怒りの交差

森本 晃次

第1話 竜宮城

この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。


 角館隆二が、一番最初、自分に疑問を抱いたのはいつのことだっただろうか? 元々小学生低学年の頃から、

――自分で納得できないことは信じない――

 と感じる方だったので、少しでも疑問に思うと、他の人には理解できることが彼には理解できないでいた。

「どうして、勉強しなければいけないんだ?」

 そのことに疑問を抱かない子供は少ないかも知れないが、ほとんどは、すぐに疑問をスルーしてしまうだろう。

 それは、考えるだけ余計なことで、疑問を抱いたとしても、その疑問に何かの答えが得られたとして、勉強をしないでいいというわけにはいかない。そのことを皆分かっているからなのか、疑問に感じても、それ以上追求しようとはしない。

 隆二も、他の人と同じように疑問に感じたが、その答えを見つけることができなかった。

――どうせ見つからないんだ――

 と思ったのであって、答えを見つけることを前提に考えていなかった。

 どうしてなのか、その頃は分からなかったが、

――答えが見つかったとしても、自分を納得させることができないだろう――

 と思ったからだ。

 他の連中と似てはいるが、皆は考え方の中心が「勉強」であって、隆二の場合は「自分」である。

――あくまでも自分中心の考え方が、何よりも最優先だ――

 というのが、成長してからの根本的な隆二の考え方だが、この考え方の根拠は、小学生の頃に感じた勉強に対しての思いが最初だったに違いない。

 小さい頃の隆二は、

――大人になんかなりたくない――

 と思っていた。

 大人の世界がどんなものなのか、想像でしかなかったが、子供の目から見ていて、言葉にすれば、

――自分中心でありたいと思っているくせに、まわりを立てようとしている――

 という感覚で見ていたのだろう。

 実際には、ここまでハッキリとした印象を子供の頃から持っていたはずはないと思うが、少なくとも、他の子供たちとは違って、明らかに優越感を抱いていた。

 だが、その頃から隆二はずっと抱いている思いがある。

――俺には他の連中と違って、何かが欠けているんだ――

 という思いだった。

 それは、人間として持っていなければいけないものが欠けているという思いで、その思いがあるからこそ、物事を考える上での最優先は、

――自分が納得できること――

 なのである。

 勉強をすることを自分で納得できないことで、学校にいても面白いはずなどない。自分で気付かないうちに、まわりに対して高圧的な態度を取っていたのだろうか、まわりから次第に反発を受けるようになる。

 それが苛めに繋がってくるのも無理もないことだろう。

 先生は、そんな事情を知る由もなかった。子供たちの間で、苛めが発生する時というのは、得てして、苛めている方も苛められている方も、

――いつの間にか、こんな状況になってしまっていた――

 と感じていることが多いのかも知れない。

 隆二が苛められ始めた時も、苛める方は、どうして自分たちが彼を苛めるのかというと、その理由は、

「見ていて、苛めたくなるから」

 という漠然とした理由しかない。

 だから、大人に何か言われて、自分たちに正当性がないことが分かっているので、なるべく大人たちに気付かれないようにしようと目論む。

 苛められている隆二の方も、

「苛められることに納得できない」

 と思っているが、それはあくまでも、

――苛められること――

 であって、苛める方の理屈ではない。

 つまりは、納得できないのは、自分の中でのことであるため、誰にも自分の気持ちを明かしたくはない。もちろん、それは大人に対してもである。

 苛めている方、苛められている方、双方が隠そうとしているのだから、何となくおかしいと気付いた大人がいても、それを追求することは難しい。何しろ相手は子供であり、下手に刺激すると、父兄が黙っていないのは分かっているので、深入りは禁物である。

 五年生になった頃に、急に苛められることはなくなった。考えてみれば、どうして苛められることになったのか、そして、急にどうして苛められなくなったのか、そのどちらも分からなかったことで、実際に苛められていた時期というのが、どれほどの期間だったのか、頭の中で曖昧になっていた。

 そのせいもあってか、自分が本当に苛められっこだったのかという意識も、中学にあがった頃には、ほとんどなくなっていた。

 中学二年生の頃だっただろうか。その頃には友達も何人かいて、普通の中学生として中学生活を送っていたのだが、その友達がうっかり、

「お前も苛められっこだったのにな」

 という一言を発してから、思い出さなくてもいいことを、隆二は思い出してしまったのだ。

 その友達は、苛めっ子の一人だった。目立たないように後ろの方で苛めていたのだが、本当なら、一番姑息な態度だったこんな男と友達になるなど、考えられないはずなのに、友達になったということは、それだけ自分の中で苛められっこだったということは風化していたのだろう。

――いや、それとも思い出したくない過去として、必要以上の意識として記憶されていたからだろうか?

 と感じたが、言わなくてもいいような余計なことを口走ってしまうやつを友達にしてしまった自分は、それほど友達を作りたかったという気持ちの裏返しだったのかも知れない。

 そんな彼に、

「お前は後ろで姑息に苛めていたからな」

 と、隆二も言わなくてもいい一言を言った。

 もし、それで友達としての仲が解消させるのであれば、それはそれで仕方がないと思ったのだ。

 だが、その友達は、最初こそ、

――しまった――

 という顔をしたが、悪びれる様子もなく、まるで開き直ったのだろうか、平静を装っているかのように見えた。

「あの頃は、苛めっ子たちの後ろに控えていないと、自分が苛められるという被害妄想に駆られていたからな。お前には悪いことをしたと思っているけど、苛めっ子にだって、それぞれ事情というものがあるんだ」

 それを聞いて、

――人を苛めておいて、どんな事情があるというんだ――

 と思い、その言葉が喉まで出掛かっていたが、何とか今度は抑えることができた。

 それを見て、彼は続ける。

「あの時、他の苛めっ子連中に、お前がどんな風に写ったのか分からないんだが、俺にはお前の中に女の子を感じたんだ。それは一瞬だったんだけど、その思いがずっと頭の中にあって、お前の顔を見ると、イライラが頂点に達して、苛めっ子の裏に控えてでも、何とか自分のイライラを解消させなければ気がすまなかった。さっき言った自分が苛められるからという理由もウソではないが、優先順位からいうと、イライラを解消させなければ、自分の気が狂ってしまいそうになるのをどうしようもなく感じたからなんだ」

 その言葉を聞いて、

「そういえば、ちょうどその頃、親からも言われたことがあった」

「何をだい?」

「女の腐ったような態度を取るんじゃないってね。自分ではそんな思いもないのに、謂れのない中傷に聞こえて、その頃から親の小言が中傷にしか聞こえず、説教に説得力を感じなくなったんだ」

「それは今でもない?」

「いや、それを言われたのは、その時だけだったんだが、自分の中でその言葉が残り続けていたんだが、君たちからの苛めがなくなってから、急に親を見ても、残っていた言葉がスーッと消えていくのを感じたんだ」

 その頃のことを思い出していた。

 急に苛めがなくなってからというもの、自分の中にもう一人誰かがいるような気配を感じるようになった。最初は違和感があったが、途中から慣れてきたというべきか、違和感がなくなっていったのだ。

 違和感がなくなる前は、親から見離された気分になり、まわりの人が信じられなくなった。

――誰も俺のことなんて、何も思っちゃいないんだ――

 半分やけくそ、半分開き直ったような気分になっていたが、急に苛めがなくなったことで、

――ひょっとして、普通の人間として暮らしていけるかも知れない――

 と思うと、それまでの開き直りが冷めていった。

――もし、この時、開き直りが続いていれば、俺の人生は随分と違ったものになっただろうな――

 と感じた。

 いい方に変わるのか、悪い方に変わるというのか、もしいい方であれば、その時の自分は相当悪いところにいたということであり、逆に悪い方に変わるのであれば、相当にいい方にいたと考えられるだろう。

 それは今となっては分からない。自分にとって何がよくて何が悪いのか、そんな感覚はすでにマヒしてしまっていたのだ。

 一ついえることは、

――親に対しての気持ちは、すでに他人のような気持ちになっている――

 ということで、自分が将来結婚適齢期になって好きな人ができても、結婚しようとは思わないかも知れない。

 いや、結婚はしても、子供を作ろうとは思わないだろう。

――子供ができたら、自分が受けた思いを、自分の子供にはさせたくない――

 と思えばいいだけなのだろうが、その思いを通り越して子供を作りたくないと思うのは、それほど、強烈なトラウマを植えつけることになったからである。それを言われた年齢にあるのか、それとも、苛められていた原因が遠因としてあるのか、隆二はどちらにしても、子供が嫌いになっていたのだ。

 隆二が子供を好きだった時期なんてあるのだろうか?

 小学生の頃から苛められていて、自分が中学生になってからは、子供を見ていると、なぜか腹が立ってくる。それは、子供というのが、苛めっ子と苛められっこのどちらかにしか分類されないと思うからだ。

 本来なら、そのどちらでもない分類が存在するはずなのだが、苛められっこから見れば、中立の立場の連中は、苛めっ子よりもたちが悪い。ただ静観しているだけというのは、苛めっ子を見て見ぬふりをしているというだけで、苛めているのと同じというわけである。

 その理屈は、自分が苛められなくなって分かったことだ。苛められている間は、そんなまわりを見る余裕などなく、どうすれば苛められずにすむかということを考えている時、まわりを見る余裕などあるはずもない。

 どうすれば苛められなくなるかということを考えているつもりで、それが不可能だと思うと、次に考えるのは、

――どうすれば、一番被害を最小限に抑えることができるか?

 ということである。

 考えられることとすれば、なるべく抵抗せずに、相手が疲れるのを待つというやり方である。下手に抵抗すると、相手が面白がって、余計に苛めをエスカレートさせてくる。しかし、その理屈に至るのは、抵抗しないという消極的なやり方をするようになってからしばらくしてからであった。

――理屈じゃないんだ――

 苛められっこの取る態度は、無意識のもので、苛められっこの本能とでもいうべきであろうか?

 そう考えると、

――苛められっこというのは、苛められっこになるべくしてなった。つまりは、選ばれた人なんだ――

 と思うようになり、その理不尽さはいつか何かの形で実を結ぶことを切望するようになっていったのだ。

 そんなおかしな理屈を考え出したのは、中学生になった頃だった。苛め自体がなくなって数年が経っているのに、何を思ったのか、自分でもよく分からなかった。その頃から、前に自分を苛めていた連中から、なぜか一目置かれるようになっていた。その理由は本人はおろか、一目置いている連中にもよく分かっていないようで、しいて言うなら、

「カリスマ性のようなものを感じるからなんだろうか?」

 と誰かが言っていたようだが、中学にあがったばかりの皆には、その意味は分かりかねていた。

 中学生になると、まわりの雰囲気が激変したのを感じた。男のこと女の子のそれぞれの雰囲気がぎこちなく見えてきたのである。

 中学に入ると、自分も思春期を迎え、女の子に興味を持つようになるものだと思っていた。それは仕方のないことで、誰もが通る道だと感じていたのだ。

 しかし、同級生の女の子を見ても、別に何かを感じるということはない。ただ、気になったのは、制服だったのだ。

 それも制服を着ている女の子が気になったわけではなく、制服自体に興味があった。

――制服を着てみたい――

 という感情があったわけではない。

 自分が制服を着ている姿など、想像しただけで嘔吐を催すほど気持ち悪いと思っていたし、着てみた感触を想像もできなかった。かといって、学生服を扱っている洋服屋の前を通りかかって、マネキンが着ている制服を見ても、別に何も感じなかった。

――俺は制服に何を感じたのだろう?

 と思ったが、やはり、まわりの女の子に興味を持つことはなかった。

 そんなある日のことだった。

 学校が終わってから、いつものように一人で下校していた時のことだった。家までの途中には、砂浜の横を海と平行して走っている道路があって、そこを自転車で通るのが自分の通学路だった。車の量も下校時間はまだそれほど多くなく、歩く人もほとんどいない時間帯だった。道の隣を電車が通っているが、駅と駅のちょうど中間くらいなので、駅から降りて歩いてくる人もまばらだった。道の向こうには山が迫っているので、住宅地でもない。そんなところを自転車で通るのだから、いつも何も考えずに自転車を走らせていた。

 ただ、いつも何も考えていないと思っていたのは、実は錯覚だったのだ。いつも考えていることが同じだったというだけで、しかも毎日代わり映えのしない光景の中で走っているので、何も考えていないと感じていただけだったのだ。

 そんな自転車での下校時間は、毎日の生活の縮図のようであり、毎日を平凡にすごしているということを考えもしていなかったのだ。

 その日も自転車で走りながら、前だけを見ていた。毎日同じ時間なのだから、ほとんど変化のない道だった。しかし、そんな毎日だからこそ、少しでも何かが違えば、その違いに敏感ではないだろうか。

 しかし、敏感に何かの違いを感じることができるのかも知れないが、その違いがどこから来るのか、自分で分かるのだろうか? ただの思い過ごしのように感じてしまえば、ただそれだけのことである。

 その日、何かが違っていたとすれば、風が強かったくらいである。走っていてもハンドルが取られるのではないかと思うほどなのは、身体が分かっているはずなのに、意識としてはなかったのだ。

 ハンドルを握ってペダルをこいでいると、足が痺れてくるのを感じた。最初はその原因がどこから来るのか分からなかったのだが、どうやら、湿気で足が重たくなっていたのが原因だったようだ。

 普段なら、湿気が原因だということは身体には分かっていても、頭で理解できなかったに違いない。しかし、走っていて目の前に一瞬、白い閃光が走ったことで、眩しさから、ブレーキを無意識に作動させることで、反射的に身体が反応したことを悟り、その瞬間、足に痺れを感じたのだ。

 眩しさやブレーキを作動させたのは一瞬だったが、足の痺れは取れることはなかった。

――どうしたんだろう?

 足の痺れに対して疑問を感じたわけではない。湿気や熱気から足に痺れを感じることは今までにも何度もあり、その原因もすぐに分かったからだった。隆二が感じた疑問は、そういうことではなく、足の痺れを感じたことで、一休みしていこうと思ったことだった。

 いつもであれば、足に痺れを感じた時ほど、辛くなる前に、一気に家まで自転車を走らせようと思うはずだった。それなのに、

――何をそんなに呑気なことを考えているのだろう?

 と感じた。

 足の痺れは、一度起こってしまうと、次第に足の裏に痺れが回ってきて、自転車をこぐのも困難になってしまう。だからこそ、最初は少々きつくても、痛いかも知れないが、それを我慢してでも一気に家まで駆け抜けるというのがいつもの考えだったのだ。

 足の裏に痺れを感じると、ペダルを踏むのが困難になる。しばらくはじっとしていなければいけなくなり、いつになれば痺れが取れるのか自分でも分からないまま、不安な時間をすごすことになる。

 そんな時間ほど、なかなか経ってくれないものである。

――もう、一時間くらいは経っただろう――

 と思って時計を見ても、気がつけばまだ二十分ほどしか経っていないなどということはしばしばあった。

――似たような思いを何度かしたことがあったような――

 中学に入ると、友達との待ち合わせも少なくはなくなった。五、六人のメンバーが駅で待ち合わせをすることも何度かあり、隆二は今まで待ち合わせの時間に遅れたことは一度もなかった。

 それどころか、二番目以降になったこともない。つまりは、待ち合わせ場所に一番乗りするのは、いつも隆二だと決まっていたのだ。

「待ち合わせ時間の二十分前にはいつも行っている」

 というのが、隆二のモットーだ。

 早すぎるのは分かっているのだが、待ち合わせ場所に、自分以外の人が先にいることを気持ち悪く感じていたのだ。

 何か気持ち悪いという根拠があるわけではないのだが、自分が先に来て待っているという感覚が快感になってくるのだ。

 快感は一度味わってしまうと、他の人に譲ることはできないものだ。幸いなことに、他の人には分からない快感なので、この快感は独り占めできている。

「あいつは変わっている」

 と言われたとしても、自分だけが快感を知っているというのは、それもまた快感であり、次第に待っている時間がワクワクできる時間に変わって行った。

 確かにワクワクは快感であるが、時間に対しての感覚とは別だった。

――誰もいないのは快感なのに、一人だと思うと寂しさを感じてしまう――

 その頃は、寂しさは辛いことだと思っていたので、一人で待っていることが不安にも繋がっていた。

――誰も来なかったらどうしよう――

 待ち合わせ場所を自分だけが勘違いしていて、一番乗りだと思っていたのに、本当は自分だけ蚊帳の外にいるのではないかと思うと、怖さを感じる。

 しかし、それでも誰もいない待ち合わせ場所に一番乗りしてしまうのは、怖さよりもワクワクしたいというのが自分の本音ではないかと感じるのだった。

 つまりは、ワクワクの時間には、その裏側に怖さが潜んでいるということになる。その頃からだっただろうか、

――楽しさの後ろには怖さが、怖さの後ろには楽しさが潜んでいる。そんな二面性をいつも感じている――

 と思うようになっていたのだ。

 寂しさは孤独と一体化していると思っていた。

 今では、寂しさを孤独は別だと思っているが、最初は同じだと思っていた。その理由がこの時に感じた「寂しさ」だったのだ。

 孤独を感じる前に、最初に寂しさを感じていた。

――寂しさというのは、他人から与えられるもので、孤独というのは、自分の気持ちの奥から醸し出されるものだ――

 と今では感じているが、中学時代にはそんなことを考えてもいなかった。

 なぜなら、その頃には孤独という言葉は知っていても、その感情を感じたことがなかったからだ。

 だからこそ、孤独を寂しさの中の一つだと思っていたのだが、その感情は当たらずとも遠からじで、実際に孤独を感じるようになると、

――孤独というのは、辛いことだけではないんだ――

 と思うようになっていた。

 寂しさも、辛いことばかりではないのかも知れないが、寂しさの中から、自分を納得させるものは生まれてこない。孤独を感じていると、自分を納得させることができるのを感じるのは、

――孤独という感情が、自分の中で何かを生むことになるのだ――

 と感じたからだ。

――想像することは孤独にはできないが、創造することは孤独から生まれることもあるのではないか――

 と思うようになったのは、創造と想像の比較を考えるようになった高校時代からで、子供の頃から、

――何か新しいものを生み出すことが自分を納得させることで、生きがいに繋がっている――

 と思うようになったのが、高校時代だった。

 だが、実際に新しいものを生み出すことが自分を納得させることだということに気付き始めたのは中学時代のことで、ひょっとすると、下校の時に足の痺れを感じたあの日が原点ではないかと思うようになっていた。

 だから、たまに思い出す中学時代のあの日のことが、

――まるで昨日のことのようだ――

 と感じるのであって、目を瞑ると、あの日の白い閃光が瞼の裏にこびりついているような気がして仕方がなかった。

 閃光の正体が何であるか最初は分からなかったが、その正体の方向は分かれば、すぐに理解することができた。閃光は最初こそ、

――白い――

 という表現がピッタリであったが、何度も思い出すたびに、少しずつ赤みを帯びているのを感じるようになっていった。

 それは目を閉じた瞳の裏に浮かぶ眩しさが、赤みを帯びていて、赤みは少しずつ明るさの強度を和らげている。そう思うと、

――眩しさには限界と幻影の二つが存在している――

 というのを感じ、光の方向が分かってきた気がした。

――光は海の方から見えたんだ――

 そう、光は波に反射した太陽の光だった。

 分かってみれば、そうたいそうなことではないように思うが、太陽の光ほど、霊験新たかなものはないのを思い出した。

――当たり前のことであればあるほど、その神秘性が浮き彫りにされる――

 神秘性というのは、案外身近なところに潜んでいるということを忘れていた。

――そういえば、光が最初の一瞬だけではなく、何度も繰り返し、スパークされていたのを感じた気がする――

 正体が、波に照らされた日の光であるということが分かったから、思い出したのかも知れないが、そう思うと、どんどん明るさが鈍ってきて、限界を感じたのも分かる気がしてきた。

――日の光をまともに見たのであれば限界はないのだろうが、波を介して見たのだから、限界を感じたのかも知れない――

 と感じた。

 しかし、そもそも波を介さずに見ると、目が瞑れてしまうほどの刺激を与えられ、何かを感じるなどということが果たしてできるかどうかという問題がある。それほど日の光というのは、人間に対して大きな影響を与え、

――犯してはならない神聖なものだ――

 といえるのではないだろうか。

 日の光を感じたため、自転車を操縦することができなくなった。押して歩くしかないと思い、しばらく目を慣らす意味でも、光に対して順応できるように、直接見ないようにしながら、海の方を見ながら歩いた。

 今までは、海を意識することはあっても、砂浜を意識して見たりしたことはない。自転車で通り過ぎるだけの場所に、そんな意識を向けるほど、毎日が充実していたわけではない。

 それは、毎日に余裕がないということに繋がるのだろうが、本人は至って何も考えていない。毎日を、

――今日は何も起きなければいいんだ――

 と、平凡にすごしていた。

 平凡が本当は一番難しいということをまだ知らなかった頃のことで、ある意味、一番幸せな時期だったのかも知れない。

 ただ、その日は、海を見ながら歩いていると、

――何か新しい発見ができるかも知れない――

 と感じていたような気がする。

 しかし、これも本当に新しい発見があったから、後になって、その時に感じていたように思ったのかも知れない。

――何かの辻褄合わせのようだ――

 と、感じたが、それも後になって、

――前にも同じような光景を見たことがあるような気がする――

 という、いわゆるデジャブ現象を感じた時に思い出したのであって、

――デジャブの繰り返し――

 を演出していたような気がした。

 デジャブというのが、似たような記憶を持っていて、本当に自分の記憶なのか曖昧な時に、自分の意識の辻褄を合わせようとする意識の表れではないかと、本で読んだ記憶があったからだ。

 辻褄を合わせようとする意識は、いつも感じている、

――自分を納得させる――

 ということに繋がる。

 その思いが、中学生のその時から一致していたのだとすると、それこそ精神的な思春期だったといえるのではないだろうか。

 海を見ていて、眩しさから目を逸らすと、また白い閃光を感じた気がした。しかし、その閃光は先ほどとは違って、目を突き刺すような痛みを感じるものではない。どちらかというと、やさしさを含んだもので、まるで自分を包み込んでくれているようだ。

 目を逸らすどころか、まっすぐに直視して、今度は目を離すことができないほどだった。最初の閃光で今まで痛かった目が癒される形で、目を開けられないと思っていた目が、次第に開いてくるのだった。

 目を自分から開こうという意識があったわけではない。開いていく目は、自分の意思に反しているわけではなかったが、意識の中にあるものではなかったのだ。

――自分の意思に反して、勝手に目が開いていくなんて――

 目を開いても、決して痛みを感じることがないことを分かっているかのようで、意思にも勝る何かをその時に感じたのであろう。

 意思にも勝る何かとは何なのか。大人になってからも、時々考えることがある。

 その頃から時々、自分の意思に反して、勝手に身体が動くのを感じたからだ。だが、今ではその理由は分かっていて、それ以上の力が自分に宿っていることを分かるようになると、思い出すのがこの時に感じた二度の閃光だったのだ。

 大人になってからのことはさることながら、その時、二度目の閃光のその先にあるものは、最初から分かっていたような気がする。ただ、その最初からというのは、一度目の閃光を感じてからのことであり、本当は途中からなのだろうが、一度目の閃光と二度目の閃光に因果関係の有無は感じるが、場面としては、二つに分解できるものではないかと思うのだった。

 白い閃光のその先に、シルエットが見えた。

――なんて細くて美しいんだ――

 顔と、足の部分から、それが人間であり、女性であることはすぐに分かった。しかし、胴の部分がまるで針金のように細く、腕よりも細く見えるから不思議だった。

 しかし、考えてみれば、シルエットなのだから、逆光に照らされているのだから、錯覚を覚えてもそれは仕方のないこと。問題は、その錯覚から自分が彼女にどのような第一印象を抱くかということで、最初に感じたのはその胴体の細さから、気持ち悪いという思いだった。

「こんにちは」

 その声は篭っていて、女性であることは分かったが、いくつくらいの人なのか、想像がつかなかった。しかし、雰囲気からは、自分よりも少し年上くらいではないかと思ったが、次第に目が慣れてくると、そこに佇んでいるのは、やはり二十歳前くらいの女性であることが分かった。

 彼女は、白い帽子に白いワンピース、靴まで白く、まさに白い閃光を放つにふさわしい女性であった。

 背は思ったよりも高かった。後光のせいで、細身に見えたからなのかも知れないが、必要以上に細く感じないようにしようという錯覚を覚えないための意識が働き、想定以上に背を低く想像していたので、思ったよりも高かったというのは、最初の想定内のことであった。

 顔は想像よりも小さかった。背の高さを見誤ったことで、想定のすべてが少しずつ違っていたからなのだろうが、目が慣れてきても、顔の小ささは印象深かったので、本当に顔は小さいのだろう。

 挨拶の時に、防止を脱いで、胸のところに置くようにしてくれたのは、お嬢様としての行動だったのか、白いワンピースもフリルのついた高級感を感じさせた。

「こ、こんにちは」

 まさか、下校時の海辺で、お嬢様と思しき女性に声を掛けられるなど、想像もしていなかったので、ビックリしたこともあってか、声は完全に裏返っていた。その様子を見て、彼女が、

「クスッ」

 と笑ったので、恥ずかしいという思いと、バカにされたかのように思った自分がすでに彼女の術中に嵌っているかのようで、どうしていいのか分からなかった。

 ただ、彼女の屈託のない笑顔を見ていると、そんなことはどうでもよくなってきた。癒しを感じさせるその表情に抱かれていれば、ただそれだけでよかったのだ。

「学校は、楽しい?」

 といきなり聞かれて、

「いや、楽しいなんて思わない」

 というと、彼女は少し悲しそうな顔になり、

「そうなの。学校って楽しいものだって思っていたわ」

 と言った。

 その表情を見つめた隆二は、

――余計なことを言ってしまったのか?

 と感じたが、口から出てしまったものは仕方がないと思い、気分的には開き直っていた。本当は否定しなければいけない場面なのだろうが、否定はしなかった。

 その時の心境は案外あっさりとしたもので、

――面倒くさい――

 と感じたほどだった。

「お姉さんは、学校には行ってないんですか?」

 と聞くと、

「ええ、私は小学校卒業までは行っていたんだけど、今は行っていないの。小学校を卒業した頃に、病気が発覚して、療養を必要とされたのよね。それで療養にふさわしい場所として、お父様の別荘に行くことになったの。その別荘というのが、その丘の向こうにあるんですけどね」

 と言って、線路の向こうにある丘を指差した。

 その向こうには、あまり行ったことがなかったが、確か森があって、その真ん中に大きな池があったと記憶している。子供の頃、一度行った記憶があるが、子供が楽しめるものが何もなかったので、ほとんど記憶に残っていない。なぜ、両親がそこに連れていったのか分からなかったが、連れて行った両親も、その時にガッカリしていたようだ。両親のガッカリしている姿を見て、自分もガッカリしてしまったのだろう。

 小学生の途中くらいから、親に対して疑問を感じるようになった隆二だったが、疑問を感じながらでも、親が感じていることを以心伝心してしまったのが、小学生の頃だったのだ。

 それでも、何とか思い出そうとすると、確か、池の奥に白い西洋のお城のような建物が建っていたのを思い出した。

――あれが彼女の言っている別荘なんだろうか?

 もし、そうだとすれば、かなりの大きさだった。

 まさか別荘などとは思わなかったので、何かの博物館なのだと思った。両親がその建物に近づこうとしなかったのは、そこが人の持ち物であることを分かっていたからであろうか。そう思うと、本当にどうしてそんな場所に家族で赴くことになったのか、想像もつかない。

――ということは、その時にはすでに、彼女はその建物の中にいたのかな?

 と思うと、何となくむず痒い気分になった。

「お姉さんは、今おいくつなんですか?」

 と聞くと、

「今年で十八歳になるわ。学校に行っていれば、高校三年生になるのかしらね」

 と言っていた。

 高校三年生というと、大学受験を目指しているか、就職活動をしているかで、大人の仲間入りの一歩手前というところであろうか。彼女は学校に行っていないと言っていたので、クラスメイトに感じるような女の子を感じることはなかった。

――まるで天使のようだ――

 と思うと、その瞳に吸い込まれるかのようだった。

「私、もう長くないの」

「えっ?」

 屈託のない笑顔で言われると、真剣な話なだけに、信じられないことでも信じてしまう。「長くないって、それは不治の病で?」

「ええ、お医者さんからも宣告されているわ。私の家系には、私と同じような病気で亡くなった人が結構いるの。だから、生まれてきた時から、爆弾を背負っているようなものだったのよ」

 信じられない話を畳み掛けられた。

「まるで呪われているようですね」

 と言うと、

「そうかも知れないわね。でも、私は死ぬことが怖いとは思わないの。私たちの家系では、この病気で死んでも、誰かの中で生き返るという言い伝えがあるのよ。普通の人は信じられないと思うんだけど、私たちは真剣に信じているの。だから、病気が発症してから少しの間は、他の人と接することを禁じていて、ある時期になると、今度は表に出て、いろいろな人に接することにしているの。私はちょうど今日が、そのある時期に当たるの。そして、最初に出会ったのがあなただということになるのよ」

 信じられない話であっても、疑う余地のない話というのはあるもので、隆二には、まったく疑う気持ちはなかった。

「信じられない」

 と口では言ったが、余計に気持ちは疑うという感覚ではなく、気持ちとしては屈託のないものだったに違いない。

「お姉さん、お名前は?」

「私は、つかさっていうの。ひらがなで『つかさ』ね」

「つかささんですね、素敵なお名前です」

 隆二は、真剣にそう感じた。もし、自分が女だったら、つかさという名前が似合うのではないかと思ったほどで、

――きっと一生忘れられない名前になるんだろうな――

 と感じたほどだった。

「僕の名前は隆二って言います。名前は男らしい名前なんだけど、実際には友達といるよりも、一人でいる方がいいと思っている孤独な男ですよ」

 と言うと、

「一人でいるのが孤独だというのは分かりますけど、だからといって、そんなに自分を卑下する必要はないと思いますよ。私はあなたと一緒にいるだけで楽しいと思えますからね」

「そうなんですよ。僕も今までにないようなワクワクした気持ちをつかささんと一緒にいて感じます」

 それは、一人の女性と一緒にいる楽しみを初めて知ったという意識からであろうか。それとも、相手が年上であり、学校も行っていないのに、自分よりもたくさんのことを知っているようで、今までの何も知らなかった自分が恥ずかしいという気持ちもあるからだろうか、彼女に対して一生懸命に自分を見せようとしている自分に気付いた。

 しかし、それは押し付けがましいものではなかった。

 今まで自分が他の人と一緒にいて楽しいと思わなかったのは、

――自分を見せよう。目立ちたい――

 という気持ちが強すぎて、自分だけが先走ってしまい、まわりを置いてけぼりにしてしまったことで、ハッと我に返った時、

――俺は孤独なんだ――

 と感じてしまった。

 孤独だから寂しいという思いを抱かないようにするには、その場から、さっさと逃げ出すことしかなかった。まわりを見る余裕もなく、いや、見ることを避けながら自分だけで突っ走ると、孤独だけが残り、

――二度と、あの人たちと関わりたくない――

 と思うようになった。

 自分が恥ずかしいという気持ちも最初はあったが、次第にその気持ちが薄れてくると、開き直りから孤独を感じるようになったにも関わらず、

――開き直りが一番自分のためになる――

 と思うようになった。

 そのうちに、人と関わることが面倒くさくなり、孤独を悪いことではないと思うようになっていった。その思いはずっと変わることがなく、大人になっても、それは同じだった。

「うちに遊びに来られますか?」

「いいんですか?」

 その言葉に甘えて、彼女の家に遊びに行った。

 そこはまるで今までに味わったことのないもので、まるで竜宮城のような気分だった。

 しかも、彼女の家にいるのが楽しくて、夜遅くなって帰宅したのだが、

「あなた、いったいどこに行っていたの?」

 と親から言われ、つかさの別荘だと答えると、

「あそこは、三年前に閉鎖になったはず」

 と言われ、しかも追い打ちをかけるように、

「あんた、三日間もどこに行っていたの?」

 と言われた。

 一日だけだと思っていたのに、三日も留守にしていたなんて、一瞬ビックリしたが、

――やっぱり竜宮城だったんだ――

 と思うと、変に納得できた。

 まわりの大人が何と言おうと、自分を自分が納得させることができたのだから、それが真実なのだと思った。

 それからつかさに遭うことはなかったが、頭の中からつかさへの思いが消えることはなかった。

――やっぱり彼女は三年前に死んでしまっていたんだろうか?

 と思った。

 それから、一日一日の経過する感覚に比べて、数日経ってから思い出す感覚があっという間であり、この感覚の違いが、次第に開いてくるのを感じるのだった。

 つかさのことがそれからずっと頭を離れなくなってしまった。なぜなら、つかさの家に遊びに行ってから、つかさに会うことはなくなってしまったからだ。つかさの別荘があったところに行ってみたが、そこには空き家が一軒あるだけ。あの時の屋敷に似てはいるが、本当につかさの別荘だったのか、自分でも分からない。

――気になっているのに、つかさの記憶が次第に消えていくようだ――

 そのうちに、何に気になっているのかということが分かってきた。

――つかさ自分のことが気になっているというよりも、彼女がこの世に本当に存在した人物なのかということが気になっているんだ――

 その思いを彷彿させるかのように、彼女の家から帰ってきてから感じた。一日単位の時間の感覚と、数日で見た時の一日単位の感覚で違いが生まれたことが、さらに意識の中から離れなくなっていた。

 その思いは中学時代、ずっと続いていた。

 高校生になると、感覚が一変した。あれだけ気になっていた時間の感覚の違いが、漠然としてきたのだ。感覚がマヒしてきたというのか、同じ日を繰り返したとしても、そのことに気付かないほど、毎日を漠然と過ごすようになっていた。それは中学時代に感じた時間の感覚の違いへの執着に対しての反動があったかのようである。

 つかさのことも頭の中から消えかけていた。彼女の存在がこの世にもたらしたことが気になっていたくせに、今では顔すら思い出せないほどだった。

――元々は、シルエットの中で見た顔だったので、彼女の顔を思い出そうとすると、最初に浮かんでくるのはシルエットなんだ――

 と感じ、それ以降はすっかりイメージが浮かんでこなくなっていた。

――やはり、彼女の存在は架空だったのかも知れない――

 とさえ思うようになり、

――架空だと思えば、時間の感覚も錯覚だったとして、元に戻すことができるかも知れない――

 と感じた。

 高校生になると、それまでよりも増して、人との関わりが煩わしく感じられるようになった。

 実際に人と関わっていないくせに、関わることを気にしている。必要以上に気にしなくてもいいことを気にするようになったという自覚が生まれてきた。

 しかし、考えているうちに、本当に必要以上に気にしているのは、今に始まったことではなかったことに気がついた。中学生の頃もそうだった。特につかさに出会ったあの頃はひどいもので、

――そんあ思いがあったから、俺はつかさに出会ったんだ――

 と感じた。

 つかさのことは頭の中で風化していったが、自分を納得させる何かを考える時、頭の中に最初に浮かんでくるのはつかさのことだった。

――俺はつかさをやはり気にしているんだろうか?

 と思ったが、あくまでも自分を正当化させるためであり、自分を納得させるものでしかなかった。

――本当は忘れたくない――

 と思っていたのかも知れない。

 つかさという女性の存在は、高校生になると風化していくように思えたが、気がつけば彼女のことを考えていると感じたのは、きっと無意識に彼女を思い出しているからであった。

 それは、自分が無意識という時間を欲していて、何も考えていない時間というのを創造していたからではないだろうか。だから、彼女のことを漠然と頭の中で抱くようになり、忘れてしまったことにしようと思ったのかも知れない。

 無意識という時間が自分にどのような影響を及ぼしているのか、その時は分からなかった。しかし、

――絶えず何かを考えている――

 という時間の存在に気付いた隆二は、自分の中にもう一人誰かが存在していることを悟った気がした。

――まさか、つかささんが?

 そんなバカなことはないと思いながらも信じてしまうのは、やはり無意識に絶えず何かを考えようとしている頭に原因があるのではないだろうか。

――俺って頭痛持ちなんだろうか?

 と隆二が感じるようになったのは、高校生になった頃からだった。海の近くに住んでいて、昔から潮風が苦手だということを自覚していたのに、何も自分の身体に変調がなかったことで、潮風をあまり気にしないようにしていたが、頭痛持ちだと感じた時から、

――なるべく余計なことを気にしないようにしよう――

 という無意識な感情が生まれたのは事実だった。

 きっとその感覚が、

――漠然とものを考える――

 という感覚に至ったのだろう。

 もう一人の自分の感覚、漠然とものを考えるようになったこと、無意識という時間を欲するようになったこと。それぞれに何かの因果関係があるように思うが、隆二の中では決して一本の線で結ばれるものではないと思っている。もちろん、それぞれにはそれぞれの因果関係が存在していると思うが、すべてがつながっているとは思えない。そう感じた時、きっと自分の中にもう一人の自分を感じたのだ。

――そういえば、誰かも自分の中にもう一人誰かがいるって言っていたな――

 というのを思い出して、それがつかさだったということに気付くまで、少し時間がかかった。

 つかさの顔は思い出せないのだが、彼女の声を思い出すことはできる。彼女のセリフを思い出す時は、必ずその声を伴っている。だから、つかさの顔を思い出すことができないのに、漠然としてではあるが、頭の中に残っていた。

 忘れたつもりになっていたのは、

――忘れよう――

 という意識があったからで、本当は忘れたわけではない。

 漠然と考えるようになった時期とも重なって、

――顔が思い出せないのであれば、忘れてしまった方がいいんだ――

 と思ったのだ。

 どうしてそんな風に感じたのかというと、それが隆二の初恋だったからだろう。隆二には初恋だったなどという意識はない。淡い思い出だけを残したまま、記憶に残すことができれば初恋としては最高なのだろう。しかし、いきなり目の前から消え、その存在すら信じられない状況の中で、いつまでも覚えていることは自分で自分を苦しめることになると思ったに違いない。

 つかさのことを隆二は思い出しながら、

――人間が生まれ変われるとすれば、俺は誰に生まれ変わりたいと思うんだろう?

 と考えた。

 何も人間にだけ生まれ変われるとは限らない。

――動物なのかも知れない。あるいは植物? まさか石ころなどのような生物ではないと思われるものに変わってしまう?

 いろいろ考えてみた。

「形あるものは必ず滅びる」

 という言葉を聞いたことがあったが、確かに生物ではないものも、最後は壊れてしまう。

 人間や動物などと同じように、寿命が存在する。

 ただ、生き物ではないものも大きく二つに分類することができる。ひとつは元からこの世の中に存在しているもの。そしてもう一つは、人間が作り出したものである。前者は自然界が作り出したもので、後者はいわゆる人工物である。

 人間が作り出したものであれば、その寿命は人間が決めている場合が多い。人間が自分たちのために開発したものであり、家電関係などは、その寿命を企業の利益に照らし合わせて決めている場合が多い。つまり、

――寿命まで人工――

 だというわけだ。

 少なくとも隆二は生まれ変わるとすれば、人工のものでは嫌だった。せめて自然界に存在しているものであるなら、いるかどうか分からないが信じられている神様が作ったと思えるからだ。人と関わりたくないと思っている隆二は、絶対に人工の寿命だけは嫌だったのだ。

――石ころだったら、いいかも知れないな――

 石ころというと、目の前にあっても、誰にも意識されることはない。その存在を意識されることはない。

 人に蹴飛ばされても、無意識に遊ばれても何も言えない。しかし、考えてみれば、人間も石ころのことなど考えていないわけだから、何を考えたって自由なんだ。

――石ころほど自由なものはない――

 ただ、それも相手が人間だから言えることだ。

 もし、人間以外の動物、たとえば犬のような人間と話のできない動物であれば、石ころと話ができるかも知れない。お互いに人間を冷めた目で見ていて、それぞれの気持ちを語り合って、人間をバカにしているのかも知れない。

 人間は、

――自分たちほど高等な動物はいない――

 と自惚れているが、本当にそうだろうか?

 同じ人間でも種族が違えば会話すらまともにすることができない。だからこそ戦争などというおろかな行為をして、自らで殺しあうのだ。

 ただ、人間の罪はそれだけではない。

 自分たちが殺しあうだけではなく、自分たちの都合での殺しあいに他の生物を巻き込んだりする。兵器開発に動物実験を行っているのがその証拠だ。

――自分たちさえおければそれでいい――

 隆二が人と関わりたくないと漠然とであるが考えていたのは、そんな人間という種族が嫌いだと思っていたからなのかも知れない。

 もちろん、そんなことを誰かに話すことはしない。してもバカにされるだけだ。だから、人と関わりたくなくなり、一人の孤独な時間を好きになる。

 だが、人間というのは、ずっと孤独ではいられないようにできているのか、たまに無性に人恋しくなるのだろう。

 そんな時に現れたのがつかさであり、隆二にはその時のつかさが、天女に見えたのかも知れない。

――いや、竜宮城だったので、乙姫様なんだろうか?

 と感じた。

 乙姫様は隆二に玉手箱を渡さなかった。その代わりに隆二の心につかさは何かを残したようだ。その思いが時間に対しての感覚を鈍らせ、錯覚を生みだすことになったのかも知れない。

――つかさは死んでしまったのだろうか?

 と思った時、

――ひょっとして、彼女は別の時代からやってきたのでは?

 というSFチックな発想が思い浮かんだ。

 隆二が生まれ変わった時の発想の中で、生物ではない石ころを思い浮かべたのも、つかさという女性に出会って、恋をしたからではないかと、自分に語りかける。

 それは隆二本人ではなく、自分の中にいるもう一人の自分だった。

――隆二さん、あなたは、自分の思う通りに生きればいいのよ――

 と聞こえた気がした。

 それは天使のささやきであり、決して悪魔のささやきではなかった。

 もし、これが他の人であれば、きっと、

――悪魔のささやきではないか?

 という疑問を抱くのだろうが、隆二にはそんな思いは欠片もなかった。

 自由という言葉が何を意味するのか、隆二には分からなかった。他の人であれば、

――甘い言葉の裏には、何かが潜んでいる――

 と一度は考えるだろう。

 甘い言葉を鵜呑みにする人でも、一度は疑念を抱くはずである。

 逆に疑念を抱いたことで、自分が一度は省みたという安心感が芽生えてしまい、それ以降自分に疑いを持たなくなるという欠点もあるのだが、そんなことを気にしないようになると、人間は自由という言葉に甘えてしまい、何でもできると考える。

 ここまで来ると、もう発想の後戻りはできない。

――なぜなら、自分を納得させてしまっているからだ――

 といえるからではないだろうか。

 自分を納得させてしまうと、人間はもう後戻りはできないことに気付かない。それが人間という動物の一番弱いところであると言えよう。

 もう一人の自分は、

――自由に生きていい――

 とは言わず、

――思う通りに生きていい――

 と言った。

 これは自由を肯定しているわけではなく、自分に正直に生きることを促した。もし自由が正直に結びつくのであれば、

――自由に生きていい――

 というだろう。

 隆二はこの時、

――自由と正直は違うんだ――

 と再認識した。

 以前にも同じことを考えたように思ったが、それがいつだったのか、思い出せないでいた。

 だが、友達の一言を思い出すと、その時の会話も少しずつ思い出されてきた。今隆二は人と関わりたくないという理由で、その友達とはしばらく疎遠になっているが、中学時代の唯一と言っていいくらいの友人で、親友と呼べる相手だった。

 彼にだけは、つかさの話をした。さすがに、最初は話が重たすぎたのか、友達も言葉を失っていたようだったが、一通り話をすると、

「浦島太郎の話を思い出すよな」

 と言われた。

「そうだろう? 自分では少しの間だったと思っていたのに、想像以上に時間が経っていたというのは、まるで浦島太郎の玉手箱を彷彿させる話だよな」

 と言うと、

「いやいや、そうじゃないんだ。俺が言いたいのは、時間の感覚の話ではなく、浦島太郎という話の問題なんだよ」

「どういうことだい?」

「これは、以前に読んだ本に書いてあったんだが、その本は浦島太郎のようなおとぎ話の中で矛盾があったりするのを指摘している趣旨の本だったんだ。その中で浦島太郎のことも書いていたんだが」

「何て書いていたんだい?」

 と聞くと、

「浦島太郎のお話というのは、砂浜で苛められている亀を助けた浦島太郎が、助けた亀からお礼だと言われて、亀の背中に乗って竜宮城に行くお話しだろう?」

「そうだよな」

「その時、呼吸をどうしていたんだとか、どうしてお礼だって分かったんだとか、どうして、得たいの知れない亀を簡単に信用して、亀の背中に乗ったんだとか、そもそも、亀が人間の言葉をしゃべれるのかとか、いろいろ細かいことを言えばキリがないんだけど、問題はそこから先なんだよ」

 隆二は、友達が何を言いたいのか考えていた。

 友達は隆二の表情を垣間見ながら、話を続けた。

「竜宮城に到着すると、鯛やヒラメが歓迎の踊りを見せて、乙姫様が現れる。そして、数日間を、夢のような生活を送る浦島太郎は、そろそろお暇したいと言い出した。その時、乙姫様から、決して開けてはいけないと言われて、玉手箱をもらうんだよね。そしてまた亀の背中に乗って元の海岸に戻ると、風景は変わっていた。自分の知っている人は誰もおらず、そこが自分の知らない世界であり、未来であることを徐々に知ることになる。途方に暮れた浦島太郎は、開けてはいけないという玉手箱を開けて、おじいさんになってしまったというお話だよね」

 少々違うところもあるのかも知れないが、おおむね間違っていない。もし間違っているところがあるとしても、それは隆二も知らないところである。

「そうだと僕も認識しているよ」

 というと、

「僕は浦島太郎の話に疑問を持って、いろいろと本を読んだりして少し勉強したんだけどね。浦島太郎が戻ってきた時代って、いつの設定になっているか知っているかい?」

 と聞かれたので、

「うーん。自分の知っている人が誰もいなくなっていたという話だったので、五十年くらいは経っているんじゃないかな?」

 と言った。

 数十年くらいだろうという意識は、自分としては妥当だと思って、その半分を取って五十年と言ったが、実際にはそんなものではなかったようだ。

「五十年? そんなものじゃないよ。実際には六百年先の話なんだそうだ」

 と言われて、少し仰天したが、

「そんなに先の話だって? でも、その六百年という設定はどうしてなんだろうね? どうせなら千年にしてしまった方がいいような気がするんだけど」

 というと、

「そうかも知れないね。でも、問題はここではないんだ」

「どういうことだい?」

「そもそも、浦島太郎の話の疑問点というのは、おとぎ話というものへの定義から考えての疑問になるんだよ。おとぎ話というのは、たいていの場合が、何かの教訓を与えるものがほとんどなので、このお話にも教訓が含まれているよね?」

「そうだね。亀を助けた浦島太郎はそのお礼と言われて竜宮城へ来たんだよね。確かにその時は楽しかったけど、帰ってきたら、自分の知っている人は誰もいなくなってしまっている。これは、何かの戒めなんだよね。しかも、乙姫様からもらった玉手箱を開けるとおじいさんになってしまった。これも戒めになるよね。これじゃあ、踏んだり蹴ったりじゃないか」

「まるで正直者がバカを見るという教訓になってしまうよね。これだと児童に対しての教訓にはならないよね」

「これが、浦島太郎のお話への疑問だったんだね」

「そうなんだよ。それで俺は浦島太郎のお話を少し調べてみた。すると、あのお話には先があることが分かったんだ」

「先があったんだ」

 確かに考えてみると、玉手箱を開けておじいさんになったというだけでは、あまりにも中途半端すぎる。疑問を誰もが感じるのは、最後のこの中途半端なところが原因なのかも知れない。

「浦島太郎がおじいさんになってから、その後、乙姫様が亀になって竜宮城から陸にやってくるんだ」

「えっ、乙姫様が? どうしてなんだろう?」

 と聞くと、

「乙姫様は、浦島太郎を愛してしまっていたようなんだ。だから、浦島太郎を追いかけて亀となって陸に上がり、浦島太郎を見つけて、彼を鶴にしたという話なんだ。鶴と亀というと長寿の化身のような発想でしょう? だから、鶴になった浦島太郎と亀になった乙姫様は、それから永遠に幸せに暮らしたというのが、この話のオチなんだよ」

「そんな謂れがあったんだ」

「そうなんだ。でも、ここにもいろいろな憶測が生まれてくるだろうけどね」

 と言われて、隆二は少し考えて、

「確かにそうだよね。乙姫様がどうしてそんな回りくどいことをしたのかだったり、元々浦島太郎を元の世界に戻さずに、竜宮城で永遠に暮らしておけばよかったのにとか考えるよね」

「でも、浦島太郎が元の世界に戻ることは決まっていたんじゃないかな? 理由もなしに、元の世界に返りたいという浦島太郎の意思を妨げるわけにはいかない。洗脳でもしておかなければできないことだよね。もし帰ることを拒んだとすれば、乙姫様に対しての疑念が浮かんでくるはずだからね」

「ということは、元の世界に帰して、現実を見せ付けることで、浦島太郎の気持ちを錯乱させて、そこに乙姫様が現れて、まるで自分が救世主であるかのように振る舞えば、太郎の気持ちをつなぎ止められるとでも思ったんだろうか?」

「もし、そうであれば、かなり人間くさいお話だよね。乙姫様は、自分の都合だけで、浦島太郎の気持ちを弄んだという形になるからだね」

「それは、かなり何とも苦々しい気持ちですよね。児童に対してのおとぎ話の恭順からは程遠いように思えるからね」

 と隆二が言うと、

「この話の本当に教訓は、ここにあるわけじゃないんだ」

「じゃあ、どこにあるんですか?」

「元々、明治政府が教科書にこの話を載せる時、どうしようかと考えたらしいんだけど、ラストの乙姫様が亀になってやってきたり、浦島太郎が鶴になるという話はカットされることになったんだけど、それだと、誰もが考えるような亀を助けた浦島太郎が、戒めを受けるという矛盾した教訓が生まれてしまう。でも、この話の教訓の元は、本当は亀を助けた浦島太郎じゃないんだよ」

「どういうことなんですか?」

「このお話の教訓は、『いいことをしたら……』、というところから来ているわけではなく、『いうことをきかなかったら……』というところから来ているんだよ。つまりは、『浦島太郎が開けてはいけないと言われた玉手箱を開けてしまったために、おじいさんになってしまった』というのが、この話の教訓にされてしまったんだ」

「それは明治時代という時代がそういう発想にさせたんだろうか?」

「そのようだね。キチンと言われたことをきかなければ、ひどい目に遭うという戒めがこの話の教訓になってしまったからね」

「でも、最初の亀を助けたというくだりを書かないと、物語が始まらないから、そこはカットできなかったんではないかな?」

「その通りだと思うよ」

 ここまでが、その時の友達との会話だった。とにかく小さなことであれ疑問に感じると調べなければ気がすまない友達は、きっとネットで最初に下調べをしておいて、本を探して読んだりしたんだろうと思った。

 おとぎ話というのは、すべてがハッピーエンドというわけではない。むしろむごい話の方が多かったりする。ただ、それもきっと児童用のおとぎ話にする時、むごい部分はカットされて教材に使用されたのだろう。ウラシマ太郎に限らずに、その他のお話でも、ラストの部分や教訓に、中途半端さを感じたり、矛盾を感じたりするのもあるのではないかと感じた隆二だった。

 隆二は、浦島太郎の話と、それについて友達とした会話を思い出していると、つかさのことが思い出された。

――本当につかさの別荘は竜宮城のような感じだったし、帰ってきてから、時間に対しての感覚がマヒしてしまったのか、変な気分になったよな――

 時間に対しての感覚がマヒしたから、浦島太郎の話を思い出したのか、自由という発想を感じたから、そこで出てきた正直という思いから、浦島太郎の話の矛盾を感じたのか、何ともいえない感覚に陥っていた。

 つかさのことは普段ではほとんど思い出すことはなくなっていたが、ある時、急につかさへの思いを感じることがあった。

 それはまるで、つかさの魂が成仏できずに自分のまわりに潜んでいるかのように感じるからだった。

――でも、つかさは死に対してそれほど恐怖を抱いていたわけではなく、死の直前も死を受け入れる準備が整っていたと思っていたのだが、違ったのだろうか?

 つかさのことを思い出すと、最初に感じるのは、

――本当に死を素直に受け入れたのだろうか?

 という思いであった。

 つかさは、隆二が思うに、本当に正直な気持ちを持った女の子だと思っていた。自分に迫っている死を甘んじて受け入れる姿勢を持っていて、市を目の前にした時も、潔いのではないかと感じていた。

 しかし、そんな人ほど、

――本当に死を目の前にした時、抑えてきたものが爆発するのではないだろうか?

 とも感じられ、その方が人間らしいし、愛着も感じられる。

 隆二は自分としては、つかさにはそんな人間らしい女性であってほしいと感じていた。確かに死を目前にして、苦しみもがいている彼女の姿を想像するのは忍びないが、あくまでも同じ人間として感じるなら、

――彼女には決して聖人君子であってほしくない――

 と感じたかったのだ。

 そして、次に感じたのは、

――つかさには、正直者である必要はないので、自由であってほしい――

 という思いだった。

 この時に隆二は、

――正直と自由は違う――

 と感じた。

 ここでいう正直はいい意味ではなく、自由とは正反対という意味で、悪いとは言わないが、決していい意味ではない言葉だと思った。

――生きていたい――

 という思いは、正直な思いであり、表に出す正直者というイメージとは違っている。正直な思いこそ、自由な思いから生まれるものであり、逆に自由な思いから、自分の中の正直な思いを思い起こすこともできるであろう。

 一般に言われている「正直」という言葉、どこまでが自由と近いものなのか疑問であるが、内面の正直さと表に出ている正直な態度が決して同じものではないということを知っていなければ、最初から自由という言葉と比較することなどできないに違いない。

――つかさに遭ってみたいな――

 と感じると、その日からつかさの夢を見るようになった。

 夢というのは、潜在意識が見せるものだという発想があるため、夢で見たのは自分の想像の域を出ないのだろうが、目が覚めてもその夢を見ているというのは、隆二の中で、どこかしっくり来ない感覚があった。

――夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだ――

 と考えていた。

 そして目が覚めても覚えている夢というものには共通性があって、

――そのほとんどが怖い夢である――

 というものであった。

 そういう意味では、浦島太郎のお話の全般を主人公の浦島太郎が夢として見ていたのだとすれば、覚えていることは悪夢であり、おじいさんになってから後のことだけがひょっとすると現実だったのかも知れないなどという思いは、突飛すぎるであろうか?

 世の中というのは、裏があり表がある。表ばかり見ていても、真実が見えてくるわけではない。また、裏ばかり詮索していても、表を表として認識できるわけではない。浦島太郎の話はそのことを感じさせる。

 隆二にとって、つかさという女性の存在は、いったい何だったのだろう?

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