第4話

 そんな窓際の席には一人の男の人が座っていた。

 半袖のシャツにリボンのようなものを首元で緩くクロスさせている。椅子には長袖のジャケットが掛かっていた。お仕事中かな。大きな音をたてないようにあたしは歩いた。


「お待たせしました」

 そのまま笑顔であたしはカップを置く。

 かたり。重みはあれども軽やかな音。店内へささやかに鳴った。よし、今回も溢れさせなかったぞ。心の中であたしは万歳した。


「あぁ、ありがとう」

 音を聞いて、男の人は顔をこちらに向ける。通路側の左手を軽く上げてくれた。上げた先を追うと、ばちり、細い黒目と合う。わわ。ぎゅっとトレイを握る力が強くなった。


 あたしの様子を黙ってみていた男の人は、にっと笑った。わ、わぁッ。笑顔、眩しいッ。

 きゃっと心が踊ってトレイで顔を隠し、たくなる自分をぎゅっと抑えつける。すごい。はじける笑顔って、若いアイドルだけの特技ではなかったみたいだ。しかも窓のステンドグラスが、全身をキラキラ反射するから一層ぐっとくる。やばい。


 そもそも。じぃ、とあたしはお客さんを見た。

 鼻の真下にある短い髭と口の左下のほくろは自然と惹かれてしまうし、そんな中でにやっと笑われると少し悪そうな雰囲気も感じてしまう。


 美形さんの方がすごいけど、このお客さんもイケメンだ。

 心の中でうんうんとあたしは感じ入った。


 でも。そのままあたしはうーんと心中で傾げる。この人、『イケメン』ではない。だってこのお客さん、あたしのお父さんと同じくらいか少し年上に見えるのだ。

 えっと、なんだっけ。確か『イケおじ』だったかな、こういう人。バラエティ番組とかで聞いたことあるような、無いような。




「そういえば、お嬢ちゃん初めて見るなぁ。新人さん?」

「はい、って。えッ、は、はいッ」

 突然聞こえたお客さんの声に、あたしは肩を吊り上げる。ヤバい、変なこと言っちゃったかも。

 恥ずかしくて、あたしはトレイで顔を隠す。自分の世界に入って全然聞いてなかった。適当に返事しちゃったけど、大丈夫かな。


 おそるおそるお客さんを見ると「元気だなぁ」と笑っている。怒っている感じも呆れている空気も無さそう。良かった。

 ほぅと息を吐きかけて、あたしは思い出す。このお客さんになんて言われたんだっけ。あぁ、そうだった。

「お客さん、もしかして常連さんですか?」


「おうとも。おじさんはいつもここのホットサンドと珈琲、時々カフェオレを楽しみに来ている桐崎って言います。よろしくね」

「あ、はい。えっと、あたしは波須歯はすば澪羅れいらって言います。よろしくお願いします」

「うんうん、波須歯ちゃんか。よろしく」



 桐崎さんは笑うと、マグカップを取る。飲み口を鼻に近づけると、ゆっくり手を前へ傾けた。

「うん、良い匂い。今日も美味しそうだね」

「はい!ここのカフェラテは美味しいですよ」


 あたしもつられてしみじみする。

 脳内に占めていたのは昨日飲んだ一杯のホットカフェラテ。コーヒーとミルクだけの非常にシンプルなドリンク。けれども温めた牛乳がコーヒーの温度を下げず、余計な酸味と苦味を無くすから砂糖は一切いらなくて。


 ただひたすらに心地良いほろ苦さとミルクのまったりとした濃厚さ。あたしはゆったりと堪能したのだ。至福の一時、って言葉がよく合う瞬間だった。しかも仕事終わりの一杯だったから尚更ね。





 ところが、桐崎さんは目をまんまるにした。

「あれ、ここってカフェオレではなかったかな」

「えぇ、カフェラテです。それがどうかしましたか?」

 桐崎さんは顎に手を当てる。あー、うー。言葉にならない声を難しい顔して出した。しばらくして、桐崎さんは神妙な顔つきであたしへ向いた。


「いや、あのね。おじさんの記憶違いなら、本当に申し訳ないんだけれど。ここってサイフォンでしか珈琲を淹れてないよね。違ったっけ」

「いえ。コーヒーはサイフォンだけですよ」

「だよなぁ、だよなぁ」


桐崎さんはほっとしたように笑った。

「いやぁ、最近立て込んでて全く来れてなかったからさ。知らないうちにエスプレッソマシンでも導入したのかと思ったよ」


 あははと笑って、桐崎さんはそのままマグカップに口をつけた。ぐびりと喉が上下するたび、美味しい美味しいと口ずさむように言葉を紡いでいる。


 ええっ。桐崎さんどうしたの。サイフォンだと何が良かったんだろう。っていうかエスプレッソマシンって何。マシンって言っていたし、機械のことかな。ちょっと聞いてみようっと。





 あたしが桐崎さんへ顔を向ける。すると、ぱちり。今まさにマグカップを置いたばかりの桐崎さんと目が合った。

 あたしは出そうになった声をどうにか飲み込む。まさかタイミングが合うとは思わなかった。それに、カフェラテを飲んでいる時と比べて桐崎さんの表情も険しかった。


 だから、その、ちょっと。

 臓が冷えて、後ろに下がりたい気分になったのだ。心臓だけはどくどく音が大きく聞こえるけれど。


 ドキドキしたままのあたしを尻目に、桐崎さんは寄せていた眉をパッと離す。

「波須歯ちゃんさ、カフェオレって何で出来てるか知ってるかな」

「はい。コーヒーと牛乳ですよね」

「うん、正解正解。じゃあ次に、カフェラテは?」

「コーヒーと牛乳です」



 あたしの答えを聞いて、桐崎さんはちょっとだけ困った顔をした。ど、どうしたんだろう。あたしってば、なんか変なことしちゃったかな。

 あわあわするあたしへ、「間違ってはいないんだけどねぇ」と首を捻りながら桐崎さんは続ける。

「よし、だったら波須歯ちゃん。カフェラテの珈琲って、どんな風に作っているかはわかるかい?」


「えぇ。普通のコーヒーみたいに作るんですよね。インスタントとかペーパードリップとかみたいに」

 あたしは胸を張って答える。コーヒーには色々な作り方があるのだ。ということをあたしは昨日までに教えてもらった、美形さんに。





 コーヒーには色んな抽出方法がある。

 このお店のサイフォンをはじめに、粉を入れたカップにお湯を注げばできるインスタントや、濾紙ろしみたいな紙を使って濾過ろかしてつくるペーパードリップに、挽いたコーヒー豆を水で浸した水出しコーヒー。


 ちなみにうちでお父さんが飲んでいたコーヒーはペーパードリップだった。お父さん曰く安いコーヒーだけど、そのコーヒーにこんなお洒落な名前があっただなんて。

 聞いていてワクワクしたのは美形さんには秘密だ。だってそのことを言われたら、あたし、ちょっと恥ずかしくなるし。


 桐崎さんは満足げに腕を組んだ。

「うんうん、やっぱりそっか。おじさん漸くわかったよ」

「えっ」

 ちょっ、ちょっとぉッ。

 1人で納得するのはやめてくださいッ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る