10 『銀髪の裁判長』



「……名乗っておこう。侠北きょうほく連合会蔵義くらぎ組、若頭補佐。朔田さくた市太郎いちたろう。……極道だ」


 抑揚のない声で、銀髪で細眼鏡の男は名乗った。

 まったくの無表情。

 威圧するでもなく、おどしを効かせて睨みつけたわけでもない。ただ淡々と、自身の生業なりわいと肩書きを語った。


「……ヤ、ヤクザ?」


 はじめに反応したのは現役の大学生だった。

 取り上げられた学生証によると、地元の大学生ではなく首都でも有名な私大の学生である。経済学部所属と記されているが、なぜこんな片田舎で闇バイト・・・・をしているのか。


「そう。極道ヤクザだ」


 念押しするように朔田さくたが語ると大学生は黙ってしまった。

 学生証の写真では田舎から上京した素朴な青年といった風情だが、実物の彼はずいぶん印象が違う。茶色がかった髪をふわりと柔らかそうなマッシュに整え、涼しげなあさのジャケットを前開きに高価なシルバーを首から垂らしている。無地の白Tシャツも安価なものではあるまい。


 沈黙を守っている胴真も気になったらしい。

 彼の学生証を手に本人と見比べている。

 その表情ときたら。

 舌打ちをしていないのが不思議というか。胡散臭うさんくさいものを見た。無精髭の広がる顔に、そう書いてある。好感を抱いていないのは明らかだった。


「本題に入る。君たちの処分・・についてだが、選択肢を与えようと思う」


 パイプ椅子から腰を浮かしかけた胴真だが、思い直したのか座り直す。

 口を挟むより様子見に転じたものらしい。

 黒いダボシャツから伸びた腕が胸の前で組まれる。体毛の多い前腕は、ちら見するバイト・・・たちがおびえるほどに太い。


「選択肢はふたつ。ひとつは警察に君たち6人・・の身柄を引き渡す。わかりやすくいえば逮捕、そして裁判が待っている。知っているだろうが詐欺罪の刑罰は甘くない。特殊詐欺の場合はなおさらだ。ここ数年でさらに厳罰化傾向にある。まず実刑は免れないだろう」


 ごくり、と。

 床に正座するバイト・・・たちの誰かが喉を鳴らす音が響いた。


「懲役の先輩・・として語っておこう。刑務所で過ごす日々は、間違いなく君たちにとって過酷なものになる。全国に69カ所あるどの刑務所に飛ばされても、確実に辛い毎日なることを保証しよう。なぜなら」


 バイト・・・たち6人を、ブラウンカラーの細眼鏡が見渡す。

 どの顔を見ても若く、みな一様におびえていた。


「現在の刑務所は外国人であふれているからだ。あらためて語るまでもないだろうが、『法改正』以降、外国人による犯罪が増え続けている」

 

 最近目にしたニュースを胴真は思い出していた。

 受刑者のうち外国籍の者が占める割合が25%を超えたという内容である。故国を同じくする者たちで結束し、刑務所内でギャング組織化している実態までをも伝えていた。


「連中の多くは、この国で生まれ育った者を憎んでいる。理由はそれぞれだろうが……中での暴力的私刑リンチは茶飯事に近い。骨折や裂傷くらいなら珍しくもない。片端かたわにされた者を何人も見てきた。……ときには死亡事故・・・・も起こる」


 聴き入る若者たちの顔が目に見えて青ざめていく。


「連中の行為による傷害や殺害が明らかであっても、まず立件とはならない。大半は事故で処理されてしまう。なぜか」


 問われたと思ったのか、正座する6人が一斉に目を逸らした。


「現場を目撃した刑務官看守がいたとする。負わせたのがごく軽い怪我なら懲罰……つまり刑務所内の処罰で済むが、傷害や殺人なら事件送致となる。刑務官が上に報告すると、検察行きの案件となるわけだ。裁判が開かれ、新たに刑罰が加算されることになる。……すると、どうなるか」


 オフィスチェアに腰掛けたまま、銀髪が上体を前に傾ける。

 端座する若者たちに向けて身を乗り出した格好だった。顔と顔との距離が近い。 


「……一週間以内に報告した刑務官とその身内は、娑婆シャバにいる外国人ギャングの仲間に襲われる。見せしめの方法としては強姦レイプ、人体の切断、殺害……年端もいかぬ子どもが相手でも容赦はない」


 パイプ椅子がきしむ音が室内に響く。

 いかにも不機嫌そうな顔をした胴真が短い足を組みかえていた。

 銀色のシガーケースから煙草を一本引き抜いて咥えるも、火がないことに気づく。


「わが国の警察機構には、残念ながら奴らの蛮行を止める力はない。刑務所内なかの外国人ギャングと娑婆の連中がどう繋がっているか、組織だって動いているのか、そもそもどこに潜んでいるのか、それすら調べきれていないのが現状だ。となれば、逆恨さかうらみの報復を防げるはずもない。刑務官が報告を躊躇ちゅうちょするのも無理はない、ということになる。……事実上の黙認だな」


 斜め後ろに座るダボシャツ姿の男に、朔田は顔も向けずに銀製のライターを手渡した。

 咥えた紙巻きに火をつける胴真だが、表情はやはり優れない。こめかみに血管が浮き上がっていた。


「……わかるな? 刑務所内なかの外国人ギャングは好き放題、やりたい放題できる状態にある。ペナルティなく暴れる特権を所持しているようなものだ。そして、この国で生まれ育った受刑者は一方的に狙われる立場でしかない。刑務官も守ってはくれないからな。見て見ぬ振りだ」


 息を呑む気配があった。

 6人の若者は呼吸も忘れて聴き入っている。


「腕によっぽど覚えがあるか、刑務所の中にまで影響力のある組織に属す大物なら別だが……そうでなきゃ、ひたすら連中の暴力におびえる日々を過ごすことになる」


 実際のところ、刑務所内で外国人ギャングに対抗する動きはある。

 いくら連中が刑務官の制御から外れた存在でも、少数派であることに変わりはない。名の知られた乱暴者アウトローが、反撃もせずやられっぱなしで済ますわけもなかった。


 とはいえ、個人では限界がある。

 結束して抵抗勢力をつくり、互いの身を守る必要があった。

 集団という戦力をもってあらがわねば生き残れない。無法と化した牢獄内では、力と力の均衡によってしか、日々の平和を維持することはできないのだ。


 あえて朔田はその事実を口にしない。

 刑務所に送りこむのが目的ではないし、なにより目の前の若者たちに刑務所内のギャングと争うほどの気概があるとは思えなかった。役立たずは傘の下には入れてもらえない。それどころか、下手をすれば邪魔者扱い。目障りだと双方から襲われる怖れすらあった。


「想像してみるといい。殴られ、蹴られ、罵倒され、苦痛をともなう嫌がらせを受ける日々を。屈辱と恐怖の毎日が延々と続く。救いの手はない。逃れられない。弱肉強食。弱い者は心からむしばまれていく。……死を唯一の救いだと、自殺を選ぶ数も少なくはない」


 正座するバイト・・・たちの表情が絶望に歪む。

 頭を抱える者。

 涙を浮かべる者。

 すでに嗚咽の声を漏らす者まであった。


「抵抗。服従。いずれを選ぶにしても、無傷ではいられない。……さて、君たちに耐えられるかな。五体満足で出所の日を迎えられる自信は、あるか」


 沈黙。

 誰も答えない。答えられなかった。

 彼らは半グレでも端愚ハグレ者のチンピラでもない。


 特殊詐欺に加担してはいたものの、平凡な若者なのである。

 半ば騙され、弱みを握られて闇バイト・・・・に従事させられている、いわば被害者の一面すらある。暴力を得意とする者はいない。喧嘩ひとつしたことがない者もいるかもしれない。刑務所内での私的制裁リンチなど、怖ろしすぎて想像も及ばないのだろう。


「……では、もうひとつの選択肢を伝える。1年。……1年間だけ、君たちには遠い場所で働いてもらう。これはおそらく、実刑を下されて服役する期間よりも短いだろう」


 うつむいていた何人かの顔が上向く。


「楽な仕事ではない。いくつかの現場があるが、どれも肉体労働だ。寮生活で外出も制限される。携帯端末は没収。友人や知人との連絡も絶ってもらう。……しかし、理不尽な暴力に晒される危険は一切ない。少ないが給与も出そう」


「ほう」


 当事者たる6人よりも先に声を放ったのは胴真である。

 興味深そうに耳を傾けながら、ぷかぷかと美味そうに煙草をふかしていた。


「……更正するつもりで1年間、働くことを強く勧める。学生なら休学の手続きを認めるし、身内への手紙くらいは許すつもりだ。実刑を喰らって人生を台無しにするより、ずっとまし・・だと思うが」


 こくこくと、6人のうち5人が激しく首を上下させた。

 苛酷に過ぎる刑務所生活を聞かされたばかりである。

 生きて帰れるかどうかもわからない。暴力に震えるだけの懲役暮らしを、数年間も耐えられるわけがなかった。1年間の労働がどれくらい厳しいのか、不自由な生活を考えると不安は残るが、それでも凶暴な外国人ギャングが跋扈ばっこする刑務所とは比べるまでもない。


「おい。おまえさんはどうなんだ? 1年間の労働より刑務所を選ぶってのか」


 携帯灰皿に吸い殻を押しつぶしつつ、黒いダボシャツ着の中年が問う。

 相手はうなずかなかった1人。

 先ほど胴真があからさまに嫌悪感を見せたマッシュカットの私大生である。


「ひとつ、つけ加えさせてもらうが」


 と、私大生の回答を待たずに銀髪の極道が口を挟んだ。


「選択には6人の全員が一致する必要がある。1人だけ別の道を選ぶ、というのは認めない」


 1年間の労働という条件を受け入れかけた5人の視線が私大生に集中する。

 責めるというよりも疑問を挟む余地があるのか、いぶかしむ目だった。


「……それは、貴方あなたにとって都合が悪いから、ですよね。1人だけ逮捕されて、残りのバイト・・・やイノセさんのことを喋られると、当局の目を誤魔化せない。この強引な押し入りは不法侵入だし、イノセさんへの暴行は明らかに傷害案件だ。貴方たちも逮捕されてしまうのでは?」


 おずおずと語りはじめた私大生だったが、途中で肚が座ったらしい。

 強気な姿勢で逆に朔田たちを脅しにかかる。


「暴対法……っていうのもありましたよね。貴方は前科もあるようだし、おそらくは指定暴力団の一員でしょう。警察に駆けこまれてまずい立場になるのは貴方のほうでは? そうなったら貴方のほうこそ実刑確実だ。違いますか?」


 パイプ椅子から立ち上がろうとする寸胴ドラム缶体型を、銀髪の伊達男が片手をあげて止める。


 舌打ちとともに胴真は握り拳をオフィス机へ叩きつける。

 物体を殴る音というより、なにか爆発したような轟音が響いた。

 天板は拳大に陥没し、少し遅れて脚のひとつが折れてしまう。傾いた机を目にした全員が目を剥いた。


 朔田はというと振り向きもせず、私大生に続きをうながす。


「……で?」


 じろり、と。

 ブラウンカラーの細眼鏡の奥が、マッシュカットの若者の目を覗きこむ。


「だ、だから……。な、なかったことに、しませんか? きょ、今日のことは、全部。イノセさんへの暴行も、ぼ、僕は見なかったことにします。……も、もちろん、ここでのバイト・・・は終わり。もう、こんな違法な仕事には、に、二度と加担しません……ち、誓います、よ……」


 私大生は完全に気圧けおされた様子だった。

 語り口はしどろもどろといった調子で、声の勢いも弱々しい。

 だが、小声になりつつも最後まで条件交渉を続けたことに、他のバイト・・・たちは称賛に近い視線を向けている。


 よくぞ言いきったものだと。

 あの半グレのイノセを冷静に数秒で半殺しにしてみせた、おそろしい銀髪の悪魔を前にして。その剛胆さに5人のバイト・・・は驚いていた。


「ふん」


 青年たちの様子を胴真は冷めた目で見つめ、ひとり鼻を鳴らした。

 あれは度胸があるのではない。

 朔田市太郎に――あの逸らすことを許さない瞳に――言わされて・・・・・いるだけだ。でなければ、頭でっかちの大学生ガキごときが歴戦の極道に対して一丁前の口を叩けるわけもない。


「……ハギワラ・・・・も、当初は似たようなことを口にした」


 この場にいない仲間の名を出され、マッシュカットのみならず、6人全員がびくりと肩を震わせた。


 ハギワラ。

 受け子・・・として金銭回収に出向き、姿を消した男。いったい彼は何処へ行ったのか。銀髪の極道が名を出している以上、なんらかのかたちで処分・・されたのだろうか。


「いけないねえ。極道を脅そうなんて考えは。……若いとはいえ、暴対法なんて小賢しい知識も持ち合わせている。なら、その怖さも同時に学んでおくべきだったな」


 オフィスチェアから腰を上げた朔田に反応し、私大生が上半身を仰け反らせる。

 殴られるとでも思ったのだろう。

 彼を除く5人のバイト・・・も同様だった。反射的に目を瞑り、惨劇に備える姿勢をとっていた。


 しかし、銀髪のとった行動は大方の予想を裏切り、携帯端末を用いた通話だった。

 ダボシャツ着の中年から私大生の学生証を受け取ると、氏名や生年月日を伝えている。記載された情報すべてを読み終えると、激した様子もなく平形の端末を胸に収めた。


「君たちの選択だが」


 朔田はマッシュカットを除く5人へ向けて語りかける。


以外の君たちは1年の労働を選んだ。……それでいいな?」


 相変わらず平坦な口調だが、どこか有無を云わせぬ響きがあった。

 あわててバイト・・・の若者たちが肯く。


「……おまえ・・・身柄ガラはひとまずであずかる。……余罪がありそうだ」


 私大生の顔は死人のように白い。

 深い後悔が表情に描かれていた。


「場合によっては、イノセと同じ運命を辿ってもらう。……覚悟だけはしておけ」


 部屋の片隅には、鼻を抑えてうずくまる金髪青年の姿があった。

 もう、うめいてはいない。

 幼児のように恥も外聞もなく涙を流している。


 窓の外から、排気量の大きな自動車くるまの音が聞こえてきた。


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