盛夏の天国、私達の一週間

わだつみ

第1話 プロローグ

 蝉のように、7日間で一生を駆け抜ける生き物がいるのなら、私達の人生だって、7日間で「先取り」してしまったっていいじゃないか。

 そう彼女が、私を、あの不思議な7日間へと誘ってきたのは、高校が夏休みに入ろうとする直前の、一学期の終わりの頃の事だった。

 その時期について思い出せるのは、梅雨が明けて本格的な暑さが始まり、教室の外は身を焼かれるような日差しが照り付け、校内のクーラーの効きの悪さに同級生達は文句をつけていた事。そして‐、それはあの日に限った話ではなかったが‐、あの学校の中に、私と彼女の居場所はなかった事だ。

 学校からの帰り道で、蝉について彼女が言及したのは、「今年も鳴き出したね」と、夏本番の始まりを告げる、蝉の一声に彼女が反応したからだったと思う。

 「蝉は1週間しか生きられないから、短命で可哀想だって言う人が多いけど、私は、蝉から見たら、人間の方がずっと可哀想な生き物に見えてるんじゃないかって思うよ。何にも成せなくって、生きてる意味も分からず、どんなに生きづらくても、『兎に角頑張って生きてれば、生きてるだけで丸儲けだから』って、テンプレみたいな励ましを押し付けられて、無理やりに何十年も生かされて、苦しんでさ…。可哀想な生き物かどうかは、寿命の長い短いじゃなくって、短い寿命でも、充実して生きてるかどうかだと思う。蝉は、あっという間に命は散ってしまうけど、精一杯、自分はここにいるよって存在を示して、求愛して、つがいも見つけてる。だから、自分は不幸だなんて思ってないと思うよ」

 そんな講釈を彼女は私にしてくれた。

 生きづらい、という一点で、私と彼女はお互いに近い物を感じて、近づいていった。そして、恋に落ちた。

「寿命が長ければ幸せなら、長生きし過ぎた結果、世界で自分が一匹だけの生き残りになってしまって、死ぬまでずっと孤独だった、あのゾウガメの子も幸せって事になってしまうよね。前に静留(しずる)が話してくれた」

 蝉に限らず、私達はしばしば生き物の話をした。その命の長さについての話をした。

 10年以上前に海外で死んだという、長生きし過ぎた為に、種族の最後の一匹として孤独に生きる運命をたどってしまった、憐れむべきゾウガメの話を、私はよく覚えていた。

 『100年の命を与えられても、仲間は皆死に絶え、自分が種族の最後の一匹として、生きていたなんて、その間の長すぎる孤独を想像しただけでも、私にはとても耐え切れない』と、静留は話してくれた。

 「よく覚えているね、葵(あおい)。あのゾウガメの子なんて、長生きし過ぎた故の悲劇だよ。ずっと孤独で、ついたあだ名がロンサム・ジョージ。ロンサムって独りぼっちの、って意味ね」

 でも、私達には、この学校の同じクラスだけでも数十人の同級生がいて、学校の外には一億二千万人の同じ言葉を話す同胞がいて、そして、海の向こうまで含めれば70億人もの同胞がいる。ロンサム・ジョージとは違う筈なのに、私達はどちらも、出会う前は独りぼっちだった。周りに同じ種族がいようといまいと、私達は、どんな種族の生き物に生まれても独りぼっちになる定めだったのかもしれない。

 お互いに人付き合いが苦手で、場の空気に合わせるのも苦手で、こんな生き物の雑学みたいな役に立たない知識ばかりは覚えるのに、これからの人生を左右する勉強は全然出来ない落ちこぼれで。

 学校にも家にも、安堵出来る場所がないのも、私と静留は同じだった。学校の帰り道、二人で歩いている時が、日々の中で一番心安らぐ時間といって過言ではなかった。

 「人間ってなんで、何十年も生きるように出来てるんだろうね・・・。特に、私達が生きてるこの国なんて、平均寿命が80年越えとか・・・。そんなに生きてもやる事ないし、生きた分だけ、味わわなくても良かった筈の苦しみが増えるだけじゃん。人生の中で、体験すべき事、体験してしまったら、消えてしまってもいいのにね。それこそ、蝉みたいに1週間でも」

 この国の、世界一長いとも言われる平均寿命を恨むように静留は言った。 

 「葵はどう思ってる?生きた分だけ、苦しみが増えていくだけだって思わない?」

 私は、自分の生きてきた日々を振り返る。学校での息苦しい日々を。小学校、中学校、そして高校でも何も変わらなかった。小学校で着ていたみずぼらしい古着を、おしゃれな女子のグループから馬鹿にされたものだ。中学で、制服を着られるようになった時は安堵したくらいだった。しかし、服装以前に、クラスメイトとまともに会話も交わせなかった私は、教室の片隅で息を殺しているしかない存在となった。教師すら、私の事は他の生徒より明らかに見下していた。

 今も、静留と話せているのは奇跡のような事で、他のクラスメイトとは会話は殆どなかった。

 確かに、「生きてるだけで丸儲け」だなんて思えた事は、私にもなかった。何処に行っても、私には、「あいつよりはマシだから」と皆に優越感を抱かせる為の立ち位置しか、用意されてこなかった。

 「・・・私も学校なんて大嫌いだし、ちっとも、生きてて良かったなんて思った事ないよ」

 親にも教師にも、こんな相談はした事がない。親も、私と同じ「能力の低い側」の人間であり、飲んだくれの父、心を患って、様々な仕事についていけず、パート勤務を転々としている母を頼みに出来るだろうか。教師も、誰にでも言っているような定型文の励ましをするのが、関の山だろう。

 こうした考え方も、厳しい家の環境など、色々な点で、私と静留はよく似ていた。

そして、よく似ている者同士、学校の片隅で時間を共有していく中で、私は、静留に恋心を抱くようになっていた。

 「それでも…、今後の人生に特別、期待してる訳じゃないけど、私にも学校生活とか、人生の中で、幸せだって言われている事。一通り体験したいなっていう、気持ちはある」

 私は、隣を歩いている静留の顔を、真っ直ぐに見つめる。

 「ただ、それには、静留が一緒にいないのならば、意味がない。それが、私の今の願い」

 頭上の街路樹の青葉が、一斉に風に揺らいだ。夏特有の、湿り気を含んだ、私と静留の間を生温い風が吹き抜けていく。私は髪が長く、伸びるに任せているので、熱がこもるように。首元が熱い。

 静留の、簡素なヘアゴムで束ねただけの、大して似合っている訳でもないポニーテールが揺れて、項が垣間見えた。私と同じく外に出る方ではない為、色白の彼女の、その項の肌がいつもよりも紅く火照ったように見えた。それはきっと、夏の暑さの為だけではなかっただろうと思う。

 ジジジ・・・という、苦しそうに聞こえる鳴き声と共に、私達の前の、熱されたアスファルトの上に、一匹の蝉が墜落した。それは、心なしか、思い残す事などないと言う風に、最期の時を待っているように思われた。僅か7日の命を、それでも精一杯に生き切ったというように。耳にこびりつきそうな程に喧しく鳴いている、他の蝉達も、長くても数日のうちには、骸になるのだろう。それまでに、一生懸命に自分の声を響かせ、求愛して、つがいも見つけて。

 親と静留の前以外では、声も落ち着いて出せない、消えてしまいそうな存在の自分は、蝉よりも無価値に生きているように思われた。

 この夏の、こもった熱の中で、蝉よりも、何も成さずに時間を磨り潰して、生ける屍のように朽ちていく自分を想像して、私はその想像を打ち消す。

 「葵がそう思ってくれているのなら・・・、私ね、考えてる事があるんだ。それを実行しようと思う」

 「考えてる事?」

 「蝉は一週間で、一生を駆け抜けて、やるべき事を全部やるんだよ。私と葵の二人も、この夏の一週間で残りの学校生活を、先取りして、全部経験して、終わらせてしまおう。学校だけじゃなくて、他の人が何年も何十年もかけてやってる、人生のイベントも、皆やってしまおう。この学校も、街も、家も抜け出してさ」

 静留の提案は、私以外の人間が聞けば、何を突拍子もない事を言い出すのかと思うだろう。しかし、「長生きしたって意味ない」と、生き急ぐような言葉をよく口にする、彼女らしい発想でもあった。他の人の人生の何十倍速の早送りで、人生のイベントを終わらせてしまえばいいと。

 それを成し遂げる事で、静留は、私に証明したいという気持ちもあるのだろう。「人間の人生なんて、無駄な苦しみを省けば、こんなに短く出来るのだ」と。

 その試みの先に何があるのか。それを経て私は、人生を生きたと思えるのかは分からないが、このまま、何も成せずに、夏の熱の中で焼かれ、朽ち果てていくよりは、静留と共に行く方がずっと良い。その先で、私は何かを見つけられるかもしれない。私に拒否する理由はなかった。

 「静留の提案、乗った。一週間で、学校生活も、その先の人生も、全て経験しようっていう、実験だね。私も、その先で何か見つけられるかもしれないし、やってみたい。家も、学校も放り出していくなんて、二人で旅に出るなんて、何か、かけおちみたいだね」

 かけおち…という言葉を使うと、静留の頬に、先程よりも分かりやすく、朱が差した。

「でも、静留、一体何処に行くつもりなの?学校生活も、その先の人生の出来事も一緒に経験出来る場所って」

 私が率直に疑問を投げかけると、彼女は計画を明かしてくれた。

 しかし…、この時、私はまだ、静留と、家も学校も離れて過ごす一週間を、精々、家出の延長線くらいにしか考えてはいなかった。静留は単に自分の人生観の正しさを、子供じみた発想による実験で証明したいだけで、全てが終われば、静留も、私もまた、何事もなかったように、元の生きづらいこの日常へ帰っていくのだと。

 だから、静留の話を聞き終えた時、この二人だけの実験が終わった後、静留は一体どうするのかという話が、全く出てこなかった事に、薄っすらと不安を抱いた。

 しかし私はその一抹の不安を、その時は無視してしまった。それは、決して無視してはならない不安だった事を、私は思い知る事になった。

 それを乗り越えたから、私は、今も、静留と共にいる。

 懐かしい日記を開く。あの時、確かにあった二人だけの時間、二人だけで築いた世界、そして、儚い「天国」が蘇ってくる。私と静留が忘れない限り、確かにあの時間も世界も、そして、あの時見た「天国」も、感じた奇跡も消える事はない。

 これから私が語る内容は、あのミッション校の廃校舎で静留と過ごした一週間を書き残した日記になる。

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