第9話

「……」

俺はパソコンの前で絶句してしまった。

ここにきて俺は根本的な勘違いをしていたのかもしれない。

的場の死亡推定時刻は9日の午後9時から11時程度と推定されている。昨今の警察の科学技術のことは詳しくないが大きく前後することはおそらくないだろう。


瀬川のYouTubeチャンネルのホーム画面を見ていると「動画」の他に「ライブ」という項目があることに今ようやく気が付いた。

例え今日までに気が付いていても確認はしていなかったかもしれない。

ライブの項目を見てみると9日の午後8時から10時までの2時間ほど「集まっていた質問に答える&雑談」という名のライブ配信を行っていたのだ。


瀬川は車を持っていないし仮に持っていたとしても1時間でマンションから事件現場まではかなりギリギリだろう。電車であればダイヤ的にももっと時間がかかるだろう。

「瀬川じゃないのか?」

いや、それなら問題はすべて解決するはず。俺もをやめて大学で二回目の夏休みを満喫すればいい。

でもそれならなぜ瀬川は大学を辞めて姿をくらませたんだ?前期終了時点でやめるのはおそらく珍しいはず。前期の試験結果が出てその結果を受けて自主退学ならまだわかるのだが。


前期の試験日程全てを終えてようやく小島さんと会える暇ができた。

瀬川が殺人とは無関係だったとしても、行方をくらましあれほど育ったYouTubeチャンネルの更新もやめてしまった理由は是非とも知りたい。

「なぜ」どうしても自問してしまう。

どうしてもこれという答えは出せない。ただ何となく知らなければならないという気がする。


小島さんから貰った住所だと自宅からそう遠くない。城島の時と違って乗り換えもなく所要時間も少なく済みそうだ。

しかし城島と言い小島さんと言いどうしてわざわざ会いたがるんだろうか。城島の場合は俺のことを女性と勘違いしてのことであろう。それにあった後の様子を見るに普段から人と会話する機会にも乏しいのであろう。


最寄り駅に降りてみると駅前の牛丼屋で昼食を軽く済まし小島さんの住所をスマホのアプリで検索する。

「すぐわかる」とのことだったがあいにく見ず知らずの土地で番地だけでたどり着ける技能は持ち合わせてはいない。それどころか初見の土地ではよく迷ってしまう。

近辺には大学があるのであろう、自分に似た背格好の若者が駅には多い。

どこの大学もそろそろ夏休みに入るころであろう。自分の大学は山の中にあるので駅は一気に閑散とするだろうがここの駅だと長期休暇に入ってもに変化はなさそうに思える。


駅を出てアプリの案内に従って歩いていくとパチンコ、カラオケ、ゲームセンターそれに居酒屋と若者が遊ぶには十分すぎる店舗がそろっている。

歓楽街の通りをしばらく歩くと別の駅が見えてきた。降りた駅と名前が似ているが路線は違う。

娯楽施設が少しずつ減り高層マンションがチラホラと見えてくる。


「たぶん、ここだ」

小島さんが住んでいるマンション。いかにも高級マンションといった感じだ。

今は同じ仕事をしているとはいえ城島の時は全然違う。

教えてもらった部屋番号をエントランスのインターホンを操作して小島さんの反応を待つ。

「ああ待ってたよ、上がって上がって」そう言うとピーという音とともに扉の開く音がした。エレベーターで8を押すとすぐに扉が開き目的の階に着いた。


マンションは内廊下になっており床はカーペットが敷かれている。ここはホテルだと言われてもきっと何の疑いもなく信じてしまうだろう。

エレベーターから最も遠い角部屋、そこが小島さんの部屋だ。

小島さんの部屋の前にはこの階で唯一表札が付いている。


インターホンを押すと中からは壮年の男性が顔を出した。

「やあ、ずっと待ってたんだよ。狭い所だけど上がって上がって」

見たところ50代くらいだろうか、頭髪には白い物が僅かに混じっている。三和土には靴が一足しかない。

「ご家族はお出かけですか?」

「ああ、家内と子供たちは出かけていないんだ、すまんね碌なおもてなしもできなくて」

「いえ、今日はお招きいただいてありがとうございます」

玄関で室内用のスリッパに履き替えリビングに招かれ入ると中央にローテーブル、それを挟むように二つのソファ、壁際に大きなテレビ。

調度品には詳しくないがマホガニーを基調とした落ち着きのある部屋となっている。


「好きなところに座って」

そういうと小島さんはリビングをあとにした。

もう既に引退したとの話だがスラックスにワイシャツという恰好をしている。午前の間に何か予定があったのか普段からそういう服装なのか。


部屋を見渡すと壁際にある立派な本棚が目に入った。本の種類は多岐にわたり政治、国際問題、宗教問題それにテロイズム。小島さんのものなのかそれとも家族の物なのか、それはわからないが高尚そうな本を読む人が少なくともこの家にいるらしい。


「お待たせ、コーヒーでよかったかな?」

本棚に集中している間に小島さんがよい香りのするカップを二つを手に戻ってきていた。

カップもソーサーも高そうなものだ、自然と中身も高級なものと思ってしまう。

小島さんは自分の対面のソファに腰を下ろすと自分の出身地の話、高校時代の部活、大学生活などの世間話の範疇で質問攻めしてきた。


「すいません、瀬川のことなんですが」

何時まで経っても世間話が終わる気配がないので無理やり話題を瀬川にする。

「ああ、そうだったね。どこから話せばいいかなぁ」

小島さんは腕を組み宙を見つめて考える素振りを見せている。

「まずは僕のことどれだけ知ってるかわかんないからそこから話すとしよう。関係ないと思うかもしれないがまぁ聞いてくれ」

俺は承諾の代わりに持っていたカップをソーサーに戻し、話を聞くため姿勢を正した。


「僕はもともとテレビ局に勤めていたんだよ、脚本家としてね。さすがにその頃の話はしないよ? 本題とは関係ないからね」

過去を誇るように嬉しそうな表情で懐かしんでいる。きっとその頃の小島さんが彼の人生の中で一番充実していたのであろう。

「でも定年を迎える前に追い出せれてね、今考えると出世に興味なかったから嵌められたと思うんだよね。僕は脚本家という仕事が楽しかったから出世や金なんて興味なかったんだけどなあ」

立派なマンションに高価な調度品、興味関心がなくてもこれほど稼げる業界ということなのだろうか。もしくはそれほど有能だったか。


「他のテレビ局から声もかかったんだけど地方ってこともあったし、また似たような思いをするかもって考えると気が引けちゃってね、引退することにしたんだ。幸い蓄えはあったからね」

小島さんは眉間にしわを寄せて表情をゆがめている。どうやら感情が顔にそのまま出るタイプなのかもしれない。

「しばらくそのまま蓄えだけで生活してたんだけど、生活水準ってのは急に下げられないんだよ。『このままじゃマズイ』って思ったけど今から再就職は年齢的にきつい。そこで見つけたのがYouTuber向けの脚本家なんだ」

ここまで聞いていると城島とそこまで変わらない。


「前歴には自信があったけど何しろ還暦目前の年齢だし、何よりYouTubeって低年齢層向けってイメージだからおっさんなんてだめかもしれないって思ったけど無事採用されてね。瀬川君の他にもいろいろ有名な人に提供しているよ」

常識が邪魔をして収入のことは直接聞きにくい。

「でもさすがにテレビ番組みたいにCM入る枠が多いわけでもないし再生時間も短い。一本当たりの報酬は局時代とは比較もできないね」

「JOさんはだいたいこれくらいって言ってましたけど」

相手から言及してくれて助かった。城島を比較に出してだいたいの数字を予測しよう。

「んー、JOさん素人相手だからって盛ったね。考えても見てよ? 月にそれだけ採用されたら僕は瀬川君に脚本の提供なんて枠がもうないよ。それに単価も高すぎる」


実はこれくらいは予想出来ていたので一番気になっていることを聞くことにする。

「気分を悪くしましたら申し訳ないですが、脚本家の間でってあるんですか?」

「んん? 変わったこと聞くね?」

意表を突かれたのか目を開いて唖然とした表情でこちらを見ている。

「もうプライドの問題だよね。瀬川君みたいなスタイルの子だとと話題被りなんてしょっちゅうあるし、気にはしていられない。あとずるい言い方だけど採用したのは瀬川君だ。盗作云々で恨まれるなら僕ではなく彼だろうね」

「それで恨まれた可能性ってありますかね?」

「いくらでもあると思うよ? 別に盗作なんてしてなくても彼は結構色んな人に憎まれたと思うよ」

「ど、どうしてですか?」

仕事での瀬川は俺が知らないだけで周囲に嫌われるような一面があるのだろうか? 


「だって彼じゃん」

「え」

それだけ?

「まだ若いからわかんないか。でももう大学生だし、理解できそうな年齢だと思うけどな」

「嫉妬、ですか?」

「正解。ここ数年でYouTuberって増えたよね? 成功の基準は人それぞれだと思うけど客観的に彼は成功者でしょう、日本人YouTuberだとチャンネル登録者数上位1%には入るだろう。でも似たようなスタイルのYouTuberなんて数え切れないほどいる。何が違うのか? もちろん単純に実力、例えば動画構成トーク力、編集技術もろもろの差で劣ってる連中もいるだろう。でも瀬川君より受けそうな人もいるわけだ。でも瀬川君にはかなわない? 何故?」

「わかりません」

「だから恨まれる」


なんだか思考がまとまらない。考えよう考えようと思えば思うほど思考力が明後日の方向を目指して独り歩きしまう。

「瀬川には敵が多かった」考えてもみなかった。そうか瀬川のやつ成功者だもんな。あまりに身近にいて庶民的なやつだったから実感がわかなかった。

「大丈夫かい? 疲れたなら休んでいくといいよ」

小島さんに言われて気が付いたがひどく頭が、いや全身が重い気がする。

先ほどから小さな違和感がチリのように頭に積もっていく。

なんでこの部屋、家族で生活しているのダイニングテーブルが無いんだ? 家族が外出しているのに何で室内用スリッパが2つしかなかったんだ?

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