序:残された親子

第1話 取り残された女性

「お母さん、今日のお使いはこれで終わり?」

「ああ、リストにあるのはこれだけだよ。ほら、そっちの荷物も私が持つから」

「いやっ! 私が持つの! お母さん疲れてるでしょ?」

「これくらい何でもないよ。ありがとうね、リコ」


 家路を急ぐ二人の声が、狭い路地にこだましている。軽い足音に反して、大量の荷物を抱えた二人は、互いに相手を気遣いあっていた。

 お母さんと呼ばれているレンは、しかし母と呼ぶには年若く、二十代半ばの女性である。長い黒髪に鋭くナイフで切ったような金の目が印象的だ。

 その娘のリコリスはと言えば、既に大人びた顔をする十歳ほどの少女だ。しかも外見は香色の髪に、ぱっちりとした薄紫の瞳と、母とは似ても似つかない。それでも、二人がお互いに向ける視線は、仲の良い親子そのものだ。

 二人とも着古した灰色の服を着ていて、少し疲れた顔をしているが、その顔は沈みゆく夕日にうっすらと紅色に染められ、瞳は明るく輝いている。


「……風が冷たくなってきたな。リコ、ちょっと急ごう。」

 折からの風がレンの長い髪を巻き上げ、視界を遮るようにふわりと広がった。それを軽く捌いてから、レンは右手をリコリスに差し出した。

 するとリコリスは、素直に左手を出しながらも、少し頬を膨らませた。

「ゆっくり歩いてるのお母さんじゃないー、だから荷物持つって言ったのに!」

「あ、そうだったのね、ごめん」

「ほらほら」

 リコリスは有無を言わさず、レンの手から籠を一つ取った。四つあった荷物が三つに減って、レンの足取りは少しだけ軽くなった。


 今日は突発的な買い出しを頼まれたのだ。レンとリコリス、二人が生活しているのは、住み込みで働いている小さな宿屋だった。

 その日は客の入りが少なく、仕入れもいつも通りで済むはずだったのだが、日暮れ前になって怪我をした猟師の一団がドヤドヤとやって来た。獣にやられたのかと訊ねると、盗賊に遭ったのだと彼らは答えた。近頃はそんな客が増えている。


「ん、どうしたの?」

 ふとリコリスが足を止めたので、レンは行き過ぎそうになって手を引かれて立ち止まった。

 視線を追うと、リコリスは細い小川を渡った先の家の前をじっと見ていた。そこには一人の女性が立っている。遠くを見るような目をして、これから帰って来る主人を待っている、と言った風情だ。


「あの人、この前もあの家の前に立ってたよね?」

「あ、ああ。そうだな……」

 人待ち顔の彼女の姿に、レンの胸の中は微かに痛んだ。それを知ってか知らずか、リコリスはなかなか歩き出そうとしない。

 女性の顔には笑顔がなかった。誰かを待っているのなら、そこにあるのは期待や嬉しさなのだろうが、彼女の目はぼんやりと虚ろだ。どこか諦めさえ漂わせているその姿はは、夕方にここを通れば常にある。

 今まではレンが、気付かせないように明るい話をして通り過ぎていたが、それでもリコリスは気付いていたのだ。そしてとうとう、立ち止まってしまった。

 そんな二人の様子を見て、通りがかった近所の女性たちが、同じように立ち止まって川向こうに視線をやった。やがてそのうちの一人が、深い溜息をついた。


「ああ、可哀そうに……あの子はまだあそこに立ってるんだねぇ」

「もう一年くらいかね、旦那が亡くなってから……」

「そうそう、いつもああやって迎えに出てたもんで、家のもんが止めても聞かないんだと」

「何とかしてやれないもんかねぇ」


 口々に可哀想だと言う彼女らの言葉を聞き、リコは悲しげな顔になってレンの手をぎゅっと握った。

 リコリスは初めて聞いた事なのだろうが、レンは知っていた。彼女の身の上に起きたことが、自分とおそらく同じ事なのだという事も。その「何とかする」方法が、以前はあったが、今は叶わないという事も。


「帰ろう、リコ。体冷えるよ」

「……うん」

 まだ女性の姿を目で追いながらも、リコリスはレンに手を引かれるまま、再び家路についた。

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