第5話 トロールが空に浮かんだような顔をしやがって
山を下りると、少しばかり開けた町が見えてきました。
垢抜けた建物がいくつも並んでいて、保養地めいた雰囲気が漂っています。
住民は金払いが良く、ニンジンを売って歩くと、中々の実入りとなりました。
トミエはすっかり気が大きくなったようで、
「ここで装備を整えましょう。一番いいのを買いましょう」
と、せっついてきます。
「全部、君に任せる。槍でも刀でも、好きなだけ買えばいい」
私はトミエに、所持金の半分を渡しました。残りの半分は、私の飲み代となりました。
バアに向かい、この町の特産品である果実酒を頼むと、そこから先はもう、いつもの流れです。
一日中、飲んで過ごしたのです。
手持ちのお金がなくなると、トミエが迎えに来てくれました。酔いが回っていたせいで、記憶が定かではないのですが、宿まで運んでくれたそうです。若干、私の所持金が足りなかったので、自分のお金を使って、支払いまで済ませてくれたと聞いています。
こんなことが、七日も繰り返されました。
貯えがなくなると、魔法でニンジンを生やし、それをトミエが背負い、市場で売って回りました。
収入源を生み出しているとはいえ、額に汗する作業は全てトミエ任せであり、私はもはや、男めかけみたいなものでした。
その日も、昼間から酔漢を決め込んでいると、常連客の一人が、いやな絡み方をしてきました。どこか
それも、穴だらけの暴論なのです。
その気になればいくらでも反論できたでしょうが、しませんでした。いいえ、できませんでした。
私は、議論に勝ったことがありません。上手い返しが思いつかないわけではないのです。相手の、自らの意見が正しいという確信、その勢いが恐ろしく、理由もなく自分が間違っているような気がしてきて、何も言えなくなってしまうのです。
そして、家に帰ってから、こんな風に言ってやれば良かった、ああ切り返してやれば良かった、とむかむかしてきて、余計に酒量が増えるのでした。
「僕はいよいよ自分がきらいになった。今、酔っ払い相手の口喧嘩で、明日こそは勝ってやろうと案を練っていた。だが、本当にやるべき事は、君のニンジン販売を手伝う事なのだ。なのに僕は、それを投げ出している」
トミエは私の服をたたみながら、
「悪いのは、世の中なんデース」
と微笑を浮かべました。
「勇者様は優しすぎるから、お酒を飲んでしまうのデース」
語尾が西洋人なのに、発言内容は和風です。しかも内縁の妻な香りがします。どうやらトミエも、日本的な詫び寂びというものがわかってきたようです。今なら川端も褒めてくれるような気がします。
「きっと、あんまりいいひとだから、飲まずにいられないんだわ。普通の男のひとだったら、怒鳴ったり、手を上げたりするところで、勇者様は、悲しげに笑うんですもの。ああ、駄目ね。あれをやられると、女は弱いの。町の女達も、きっと貴方を放っておかない。ねえ勇者様。ここに来てから、いくつ恋文を貰ったんです?」
「七通かな」
「ファック。燃やします。今すぐ提出してください」
逆らえませんでした。
私は渋々恋文を渡すと、ごろりと腹ばいになって、西洋女の強さというものを、しみじみと味わいました。
それからしばらくの間、顎にできたおできなんぞをいじって時間を潰していると、手足に妙なくすぐったさを感じました。
見ればトミエがちょこまかと動き回って、私の体に巻き尺を当てています。
「何をやってるんだい」
「寸法を測ってるんです。いい鎧が見つかったんですが、サイズが合うかどうかわからなくて」
「僕の身長は五尺六寸五分だよ。測り方によっては、五尺七寸以上と出ることもあるのだが」
「尺って何ですか」
「そうか、君は異国の人だもんな。メートル法の方が伝わるか。ええと、一七三センチとか、一七五センチとか言われたことがある。どうして数字がバラつくんだろうね。首吊りをした時に、背骨が伸びたのかもしれないな」
結局、トミエにはメートル法も通じなかったようで、こちらの単位で私を測り続けました。
それによると、私はこの世界の感覚からしても、やや大柄な部類に入るとのことです。
「前々から思ってたんですが、勇者様、もしや裕福な生まれなのでは? 庶民はここまで大きくなれませんよ」
「確かに、僕の実家は大地主だね」
「どうりで金銭感覚が緩いわけデース……」
「そういう君はどんな家で育ったんだい」
「極貧家庭ですよ。人間族以外は、皆そんな感じですけどね」
朝になると、トミエは市場に、私はバアに出かけました。
酒など、飲みたくありません。からだ具合を悪くするだけですから、飲まずに済むならそれが一番いいのです。
けれども私は、バアに集うあらくれ者の、非合法の香りに、どうしても惹かれてしまうのでした。
私は、彼らが好きなのです。
生まれながらのはみ出し者で、得体の知れない犯人意識を持っている私にとって、脛に傷を持つ者達との交流は、居心地が良かったのです。
彼らもまた、「世間」に敵視されている人種ですから、そういう意味では、私の同類なのでした。
ですから、彼らのような日陰者との交流は、異国の地で同郷人と出会ったような、不思議な安心感があるのです。
私はバアに入ると、定位置となった席に腰を下ろして、果実酒を頼みました。
既に昨日の酔っ払いもできあがっていて、やはり中原じみた悪酔いで絡んできます。
「なんだ、またお前か。トロールが空に浮かんだような顔をしやがって。なあ、お前は何の亜人が好きなんだい」
あまりの迫力に、泣きかけている私がいます。
さっきは好きだとかなんだとか言いましたが、こうして現物を見ると、逃げ出したくなるのもまた事実です。
「言えよ、なんの亜人が好きなんだ」
「マ、ア、メ、イ、ド」
「チェッ、だからおめえは」
その酔っ払いは、店で一番強い酒を注文すると、自分の椅子を立ち、私の隣に座り直しました。
「人魚は駄目だ。あらゆる亜人の中でもっとも駄目だ」
「どうしてそう思うんだい」
「お前も噂くらいは聞いてるだろう。市場のニンジン売り。あんなべっぴんは見たことがねえ。毎朝どこからかやってきて、ニンジンとお愛想を振りまいて、風のように去っていく。今じゃどの男もあいつに首ったけだ」
トミエでした。
「俺も、あの娘が好きになった。昼も夜もあいつしか考えられなくなった。生まれて初めて、本気で女を口説いた。ところがあの娘は、物陰に俺を連れ込むと、腰布をめくって、足を見せてきた。――魚の足を。こういう事情ですから、諦めてくださいと笑っていた。あの女、亜人だったんだ」
「亜人の何がいけないんだい」
「あんた、顔立ちも俺らと違うし、外国人だろう? よし、教えてやる。この国じゃな、亜人と人間は結婚できねえことになってる。それどころか、亜人一人じゃ家も借りられねえ。半分犬みてえなもんだと思われてる。けどよ、そんなの関係ねえ、とにかく好きなんだと言ってやった」
「そしたら?」
「するとあの女は、惚れた男がいると言いやがった。どんな野郎だと問い詰めたら、三十八歳で、毎日酒を飲んでて、暇さえあれば死にたがる、働かない男だと白状した。これは救えないと思った」
「……うむ、それは悪い男だ」
「駄目なんだよ、その手の男にはまった女は。身を持ち崩すまで尽くすんだ。おふくろもそうだった。……馬鹿野郎め! 誰だ、あの人魚をたぶらかしたろくでなしは。見つけたらぶん殴ってやる。ちくしょう、こんなに好きなのに。誰なんだよ、その男はよぉ」
そこまでまくしたてると、男はおいおいと声を上げて泣き出したのでした。
気の毒に。町一番の美人売り子は、私の世話をするので忙しい。
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