0-6 ずっと好きだった

「あのバカも激しくバカでバカ過ぎて問題しかないんだけどさ、一応オレってば友人ってやつらしいし? 思うところがないでもないわけ」


 エルゼが後悔と自責でぐるぐるになりながらいるのを余所に、アルツトが扉へと向かい、その手がノブに手を掛けた。


「ベッド使うならエルゼ嬢が今座ってるそれだけで頼むわ。っていうのは冗談だけど……あ、床汚すなよ」


 何のことを言っているのか、そう言いかけて口を噤む。

 扉を開いた先に立つ、その姿にエルゼの心臓が跳ねた。


 匿うと言ってくれていたのに、そんな恨み言が腹の中で渦を巻く。


 開いた扉の外に、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルが立っていた。

 魔法士であることを示す黒いフード付きのローブ。そのローブには団長である証の房飾りが袖口に。袖と裾の縁には星屑のような刺繍がされている。

 ローブの外にはこちらも魔法士団長の証の頸飾。ローブの内側には第一魔法士団の青いサッシュが見えている。


 いつものように深く被ったフードで表情は見えない。見えないが、纏う空気はあからさまに硬い。

 微動だにしないヴィルヘルムとすれ違いざま、アルツトが肩越しに声を掛けた。


「ヴィル、最初で最後の機会だと思えよ。これで逃げたらオレは二度と協力しないし、マジで内臓引き摺り出して標本にしてやっからな」


「……ああ、わかってる。クラウス、感謝する」


「おう。死ぬほど感謝しろ」


「…………」


「突っ立って時間稼いでんじゃねーよ。カッコつけてねーで、とっとと行けオラ!」


 発する声だけはいつも通りだが、まったくその場を動こうとしないヴィルヘルムが、アルツトによって医務室に蹴り入れられた。


 蹴り飛ばされ、床に両膝と両手を付いたヴィルヘルムの横を、物珍し気な視線で眺め回すシュミットが横を通り過ぎアルツトに続いて部屋を出ていく。

 扉が閉まるその隙間から、シュミットのちょっとだけ心配そうな、どこか複雑そうな表情が見えた気がする。


 そして、扉がバタンと音を立てて閉められた。

 駄目押しのように、扉を照らす魔法による光が見えた。おそらくだが、外側から封印されたのだろう。


 床にへばりつくヴィルヘルムと、ベッドに腰かけるエルゼだけが部屋に残された。


「………………」


「………………」


 沈黙が重くて痛くて苦しい。


「………………」


「………………」


 長い、互いの沈黙の末に、ヴィルヘルムがのそりと立ち上がった。

 ゆっくりと近付いてくる。


 視線で追うしかできないエルゼの目の前に、ヴィルヘルムが立つ。

 並んで背筋を伸ばせばエルゼに比べ頭一つ分より高い上背。見上げた先、影にはなっているものの、フードの中が見えた。

 かたく引き結んだ口元と、強張った頬と、足元に視線を落とし、怯えるように揺れる瞳。


 そして再び、ヴィルヘルムが床にへばりついた。

 エルゼの足元、揃えた膝を折りたたみ、背中を丸め、伸ばした指先はぺったりと床に沿い、額がめり込むぐらい額づいた。

 土下座、というやつだ。 


「ごめんなさい」


 フードに覆われた後頭部の下から、くぐもった声が聴こえてきた。


「……怖くて、君を避けました。傷つくのが怖くて、傷付きたくなくて、でも、そのせいで、君を傷つけてしまいました。謝って、許されることではないけれど、謝らせてください。ごめんなさい」


 土下座で、謝罪。

 あの、ヴィルヘルム・フォン・ヴェンデルが。


 最初に避けたのは、エルゼの方なのに。


 照れ隠しももちろんあったけど、何よりも、傷つくのが怖かった。

 怖くて、傷付きたくなくて、そのせいで、ヴィルヘルムを傷つけたのはエルゼの方なのだ。


「子どものことも、責任を取らせて欲しい。君が望む通りに、何でもします。君がぼくの顔など二度と見たくないと言うなら、その通りにする。魔法士団も辞める。王都も離れて、この先二度と視界に入らないようにします」


 そこまで言って、ヴィルヘルムが顔を上げた。


 被っていたフードを払い除け、静かで、穏やかで、覚悟を決めた顔で、真っ直ぐにエルゼを見上げてきた。


「でも、これだけは言わせて欲しい」


 そこまで言って、くしゃりと、ヴィルヘルムのその整った顔が歪んだ。

 目の下には、心なしかいつもよりはっきりと濃いクマがある。その瞳が、膜を張ったように潤んでいる。

 

「……ぼくは、ずっと、あの夜より前からずっと、君が……好きだった。だから、戯れにあんなことをしたわけじゃない。それだけは、知っていて欲しい」


 瞳から、溢れる何かが零れるより早く、ヴィルヘルムが再び額ずいた。

 艶のないぼさぼのピンクブロンドの下から、洟を啜る音が聴こえてくる。 


 その言葉を、頭の中で反芻する。


 一瞬前までエルゼの胸の内で嵐のように吹き荒れてた後悔と申し訳なさが、凪いでいた。


「………………………………ずっと、好き…………だった?」


「ああ、ずっと。エルゼ、ぼくはずっと君が好きだった」


 目元を赤くし、濡らしたヴィルヘルムだが、話しているうちに落ち着いたのだろう。どこか吹っ切れたような顔を上げた。


「初めて会った時。君は覚えてないだろうけど、十年前の入団式で、人の多いところで緊張して具合悪くなったぼくを、君が助けた」


「おぼえてない」


「ぼくは覚えてる。それに、三年前の戦場で、死を覚悟した。でも、諦めようとしていたぼくを君が叱咤した。生きることを諦めるなと。這ってでも必ず共に生きて戻ると。おかげで、今もこうして生きている」


 無我夢中で、お互い血みどろで、そう、確かに戦場で、エルゼはヴィルヘルムを叱咤した。

 でも、そこから先、エルゼを守ったのはヴィルヘルムだ。

 恩、という話をするのなら感じるべきはエルゼの方だろう。

 あの時、残る全てを振り絞り、命までもを燃やし尽くす勢いで放ったヴィルヘルムの魔法が、エルゼを助け、その戦の趨勢をも決定付けるものとなった。


「あの時から、この命は君に捧げると決めていた。君はずっと、ぼくの女神だ」


 常の仏頂面は見る影もなく、相好を崩したヴィルヘルムが満足げにすら見える表情をつくった。

 穏やかで、満ち足りているかのような。


 一人、勝手に。


「手に入れようなどと恐れ多いことはもう考えない。たった一度でも触れることを許された。あの熱だけでぼくはもう、生きていける」


「………………………………そう」


 エルゼの手の中には、アルツトから渡されたメスがある。それを、利き手で握り直す。

 その僅かな動きに、ヴィルヘルムが目を止めた。


「……エルゼ?」


「だから、私はもういらないってわけね?」


 相手が何かを思うより早く、エルゼは空いた左手でヴィルヘルムの襟首を掴み上げた。引き寄せると同時にその顔面目掛けて頭突きを喰らわせる。

 鈍い痛みと共に、ヴィルヘルムの呻き声があがった。


 衝撃に後ろに倒れたヴィルヘルムの喉元に素早く腕を入れ、起き上がれないようにする。

 腹の上に脚を圧し掛け、ヴィルヘルムの反射的な抵抗を封じ、鼻血を吹くその顔の横に思いっきり鋭利なメスを突き立てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る