入れ、温まってきた所で森の中で狩った猪系の魔物肉を入れていく。勿論、血抜きはきちんと行っている。



「この前食べたミルクスープあったじゃない? あれってさー……少し味濃くしたら、主食でも通用するって思ったんだよねー」



 いつも通り常備してるカット野菜を投下し全体に油が回ってきた所で、まずは水を入れる。

 この段階で一旦味付け。塩胡椒とうま味調味料を投入し、味見。以前作ったミルクスープより、パスタを入れる分少し濃いめの味付け。



「というわけでー……本日のメニューは、スープパスタでございます!」



 じゃーん! と取り出したのは行きがけに購入していた生パスタ。

 少し多めのそれを沸騰したスープの中にほぐし入れ、じっくり煮ていく。



「ちなみにこのパスタは、わが町の美味しいレストラン『アンドゥトロワ』の店主に、朝五時に作ってもらいましたー! ……まぁ、実家だから、許して?」



 ちゃっかり実家の宣伝を済ましたクレハは、そのままパスタの茹で加減を確認。少し芯が残っている程度になったら、満を持して牛乳を入れる。

 そして、軽くひと煮立ち。



『クレハさんの実家ってレストランなんですか?』

「そーだよー? 行事ごとがあれば領主様……ライオット家に出向いて料理をしてるんだよね。そこからだね、ライオット家と関係ができたのは」

『また幼なじみ3人で配信してくれますか?』

「どーだろね? ノエルちゃんは兎も角、メルちゃんがねぇ……渋るんだよねぇ……」



 恥ずかしがり屋だし、シャイだし、照れ屋だしねーと笑うクレハ。彼女としては嫌がることはしたくないのでメルがやると言い出さなければやらないつもりである。

 しかし、過去に1回だけ配信された幼なじみ3人の配信は神回と呼ばれるほどの人気を博しており、彼女の配信の中で三番目に人を集めた伝説の回である。そのため、視聴者はそれを望んでいる。



「まぁ、ノエルちゃんはノリノリだから、またノエルちゃんと配信することはあると思うよー」

『それは楽しみ』

『ノエル様は今何を?』

「ノエルちゃんはねー、この前私が配信でエルダーコッコの養殖を依頼したいって言ってたじゃん? その件に関して今事業立ち上げの手続きをしてるよ……っと、そろそろいいかな」



 雑談に興じていた所だったが、煮込んでいたスープパスタが丁度いい塩梅になってきたので、火を止める。



「というわけでー……スープパスタのかーんせーいっ! オマケでパンもあるよっ! じゃあ早速……いただきます!」



 ぐつぐつととろみのついたスープの中にフォークを入れ、パスタをくるくると巻き取って一口。



「むぐむぐ……ぐきゅん。これは……やっぱり私の見立てな間違いはなかったね! 濃いめの味付けは正解だったね! スープパスタにピッタリだ! パスタもモチモチ食感で食べ応えがある……やっぱり生パスタは良いねぇ。食感が違う……はふっ、むぐ……」



 出来たて熱々のスープパスタを勢いよく食べるクレハ。

 湖の近くということもあり涼しい中で食べる暖かい主食。身体の芯から温まる感覚を覚えながら、あっという間にパスタを完食する。


 パスタが無くなってしまったことに気を落としながら、持ってきたパンをちぎって付けるクレハ。



「うーん……美味しいけど、やっぱりチーズが欲しいなぁ……コクが全然違うんだよね……でも、流通数が少ないんだよねぇ……美味しいけど、作るの手間だしなぁ、仕方ない、かな」



 ──この不用意な発言によって、彼女の大ファンであるとある国家の伯爵が、自分の領地に巨大なチーズ工場と専用の牧場を設置することになるのだが、この時のクレハは知る由もない。


 しっかりパンもスープを食べ切ったクレハは、ごちそうさまと一言。



「……うーん、眠気が飛んだ」



 テキパキと動いたのが裏目に出てしまい、すっかり脳が覚醒してしまったクレハ。

 このままでは、横になったとしても十分な睡眠を取れない可能性がある──そんな考えに至った彼女は、すっと立ち上がり湖に向けて歩み出す。



『泳ぐ?』

「泳がないよ。水着も持ってないしねー……ちょっと腹ごなしがてら、安全対策をね!」



 クレハはそういうと両手を湖に向けて広げ……精神統一をしながら詠唱を始める。



「……凍寒を司る氷の精霊よ。万物を凍てつかせるその力を今ここに示せっ!」



 ──ブリザード!


 彼女が目を見開くと、彼女の両手に展開されていた水色の魔法陣から青白い風が吹き荒れ……たちまち湖の表面を凍らせていく。

 ぱきぱきと音を立てながら凍った水面の面積は広がっていき……やがて、湖全体が完全に凍りつく。


 これでよし、と言わんばかりに両手を叩くクレハ。



「これで私が寝てる間に湖の魔物に襲われる心配は無しっ! 帰りに溶かすの忘れないようにしないとねー」



 などと、鼻歌交じりにハンモックへと戻っていくクレハだったが……コメント欄は阿鼻叫喚だった。



『なんで湖全体をこんなに一瞬で凍らせられるんですか???』

『そもそもブリザードって中級魔法だよね? 下手な魔法使いの最上級魔法と同じくらいの威力じゃない?』

『えげつねぇ』

『そもそも溶かせるの? これ』

『魔物一網打尽でしょこれ』

「もー、皆心配性だなぁ。表面凍らせただけだから水底は凍ってないよー」

『『『『そういうことじゃない』』』』

「ふぁああ……ねむくなってきたから、もうねるねー……それじゃ、またあとでねー」



 軽く運動して良い感じに眠気が来たクレハは、別れの挨拶をして配信を終了させる。

 湖を凍らせたせいで気温が低くなって居ることに気づいたクレハは、これ幸いとハンモックの温度を上昇させた上で、厚手の寝袋に包まり、そのまま寝転がる。


 何だかんだと言いながら、大森林を強行軍した疲れもあったのだろう。ハンモックに潜ってわずか数分で、彼女は意識を手放した。



 ──なお、彼女が昼寝を嗜んでいる間に有名配信者の配信にて、『もうクレハちゃんが現世界最強で良くね?』という話題が世界を埋め尽くすのであった。

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