異相


 在室の灯火を確認したサバサは、委員証を翳し、グラスの個室に入室しました。

 グラスは寝んでいましたが上半身を起こし、

「……処理に来たのか」

「まさか」

 と、サバサは思わず笑みを零しました。

「室内の霊的振動バイブレーションが熱っぽくて、重苦しくなってますよ、グラスさん」

「精神異相者があんなに肉体を変容させるなんて、おれは知らされていなかった……」

 快適さを追究した室内はしかし、グラスの精神と同期するかのように、淀んでいます。

「君はおれよりも高貴な職に就いている。おれより多くのことを知っている筈だ……。異相者とはいったい何なんだ? 今まで何の疑問もなくこの仕事をつづけてきたが、自分がどれ程ぼんやり生きてきたか、今回の件で思い知らされたよ」

「グラスさんに教えることはできません。この薬を飲んで下さい」

 サバサはさりげなくグラスの横に腰かけ、彼に肉体をすり寄せました。

「そんな、得体の知れない薬を飲む気にはなれない。」

「グラスさん、一ついいコトを教えてあげましょうか」

 グラスはちょっと身構えて、

「……何だ?」

「涙は霊から流れる。女性が男性よりも涙に耐えないのはその魂との結びつきによるものなんです。つまり女性は自身の霊との連絡によって、男性よりも涙を流すんです……」

「…………」

「グラスさん。女性の肉体は、男性よりもこころと親密なんです。女性の涙は冷たい。だからもうこれ以上冷たくなっちゃいけないんです……。私は温感的な個性を求めてる。要するにふれあうことが大切なんです……」

 サバサはおもむろに内服薬を口に含んで、思い余ったように自分のくちびるとグラスのくちびるとを重ねようとしました。

 しかしグラスはそれを許しませんでした。

「やめろ」

 サバサの肉体ごと突放すようにいった。

「グラスさん……」

「異相者に関する情報を開示する気がないならもう帰ってくれ」

「わかりました。薬だけ置いていきます。ちゃんと飲んでくださいね」

「人間は既に神に見放された。舞台の上で生きようとする人間を、見下す何者かに成り下がってしまった。おれたちの方が、よっぽど化物じゃないか……」

 グラスの肉体に異相化の兆しが見えた。

 サバサは処理に来た委員を殺害して、振り返ると、サバサのすきだった、グラスの――実存上の個から解かれたかのような、水分のもつような瞳までも、異相化していました。

「ころしてくれ。サバサ、ころしてくれ……」

「そんなことできるわけないじゃないですか……グラスさん」とサバサはいいました。



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