第3話 7月12日(月)

「私はね。『変態』というものにとても興味を持っているんだ」

 

 操作に協力させてくれ、そういった我妻は語りだす。

 我妻が取り出した手帳はひどく分厚い。

 ぱらぱらとめくるそれにはびっしりと文字が。僕の目では読むことは叶わない。しかし、散見される顔写真。そこには数多の人物を観察した記録であることは察っせられる。

 趣味の悪いものだ。眉をひそめた僕に、我妻は流し目をおくった。

「『変態』とは、すなわち普通とは異なるわけだ。異常であり怪奇。それを病とも呼ぶことができる。だが」

 我妻は嗤う。

「普通とはなんだ?普通の人間などいるだろうか。いいや存在しない!」

 芝居がかった動き。

 まるで舞台の上での演説。いや、まるでではないのだろう。彼女は誰とも知れぬ観客に叫ぶ。

「私たちは普通を定義できない。存在しないものを定義できない。だというのに」

 我妻は残念そうに首を横に振った。

「世間は普通という言葉にあふれ、普通を理想としている。普通という人間は誰もいないというのに!誰もなれなかった普通になれるのならば、それはもう普通ではないはずなだというのに!実に滑稽!実に愚鈍!」

 パタン。手帳は閉じられた。

「だから私は異常を孕んだ人間。変態に興味を持ち執着する。変態を知ることで、普通を否定しよう。私の目は耳は脳は、変態を観察し記録するためにある。すなわち」

 象徴のように掲げられる分厚い手帳。

「私は『変態の変態』というわけだ」


 我妻梶の目は僕を貫く。

「そして、花宮美由を愛し花宮美由に執着する中田風太くん。君は実に興味深い」

「な、なんでさ」

 まっすぐな目に僕は縮こまる。

「君は正真正銘の変態だ。花宮美由をときにストーキングしその欲を埋めている」

 ストーキングはしていない。見守っているだけだ。


 だが、と我妻は天を仰いだ。

「同時に君はその理性で、自己の倫理道徳に従い花宮美由を守ろうとしている。実に独善的で自己中心的でありながら、君は花宮美由をいる」

 我妻は僕の全てを見透かしていた。

「現に君は花宮美由に執着しているが、物品を盗んだり、敷地に侵入したりすることは……通常では、行っていない」

 だから、そんな花宮さんを不安にさせること、僕がするわけがないだろう。


「私はそんな、本能を理性でしつけた君にとても興味を持っているんだ」

 ずいっと寄った我妻。

 顔が近い。怖い。

「だからこそ、君のような真摯で紳士な、花宮美由の変態と共に、そう、君と共に!あの『リコーダーペロペロ事件』の真犯人がどのような変態であるか探りたいと考えている」

 差し伸べられた我妻の手は、悪魔のように思えた。

 だが、僕は悩まない。

 花宮さんのためなら、僕はなんでもする。

 あの花宮さんを守るためには、悪魔と契約するなど安いものだろう。


 僕は痛いほど握りこんでいた手を緩める。手のひらには赤い跡ができていた。

 我妻はフライングして笑んだ。その手を握り返す。

「手を組むよ。お前と。花宮さんのものを盗み、不安にさせた真犯人を捕まえるために」

「よろしい」

 我妻は満足そうな表情だ。




「では事件の概要を整理しよう」

 僕を立たせた我妻は、くるりと反転する。まるで全てを知っている探偵のようにしゃべる。

 再びあの分厚い手帳が開かれた。

「通称『リコーダーペロペロ事件』。花宮美由のリコーダーが盗まれたのは二週間前。7月5日。翌朝、花宮美由が所属する教室。つまり君の教室でもある。で、唾液にまみれた状態で発見された。外部からの侵入は確認されず、学校側は犯人不明で処理」

「そう、だね」

 すらすらと語る我妻。確認を込めて向けられた視線に、僕はぎこちなくうなずく。

「犯人は当初、数日前に花宮美由の体操着を盗んだ生徒だと思われていた」

 花宮さんのリコーダー盗まれる数日前に、体操着が盗まれるという事件も起こっていた。

 とはいえ、体操着の件はすぐに犯人である生徒が捕まり、退学している。なのでリコーダーの件と同一犯とは考えられない。

「しかし、生徒間では、君、中田風太が犯人という噂が広まった。結果、現在君は学校でいじめを受けている」

 手帳から顔を上げる。

「以上が現在判明している概要だ。あくまで噂をまとめた程度。詳細を当事者である君に聞きたい」


「あ、うん」

 僕はぽりぽりと頭を掻いて、二週間も前のことを思い出す。

 今日よりもまだ、暑さがまだましだったころだ。

「あの日も僕が朝一番、7時前に教室に入ったんだ」

「君は部活も入っていないが、いつもどおりの理由かい?」

 質問というよりは確認だ。僕は首を縦に振る。

「うん。花宮さんの登校姿と朝練を見るためだよ」

「なるほど、よろしい」

 我妻は手帳にかきこむ。

 花宮さんは吹奏楽部だ。その登校姿から朝練姿までを眺めることが僕の毎朝の日課だった。花宮さんが練習に打ち込む姿は、とてもひたむきで、僕は眺めているだけで元気がもらえる。

「そして、花宮さんの机の上に放置されたリコーダーをみつけた。たしか、それに驚いて、教室を出たんだと、おもう」

「盗む気ははなかった?」

「ないよ!不審に思って見たら唾液まみれだった、と思う……たぶん」

「ほうほう」

「で、それにおどろいて、僕は教室を出たと、思う。あのときは、その、かなりびっくりしていたと思うんだ。その挙動不審な姿を、同じクラスの小野宗也オノソウヤに見られて、僕が犯人にされた」

「ふんふん、第一発見者が犯人を地でいったわけだ」

「犯人じゃないからね」

「それでその後君は?」

「二週間も前だからかな……その、記憶がおぼろけなんだよ。職員室に行こうとするはずなんだけど。そのまま教室に戻った?の、かな?」

 自分でも当時どのような動きをしたのか分からない。

 改めて記憶を掘りかえそうとする。

 リコーダー発見から、その後1限の授業に出席したところまで、いったいなにをしていただろうか。

 花宮さんのリコーダーを見つけたことは確かだ。

 しかし、その後の行動は思い出せない。


「ほほう、『記憶があいまい』はよく聞く言葉だ」

「いいわけじゃないってば」

「もちろん。君の話は信用しているよ。私に嘘は通用しないからね」

 我妻の目は、確かに嘘などで事実を隠せないだろう。僕は実物を目の前にそれを肌で感じる。


「まあしかし、これで犯人はだいぶ絞れてくる」

「本当か?!」

「ああ。第一に時間帯。犯行時刻は校門が開く6時半から、君が当校した7時の間となる。さらに、発見時唾液が乾いていなかったことから、犯行は君が教室に入る直前とみていいだろう」

「僕も、そう、思うけど……」

 記憶の不確かさが憎らしい。なにか怪しい人物でも目撃していればよかったのに。

「覚えていないものはしようがない。記憶とはあいまいなものだ」

 我妻は嘲笑を浮かべながら、しかし慰めるように首を横に振る。


「だが、我らが三浦学園は、外部に対するセキュリティに関しては万全だ」

 私立高校ゆえに自由な学生が多く、問題を起こさないためだが。

「ゆえに、事件を外部の人間が起こしたものとは考えにくい」

「前日に盗まれたリコーダーってのもあるしね」

「そして、当時学校にいた人間は限られている。朝に門を開ける教師、教頭。朝練が必要な体育会系の部活、あるいは吹奏楽部の一部生徒。そして、君、中田風太」

「付属の中学校と小学校の生徒は?」

 三浦学園は中等部、初等部が付属し同じ敷地内にある。

 それらの生徒が犯人とは思いたくないが。

「容疑者から外してかまわないよ。どちらも7時前の登校は校則違反だ」

 中等部と初等部の生徒は7時前の登校は禁止されている。教師の目が届かない時間帯に事故を起こさないように、という校則だ。

 仮に登校していた場合、すぐに教師につかまる。

「なにより、監視カメラに映っていたのは、中学生と小学生1名づつだ」

「見れるの?監視カメラ」

「ばれなければ可能だよ」

 にやりと笑む我妻に、僕は深く探ることをやめた。下手をすればこちらに飛び火しかねない。


 改めて、容疑者の絞り出しに戻る。

 ここまでくれば、容疑者は教師か高校生の二択だ。

「先生が犯人とは、思いたくないな……」

「安心しろ。教師陣には見せびらかすタイプの変態はいないよ。容疑者から外していい」

「見せびらかさないタイプの変態は、いるのか……」

「いるよ例えば」

「いや言わなくっていいよ」

 手帳を確認する我妻を止める。先生の性癖なんて知りたくもない。

「ま、犯人像と私の情報を照らし合わせせれば目星もつくさ」

「それ、どれだけの個人情報が……」

「三浦高校と付属校所属の人間全員と思ってくれてかまわない」

「うわぁ……」

 調査力もさることながら、罪悪感もないドヤ顔に僕は距離を取る。

 我妻は気にせず続けた。

「犯人像に関してだが、わざわざ前日に盗み、しかも被害者の机の上。発見されやすい方法で体液まみれにする。あきらかに行為そのものよりも他者の視線、を重要視している。変質的な愉快犯だ」

 つまり生徒の中に変質的な愉快犯がいるということだ。

 いやだなぁ。

 でも、花宮さんのためだもんなぁ。


 僕は真犯人を強くイメージする。

「我妻、『リコーダーペロペロ事件』の犯人って、僕以外の名前は上がっていないんだよな?」

「そうだね。君以外に容疑者と噂が立った者はいない」

 ならば、真犯人は三浦学園、高等部の生徒であり、かつ日ごろから周りに怪しまれるような人間ではない。

 未だ僕以外に犯人として名前が上がったり、あるいは噂が立ったりしない。つまり、真犯人は事件起こさないと思われる人望があるか、または容疑者にも上がらないほど目立たない人間か、だ。

「難しいなぁ……」

 僕は頭を抱える。

 事件は2週間前に起こった。物的証拠は皆無に近い。あるにはあるが……。

 そして証言となれば、まず早朝であることから目撃者は限られ、かつ、先の真犯人イメージからして、記憶に残っているか怪しい。


 だが、現在僕に探れるものは、証言程度だ。


「……小野くんに、なにか聞くしか」

 僕のつぶやきに、我妻は喜色を示す。

「いいね。あれは何か見ている可能性が高い」

 僕と我妻は一人の人物を思い浮かべる。小野宗也だ。

 小野宗也は『リコーダーペロペロ事件』の第二発見者であり、結果として僕が犯人として名指しされる原因となった生徒だ。しかし、当時のことを詳細に聞けば、重要な証言が出るかもしれない。

「しかしいいのかい?到底君のような小心者が会話できるタイプではないと思うが」

「それは……」

 それができないから、いままで事件に対する調査が進まなかったのだ。親指の爪を噛みたくなる衝動を抑える。

 けれど、今は僕だけではない。

 うろついていた視線を我妻に向ける。

「だって、お前が協力してくれるんだろ?」

 こうなったらこの変人をとことん利用してやる。

 僕は、花宮さんのためなら身を滅ぼしてでも事件を解決してやるのだ。


「うふっ」

 歯を見せて嗤った我妻に、僕はびくっと肩を揺らす。

「信頼してくれるのは助かるよ。信頼は重要なことだ。観察において最もね」

 我妻の目が何に似ているのか僕はわかった。虫かごの中身を見る子供の目だ。

「怖がるなよ。私を選んだのは君さ」

「分かってる」

 分かってるさ。こいつが何かやばいことは。

 でも花宮さんのためだもの。


「さあ、行こうか」

 我妻は満足そうにうなずいた。

「第二発見者、小野宗也の証言を聞きに」

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