山吹の花〈少納言〉

 私が道長さま方と内通している、という噂が囁かれるようになった。

 女房たちのおしゃべりも私が来ると途端にみんな黙り込むし、ひそひそと陰で囁く声がだんだん私の居場所を奪っていった。

 周りから向けられる視線が、怖くなった。


 でも、定子さまなら、そんな噂に流されず、私を信じていてくださるはず。

 そう思っていたのだけれど……。


  ◇ ◇ ◇


「私、里に下がらせていただきます」

 宮中を下がり、実家に引きこもって数ヶ月。

 定子さまからはお手紙もこない。

「私、見放されてしまったのかな……」


 私はいつの間にか、定子さまにとっての特別な存在になれた気がしていた。

 でも、それはとんだ思い上がりだったのかもしれない。

 私は女房の中でもそんなに身分は高くないし、見た目もあんまりよくない。

 そもそも、中宮付きの女房は何十人もいて、私よりも可愛くてすてきな人はたくさんいる。私なんか、何十人もいるうちの一人にすぎなかった。

 おまけに、裏切り者だと思われて……。


「私のこれまでは、何だったんだろう……」

 涙が、とめどなく流れた。

 どうして涙が出るのか分からなかったけど、ひどく悲しかった。

 もう、どうにでもなれ、そう思った。


  ◇ ◇ ◇


 そんなとき、私のもとに手紙が届いた。

「あ、定子さまからだ……」

 開けてみると、手紙の中に、山吹の花弁はなびら一片ひとひら包まれていた。

 よく見ると花弁に「くちなしの思い」と書いてある。

「これは、なぞなぞ……?」

 山吹……、山吹の花といえば、鮮やかな黄色。衣を黄色に染める染料といえば、梔子くちなし……。

 そうか、「梔子」を「口無し」とかけて、「くちなしの」ということか。

 でも、いったいどういう意味……?


 手紙にはきれいな字で、こう綴られていた。


「山吹の美しい季節。少納言は、お元気ですごしていますか。

 長らくお手紙も送らなくてごめんなさい。

 私は、あなたを傷つけてしまったのかもしれない。

 あの日は、ちょっと不安になってしまったの、あなたが何処かに行ってしまうんじゃないかって。

 でも、あなたが私を第一に思ってくれていることは、この何年か一緒にすごしてきて、よく分かってる。


 私は、あなたを信じてる。

 あなたは私の、大切な人だもの。

 たとえ悪い噂を立てられようと、世間を敵に回そうとも、私があなたを守ります。


 だから、戻ってきて。

 あなたがいないと、なんだか寂しい。

 くちなしの思い、というのはね、口には出さないけども、ずっと前から思っていたの。 

 私はあなたのこと、好きなんだと思う。」


  ◇ ◇ ◇


 手紙には、贈り物が添えてあった。

 「わぁ……!」

 白い紙の束を草子にしたもの。

 前にくださると言っていた、あの紙だ。


 私の心が、すうっと、晴れ渡るような感じがした。

 今、私の胸はときめいている。どきどきしている。


 あの日、定子さまとした約束がある。

 この草子に、私の好きなことをつめこんで、定子さまにも見せてあげること。

 書きたいことがいっぱいある。あれもこれも、今のこの思いも。


 山吹の花弁が、ふわりと風にさらわれて、空高くへと舞い上がっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る