Thread of World──世界の糸の物語──

織優幸灧&夜月夢羽&腐諕

1.診察

 喉が焼き切れるほどの咳が出た。



 胃への衝撃で吐いて、胃酸がへばりついた喉を咳で削って、それでもなお止まらぬ暴力に死を覚悟した。






「こらこら、弱いものいじめはよくないよ」



 一瞬暴力の雨がやみ、ボヤける視界のまま顔を上げると既に殴っていた奴らはいなかった。




 傍にしゃがむ人が手を伸ばしてきて、勢いよく頭を抱える。まだ死ぬわけにはいかない。まだ死ねない。死んだら駄目だ、絶対に死んじゃ────




「酷い怪我だ。意識があるのが不思議な……。おいで、手当てしよう」



 思ってもよらぬ優しい声に目を丸くし、少し顔を上げた。



 口を開き、言葉を発しようとすると喉が締まって咳が出た。


 それが止まらず、支えてくれるその人にもたれながら、だんだん息が吸えなくなって、吐くことすらままならず。




 何も考えることのできないまま体を起こして、ほぼ白目を向いた状態で酸素を求める。


 脳が焼き切れそうなほど痛くなって、みぞおちから何かが這いずり出そうで、指先が冷たいことに気付くと、そのまま失神した。


















 息苦しさで目を覚まし、勢いよく起き上がると咳き込んだ。



 誰かが駆け寄ってきて、口に何かマスクが当てられるとそれが息苦しさがだんだんマシになってくる。



「しっかり吸って。ゆっくりでいいから」




 聴力が戻ってきて、自分の喉から息をする度変な音が鳴っているのに気付く。



 しかし次第にそれも落ち着いて、ホッと力を抜いた。





「うん、マシになったね」




 ビクッと肩が跳ね、そちらを向いた。



「ど、どなた……で、しょう……!?」

「おぉ今さら驚くか。私は君の命の恩人さ」

「……あ、り、リンチから救ってくれたの、も……?」

「記憶の混乱はなさそうだね。君十五歳ぐらい? 私の顔見える?」



 1メートルか、2メートルも離れていない距離だが、顔なんて見えない。



 首を傾げると、声的に男なんだろうな。その人は何かを動かした。なんなんだろう、ぜんっぜん何も見えない。




「……あ、の……」

「喉は潰れてるね。痛い?……だろうね」


 小さく頷くと男性は鼻で笑った。



「質問はなにかな」

「……あ、えと、リンチから助けてくれた方は……?」

「せんせー!? せんせー呼んでるー!」



 男性がよく澄んだ声を出すと、どこからか誰かが顔を出した。扉だろうか、カーテンかな。わからない。




「どうした」

「リンチから助けてくれた方を呼んでたので」

「お、目覚めたか。大丈夫かい?」

「全身打撲に肋骨右二本と左一本、内臓もちょっと危ないですね。あと舌噛んでたのと口の中も切れて喉なんて気管も食道もありませんでした。左鼓膜破れて右肩脱臼、これは治療済みです。左手の第五、第四の第二関節骨折、これは意図的に折られたんでしょう。それと……」

「ボロボロなのはわかった。……少年、顔触っても?」

「目元と左こめかみは触らないでください。痛みが出ると思うので」

「わかったわかった」

「ほんとにわかってんのか……」



 人影が近付いてきて、右頬に手が触れた。

 いきなりでビクッとしたが、優しく、顔の輪郭や目の形を確認していく。



「あの……」

「その方目見えないからちょっと付き合ってあげてね」

「盲目……!?」

「目見えないの二人になったな。次は四人か……?」

「せめて三人って言いなよ」

「奇数は好きじゃないんです」



 声が低い方の男性の手が離れて、自分でも違和感のある瞼に触れた。



「めっちゃ腫れてる……!?」

「うんそうだよ? 気付いてなかったの?」

「は、はい……」

「……君名前は?」

「な、名前……?」

「うん名前」

「名前……」

「……指名手配犯か……!?」

「え、いや、ちっ、違いますよ!? 違います違います!」

「教えたくないなら偽名でも構わないよ。呼ぶのに君じゃ困るだろう?」



 顔を触ってきた人の言葉に少し俯くと、首を傾げた。



「じゃあ、雪で……」

「おー女みたい。雪ね、じゃあ雪。肋に痛みは?」

「と、特に……」

「足とか頭は?」

「いえ……」

「喉は?」

「痛いです……」




 自分で書いたカルテを見て、少し目を細めた。



 無痛症じゃあないとなると、慣れにより感じていないか、脳が麻痺しているか。後者なら中央病院送りになってしまうが。



「……先生出てってください。少します」

「うん、終わったら呼んでね」




 二人きりになって、不安そうな雪の頭に手を置いた。


 こめかみ以外の頭部は慣れたように器用に守られていた。顔も、瞼は腫れているものの傷一つない。




「服脱げる?」

「ふ、服……!?」

「めくるだけでもいいけど。肩に負担かけたくないから」



 聴診器を首にかけると、戸惑いながらボロ布のような服を脱いだ雪の体に目を丸くした。



 バキバキに割れた腹筋と胸筋も速筋も、後ろは背筋や肩甲骨周りもなんか大会に出ていそうなほど鍛え上げられている。


 のにも関わらず、不健康な青白い肌に浮かぶ無数の傷。


 生死をさまよう大きな傷からナイフで切られたような傷、火傷痕のような傷、えぐられたような傷。


 明らかに、普通に生きてきた子じゃない。





「……雪君、体の傷はどうしたの?」

「あぇ!? あ、えーっと……!?……こ、転んで殴られて、火傷して……ふ、不運な人生なんですっ! 全然そんな、虐待とかじゃないですから! 安心してくださいっ……!」

「信じないよ?」

「本当なんですぅ……! ほ、ほら、だって、ちゃんと、縫われてるでしょ!? 変な色素沈着とかも……!」

「……まぁ、手当された傷ではあるけど……にしても多すぎる……」

「ふ、不運な人生なんです……!」




 背中に触れ、とても綺麗に治っている傷を確認する。



 ここまで綺麗だと普通の傷は痕を残さず消えたんだろうな。




「……聴診器当てるよ」

「あ、はい……!」




 手で温めてから、背に当てた。



 心音に異常がないかを聞いて、腹部の音も聞いて。



「……特に内側に問題はなさそう」

「あ、ありがとうございます。……あの、ここは……?」

「ん? 路地裏の廃れた教会だよ。教会が潰れたってことで普通の人は近付きたがらないのでね」

「そ、そんな場所に、なんで……」

「ほら、私たち帰るところなき哀れな子羊だからさ?」

「……失職者……!?」

「失礼だなー!? 仕事はしてるよ!」

「え、じゃ、お金あるのになんで……」

「家なんてあっても邪魔なだけだよ。せんせー終わりましたよー!」



 男性がまた声をかけると、もう一人が入ってきた。




「イツ君、自己紹介したかな」

「してないですね。私佚世いっせ、よろしく」

脳之輔のうのすけだ、一応医者をやってる」

「闇のね」

「や、闇医者……!? な、内臓売るんですか……?」

「売らないよ。取っても売る場所ないから」



 ホッと息を吐いたのもつかの間、佚世にピシッと何かでさされた。



「内臓は売らないけど変な薬入れるかも」

「ひぅッ……!?」

「これイツ! 嘘言うんじゃない!」

「すみませーん。……別に取って喰ったりはしないよ。切って喰うかもだけど」

「こらッ!」



 相変わらずイタズラ好きの茶目っ気ある佚世は笑いながら首をすくめて謝り、脳之輔は雪にまた謝った。


 雪は会釈なのか頷いたのかわからないような動きをしてから、佚世を見上げた。



「あの、いつ頃帰っても……?」

「……君帰る家あるの?」

「あ、や……家、は……ないんですけど……家、家なんて邪魔なだけですから!」

「さっき聞いたなてか言ったな私が」

「家がないならその目が治るまででもここにいたらいいじゃないか。ねぇ佚世」

「……お好きにどーぞ。私は先生に従います」

「てことで、ど?」



 いまいち見えなくても脳之輔の燦々さんさんとした圧をかけられ、そっと視線を外した。



「……まぁ……はい、お願いします……」

「よっし決まり! 今夜は歓迎パーティーだ!」

「お好きにどうぞ」

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