第10話 危ない香り

 私とトミエは、怒号が飛び交う方へと足を進めていきます。

「でも、どうして日が沈んでから攻めてきたんでしょうネー? 人間族って、あんまり夜目が効かないって聞きますけど」

「川端は夜型なのさ。昼過ぎにむくりと起きて、真夜中に執筆活動を行うのだ」

 顔だけでなく、生活習慣までフクロウと似ている男ですから、どうせ夜中にやって来るだろうとあたりをつけていたのですが、まさにその通りとなりました。

 何もかも私の予想通りに事が進むので、自分は今孔明かもしれない、と得意がる気持さえ湧いてきます。

 私がここまで浮かれた気分になるのは、非常に珍しいことなので、トミエも頬を緩めました。二人で手を繋ぎ、既に勝ったような気分で前線に向かいます。

 やがて見張りの兵士達が、一心不乱に槍を振り回してるのが見えてきました。

 犬人間と戦っているのです。

 人間のからだに、犬の顔がくっついた化け物。それが何百人も群れを成し、攻め込んで来たのでした。

 トミエが言うには、あの犬人間は「コボルト」と呼ばれる亜人で、牙は鋭く、士気は旺盛、手には金棒が握られています。

 コボルトは口をそろえて、

「ヒャッハー! ネコ派は消毒だー!」

 と叫んでおりました。

 一瞬で戦意が消失しました。

 知っての通り、私は犬が苦手です。あれは馬や獅子をも仕留める猛獣なのです。常は人間の友人であるかのように振舞っていますが、いつ噛んでくるかわかりません。いえ、きっと噛むのです。私にはわかります。しかもあれに噛まれると、稀に恐水病を発症し、発熱悩乱の苦しみを味わうとも聞きます。

 普通の犬ですら、こんなにも恐ろしいのです。

 その上、目の前で暴れている犬どもは、首から下が人間なのですから、もはやどんなお道化を行なえばいいのか、想像もつきません。シシマイを被って踊ればいいのでしょうか? それともインデアンの踊り?

 いや、そもそもどうやってご機嫌取りをしようかなどと、逃げ腰の考えに及んでいる時点で、勇者失格なのでしょう。

「帰ろう。僕ではどうにもできない相手だ」

「何言ってるんですか。あんなの雑魚なんですよ。勇者様ならイチコロですって」

 トミエは必死の激励をしてくるのですが、その献身さは本物の富栄を連想させ、ますます私を憂鬱な気分にさせるのでした。

 最後の数ヵ月間、富栄は私の看護婦として振舞っておりましたから、健気に尽くす女性を見ると、どうしても影を重ねてしまい、恋しいような恐ろしいような、なんとも言えない気持になるのです。

「富栄……」

 たまらずうなだれていると、コボルトの群れが私を取り囲み、わんわんと吠え立ててきました。

 白光鋭利、きらりと光る牙を見せ、盛んに威嚇してきます。

 噛まれてしまう。三七、二十一日、病院に通うはめになる。いやな想像を膨らませていると、ついにコボルトの一匹が飛び掛かってきました。

「わおん!」

 しかし、途中で鼻をひくつかせたかと思うと、

「きゃうん!」

 と鳴いて、逃げ帰っていったのです。

「はて」

 見れば他のコボルト達も、尻尾を丸め、私を恐れるようにして距離を取っていきます。

「これはどういうことだろう」

「勇者様の匂いを、嫌がってるように見えますね」

 私は幼少の頃より、大変なハイカラだと評判でした。女のひとに嫌われないためにも、きちんと風呂に入り、さっぱりとした服を着ていると自負しております。そんな私が、不潔な匂いを漂わせているとは思えませんでした。

 そうなると、思い当たる節は一つしかありません。

「薬品臭か」

 考えてみれば、これまでの人生、薬漬けで過ごしてきたようなものでした。

 晩年は結核が再発したものですから、栄養剤も随分頂きましたし、催眠鎮静剤なども大いに飲みました。

 もはやそれらは血肉となり、犬の鼻を以ってすれば嗅ぎ取れるまでになっているのでしょう。

 私が足を踏み出すと、犬人間達はキャンキャンと鳴き叫びました。人工的な異臭に、恐怖を抱いているに違いありません。

「こうなってしまえば、可愛いものだね」

 懐中に手を突っ込みながら近付くと、コボルト達は蜘蛛の子を散らすように退散しました。

 兵士達は、あんぐりと口を開けて私を見つめています。

「なんてこったい。あの勇者様、気迫オーラだけでコボルトを追い払いやがった!」

「万歳、勇者万歳」

 町は喜びに包まれ、戦勝気分が広がっていきます。

 そんな中、薄暗い闇の中から、のしのしと歩いてくる影がありました。

「思えば私も、ここに来たばかりの頃はコボルトに懐かれなかった。生前、睡眠薬を常用していたので、そのせいだろう。今では薬が抜けたので、すっかり失念していた。なるほど、太宰君に鼻の効く手下をぶつけたのは、失敗でしたな」

 わずかに関西訛りのある、甲高い声でした。

 見上げると、ミミズクのような目が私を見つめています。

 巨大な三頭犬|(きっとこれがケルベロスなのでしょう)に跨った川端が、私を見下ろしていました。

「川端……」

「ハツコは度胸があるのでね。貴方の匂いを恐れないようだ。あるいは、貴方を気に入ったのかもしれない」

 川端の手には、古い壺が握られています。到着が遅れたのは、骨董品につられたせいだと自白しているようなものでした。

「考えたものだ。街の周りを、ぐるりと美術品が覆っている。あれの回収に、戦力の九割を持っていかれました。まさか自慢の騎兵隊を、壺拾いに使わざるを得ないとは」

「戦力配分を間違えすぎでは」

「……おかげでこうして、王将の私が、手ずから攻め込むこととなった。これが将棋なら、悪手もいいところです」

 川端の目が、猛禽類のように見開かれます。

「もう一度言おう。太宰君、貴方が欲しい」

「蒐集癖が疼きますか」

「私の元へ来たまえ。せっかくの才能を、この手で壊すのは惜しい」

 遠くで、コボルトが鳴くのが聞こえました。まことに聞き苦しい、駄犬のおたけびでした。

「壊せますか、僕を」

 互いに、ゆっくりと距離を縮めます。

「貴方では私に勝てない。それはわかりきっている事だ。血反吐を吐き、泣きじゃくっていたのをもうお忘れか」

「前回のあれは、不覚を取っただけです。貴方の仕掛けた、卑劣な罠によって拘束され、身動きのできないところをねちねちと責められましたが、今は自由に動けます」

「記憶が捏造されているようだが。あの時のあれは、太宰君が勝手に首吊り未遂をして、自分で自分を拘束したのだ」

「言うな!」

 それが開戦の合図となりました。

 私は魔法を唱え、川端はケルベロスに指示を飛ばします。

「水上温泉!」

「いけ、ハツコ! かえんほうしゃだ!」

 前妻の名を冠した魔犬に、その前妻と自殺未遂を起こした温泉の名をぶつける。

 なんとも気まずい、因縁めいた対決の幕開けでした。

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