サラリーマン鈴木隼人は放っておけない!〜クラスでは無愛想な人気モデルのクール系美少女が俺の前ではよく笑うのだが〜
重里
本編
第1話
2年3組。
入口の札に書かれた文字を眺めながら、呆然と立ち尽くしていた。
俺は
一緒に登校した16歳の妹と昇降口で別れ、これからこの教室に入るところだ――。
生徒として。
わけのわからないことを言っていると思ったかもしれないが、実は俺もこの状況を理解できていない。
しかし困ったことに夢でも妄想でもない。
俺は昨晩から17歳の高校生、
気づいた時にはそうなっていたのだから、この事実を受け入れるしかなかった。
そんなわけで高校生になってしまったからには学校に行かねばならず、しぶしぶながらこうやって来ているというわけだ。
だからだろう。
教室や廊下。窓から見える向こうの校舎。
どれも懐かしくはある。
あるのだが――。
郷愁というようなセンチメンタルな感情は湧いてこなかった。
そもそも初登校という表現すらあっているかもわからないし、当然だが初めての学校、初めての教室だ。全くと言って良いほどに要領もわからない。
だからせめて校内を見て回る為にかなり朝早く登校したのだが。
ちらりと教室の中を覗くと、既に女子生徒が一人。
ぽつんと席に座っていた。
長い黒髪に目鼻立ちがはっきりとした美少女だった。
短いスカートからはきめ細やかな肌の長い脚がすらりと伸びている。
しかし、それ以上に気になったのは、違和感を感じるほどのツンとした表情をしていたことだ。
張り詰めたように伸びた背中。
それらが彼女をまるで作り物のように見せている。
つまり非常な美少女ではあるが、愛嬌というような可愛らしさの要素はまるでなかった。
正直、近寄り難いタイプだ。
だがやはりクラスメイト。挨拶くらいすべきだと考えた俺は、
「……お、おはよう」
意を決して教室の入り口をまたぎ、小さな声で挨拶をした。
しかし彼女は俺を一瞥すると、直ぐに机に視線を落としてしまった。
その顔は無表情とはまた違う。
無関心からくるような冷たさがある。
教室は静かだ。外を吹く風が、窓を叩く音だけが聞こえてきた。
無視――。
美少女は何事もなかったかのようにノートを広げて何かを書き始めている。
これほどの美少女様ともなると、挨拶すらしてくれないらしい。
もしくは崎川恭介はこの子に嫌われているのか?
それはわからないが、なんだか妙に癪に障った。
こいつと仲良くなれないと割り切ると、おかげで緊張も少し和らいだ。
俺は遠慮なくずかずかと教室に入っていく。
席は――この記憶が確かなら窓際の後ろのはずだった。
今朝気付いたことだが、元の俺――鈴木隼人の時の記憶や知識はしっかりと残っている。
それに加えて今の俺――崎川恭介の記憶も多少だが感じることができるようになっていた。
ただしそれはあくまで断片的ではっきりしたものではない。
どちらかと言えば印象といったほうがニュアンスが近く、あくまで曖昧なものでしかなかった。
崎川恭介の記憶を頼りに自席と思しき席に辿り着くと、すぐさま机の中の物色を始めた。
ここが崎川恭介の席である証拠が欲しかった。
教科書、ノート、筆入れなど一通り見てみたが個人を特定できるものはなかった。
次いで机の横をみると、引っ掛けに体操着袋があるのを見つけた。
『崎川恭介』
袋に小さく書いてあった。
この断片的な記憶が頼りになること、無事に席に辿り着けたことにほっとして、胸をなでおろして。
「ふぅー」
大きく息を吐きだした。
その瞬間。
いままで無関心の様子だった黒髪の美少女が、俺をじろりと睨んできた。
彼女の冷たい視線が突き刺さり、俺はたまらず窓の外を眺めて誤魔化した。
静かな教室にはうるさかったかもしれないし、吐息がおっさん臭かったのかもしれない。
でもそんな目で見なくてもいいのに……。
などと考えながら、そう言えばこの黒髪の美少女を見た時、崎川恭介の記憶にはモヤモヤとしたものが浮かび上がったのを思い出した。
それはあまりにおぼろげではあったが、嫉妬に近い感情のように俺には思えた。
それにしても彼女が放つプレッシャーは相当なものだった。
中身が大人の俺ですら、下手に音を立てちゃいけない緊張を感じるほどだ。
おかげで席から立ち上がることすら、まるで罪のような気がしてくる。
せっかく早く登校したのだから校内を見て回りたかったのだが、この雰囲気ではとても無理そうだった。
仕方無しに席から外を眺めて、時間を潰すことにした。
なんとも無駄な時間を過ごすことになってしまった。
しかし、しばらくすると登校してくる生徒もちらほら現れた。
そして教室内はあっという間に喧騒に包まれてしまった。
その中でも俺は、窓の外に視線を投げ続ける仕事をこなす。
崎川恭介になって一日目だ。
下手にクラスメイトと交流してボロがでることを恐れたからだ。
できるだけ他人と接点をもたないように心がけたのだが――。
「恭介」
肩をぽんっと軽く叩かれ、名を呼ばれた。
振り向くとそこには、軽く茶色に染めた短髪の男子が立っていた。
人の良さそうなタレ目をしている。
彼を見ていると、崎川恭介の記憶が浮かび上がってきた。
安心感のようなものを感じている。
この感じ――たぶん友人だ。
友人か。
むしろ面倒なことになってきたなと思いながら、とりあえず挨拶を返す。
「おはよう」
「お、おお……おはよう……? 珍しいな……って、まあいい。なぁ……昨日のことなんだけどさ……」
「昨日?」
俺は昨晩から崎川恭介に転生しているため、それ以前のことはわからない。
どう答えるべきか内心戸惑っていると、友人は気まずそうにしながら続けた。
「……俺、考えたんだけどやっぱり豊田のことさ……」
と、彼が何かを言い終える前だった。
バンッ!
勢いよく教室のドアが開いて、声が飛び込んできた。
「座れっー! ホームルーム始めるぞ!」
体格の良い男性教師がずかずかと大股で教室に入ってくる。
同時にざわついていた生徒が即座に散っていく。
「あ、やべっ。また」
俺に話しけてきた彼も同様に、軽く手を上げて去っていった。
*
授業が始まった。
当然、10年以上ぶりになるわけだが――。
うむ。全くわからない。
本当の俺は32歳。高校の授業なんて覚えているわけがない。
というよりも、高校の頃に勉強した記憶すらもう無い。
大学受験の勉強をするのが嫌だったから、そもそも大学に行くつもりすらなかった俺は、入学が易しいIT系の専門学校へ逃げたくらいだ。
しかし、どこかで逃げればどこかで苦労するようにこの世界はできているのかもしれない。
それが地獄の社会人生活の始まりだった。
でもまさか高校生に転生することになるとは、そんな苦労は誰にも想像できないだろうがな。
そんな事を考えながら、分からない授業は右から左に聞き流しつつ教室を見回した。
みんな真面目に授業を受けている。
俺が高校生の時はみんなもっとサボっていた気がするのだが、全く偉いことだ。
前を向いていないのは俺だけだった。
それにしてもなんでこんなことになった。
そう――。
昨晩。飲みに行った帰りだ。
あの時から全てが始まったんだ。
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