家電王子と白物姫

冷田和布

第1話 王子様とお姫様

 君には“白”がよく似合う

 

 洗い立てのように透き通った空の下

 

 風が微かに初夏の薫りを運んでくる

 

 僕は跪きハンカチを差し出した


 お姫様きみの涙をぬぐうため、僕はここにいる


 だから、笑ってほしい


 僕がきみの王子様になるから──



「というわけで、今日の“プリンセス”は……こちら!」


 ドラムロールの音が店内に響き渡った後で、これまた手作り感満載な赤いカーテンが左右に開く。

 そうして登場したのは、プリンセス──


 ではなく、最新型の“ドラム式洗濯機”だった。


「今日ご紹介するのはKUNIKIDAから先日発売されたばかりのドラム式洗濯機『ジャイアントドラム』だ。まずは見てほしい、この美しいボディを。やはり洗濯機プリンセスには“白”がよく似合う……」


 そんな恍惚とした語り口から動画は始まった。

 まるで絵本の中から抜け出してきた王子様のような衣装を身に纏い、芝居がかった口調で家電を紹介しているのが俺だ。

 巷では『家電王子』の愛称で呼ばれている。

 言っておくが、俺が望んだわけじゃない。

 高校生にもなって『王子様』だとか『プリンセス』だとか、そんなことを本気で口にしていたらかかなり痛いヤツだ。

 ましてや、その相手が物言わぬ『洗濯機』なのだから相当ヤバイ。

 じゃあ、なんでそんな動画を撮っているのかって?

 そんなの俺が聞きたい。


「やあやあお疲れ様。今日も良かったぞ、星彦」


 などと古くさいサムズアップをかましてきたこのおっさんこそが、俺を『王子様』に仕立て上げた首謀者だ。

 首都圏を中心に展開する家電量販店『カメラのオウジ』の三代目社長。俺の父親だ。


「もう嫌だ! こんな恥ずかしい格好してられるか! 今日限りやめる!」


 俺は白い手袋を叩きつけながら訴える。

 今月に入って何回目かわからない引退宣言。しかしその度に父はこういうのだ。


「またそんなことを言って。お前の動画に我が社の運命がかかってるんだぞ」

「高校生の息子に社運をかけるな!」


 はじまりは、この無責任な父の思いつきだった。


「ナントカチューブっていうの流行ってるんでしょ? うちもそこで宣伝しようよ」


 三期連続減収減益という憂き目にあって、その対策会議で父が出した起死回生の提案がこれである。

 役員たちもその場で止めろよ。

 そんなわけで、見切り発車的に動き出した『カメラのオウジ』Nowtubeチャンネルはいまいち方向性の定まらないまま開設された。

 撮影場所は『カメラのオウジ』本店の店内にある催事スペースで、カメラ(展示処分品)は三脚に固定しただけ。編集は従業員が仕事の片手間にやってくれている。 

 そんなだから当然、再生回数もチャンネル登録者数も増えるわけがなかった。

 そこで諦めて終わっていれば俺の人生は今も平穏だったはずだ。

 ところが、何を思ったか一人の従業員がこのチャンネルの担当に名乗りを上げたのだ。

 彼女はまずコンセプトを明確にした。

 『カメラのオウジ』という社名にちなんで、『王子様』が新製品の家電を『お姫様』にみたてて紹介するというものだ。

 何を言っているのかわからないだろう?

 安心してほしい。実際にやってる俺にもまったく意味がわからないし、今もわかっていない。


 しかし、これが当たバズってしまった。


 様々な偶然と成り行きが重なってバズった結果、チャンネル開設から一年と経たずに登録者数十万人を突破。今も伸び続けている。

 そうなってくると「もっとバズりたい」と欲が出てくるのは承認欲求の肥大化した現代人のサガというかなんというか。

 やる気に火がついた従業員たちを前に、俺も「止めたい」とは言えなくなってしまった。

 最新スマホを買ってやるという父の口車にのせられて、一度だけのつもりで引き受けてしまった過去の自分をぶん殴りたい。


「ていうか、父さんがやれよ。言い出しっぺなんだから」

「星彦! 店では“とうさん”と呼ぶのをやめなさい。見ろ、従業員たちが不安そうにしているじゃないか!」

「はあ? 何言ってんだ父さん……」


 妙に声をひそめて俺に耳打ちしてくる父に促され、よーく見てみれば、俺が「とうさん」と呼ぶ度に、店の従業員たちがビクビクして作業の手が止まっていた。

 

「ウチも含めて大手家電量販店の三月期決算が出る頃だからみんなナーバスになってるんだ」


 同業他社の他店舗化の波に乗り遅れリーマンショックの影響をもろにくらい、今や都内に数店舗を残すのみとなっている今、従業員も「倒産」というあり得なくはない現実に怯える日々が続いている。

 かつては首都圏内に三十店舗以上を構え、最盛期には売上高300億を越えたこともある『カメラのオウジ』の現状だ。


「というわけで、私を呼ぶ時は『パパ』か『ダディ』と呼びなさい」

「そういうのは店を立て直してから言えアホ親父。そんなだから母さんも星海を連れて出て行ったんだ」

「はうっ!?」

 

 母と妹の件が相当効いたのか、その場に崩れ落ちる親父を横目に俺はさっさと“王子様”の衣装を脱いだ。

 ちなみにこの衣装は親父の手作りだ。

 確固たる美意識と繊細な仕事。細部へのこだわりが織りなす凄まじい完成度。

 凹んで社員に慰められている小太り中年男が作ったとは思えない出来映えだ。

 就く仕事を間違えたんじゃないだろうか。

 まあ、母さんが妹を連れて家を出て行く前から家事はぜんぶ親父がやっていたし、俺もちょっとイライラして言い過ぎたかもしれないと反省する。

 それもこれもNowtubeの件もそうだが、高校入学以来ずっと俺の意志が無視されてばかりなのが原因だろう。

 とくに、あの“お姫様”は──

 

王子おうじ星彦ほしひこ──少し表情が硬かったのではなくて?」


 “そいつ”は、白いカフェテーブルに座ってティータイムを嗜みながら俺をとがめる。


 優雅な、それでいてどこか威圧感をおぼえる声音。  

 いつもどこでも上から目線の命令口調。

 俺を自分好みの“王子様”に仕上げるべく何かと口出しをしてくる女子。


日崎ひざき誾千代ぎんちよ……」


 俺はなんともいえない気分でその名前を口にした。


 日崎誾千代。

 古風な名前とは裏腹に金に近い色の髪を縦ロールに整えた少女。

 日本人離れした顔立ちや明るい髪色の理由は祖父が東欧の人だかららしい。

 常に秘書兼メイドの仲村を従え、泰然自若を全身で体現するかのようにそこに存在している。

 俺と同じ高校の制服を着ていなければ、それこそ中世の“お姫様”に見えたかもしれない。

 実際、こいつは“一国一城の主”と言ってもおかしくない。

 日本最大のコングロマリット『七黍グループ』。

 それを支配する日崎一族の血筋にして、電化製品部門『七黍エレクトロニクス』の取締役兼CEOだからだ。

 一部界隈では


 『白物姫』


 と、そう呼ばれている。

 いわゆる“白物家電”を多く手がける『七黍エレクトロニクス』の女子高生社長ならではのあだ名だ。

 ひどい呼び名だが俺の『家電王子』よりよっぽどマシだ。


「わたくしの“王子様”なら常に微笑みをたたえていなさい。王子星彦」

「誰がお前のだ。だいたい、この現代社会で王子様になんかなれるか」

「いいえ、あなたは王子様になるのよ。だってわたくしがそう決めたのだから」

「俺の意志は!?」 

「安心してちょうだい。あなたの意志それも含めてわたくしが矯正していくつもりだから」

「洗脳も視野に入れるな!」


 冗談と思うだろう?

 だけど、この女なら本気でやりかねないから怖いんだ。


「よ、よーし、そこまで言うなら聞いてやろう。お前の言う“王子様”ってのはなんなんだ!?」

「“姫”であるわたくしに身も心も捧げ尽くして尽くして尽くし尽くす伴侶のことよ」

「それは伴侶じゃなくて奴隷だ!」

「献身的な伴侶のことを『愛の奴隷』と称する事例があったと記憶しているわ」

「それ、良い意味で言ってないからな?」


 日崎誾千代という少女は終始この調子だった。

 わがままを言っているわけじゃない。

 子供じみた夢想に酔っているわけでもない。

 できると信じているから自分にできるありとあらゆる手を尽くして実現させようとしているだけだ。

 そういう意味ではとてつもない努力家であり、最強の現実主義者と言える。


「だいたいな、お前そうやって優雅に茶をしばきたおしているそのテーブル。それはうちの店にエアコンを買いに来たお客さまの商談用に置いてあるんだよ。さっさとどいてくれ」


 まともに言い争っても勝てないことはわかっているので、俺は攻め方を変えることにした。


「通りでさっきからエアコンの風が当たると思ったわ。それも、我が社の製品ではない風が」

「風だけでそんなのわかるのかよ」

「わたくしは社長なのだから当然よ」

「マジかよ。すげーな社長


 世の中の社長さんってみんなそうなのか。

 うちの親父も見習ってもらいたい。


「仲村、わたくしに無粋な風を当て続けるそのエアコンのメーカーはどこかしら?」

「こちらは先月発売した『RASONIA』の製品です」


 正解だ。

 さすがは七黍エレクトロニクス社長秘書。確認もせずに言い当てやがった。


「やっぱり“霜月”のところの製品だったのね。通りで不躾でパリピめいた風だと思ったわ」

「パリピめいた風ってなんだ。ていうかそんなんでわかるのかよ」


 ライバル社の製品だからって言いたい放題である。


「星彦、今すぐにこの不愉快なエアコンを撤去して我が社のものと取り替えなさい」

「そんなことできるか」

「わたくしでなく、その女RASONIAを選ぶというの! この浮気者!」

「なんでそうなる!?」


 い、いかん。またこいつのペースに持って行かれるところだった。


「いいか、このRASONIAの『エアリエル』シリーズは同社のイオン除菌機能『ナノンZ』を搭載して空気清浄機並の除菌力でお部屋をクリーンに“整える”のが売りだ。お前が不躾だのパリピだのと言ったこの風の清涼感。まるで大きな滝の側にいるようだろう。これをお客様に味わってもらうためにも一番目立つところに展示しているんだ」


 最近は消費者のウィルスや菌に対する意識が高まっているから、こういう“売り”がある商品はアピールし易い。うちとしても推していきたい商品なのだ。

 日崎誾千代も家電メーカーの社長だ。

 こう言えばわかってくれるだろう。


「そんなに新しい女を自慢したいのかしら!」


 ぜんぜんわかってなかった!


「なによ、自慢げに語っちゃって……目の前で新しくできた女の話をされる捨てられた女の気持ちがあなたにはわかって!?」

「重ね重ねわからんわ!」

「社長、そういう相手をトロフィーワイフと呼ぶそうです。所詮は愛のない関係。まだチャンスはあります」

「秘書さんまで何言ってんだ! エアコンだよな!? エアコンの話なんだよなこれ!?」


 ダメだこの女……! なんとかしてくれ!


 悲痛な訴えを視線に込めて親父に助けを求めてみるも、あからさまに目を逸らされてしまった。

 あの親父……相手が大企業の社長様だからビビってやがる。


「まったくおぞましいわ。自分の男が余所の女を褒めちぎるのを聞かされるなんて」

「だから俺はお前のじゃ……」


 言いかけて気づいた。日崎が剥きだしの二の腕をさすっていることに。

 言葉通りの嫌悪感というわけじゃないだろう。

 確かにそこはエアコンの風が直接当たる席だ。

 清涼感を味わってほしいからそうしているが、長く座っていれば寒くなるのは当然だった。

 寒いなら移動すればいい。だけど日崎はそうしない。

 たぶんその席が俺の動画撮影を邪魔せずじっくり鑑賞するのにちょうどいい場所だから──

 

「日崎、俺はお前のことがわからん」

「わたくしはあなたのことを一から百までよーくわかっていてよ。それで充分ではなくて?」

「どういう自信だそれは……」


 ……まあいい。

 とりあえず今日、日崎誾千代について一つだけわかったことがある。


「とりあえず、これでもかけてろ」

「あ……」


 さっきまで着ていた親父手作りの王子様衣装を寒がりで強がりな日崎の肩にかけてやる。

 普段こんなの着ていたら正気を疑われるようなド派手な衣装だが、ないよりはマシだろう。


「王子星彦!」


 着替えに行こうとしていた俺を日崎が呼び止めた。


「あ……あ……あ……」


 いつも自信満々なお姫様が珍しく言葉につまっていた。

 顔もちょっと赤いし。

 もしかして、照れているのか?

 なんだよ意外と可愛いところが──

 

「明日までに、そこに並んでいるエアコンをすべて我が社のものに変えておきなさい。これは禊ぎよ」


 ──なかった。


「できるかそんなこと! だいたい禊ぎってなんだよ!」

「不貞の罪を贖うのよ。凌遅刑や車裂きも考えたけれど、訴訟リスクを考慮してこちらにしたわ」

「そんな拷問うけたら訴訟以前にショック死するわ! あとチョイスが残虐すぎんだよ!」

「わたくしを裏切ったのよ? 当然の報いだわ」

「やべぇ……目が本気だ……」


 俺はあらためてこのお姫様の恐ろしさに打ち震えた。


「さてと……わたくしの王子様の姿も堪能したことだし、そろそろ社に戻ることにするわ」

「残虐モードと乙女モードのギャップえぐいなおい」


 さっきまで俺を肉片に切り刻むことを考えていたとは思えない甘い言葉を吐いて日崎は席を立つ。


「では、ごきげんよう」


 スカートの裾をちょっと摘まんで言う。

 そうしていると日崎誾千代はやはり誰よりも“お姫様”に見える。

 俺は去って行く日崎の後ろ姿を、しばらく目で追い続けた。


「あ、上着……」


 *  *  *


 日崎誾千代を乗せた車は千代田区丸の内に居を構える『七黍エレクトロニクス』本社へ向かっていた。

 学業と社長業を両立させるため、いつもであればこういった移動時間にも多数の書類に目を通さなければならない。

 だが、今日は──


「ねえ、仲村」

「なんでしょう」

「わたくし、ちゃんと“お姫様”らしくやれていたかしら?」


 運転手を務める秘書の仲村はバックミラー越しに主の様子をうかがう。

 そこに、スモークガラス越しに東京の夜空を見上げる少女がいた。

 その髪型も口調も、すべては彼の“お姫様”であるためのもの。

 そのことを仲村はよく知っていた。


「はい。誾千代様は完璧な“お姫様”です」

「そう……」


 秘書の言葉に安堵したのか、誾千代はその手で肩にかかった上着を引き寄せた。

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