第9章 募る想いの告白

第53話 メンヘラちゃんは姉と決別した




【メンヘラゴスロリ娘 亜美あみ 結婚式当日】


 亜美はお姉様の部屋の前に立っていた。

 ノックをしよう手を胸の高さまであげて、手を握りこむ。でもなかなかノックができないでいた。

 中からすすり泣く声が聞こえてきていたから。

 最後に、きちんと話をしておきたかった。

 お姉様を許すことなど到底できるはずがないけど、それでも話をしなければならない。

 テレビをつけるとRITSUKA失踪とかってニュースをやっている。お姉様が部屋から出てこないから。自分だけが被害者みたいな顔をするのはやめてほしい。

 亜美は意を決して扉をノックした。


「放っておいて!」


 ドンッ。


 扉に何かが当たる音がした。人形か何かを扉に投げつけたのだろう。


「食事はいらないわ! 食べたくないの!」


 亜美をマネージャーか栗原だと思ってそう言っているのは解った。ヒステリックな声にもどこか元気がない。食事もろくにせず、かなり弱っているのかもしれない。


「…………お姉様、亜美です」


 中の物音が止まって、静寂がその場を支配する。


「入りますよ、お姉様」


 こんな風に普通にお姉様に話しかけたのなんて、子供の時以来な気がする。

 お姉様の部屋を見たの久しぶりだったけれど、酷く荒れ果てていた。

 鏡が割れていたり、食器が割れていたり、そこかしこに化粧品やその他のものが転がっている。部屋はもう日が昇っているのにカーテンを閉め切っていて暗かった。大きなクイ―ンサイズの天蓋つきベッドの上にお姉様がいた。

 亜美はそこにいるのがお姉様じゃない人のように見えた。

 髪の毛も顔もめちゃくちゃだし、化粧もしていないし、服もいつもの高級な服じゃなくてパジャマ。

 もはやそれが姉なのかどうか解らなかったほどだった。


「お姉様……亜美は今日……結婚式です」


 お姉様は黙っている。


「いつまでそうしているつもりなのですか」


 お姉様は答えない。


「こんなことになって、亜美はお姉様のことを恨みました。許すことはできません」


 お姉様は口を開かない。


「もうお姉様と話をするのはこれが最後になると思います。もう亜美はここには帰りません。永遠にお別れです」


 お姉様は何も言わない。


「いつかお姉様と、幼い頃のように話ができると思っていました。お姉様と昔みたいに遊んだり、話をしたり、ピアノを弾いたり、食事をしたり……できると思っていました」

「…………………………………………そんな話をしにわざわざ来たの……?」


 お姉様はやっと口を開いた。その声は酷く震えていた。

 亜美は息を深く吐く。


「自分だけ辛くて苦しいなんて思っているなら、一生この部屋から出てこないでください」


 亜美だって、大切な人を失った。お姉様のせいだと確信している。


「さようなら。お姉様」


 亜美はそっとお姉様の部屋の扉を閉じた。

 もう二度とここを開くことはない。

 永遠に。




 ***




「亜美、綺麗だぞ。お父さんと写真を撮ってくれ」

「はい、お父様」


 お父様が隣に座って、お母様がカメラのシャッタ―を切って写真を撮ってくれた。

 亜美は全然嬉しくない。でも、お父様とお母様は嬉しそうな顔をしていた。


「亜美、大きくなったわね」


 お母様が少し涙ぐんでそう言ってきた。亜美は強がって愛想笑いをした。


 ――これでいいの……これで……――――


「じゃあ、行こう亜美」

「…………はい、お父様」


 亜美は自分の携帯を見た。確認してもメッセージはきていない。


 ――そうですよね……


 それでもユウ様から「記憶が戻ったんだ。今から会いたい」なんて連絡が来るのを期待している自分がいる。


「どうした? 行こう」

「……はい」


 亜美は純白のウェディングドレスの裾を踏まないように歩き出した。




 ***




【中性的な女 ゆう


 私はたかやさんのお見舞いにきていた。大分傷の調子もよくなってきたけど、まだ退院には至っていない。あれほどの大怪我をしたんだから当たり前だ。


「お前、俺の為にリンゴでも買ってきて剥けよ。病院で入院っつったら鉄板行事だろ?」

「血まみれのリンゴが食べたいんですか?」

「皮むき下手くそかよ」


 こんな軽口が叩けるくらい良くなって良かった。それでも体中の傷が生々しく、痛々しい。


 ガラガラガラガラガラ…………


「悠、院内にいるというから探したらにいたのか」


 隼人が入ってきた。いやに嫌味っぽく隼人はそう言う。


「お前、仕事中だろ。悠のところでサボってるんじゃねぇよ」

「外来は終わったし、回診も済ませた。私が勤務先の病院のどこにいようと私の勝手だろうが」


 そういって隼人とたかやさんがいつもの調子で喧嘩していると、看護師さんが血相を変えて病室に入ってきた。


「雨柳先生! 大変なんです! すぐに来てください!!」

「どうした?」


 隼人は緩んでいた表情が仕事の表情になる。


「寺田さんが急に暴れだして……」


 私は隼人が走っていくのを真っ青な顔をして見ていた。


「緊急事態みたいだな」

「暴れているって……」

「あ?」


 ――寺田さんって、あのおじいさんだよね?


 私も隼人を追いかけて足早に病室へ向かった。たかやさんが私を引き留める言葉を発していたような気がするけど、私は頭に入ってこなかった。


 ――雪憲ゆきのりさん…………大丈夫なの?

 

 そして病室について見たものは――――


「家に帰ると言っているだろう!? 女房が家で待っているんじゃ!!」


 力なくも、看護師を振り払おうとする雪憲さんがいた。


「お前は誰なんだ。俺は家に帰る! ……ゴホッ……ゴホッ……!!」

「寺田さん、落ち着いてください!」


 隼人が雪憲さんを押さえようとするが、なかなか抑えられない。


「雪憲さん……! 雪憲さん! どうしたんですか!?」


 どうしたもこうしたも、私は解っていた。

 アルツハイマー、認知症、その類の脳の疾患なのは分かっていたけど、でもそんなこと冷静に考えていられる状態じゃなかった。

 雪憲さんは私の方を見て言い放った。


「誰だ、あんた!?」


 たった一言。その一言に私は傷ついた。


 ――あんなに仲良く話をしてたのに。どうして忘れちゃったんですか。忘れるなら、どうして声をかけてきたんですか


 そう思った瞬間、私は自分が周りの人間をどういう気持ちにしているか気づいた。

 自分だけ思い出があって自分だけ覚えていて、でも相手は何も覚えていない。それってこんなに寂しいことだったんだ。


「悠、病室から出ていろ。すぐに脳神経内科の担当医を呼べ!」


 私は部外者であったし当然病室の外に出された。

 放り出された私は放心状態だった。

 中から聞こえる雪憲さんの怒声と、激しい咳き込み、看護師さんの声、隼人の声、ガチャガチャと音が中から聞こえた。


 ――ごめんなさい。こんな気持ちになるなんて、解らなかった


 不意に涙が出てきた。

 そうして私はしばらく病室の前のソファーで泣いていた。


 ――なんで泣いているんだろう。私は……


 雪憲さんの姿を見て物凄いショックを受けた。忘れられちゃうっていうのはこんなに苦しいことだったんだ。


 しばらくして雪憲さんが落ち着いたのか、隼人が出てきた。


「隼人……」

「…………泣くな。仕方ないことだ」

「そうだけど……隼人、忘れちゃってごめんね……」


 隼人は何とも言えない顔をしていた。

 たかやさん、隼人……それにアミにも謝りたい。謝っても思い出せるわけじゃないけれど、それでも謝らないと。あんなに泣いていたのだから、今ならその気持ちが痛いほど解る。


「アミにも謝りたい……今どこにいるの?」

「………………妹は今日結婚式なんだ。×××結婚式場にいる」


 ――結婚式……今日なんだ


「それよりも悠、寺田さんの顔を見るのもこれが最後になるかもしれないから、最期に会って話をしておいた方がいい。今はもう落ち着いている」


 私は涙をぬぐって隼人と一緒に病室に入った。

 そこで横たわっている力ない老人を私は見つめたときに、私の目頭がまた熱くなる。

 雪憲さんはうっすらと目を開けていて、私の方を見てきた。


「あぁ…………こんにちは」

「……大丈夫ですか?」


 大丈夫なわけない。さっきの様子を見て大丈夫だと思えるわけがない。

 でも、他にかける言葉が見つからない。


「はじめまして、可愛いお嬢さん。ゴホッゴホッ……! はぁ……はぁ……」


 ――私の事、本当に忘れちゃったんだ……


「こんな老いぼれに何か用かな」

「……お話してほしくて。迷惑でなければ」


 なんて話をしたらいいか解らなくて、私は困惑していた。


「あぁ…………よく、思い出せないんだが……前にお嬢ちゃんくらいの歳の子と話したことがあったよ……いつだったかな……ゴホッゴホッ……」


 駄目だ。堪え切れずに涙が溢れてくる。


「どうしたんだいお嬢ちゃん…………そういえば、その子も初めて逢った時泣いてたな……悪い男に騙されていたんだ」


 雪憲さんが語っているのが、私の事だと気づいた。

 でも目の前にいる私が誰か雪憲さんは解らない。


「自分の事、想ってくれる人と一緒にならないと駄目だよって…………男は見てくれじゃないんだよって…………ゴホッ……ゴホッ…………はぁ……はぁ……」


 雪憲さんは苦しそうに笑う。


「あぁ……やっと女房のところへ行けるよ。……でも、その子が俺は心配じゃけぇ……幸せになってほしいんじゃ。すごくいい子やって…………」


 私は雪憲さんのガリガリの冷たい手を握った。


「…………あぁ、なんだ。お嬢ちゃんだったんか。悠ちゃん…………」


 名前を呼ばれた瞬間、私は涙がさらに溢れてきた。

 忘れてられてなくて、私は安堵した。

 胸が苦しい。言葉が出てこない。


「悠ちゃんの事、忘れたまま…………逝くところじゃったな……思い出せて良かった」


 雪憲さんは力なく私の頭を撫でてくれた。


「俺の為にそんなに泣いてくれるなんて、嬉しいけぇ…………幸せにならにゃ駄目だよ…………俺の分も……………………」


 雪憲さんに繋がっていた心電図がどんどん弱くなっていく。


「雪憲さん……雪憲さん……!」


 懸命に私は雪憲さんの名前を呼んだ。その声が聞こえているのだろうか。雪憲さんはものすごく遠いところを見ていた。


「あり……がと……な」


 雪憲さんの手から力が抜けた。

 もう、手を握り返しても握り返してはくれなかった。


「死なないで……雪憲さん……!」


 と、そう言った後に私は奇妙な感覚に襲われた。


 ――死なないでください!――


「……」


 ――こんなに血が……――


「…………」


 ――アミ……! アミ…………!――


「あぁ…………」


 ――嫌いになりましたか?――


「…………………………」


 ――これからたくさん思い出を作っていきましょうね。ユウ様――――――


 涙が溢れてくる中、私は雪憲さんのもう冷たくなり始めている手を強く握った。


 あぁ…………思い出したよ。

 亜美。


 私は、君のことを、記憶を失う前のことを全て思い出した。



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