美人と美人はひかれ合う

第21話

 カチコチ、カチコチ。


 短い針がローマ数字の1を刺して間もない昼下がり。時計の音が店内に響く。


 あたしはカウンターで頬杖をついていた。

 丁度、今、お客さんはお帰りになったところで。店内には誰もいない。そりゃあ、正確に言っちゃえばバイトのあたしとあきらさんがいるけれど。


 ただしその晃さんは現在、控え室で突発したお仕事につきっきりだ。

 何かは教えてくれなかったのでわからない。だけどもそれなりに時間がかかりそうとは聞いている。


 と、いうことで。

 今、カフェスペースにはあたしだけ。ぽつんとしてるのでした。





 カチカチ、カチカチ。

 時計の働き者っぷりは凄まじい。今もなお、というか晃さんが控え室へ消える前からずっと、その秒針を主張しまくっている。


 あたしは時計を見た。

 えっと長い針がエックスの文字、五十分を過ぎたあたりで晃さんは裏へ行ったよね。それは覚えている。すっごく覚えている。


 何故かって言えば簡単。

 桐崎さんがテイクアウトを買いに来ていた時間帯だから。


 桐崎さんはあれからも、ちょくちょくお店で会う。

 相変わらず忙しいみたいだ。颯爽とテイクアウトを頼んで去っていく。

 しかも話に聞いたとおり、本当に毎回BLTのホットサンドしか買わなかった。コーヒーはブラックだったりカフェオレだったりするのに。不思議。


 それでも新たに倒れてはいないらしくて。

 今日来たときも記録更新中、だなんて元気にピースサインをしていた。



 なお。

 人間は本来そういうものですよ。

 なんて、あたしの後ろで晃さんは言っていたけど。

 いつも通りのしれっとした顔で。


 誤解しないでほしいのは、晃さんは常連さんにしかこんな口をきかないこと。

 顔見知りではないお客さんや常連でも大人しい人には、晃さんは普通。あたしと変わらない一般的な店員だった。


 ただちょっとだけ世間話するようなタイプのお客さん、このお店の一部の常連さんたちには違う。さっきみたいに、なんかグサッとくるような言葉を言ったり白けた目線を送ったり。中々にえげつないのだ。しかも桐崎さんには一等辛辣な気がする。


 常連さんだと言っても。あんな態度で大丈夫なんだろうか。また水野さんに怒られるんじゃないのかな。

 あたしはまだ無いけど、怒られたら怖そう。結構しっかり怒るタイプだよね店長。


 ぶるり。この前のブラックジョークのことを思い出して、肩が大きく震えた。お説教の内容は晃さんの自業自得でも、やっぱりちょっぴり怖い。

 大人しそうな人が怒ると怖いって話、結構ホントのことなのかも。

 

 今何時かなっと。

 記憶の中の様子から逃げるみたいにあたしは現実に戻る。ぼんやりしていただけなので、さっきと同じように時計は読めた。えっと時間時間。

 見れば大体25分くらいだった。もうそんな時間かぁ、もうすぐでおやつの時間だね。お菓子も売っているから、忙しくなるかもしれない。


 カウンターの端に両手をついて、あたしはぐっと伸びをする。お客さんがいないときの特権だ。窓だって曇りガラスで半地下からだし、まず外には見えない。だからバレずにできる。


 って、え、ちょっと待って。今、25分なの。

 思い切りあたしは二度見した。


 晃さんが裏に回ったのはエックスの部分に長い針があったとき。ローマ数字では10、つまり50分くらいだ。

 で。

 今の長針の位置はローマ数字の5の位置、ブイのところにある。5とはつまり25分。10足す25になるから、えッ。

 あたしは控え室の方へ振り返った。


 もうそんなに長い時間、晃さんはいなかったんだ。

 き、気づかなかった。


 はぁあと感嘆しながらあたしは腕を組む。

 晃さんは裏で何かがあっても、長くて二十分もすれば戻ってくる。

 しかしどうだろう。三十五分も過ぎた今、戻ってくる気配すらない。仕事人の晃さんに限ってサボりはあり得ないし。


 これ、ちょっと不味い事態になっているのかも。様子見に行くべきかな。




 浮き足立つ心のまま控え室に向かおうとして、あたしは止まる。そろりそろりと店内を見渡した。店内は人っ子一人いない。でも、あたしがいなくなれば完全な無人。それ、お店としてどうなのよ。


 それに、だ。

 相手は晃さんが手間取るようなお仕事だ。果たしてあたしが何とかできるのだろうか。あたしが助けになるのだろうか。

 否、戦力外だ。違いない。


 速やかにあたしは、カウンター内の定位置に戻る。

 時間指定のトイレ掃除が控えている他は、仕事もまだない。

 そういえば、最後のお客さんが帰るまでまぁまぁ忙しかったよなぁ。アイスコーヒーいっぱい淹れたもんね。ケーキセットだっていっぱい運んだし。


 じゃあひと休みってことで、いっか。

 あたしはカウンターに前髪になって、ほっと息をつく。排水管が巡らされている天井を仰いだ。色とりどりのステンドグラスが使われたランプは、星のようにきらきらしている。元からある店内の薄暗さも相まって、天井は夜空みたいだった。



 軽やかなピアノの音が冷房の風と共に漂う。

 上品だって一発でわかる音楽だけど、窮屈さは感じなくて、すごくリラックスできる。しかも上品なのに、ポップでキャッチーなメロディにも聞こえてくる。Jポップみたいな最近の曲じゃないのに。


 すごいよね、ジャズミュージック。


 そう。店内で流れている音楽はクラシックではなく、ジャズミュージックことジャズでした。「うわぁ!今流れてるクラシック、すごくかっこいいですねッ」ってあたしが言ったら、「え。ここの音楽はみんなジャズだよ」と晃さんが教えてくれた。

 8月に入ってすぐのことだった。


 とは言えどジャズはもちろん、クラシックだってあたしはよく知らない。

 一応クラシックは、音楽の授業でCDから音楽を聞いたり演奏風景の映像をブルーレイで見たりしていたから、ジャズよりは知っていた。

 それだけ。正直なところ、無知に近い。

 

 はい。正直に言います。


 歌が無くて、ピアノとかバイオリンみたいな弦楽器とかの音で出来た曲はみんなクラシックだと思っていました。


 ええ、違いましたね。すごく、すごく恥ずかしいです。あの教えてもらった直後とか、恥ずかし過ぎて晃さんの目はおろか顔すら見れなかったよあたし。




 灰になりながら思い出を再生していると、カランコロンとドアノッカーが鳴る。

 やった。お客さんだ。

 逆再生するように身体の色を戻して、あたしは入り口へ笑顔を向けた。

「いらっしゃいませ!カフヱ=クロックヴィクトリアンへようこそ!」


 飛び込んできたのは一面の黒だった。


 

 がちゃり。お客さんの背後でドアのラッチが鳴る。

 はッ。その音であたしは正気に戻った。

 見ればお客さんは一段一段、上品に踵を鳴らしてステップを降りている。いけない、立ち尽くしている場合じゃない。さささとあたしはレジの前まで近寄った。


 お客さんがステップから床に着いたのと同時刻。あたしはぴしりと配置につく。間一髪ってこういうことかも。とく、とくと脈の音を鼓膜で反芻する。頬が緩みそうになるのを必死で止めた。


 綺麗な人だ。

 艶めく黒髪は短くアシンメトリー。右側の長いサイドヘアにはすっ、と。赤いメッシュが一本だけ、上から下まで入っている。赤紫のアイシャドウが主張する目元は少し青白いのに、瞳は赤と青。際だって鮮やかに咲いていた。


 中でも1番目にとまるのは。レースにフリルにリボンと、かわいいものが大量にある黒いワンピースだった。身につけている薄い手袋と日傘も同じ感じ。顔以外は黒の塊だ。


 そう、なんと黒。しかも真っ黒である。



 これってゴスロリだっけ。なんかテレビで見たことある気がする。原宿とかにいっぱいいるんだよね。初めて生で見たけど圧が強い。かわいいものの集合体なのに。


 そんなわけで只今あたしは、カチコチになってお客さんを待っている。

 こんな気持ち、初日以来だ。

 いや初日の方が、まだ気分が楽だったかもしれない。だってすぐ側に、晃さんと水野さんがいてくれたから。でも今は二人ともいない。水野さんに至っては不在だ。



 わくわくする、でも怖い。と言うより心細い。

 遠慮無いこと言っても良いから、晃さんでも良いから、誰か来てくれないかなぁ。

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