エウロパの超越

三森電池

>>1 それ俺もオモタwww

 「あー、アイドルってなんでこんな理不尽なのかなあ、あー!」


 カツカツと廊下に鳴るヒールの音。少し前を歩く女が愚痴というには大きすぎる声で喚く。私たち遊星エウロパは、日本一のアイドルを決める大会「TOI」の三回戦で敗退が決定した。

 我々が所属するのはアイドル事務所の最大手、恵比寿芸能舎。ここに入ればアイドル人生安泰、テレビでも劇場でも優遇され、引退後の手助けも厚い、エビ芸に入ることが全て――みたいに言われているけど、そんなのは上の上、売れている層だけ。私、安田碧衣と、コンビを組んでいる女、東和モネのようなオーディション補欠合格組には仕事の一つや二つがやってくればいい方だ。

 長い廊下を抜けて、ノックもせずにドアを開く。誰かが着替えていようが、化粧していようが知ったことではない。遊星エウロパは揃って機嫌が悪い。何人かがこちらを振り返ったが、無視を貫いた。あの子たちTOIで、とひそひそ話も聞こえてくる。

 舌打ちを一つ鳴らして、適当なところに荷物を下ろした。共用のはずの大楽屋のテーブルは、「一軍」と呼ばれるアイドルたちの化粧品がこれでもかというほどにひしめき合って置かれている。まるで、ここが自分の居場所ですと精一杯主張しているみたいだ。一軍のみなさんは三回戦など余裕通過、来たる準々決勝に向けてパフォーマンスを磨いていくんだろう。羨ましいし、妬ましいし、腹が立つ。それは相棒も同じようで、やめろやめろと毎日のように注意しているのに、右手の小指の爪を噛んで、恨めしそうに光の当たる方を睨んでいた。


 世はアイドル戦国時代、とはいっても昔のように大勢のグループで歌って踊ったり番組を持ったりはしない。「○期生」として大量に採用はするけれど、その全員で活動する訳ではなく、大体ひとりかふたり、多くても五人くらいのグループを組んで、アイドルの頂点である「トップオブアイドル」という大会での優勝を目指している。かく言う私もその一人で、TOI(トップオブアイドルのことね)に魅了されて、相棒の東和モネと遊星エウロパとして頑張っていた。幼い頃テレビで見て、憧れて、夢中になった番組だ。

 顔も普通、歌もダンスも別に普通、こんな私がアイドルになろうなんて考えたのが間違いだったのかなあ。

 大学辞めなきゃよかったかなあ。

 才能ないのかなあ。

 才能ある奴は、ソロでも成功していくもんなあ。

 てか、エウロパって遊星じゃないらしいんだけど、なんでこんな名前なのかなあ。

 楽屋のふかふかの一人がけソファーに腰を下ろして、頭の上で腕を組んでみる。これが私なりの、「考える人」のポーズである。私だって上に行きたいし、成功したい。グリーン車に乗りたい。でも現状は恵比寿芸能舎アイドル部門三期に補欠合格。TOI三回戦敗退。

 少し遠くの席に腰を下ろした相棒は、スマホを見る元気もなさそうだった。だいたい、大楽屋ではグループ同士は隣の席で休憩を取ったり、次の出番を待ったりするものだし、メンバーとのツーショットをSNSにあげれば凄い勢いで数字が回る。

 でも、トーワは黒の安っぽいソファーに倒れ込むように座り込み、ぜいたくにクッションを枕にして横たわっている。私と話す気力もないです、話しかけないでください、といった感じか。私は聞こえるようにため息をついて、こちらに背を向けて寝転がっている女から目を逸らした。


 今の芸能界は、TOIでどれだけいい結果を出せるかに全てがかかっている。

 雑誌の表紙を飾ったり、冠番組を持ったり、オールナイトでラジオをやらせてもらえたり。優勝者、ほかコンテストで印象を残した組への恩恵は底知れない。地方でも開催される一回戦から、二回戦、三回戦、準々と準をこえて決勝へ。決勝ともなるとテレビで生放送され、一般認知度もぐっと上がる。男性アイドルも女性アイドルも関係なく出場できて、名だたる審査員が点数を下す、一年に一度のお祭りを、国民は楽しみにしているが、当事者は胃が痛くてしょうがない。


 「三回戦かあ……」


 アイドルを初めて三年。せめて準々とか、準とか、漢字のところまで行きたかったなと思う。トーワは不貞腐れているのと、悔しくて悲しいのが交互に来ているのとで、会話は不可能。触らぬ神に祟りなし。こんな奴のこと、喩えでも神だとは言いたくないけど。

 あとから楽屋に入ってくるアイドルたちが、こちらを見て笑っている気がする。気がするだけじゃなくて本当にそうなのかもしれない。トーワはクッションに顔を埋めたまま、何も見たくない聞きたくないというように頭を横に振った。

 仲のいい女どもが、鏡のある化粧コーナーできゃっきゃと騒いでいる。私もトーワでなく別グループになら仲のいい同期や後輩が居るが、今は楽しく写真を撮れるような気分ではない。トーワの方を見やる。さらさらの黒髪は流れるようにソファーに横たわり、Tシャツとハーフパンツから覗く手足は白く、細くて長い。ぱっちり開いた二重、長くくるんと巻かれたまつ毛、小ぶりで高い鼻、薄くてほんのりピンクの唇に、拳くらいしかないんじゃないかというほど小さな顔。オーディション合格直後はパッとしない印象だったが、私と遊星エウロパを結成してからどんどん垢抜けていっている。ルックスを比較されてばかりで、もともと嫌いなトーワのことがさらに嫌いになった時期もある。


 「……あ、差し入れ。マカロンだって、TOIお疲れってマネージャーが。あんた、食う?」

 「……要る」


 ゆっくりと体を起こし、テーブルに置かれた小さな箱を物憂げな目線で見つめる姿は、やっぱりムカつくほど綺麗だと思う。泣いていたのか、目や鼻の先が赤くなっていた。

 こんな関係でも、三回戦でボロボロに落ちても、私たちは「遊星エウロパ」であり続ける運命を背負っている。トーワと出会った日のことを思い出していた。今よりは田舎臭い見た目をして、方言も完全には抜けていなかったが、あの頃はまだ、可愛げもあったのに。

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