ネトゲの嫁と離婚したら、クラスのギャルお嬢様がガチギレしていた

春海玉露

第1話 ネトゲ離婚だってメンタルに影響する

「ごめん。離婚してもらっていい?」


 いつものペア狩り後の精算を終えると、唐突にレオが言い出した。

 離婚とはつまり結婚関係を解消すること。


 といっても、俺こと兎野真白うさのましろはまだ高校一年生。


 結婚どころかリアルの彼女もできたことがない。

 夏休み最終日もネトゲーを満喫しているぼっち系だ。


 だから、離婚はVRMMOの〈Garden of Fantasia〉――通称〈GoF〉の世界での話だ。


 目の前の女性キャラであるレオは、俺の男キャラであるローリングアンゴラと結婚している。


 レオはその結婚を解消して欲しいという要求を突然してきたわけで。


 事態を理解するのに変な回想しちゃったけど、あってるよね?

 レオの理由は分からないけど、返事はわりと早く決まった。


「あ、うん。いいよ」


 自分でも驚くくらいあっさりした返事になってしまった。


 この結婚はレオから誘われてノリでしたものだった。結婚は数ヶ月くらいでも、出会って半年ちょっとの付き合いだ。


 ショックだし、寂しさだってある。


 確かに今日は口数が少なくて、不機嫌そうだったけどまさか離婚を言い出されるなんて思いもしなかった。


 それでもレオがしたいというのなら、俺に止める権利はない。

 ネトゲでの結婚の価値観は人それぞれだ。


 俺は重く考えてはいない。


 あくまでゲームを一緒に楽しくやるための手段だと思っている。

 結婚とは名ばかりの相方で、友達みたいな感覚だ。


 レオは俺との狩りが楽しくなくなったのかもしれないし、リアル事情なのかもしれない。


 ……ネトゲでプライベートに踏み込むのは、非情に難しい問題だ。

 小心者の俺には頷くしかなった、というのが正しい。


「そっか」


 レオも素っ気なく返事をした。


 VRMMOで長年トップの人気を誇る〈GoF〉とあって、キャラはアニメ調のデフォルメをされているが、本人の感情をしっかりと表情に反映してくれる。


 レオはもう俺に興味がないのかつまらなそうだし、俺は自分で思っている以上に寂しそうな顔になっていると思う。 


「じゃ、離婚してくるから。いいんだよね?」

「うん。あ、ギルドも抜ける?」


 ネトゲでも離婚して同じギルドに居続けるのは珍しいと聞く。だいたいが円満解決とはいかないからだろう。


 俺は気にしないといえば気にしないけど、話を切り出したレオは違う。


「それもそっか。ごめん。そこまで考えてなかった。ギルド抜けるかは今度考えてドラさんたちに話すから。じゃあ、行くね」


 レオがアイテムウィンドウを開き、転送アイテムを取り出す。


「今までありがと、ウサボン」


 転送のエフェクトが輝き、レオが俺の目の前から消えた。


「はあ……返事はもっと。ちゃんと考えるべきだったよな」


 別れの挨拶もできず、俺はただ一人空しく自分の左手を見つめる。


 ……しばらくして。

 薬指にはめられたエンゲージリングが、データの藻屑となって消えていった。


 ◆


 レオとのペア狩りはだいたい土日の週末メインだった。


 狩りに夢中になったり、たまに終わった後に最近のゲームやアニメの話題なんかで盛り上がったりして、寝不足気味になった日もあった。


 夏休みはプレイ時間も雑談もだらだらと伸びつつ、充実した日々だったなあ。レアも出て、レベルも上がったし。


 リアルも初めてのバイトをどうにか乗り越えられたし……友達と遊んだことはなかったけども。


 それでも新学期は心機一転頑張っていこうと思っていたのに。


 俺のメンタルは相当なダメージを受けてしまっている。

 走ってもいないのに息苦しい。


 さらにまだまだ夏真っ盛りと言わんばかりの陽射しが照りつけ、HPまでガンガン削っていく。


 スマホの画面を眺める。


 外部チャットツール〈ロジックコード〉で使用しているギルド専用チャットには、ギルドメンバーの他愛ない話題がログとして残っている。


 当然、レオのアイコンはオフライン。表示されていない。まだ抜けてないのを見ると、保留か話していないのかな。


 レオと別れた後のことを思い返す。


 俺は所属しているギルド〈満腹スイーツパラダイス〉のギルドマスターであるドラさんと、副ギルドマスターのちょこさんに一部始終を話した。


「え!? それですんなり頷いちゃったの!? いやいや! そこは一回お願い! ちょっと待って! 考える時間をくださいお願いします! なんでもしますから! って土下座して靴を舐めてでも言うべきでしょ!」


 と、えらく驚きながらも忠告を受けた。


「だけど、やっぱりレオ相手が離婚したいと言った以上、どうしようもないというか。反対して困らせたくもなかったし」

「いやだって、レオちゃん。ウサボン君のことだいぶ――」

「はいはい。ドラヤキは余計なことを喋らない。リアル口封じするよ?」


 ちょこさんが、ドラさんの言葉を遮った。

 二人はリアルで結婚している夫婦だ。


 今も同じ部屋でプレイしているだろうから、ダイレクトアタックも可能なのだろう。


 はい、とドラさんの動きが停止している間に、ちょこさんが困った顔をする。


「でもまあ、そうねえ。難しい問題ね。ネトゲってことを忘れちゃいけないし、二人には嫌な気分でゲームをして欲しくないし。二人の問題だから外野が色々言うわけにはいかないけど……一つ言えるのは、ウサボンの対応は間違っていないと思うよ。ネトゲの模範としてはね」

「模範としては?」

「そうね。私たちも昔はVRじゃないネトゲとかもやっててね。相方、結婚問題はそこからほとんど変わってない。むしろリアル寄りになった分、慎重に、より気遣えるようになったかもしれない」


 ただ、とちょこさんは少し表情を和らげた。


「一般的な、普通の関係の場合。あなたたちの場合はちょっと違うかもしれないし。そうね。ウサボンが本当にレオと話せないと思ったら、私からそれとなくレオに聞いてみるわ」

「……ありがとうございます」

「いいのよ。可愛いギルメンの一大事だもの。副ギルマスとして放っておけないわ」


「そうそう! こういう時こそギルドマスタードラヤキさんの腕の見せ所ってわけよ!」

「まあ、頼りないギルマスもなにか役に立つはずだから。最終手段として相談するくらいの気持ちでいいよ?」

「その言い方ひどくなーい?」

「とにかく一晩ゆっくり寝てから、もう一度。じっくりレオのことを考えてみればいいわ。まだ間に合うからさ」


 頼れる二人の言葉に少し気持ちが楽になったとはいえ、完全に吹っ切れたわけじゃない。


 ……もう終わりか。


 悩んでいる間に新学期初日の学校生活が終了してしまった。今日の授業は午前まで。帰宅部の俺は、一人寂しく帰るだけだ。


 改めてロジックコードを見ても、やはりオンラインのメンバーにレオはいない。


「……はあ」


 思わずため息が出る。

 自分で思っている以上にショックだったんだな。


 これならドラさんの言うとおり、レオに少し時間を貰えばよかったかもしれない。

 だけど、終わってしまったものはどうしようもない。


〈GoF〉を引退する気もないし、パーティー狩りはギルドメンバーともできるのだから。

 けれど、さすがに今日は〈GoF〉をする気になれない。


 どんよりした気分はまだ拭えない。

 よし。気分転換に屋上にでも行こう。


 天気情報によれば、35度に迫る炎天下。

 屋上はさぞ灼熱地獄になっているはずだ。好き好んで行く変人はそういないと思う。


 VRMMOを初めとして様々な技術が発展しても、俺たち学生に自然の猛威を知らしめるかのように学園全体を覆う空調システムはない。


 俺が通っている郷明きょうめい学園は有名な私立の名門校のはずなんだけどなあ……。


「……暑い」


 思わず独り言が漏れるくらい暑い。

 予想どおり屋上に先客はいない。

 手入れされた花壇にベンチもあるが、座ったら火傷しそうだ。


「熱い」


 だからこそベンチに座り、雲一つない青空を見上げる。


 屋上を独り占めできるのは助かる。

 暑さと熱さ。ダブルアタックのおかげでネガティブな考えをしなくてすむし――。


「ウサボンのバカ野郎ー! 普通はちょっとくらい困るじゃん! 平気な顔して、あ、うん。いいよって! 即答!? 悪いのは私だけどさー! 私たちの結婚生活はなんだったのー! もう少し悩んでくれたっていいじゃん! ウサボンの! 爆走毛玉珍獣ー!」

「ごめんなさい!」


 俺を罵倒する声を聞いて思わず謝ってしまった。

 だけど、ここは〈GoF〉内じゃないし。


〈GoF〉でのニックネームが呼ばれるわけが……でも、確かに今呼ばれたような?


 リアルに幻聴が聞こえてくるほど参っていたのかな。

 それともの暑さのせいなのかな?


 屋上に来て一分くらしか経ってないのに虚弱すぎるなあ、俺。一応、運動は毎日してるんだけども。


 まあでも熱中症になって倒れたら大変だし。最悪、誰にも見つからずミイラに……うっ、寒気が。

 想像したおかげでちょっと寒くなった。


 今のうちに大人しく帰ろう。

 立ち上がって出入り口に向かうと、反対側から金髪の女子生徒が顔を出した。


 同じ1年A組の獅子王ししおうさんだ。

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