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 ロベルトが遠距離からの一撃必殺だと考えていたオリバーは、なら自分は近距離のアタッカーである方がいいと結論を出し、そのようにしてきた。ロベルト自体も、オリバーに対してそうなるべく訓練を繰り返した。近距離射撃の短銃で追い掛け、基本的な立ち回りを体に覚え込ませた。

 オリバーの目の良さを思えば狙撃手としての適性もあったのだが、ロベルトはそれよりも、元々身についていた奇矯な動きを気に入っていた。

 人間よりも野良犬たちと森の中で生活をしていたオリバーは、緊急時の身のこなしが四足歩行に近かった。

「だから彼は、を欲しがったんだと思うよ」

 ロベルトは平時と何も変わらない声色で言う。エミリアは運転に必死で相槌すら打てなかったが、ロベルトに気にした様子はない。

 前の車に飛び移ったオリバーが、バックガラスを蹴破る様子が見えた。あれ、とエミリアは口に出す。いつものスニーカーではなく、黒いショートブーツを履いていることに気が付いた。

 ちらりとバックミラーを窺うと、ロベルトににっこりと笑みを向けられた。

「アレはね、スパイクブーツだよ」

 スパイク、と鸚鵡返しをしてから、

「えっと、足の裏に棘のある、ランナーが履くような……?」

 エミリアは問い掛ける。同時にステアリングを少し切り、飛び散ってきた大粒のガラスをどうにか避けた。バックミラーの中でロベルトが笑みを深めた。

「そう。……踏み込む力と、攻撃力が欲しかったんだろうね、オリバーは。木登りもさせるし、彼だけを前線に放り込むし、手を軸にした足技が多いし」

「そういえば私、オリバーさんの仕事、見たことがないです」

「今見ればいい。ほら」

 促されて前方に注意を払うと、ちょうど前の車の扉が開いた。中から放り出されたのは銃を握った男で、顔にぽつぽつと赤い斑点が出来ていた。

 オリバーが蹴った痕だ。エミリアは息を飲みつつバックミラーを確認し、隣の車線に車を押し込み男を避けた。

 銃を持つ手は二つだった、とエミリアは思う。異常な状況に対し、どんどん冷静になっていた。車は防弾ガラスで、オリバーは恐らくロベルトが信頼するくらいは強くて、そのロベルトは銃を構えたまま後部座席で待機している。大丈夫、死なない。エミリアは確信する。ならあとはさっさと高速を降りればいいと、続けて思う。

 もう片方のドアが開いた。顔に血の滴を湛えた男がまろび出て、その背中を黒いスパイクブーツが強く蹴る。体は車外へと完全に転がり落ちた。行方を追うように、オリバーが開いたドアから顔を出す。

 オリバーの目はエミリアを捉えた。エミリアは頷いた。オリバーがふっと浮かべた笑みには信用が滲んでいた。

 オリバーは両手で車の上部を掴み、逆上がりでもするように半回転して車の天井へと乗り上げた。運転席から、抵抗のように腕が伸びてくる。銃を持っていたが、発砲する前にオリバーが蹴り落とした。銃は道路沿いの茂みに埋没して消えた。

 彼はとても強い、とエミリアは思った。弟のようだと感じる気持ちも残っているが、ちゃんとした殺し屋なのだと、認識を改めた。ならやるべきことは一つしかない。

 彼らを迎えに行き、無事に送り届けることが、自分に与えられている仕事の全てだ。

 エミリアは息を吸い、吐いて、早く帰りたい、と口に出した。後部座席でロベルトが笑った。

「なら、頑張って」

「頑張ります」

 エミリアはサイドボードを開けた。放り込んであったドライビンググローブを手早く装着して、ステアリングを握り直した。クラッチを踏み込みギアを一段階上げてから、アクセルを強く踏んだ。タイヤの悲鳴がステアリング越しに聞こえた。エミリアはまた息を吸い込み、今度は吐き出さずに止めた。

 運転手しか残っていない、理由はわからないが撃ってきた相手の車に横付けする。オリバーは飛んだ。天井がみしりと軋む。エミリアは助手席の窓を限界まで開けた。

 滑り込んできたオリバーは、

「ありがとう、エミリア」

 わずかに乱れた呼吸のまま言った。エミリアは息を吐き出して、アクセルをグッと踏み込んだ。通常道路への分岐がすぐそこに見えていた。

「分岐を曲がらないと思わせるからそのままのスピードを維持してもらえるかな」

 ロベルトが無茶な要求をする。オリバーが若干引きつつ心配そうに隣を見るが、エミリアは唇を引きしぼりながら頷いた。ロベルトのやりたいことがわかっていた。

 相手の車を追い越し、前へと躍り出た。バックミラーをさっと確認する。後部座席の窓から身を乗り出したロベルトが、後方へと銃口を向ける様子が映っている。

 重い銃声が二つ響いた。エミリアは分岐方向へと、ステアリングを勢いよく切った。車内は揺れるが、ロベルトもオリバーもそれぞれ反動に耐えていた。後ろの方で何かがぶつかる音がして、ブレーキ音がいくつか聞こえた。

「こ、怖かった……!!」

 高速道路を無事に後にしたところで、エミリアはやっと本音をぶちまけた。半泣きだった。この仕事無理と改めて思った。あんなにスピード出したの初めてですと訴えるように二人に告げた。

 オリバーはそうだよな、と同意を示し、ロベルトはスピード緩めていいよ、と穏やかに言った。

 エミリアは一気に襲ってきた恐怖に震えつつ、バックミラーを見た。もくもくと上がっていた黒煙は見えなかったことにした。

 いつの間にか夕暮れも終わり、ずいぶん薄暗くなっていた。

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