第3話 「私は貴方の王妃にふさわしくなかった」(第一王子視点)

「君は、」


 私は一体、何を言おうとしているのだろうか。


「君は王妃として失格だ」


 発したのは、彼女を傷つける言葉だった。


「君は私情で国を混乱に陥れた」


 ――王族として正しくあれ。染み付いた振る舞いは簡単に拭えるものではなかった。


「ええ、仰る通りだと思います」


 ふっと、彼女は笑う。

 王妃にふさわしい、気品溢れる笑みだった。


「私は最初から王妃にはふさわしくなかったのでしょう」

「······」

「ですが、」


 彼女は牢獄の中にいる私を見下ろしながら、


「それでも私は貴方を貶めたかった」


 愛を告げるような声だった。


「なら、」


 声を発するのに、数秒かかった。


「貶めるなら、私だけにすべきだった」


 彼女なら思いついた筈だ。犠牲を最小限とした上で、私から王位継承権を剥奪する方法など。


「かの令嬢を巻き込むべきではなかった」

「いいえ」


 彼女は首を振った。


「確かに策は他にもありました。ですが、それだけでは足りなかった」


 貶めるだけならば。暗殺するだけならば。


「それだけでは、殿下の名誉はいずれ回復するかもしれません」


 その生死に関わらず。


「······君もよく知っている筈だ。王が私を庇うわけがない」


 王は私の死を望んでいた。どれほど理不尽だろうと、王がこの機会を逃す筈がない。


「ええ。ですが、万が一の可能性が」

「······」

「ですから、民衆の感情を煽ろうと思いまして」

「······民衆を煽る?」

「はい」


 どういう意味かと眉を寄せる私に対して、彼女は「殿下はご存じでしょうか」と聞いてきた。


「何をだ」

「以前から民の間では演目の一つとして、身分違いの恋物語が流行っているそうですよ」


 思わず目を見開いた。


「ですから、民衆に好まれる策を取ることにしました」


 勧善懲悪を主軸とした、身分違いの恋物語。

 

 これは現実的な話ではない。そもそも貴族階級と労働者階級が顔を合わせる機会などないに等しい。使用人として雇われたとしても、貴族階級は労働者階級を同じ『人間』と考えず、労働者階級も貴族階級は『主人』であり、『対等』と見なす思考を持ち合わせていないからだ。


 ごく稀に貴族が労働者階級の女を見初め、妾に召し上げることはある。ただし教養を身に付けていないため、あくまで妾側は主人に『気に入ってもらっている』感覚が付きまとい、主人は妾が『気に入らなくなれば』、いつでも捨てられる立場にある。雇用関係よりも不安定なものであり、対等であるとは言い難い。


 つまり、互いを『伴侶に』と望むことはあり得ず、『身分違いの恋物語』は成り立たないのだ。


『身分違いの恋物語』は初めからご都合主義が含まれており、ましてや悪役が必ず倒される勧善懲悪など、空想の産物にすぎない。


 そうした背景があるにもかかわらず、民衆が『身分違いの恋物語』を持て囃すのは日常を忘れられるからだ。貴族階級と違い、国の大半を占める労働者階級は娯楽を殆ど持たず、人生を労働によって消費される。


 日常を忘れられる娯楽の一つが演劇だった。特に『身分違いの恋物語』は、勧善懲悪が取り入れられている。


 ――正義は必ず悪に勝利する。


 夢物語だと分かっているからこそ、『身分違いの恋物語』は人気を博しているのだ。


「もし、」


 揺れる杯の中身を見つめながら、彼女は呟くように言った。


「夢物語が現実で起こり得たのならば、」


 慈愛さえ感じられる程の微笑みを滲ませて。


「きっと民衆は私の策を支持してくれるでしょう」


 思わず息を呑んだ。


「民衆の支持を集める為、策に見合った『役者』を用意しなければなりませんでしたが」


 杯から視線を上げた彼女と目が合った。


「男爵令嬢は私の策に見合った『役者』の一人でした」


 貴族の血を持ちながら、平民の母親を持つ娘。本来、貴族は捨てた平民の女など忘れ、娘は生涯父親の顔を見ることなく、労働者階級に居続けていた筈だ。だが、母親を失った娘に、貴族の父親は『男爵令嬢』の席を用意した。


 娘に拒否権はなく、『男爵令嬢』の席に座ることとなった。貴族からは奇異と好奇の眼差しを、民衆には羨望と嫉妬の眼差しを向けられる。


 孤立している席だった。


「かの令嬢は噂の的にもなり、それ故に策さえ用意すれば『悪役』にもなりやすい。とても助かりました」


 貴族の娘を『悪役』に据えれば、その家柄にもよるがうやむやにされる可能性が高く、逆に平民の娘は『悪役』に据えやすいが民衆から反発を招く恐れがある。その点、どちらからも孤立している男爵令嬢は双方の反発を受ける可能性は極端に減り、双方の納得を得やすい立ち居位置だった。


「男爵令嬢だった彼女がいたからこそ、この策は成功しました。感謝しなければなりません」


 彼女から何の感情も読み取れない。それとも彼女から目を逸らし続けたせいで、読み取れないだけなのか。


「殿下」


 不意に彼女は私を呼んだ。


「男爵令嬢を選んだ理由はこれが全てです。······納得して頂けましたか?」


 彼女が何を考えているのか。どんな答えを求めているのか。彼女の姿を見る。人払いしているとはいえ、身分を隠す為だろう。


 彼女の身分にそぐわない、黒一色の外套を身に纏っていた。


「君は、」


 その姿を改めて見て思ったのは、


「君は王妃として失格だな」


 私の婚約者にならなければ、彼女は幸せだったかもしれないと。あり得もしない『もしも』が過った。


「ええ、そうですね」


 彼女は再び微笑んだ。皮肉としか言いようがない。彼女の微笑は紛れもなく、


「私は貴方の王妃にふさわしくなかった」


 王妃にふさわしい、気品溢れるものだった。

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