No Future 1
……なんでこうなっちまったんだろうな。昔はこうじゃなかったのに。
俺と母さんは小五の終わりごろにこの街に――この家に引っ越してきた。理由を訊ねられたら喘息の治療と答えることにしている。まあ半分は合ってる。
本当の理由は俺にクダンの――未来を視る力があることがわかったから。
それまで俺たちは狭いアパートのワンルームで暮らしてた。その時の母さんは働きすぎなくらいに働いていた。昼間はどこかのパートを掛け持ちし、夜はキャバクラとスナックを行き来し、その合間にも内職をして、寝る間を惜しんで働いていた。
ただでさえシングルマザーは大変だろうに、小さい頃の俺は今以上に体調不良が多く、何度も生死をさまよっていた。俺を育てるには通常の何倍も金が要ったはずだ。
頼れる人間はいない。その上息子はすぐ死にかける。当時の母さんの心労は計り知れない。
だから仁吾家から俺を引き取りたいと連絡が来たとき、俺も母さんも素直に喜んだ。
母さんはこれで幸せになれるって喜んでいたし、俺はこれで母さんとずっと一緒にいられるって、素直に喜んだ。
そう思っていたから仁吾家から出された条件が「母さんには生活に困らないお金を渡すから俺だけこっちに来い」だとわかった時、大反対した。母さんと一緒に暮らせないなら絶対に行かない、無理矢理連れて行くなら死んでやるって、大騒ぎした。
揉めに揉めて、最終的には俺のワガママは通った。幸か不幸か、そのワガママが通るくらい、俺のクダンの力は強かった。強かった、というより、正確に言うなら使い勝手がよかった。
親権が父親に移って戸籍上は母さんとは他人になったとか、本邸ではなく鍵付きの別邸に住むことになったとか、そんなことはどうでもよかった。
これで母さんは働かなくていい、ずっと一緒にいられる。夜中に目が覚めても母さんがいるって、俺はにこにこしながらこっちに引っ越してきた。
でも、そうはならなかった。
母さんが俺の側にいてくれたのは最初の数週間だけだった。
仁吾家で俺と一緒に暮らすことになったにも関わらず、母さんには普通に生活する分には困らないくらいの額が毎月振り込まれることになった。はは、俺の口の上手さはたぶん母さん譲りだ。
働かなくてよくなった母さんは暇を持て余した。仁吾家は古くからある名家で、一言で言うなら金持ちだった。家事はお手伝いさんがやってくれるし、俺は付きっ切りの看病が必要な年でもなくなっていた。
そのうち、母さんは俺がいても外へ出て行くようになった。
その頻度も、時間も、だんだんと増えていった。
ある時、玄関へ向かう母さんの袖を引っ張って「今日は一緒にいてほしい」と言ったことがある。
今でもよく覚えている。
ちょうどこの家に越してきて一年くらい経った、冬の日だった。
その日は朝から底冷えするような寒さで、外は見事な曇天だった。いつ雪が降ってもおかしくないような天気だった。
別邸は造り自体は古かったけれど、中は俺が来るのに合わせてリフォームされ、小綺麗だった。エアコンもストーブもあって暖かい。なのになんだか、その日はすきま風が吹き込むみたいに心細かった。
十二歳にもなって母さんにそんなことを頼むのは、恥ずかしかったし、勇気が要った。だけどひとりになりたくなかった。
母さんに側にいてほしかった。
悲鳴にも近い声で「放して!」と突き飛ばされた。
あの
母さんの言葉はただ音として俺の脳みそをかき混ぜた。
あの時のことを思い出すと今でもみぞおちの辺りがすぅっと冷たくなる。
俺はきっと、傷ついた顔をした。
俺と目が合った母さんも、傷ついた顔をした。
たぶんその辺りからだろう。
平気で嘘がつけるようになったのは。
……この話を聞いて、「そんなのクダンの能力でわかってたんじゃないか」って思うか? そう思ったお前は今までの話をちゃんと覚えていて非常にえらい。思わなかったお前はそれを忘れるくらい今の話に引き込まれていて非常にえらい。
はは、あの時から俺は全肯定マシーンやってっから。お前の答えがなんでも、肯定してやっよ。
――そうだな、確かに‘視えて’いた。
でも、見えてなかった。
俺が視るのは変えられる未来だ。無数に存在する未来のうちのひとつ。
そうだな、こんな例え話をしてみようか。
中の見えない箱がある。お前はそこに手を突っ込んで、最初に指先に当たったものを引き抜いた。それは赤いボールだった。この時あなたがそのボールを引く確率は何分の何だったでしょうと聞かれて――答えられるか? 無理だろ。
一回しか引いていない、全体の数もわからない、そんなので確率の計算なんてできるわけねぇ。十回くらい引いて、やっと、傾向が見えてくるってもんだ。赤が六個出てきたからこの箱には赤いボールが多そうだとか、青が九個で赤は最初の一回だけだった、どうやら一発で当たりを引いたらしい、とかな。
一回引いた時点でわかるのは、せいぜい、「少なくともひとつは赤いボールが入っている」って、それだけ。
俺が視る未来ってそんな感じ。
突き飛ばされる未来は視えていた。でもそれはたまたま最悪の未来を引いただけかもしれない。俺が母さんの言うことをちゃんと聞いて過ごせば変わるかもしれない。
そう、信じていた。そういう風に夢見てた。
そして俺はいまでも、その夢を捨てきれないでいる。
いつか昔の、優しかった母さんに戻るんじゃないかって。この家でふたり仲良く、幸せに暮らせるんじゃないかって。
そんな未来は一度もみえたことがないけれど。
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