【第二章 異郷】 第8話 月下の異形 前編

 新月の晩に、ようえんは玉座の間にいた。

 旅の、話をするためである。


 ☆☆☆


 ――欧陸おうりくようを連れて行かれるとは思わなかった。


 楊淵季は独り、夜に馬を走らせていた。背中の荷物は大きく、重い。

 砂っぽい草原は、彼の来た道筋を示すように砂が舞い上がっている。昼のように白くはならず、藍色にけぶったすなぼこりが立つ。

 西端せいたんの町に、他国から宝物が預けられたという報告があったのは、七日前のことだ。皇帝に届けて欲しいということらしいが、状況がわからない。

 他国の高官との会談が予想されたことから、淵季より官位の高い欧陸洋が旅の一行の主になった。もちろん、旅先での宝物を見て判断するのは淵季の役割だ。

 

 

 砂漠のほど近くの町が、帝国の西の端である。

 到着したのは今日の昼だった。宿は用意されているという。役所で挨拶し、案内を請うと、宿よりも先に役所の奥に通された。


「西方の王が寄越した宝物なのですが、手紙一つつけてこなかったのです。どうやら、この宝物自体が手紙なのだそうで」


 困り果てた役人の顔を見て、淵季は宝物が入っている木の箱を見た。小柄な人間なら入れるくらいの大きな箱だ。掛けがねを外し、ふたを跳ね上げると、光沢のある赤い布が敷き詰められた上に弓があった。つるを掛ける部分と、手で持つ部分に色とりどりの宝石がはめ込まれている。矢には孔雀くじゃくの羽が差してあった。

 弓は作りからして、動物の骨なども組み合わせたものと思われる。射程も長く威力も大きい。かたわらに収められている弦も牛の筋で作られたものだ。

 こんなものを送りつける理由は何だろう、と考える。

 いつでもおまえなど殺せる、だろうか。いや、それならばこの弓を使って敵が反撃したらどうなるのか。ずいぶん愚かな話だ。

 楊淵季は、じっと宝石で飾り立てられた弓を見つめた。


「見たことのない布だな」


 欧陸洋が横から覗き込み、箱の中の赤い布に触れる。


「生地の表面に産毛のような細い糸がびっしりと編まれている。桃の表面のようだ」


 欧陸洋の独り言に、楊淵季は、ふ、と軽い笑いをもらす。

 

天鵞絨びろーどだ。確かに、わが帝国ではあまり用いられないな」


 そもそも、この生地の織り方は世界でほとんど知られていない。西方でまれに作られることがあるという。あまたの失敗作の果てに奇跡的に成功したものであろう。弓の宝石も見事だが、場合によってはこの布の方が、価値が高いかもしれない。

 十数年前までは、この布は仙人国と呼ばれた迂峨過都うおことで作られていた。もっと高度なものもあった。

 だが、迂峨過都うおことは滅んだ。楊淵季自身が滅ぼしたのだ。


「なるほど。それで、この宝石だらけの弓は? よい弓のようだが、これでは戦場では目立ちすぎるだろう。宝石がついている分、弓も重くなっているだろうから、使いづらそうだ」


 陸洋の言うとおりだった。

 弓は軽くて強いのがよい。片手で支える弓をわざわざ宝石で重くするなどばかげている。もし、戦場で使うとすれば。

 ただ。


「なるほど」


 淵季はつぶやき、宝石を見つめる。透明感のある緑の石、赤い石、金の細工。金剛石も混じっているようだ。

 宝石全部を取り外して売ったとしたら、相当な金額になる。それを、あまつさえ戦場で失うかもしれない武器につけ、それどころか、敵に送りつける。

 そんなもの、目的は一つしかない。


「よほど、資金が潤沢じゅんたくな国なのでしょうな」


 顔を上げると、町の役人が気まずそうに、「そのようですね」と答えた。


「いつの間にそんな国ができたのだ。わが国の脅威じゃないか」


 陸洋も、送りつけられた弓の意味を理解したらしく、青ざめる。

 つまり、あの弓は、隣国は武器にこんな装飾を施せるほど裕福な国だと伝えているのである。そのような国と、戦う気になれるか、と、問いかけている。

 戦いは人の戦いでもあるが、金の戦いでもある。資金がなければ、どれだけ優れた軍人がいようとも、やがて武器と兵糧が尽きて負ける。

 これだけの財力がある国に戦をしかけるのは、難しい。


「それで、隣国の使いというのは、どちらへ」


 陸洋が緊張した声で言った。表情もいつになく引き締まっている。こういうとき、陸洋は優秀な官僚の顔になる。


「数里先の村でお待ちです」

「こちらも、ふんだんに返礼品を持ってきた。すぐに行こう」


 陸洋は相手が弓を献上したかわりに、弓以上の価値がある返礼品を贈ることで、相手の国がわが国の徳に伏したという形に持ち込もうとしている。

 弓の宝石を見て、自分たちが持ってきた返礼品の方が高額であると見抜いたのは、さすが名門の出身といったところだ。


 本来は、相手がこちらに出向いて行うものである。

 だが、陸洋は、献上品と返礼品という形式を取りながらも、相手がわかる形で服従させようとはしていない。相手の強さに対する警戒もある。怒らせるのは得策ではない。

 こちらから出向けば、こちらに来いというより相手の態度はかたくならないだろう。

 わが国はわが国で、より高価な返礼品を渡すことで、こちらの優位性を示すことには成功するだろう。

 さっそく、陸洋は返礼の品を持つもの、町の役人、そのほか、護衛に程適ていてきをはじめ、腕の立つものを加えて町を出発した。



 数里先の村に行ったはずの陸洋たちは、夜になっても戻ってこなかった。

 淵季は宿から外に出て、こっそり例の弓矢のつくりを細かく調べる。

 弓の細かな工夫に、見覚えがあった。

 考えをまとめるため、町を囲む城壁に登る。

 辺りを見渡し、隣国の使者がいるという数里先の村を探す。


「明かりが、どこにも見えませんね」


 いつのまにか城壁を登ってきていた呂凜りょりんが、えんげつとうの刃を西に向ける。月明かりが刃に映じて光った。だが、それ以外は闇が広がるばかりだ。

 陸洋たちをもてなす宴が開かれているのなら、この時間まで帰らないのもわかる。ただ、数里先なら、宴の明かりが見えてもよさそうなものだった。


「村が聞いていたより遠かったのかもな。あるいは、小さな村に使者の下僕が案内のために待っていただけで、そのまま隣国に行ったのかもしれない」

「欧先生は、淵季様に知らせもせず、そのような行動をとる方ではありません」


 凜花の声は敵でも見つけたように小さい。

 淵季もわかっていた。

 おそらく、陸洋は意に反して留め置かれている。


「凜花。もう、宿舎に戻れ」

「淵季様は?」

「心配はいらない。町の守りは固めておけよ」


 月明かりの中、凜花の表情が苦しげに歪んだ。

 本当は同行したいのだろう。若い娘ながら武芸に優れた凜花は、楊家で最も強い。本来は、楊家の主、すなわち淵季の養父についているべきだった。しかし、養父は凜花を淵季につけた。仙人国を滅ぼした元王としての淵季の立場を考えた上での判断だ。


「……わかりました。危険があれば、すぐにここに逃げ帰ってください」


 凜花の言葉に、淵季は、ふ、と笑う。

 二人はそれ以上言葉を交わさなかった。淵季は町の人にこっそり頼んで馬を貸してもらい、門番に適当な理由を言って、町を出て、馬を西に走らせた。



 だが、どこまで走っても明かりは見えない。星と月の位置からして、方角は間違っていない。人の気配を探りながら、来た道を戻り、明かりを消した家もないと確認して、また、西に進む。背負った箱には、例の弓矢が入っている。箱に掛けた紐が、肩に食い込んで痛い。

 満月が最も高く上がった頃だった。

 前方に、ちらちらと光るものが見えた。明かりではない。

 瓦だ。

 屋根の瓦が月を浴びて、薄く光っている。

 淵季は馬を下り、引いて歩く。

 家の傍らにあった木に馬をつなぐと、そっと窓の隙間から、家の中を覗く。

 中は、薄く光っている。白く、発光しているものがあるのだ。


 ――妖怪が潜んでいるのか。


 慎重に体をずらし、部屋を見回す。すると、西方の壁に掛け軸があるのがわかった。

 光は、軸から放たれている。


 ――何の絵だ。


 目をこらすと、絵に二人の人物が描かれているのがわかった。

 欧陸洋らしき官服の男と、程適らしき薄墨色の庶民の衣をつけた男。


 背筋に寒気が走った。

 絵は発光している。怪しい力を秘めたものであることは間違いない。


 昔話には、絵の中に人を閉じ込める話が、よくある。

 よくあるので、言い古された物語だろうと思っていたが、いなくなった二人が描かれている以上、万が一ということはある。

 冷静になろうと、親指の爪を唇に当てたときだった。


「お待ち申しておりましたよ。せいげん真人しんじん


 扉が開き、一時代前の格好をした男が現れた。こちらを見た目は、色が薄い。


 ――俺と同じ灰色の目の者か。


 仙人国の住人は、皆、灰色の目をしていた。国は滅びたが、生き残った住人の中には、淵季を連れ戻し、国を再興しようという者もいる。そういう者は皆、淵季を、「清玄真人」という仙人国での名で呼ぶ。

 はめられた、と思ったが遅かった。砂埃が起こり、馬のいななきが聞こえる。目元を覆った途端、背負った箱ごと、強く強く押された。

 背後で戸の閉まる音がして、風が消えた。

 手を下ろすと、卓が見えた。椅子はない。卓の上には、陸洋たちが持っていったはずの返礼品の箱が山と積まれている。右手には掛け軸があって、やはり、ぼうっと光っている。


「どういうつもりだ」

「あなたさまこそ、その弓をどうしてお持ちになったのです」


「返すためだ」


 淵季は箱を下ろし、弓を取り出す。


「本当は隣国などないのだろう。これは、あの国にあった宝石をはめたものだな。弓のつくりも、よく見れば帝国のものより数段出来がいい」


 見落としていたのが失策だった。もし、自分が使者として隣国の人と対峙しなければならない状況であったら、初見でもう少し詳しく探っていただろう。自分を狙ってくる者がいるのはわかっている。だが、陸洋を狙うとは思っていなかった。

 油断したのだ。


「お返しになってどうするんです」

「なかったことにしてくれ。わが帝国は、おまえたちとは交渉しない。帝国人である俺もだ」


 弓を隣国の人が取り返して去ったことにすれば、そもそもこの出張の目的は消える。隣国の詳細を追及されることもない。


「しかし、そちらの皇帝は承知しないでしょう。宝物を持ち帰らないのでは」

「事実だからしかたないだろう。承知してもらう」

「それは偽の事実ですな」

「偽の隣国を用意した者に言われたくないな」


 言葉を交わしながら、絵の気配を探る。光は放っているが、描かれた人物には生気がない。本当にここに閉じ込めたのだろうか。だとすれば、二人は生きているのだろうか。

 不安がぎる。

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