第3話 虚空

 悟は、また今日も同じビデオを見ていた。同じビデオを見ることは悟にとって珍しいことではないが、このビデオに関しては、何度も見たい内容だというわけではなかった。ただ、

――一日に一度は少しだけでも見ないと気が済まない――

 と思っていた。それが途中まででも、途中からであってもよかった。元々、最後は中途半端に終わっている。勝手な想像はいくらでもできるものだった。

 今まで本で読んだ作品は映画化してもなるべく見ないようにしていたが、この作品には、以前に自分が読んだ本と似ているところがあるのが特徴だった。もちろん、同じ作品であるわけはない。作者も違うし、テーマも違っている。他の人が見れば、

「全然違う作品じゃないか」

 と言われるに違いないが、悟にはどうしても共通点が多い気がして仕方がなかった。

 どうしても自分が男であることから、男の立場から映像を眺めている。最初は俊哉のイメージで見ていた。薬剤師というと、薬を扱う神経質な仕事だというイメージがあり、医者よりもむしろ神経質になるのではないかと思っていた。そんな悟の気持ちを察するかのように、俊哉が薬の調合を間違えるというミスを犯した。俊哉がどうなるかというよりも、まず彼の精神状態の方が気になった。

――普段から神経質な男性が、ミスを犯すとどうなるのか――

 ということであるが、

「張り詰めていた緊張の糸が切れる時、プツッという音が本当に聞こえるらしいんだ」

 と聞かされたことがあったが、それが誰からだったのか覚えていない。その時も、ドラマの一シーンだったのかも知れない。

 ただ、ドラマの中の俊哉の身になって見ていると、本当に緊張の糸が切れた音が聞こえてくるような気がしたのは、気のせいではないだろう。

 映像を見る時は、あまり登場人物に思い入れないようにしなければいけないと常々思っていたが、俊哉を見ていると、そういうわけにもいかなくなった。自分が就職してからすぐにミスをした時のことを思い出したからだ。

 薬剤師のミスとは比べものにならないほど些細なことであったが、新入社員の悟にとっては、些細なことでは済まされなかった。上司からは、

「次からは気を付けるんだ」

 と言われ、さらに、

「過ちは仕方がないが、それも一度だけ、二度目はないと思って仕事に打ち込んでほしい」

 と釘を刺された。

 その言葉を聞いた時、ドキッとした。そんなことは最初から分かっているつもりだったが、正面切って言われると、さすがに怖いものがある。最後通牒とまで言ってしまえば大げさだが、自分が言われてはいけない言葉の一つだと思っていたことだけに、改まって言われると、言葉の重みを感じざる負えない。

 俊哉は、休暇を取った。表向きは休暇だったが、謹慎に近いものだった。

「頭を冷やして、リフレッシュして出てくるんだ」

 と上司から言われて、うな垂れるようにして病院の廊下を歩いていく姿は、印象的だった。

 それからしばらく俊哉が登場するシーンはなく、急に戻ってくることになるのだが、その登場はいきなりだったわりに、それほど衝撃的ではなかった。

 それはきっと彼がまったく違った人物になって登場してきたからなのかも知れない。

 撃たれ弱いと目されて、自分のミスに対して茫然自失。悟が見ていて、

――この人は、それほど自分に自信を持っているわけではない――

 と思っていたのに、自信過剰の人が自信を喪失した時のようなショックの受け方だったからだ。

 それは悟の思い過ごしで、ショックを受けていたのは、ただどうしていいのか分からないことで、本当にただの茫然自失だっただけなのかも知れない。一人の人を気になって見ていると思い入れが激しくなり、もう少ししっかりしてほしいと思うあまり、その人の性格を見誤ってしまうこともあるだろう。

 俊哉に対しての思いは、かなり過大評価していたような気がする。彼が病院の廊下で寂しそうにうな垂れて去っていく姿は、本当なら見たくないはずの姿だったはずなのに、どこかホッとした気持ちにさせられた。そして、そのシーンが悟にとっては衝撃的であったからこそ、

――しばらく彼を見たくない――

 と思っている気持ちが通じたのか、しばらくの間、彼は画面から消えてしまったのである。

――休暇を取っている間に、旅行するくらいの性格の人なのかも知れない――

 と思うと、このまま作中に戻ってこないのはありえないと思えた。ストーリーの展開上、大きな転機を与えた人が、途中消えてしまって、最後まで作中に出てこないということは、ルー違反のように思えたことだろう。ただ、俊哉が戻ってくる間、悟の意識は別の男性に移っていた。それが史郎だった。

 史郎は途中から入院してきた男性だが、俊哉とは性格も雰囲気も違っていた。本当は病院のベッドでおとなしくしているタイプではなく、活発な男の子のはずなのだが、やはり入院患者というのは、どうしても弱弱しさを感じさせる。それに追い打ちを掛けるように、彼が不治の病であるのを、ドラマは告げていた。

 俊哉に気を取られていたので、史郎の存在は薄かったが、それが作者の狙いだったことに気づいたのは、俊哉がうな垂れて病院の廊下を歩いている姿を見た時だった。

 その時、俊哉が作中に戻ってこないことはないと思っていたあが、しばらくは不在になる。その後の展開で主人公になるのは、史郎だと思ったからだ。

 史郎はまだ高校生だった。

 本当であれば、部活に勤しんでいて、友達との時間を楽しみたい年頃のはずなのに、毎日を病院のベッドで過ごすなど、いたたまれない気分だったに違いない。

「僕はバスケットをやっていたんだ」

 なるほど、ベッドからはみ出しそうな身体の大きさを見ると、バスケットかバレーをしているように思えてくる。バスケットの選手というのは安易な発想に思えたが、そういう目で見ると、普段の勇ましさと、入院中のまるで借りてきた猫のような神妙さのギャップに、見る人の感傷を誘うのではないだろうか。

 病院のベッドがいかにも痛々しく感じられる。

 史郎を見ていると、哀愁しか見えてこなかったが、それが作者の意図であるとは思えなかった。特に俊哉がミスを犯して失意の元、作中から消えた後なので、このまま史郎にもネガティブな感情を抱かせると、作品自体の雰囲気が暗くなってくる。悟には、それが作者の意図だとは、どうしても思えない。考えられるとすれば、史郎に対してのイメージを今後より強く持たせるための演出ではないかと思えるくらいだった。

 確かに最初に違うイメージを植え付けることで、センセーショナルな展開に汎用させるだけの登場人物であることを意識させられる。それがこの話の中での史郎の役割だと思うと、史郎が本当の主演ではないことは明らかだった。俊哉にしても、史郎にしても、決定的な主人公としての展開はないが、作中で重要な部分を握っていることに違いない。

 史郎も俊哉も無口な性格だが、作品の中でだけ無口なのではないかと思えた。史郎にしても、学校では友達が多いと思えたし、孤独に思うのは、お見舞いの人がいるシーンがないからだ。

 俊哉にしても、それほど暗い性格ではないと思えるが、一生懸命にやっていることがミスを招いたところに、彼の中の暗い性格が災いしたのかも知れないと思えた。

 俊哉と史郎、どちらが分かりやすい性格かと言われれば、見た目は俊哉の方だと誰もが思うだろう。しかし、ストーリーが進むにしたがって、

――実は史郎の方だ――

 と思えるシーンがやってくる。

 それがうな垂れて廊下を歩いていく俊哉のシーンからではないだろうか。

 悟もこのシーンで俊哉が分からなくなったのも事実だった。

 だが、途中から主人公(充希以外で)が俊哉から史郎に移った時、俊哉のことを忘れてしまうほどの展開になるのだが、再度俊哉が現れた時、

――やっぱり、再登場してきた――

 と思う人は、完全に性格が変わってしまっている俊哉に違和感を感じることはなかったに違いない。

 再登場してきて、前と同じ性格なら、却って違和感があったことだろう。だが、その性格がどのように変わったとしても、再登場してきた彼を見た時、

――これが彼の本性だったのかも知れない――

 と感じることだろう。実際に悟もそうだった。まったく違和感がないといえばウソになるが、想像していた通り、違う性格に生まれ変わっていてくれたことで、作品への興味を崩すことなく、終盤に向かうことができるのだ。

 そういう意味では、俊哉は主人公とは言えない存在なのかも知れない。途中で性格が変わるというのは、主人公であるなら許されないことだと思うからだ。ただ、

――俊哉は、作品にはなくてはならない存在だ――

 と言えるのだ。

 この作品の主人公はあくまでも充希であるのは間違いないことだが、裏の主人公がいるとすれば、俊哉と史郎の二人かも知れない。

 それぞれ一人ずつでは作品の主人公と言えるわけではないが、二人を意識させることで、充希に関係なく、この二人は裏で主人公を張れるのではないだろうか。

――どんな作品にも、表の主人公とは別に、裏にも主人公が存在しているのかも知れない――

 と感じるようになった。

 ただ、この思いは前から持っていたもので、本を読んでいる時には気づかなかった。本にはなくて映像にすると生まれるものは、

――裏の主人公――

 という発想なのかも知れない。

 俊哉は、戻ってくると冷静沈着な男になっていた。見ている人の中には、俊哉が冷静沈着になって戻ってくるというシナリオが、頭の中にあった人もいるかも知れないが、それはよほど発想が豊かな人か、捻くれて作品を見ていた人なのかも知れない。

 悟には、俊哉が戻ってくるという思いはあったが、性格まで変わってしまっているとは想像していなかった。性格が変わっているということは、それだけ目立つ存在であり、俊哉がこの物語で果たす役割の大きさを物語っている。

 しかし、悟には、

――人の性格は、そう簡単に変えられるものではない――

 という思いがあった。途中、彼の存在が抜けていて、いきなり戻ってきた時に性格が変わっていたというオチは、反則ではないかという思いすらあったくらいだ。

 俊哉が戻ってきてから、ストーリーに変化があるわけではないが、どこか色の違いを感じさせた。それまで俊哉の背後には、どこかオレンジ色の、まるで黄昏のような色を感じていたが、今度は黒い色を感じる。それはまるで夕方が夜に変わるようなイメージで、夕方のぼやけた光景が、夜になると、暗くて見えにくいが、ぼやけているわけではないというイメージを思い起こさせる。

 確かに俊哉がミスをする前は、存在としては、ぼやけた存在だったが、戻ってきてからというのは、見えにくいところもあるが、見えないところと見えるところがハッキリと分かれているのは感じられた。

 そのイメージ委が色として表現されるというのは興味深いことだった。オレンジ色の部分は夕方のけだるさを表していて、黒い部分は、日も暮れて、夜という新たな世界が広がったことで、それまで見えなかったものが、夜の世界だけにしか見えないものとしてハッキリしてくるのかも知れないとも感じた。

 俊哉を裏の主人公だと思って見ていると、俊哉がストーリーの中で占める役割は、ただ主人公である充希を引き立てるだけではないように思えてくる。自分が俊哉の立場になって充希を見てみると、眩しく見えてきた。

 実際のストーリーとしては、俊哉は充希が史郎を気にし始めるまでの「繋ぎ」のような役回りであるので、充希のことを気にしているわけではないだろう。別に二人の接点があるわけではない。同じ病院でも部署が違えばまったく知らない相手だと思っても無理もないことだ。

 再登場してきた俊哉はまったくの別人になっていたことで、それまで気にしていなかった充希を気にし始めるようになる。それは充希の方からの視線を感じたからで、それまでまわりの視線など、あまり意識したことがなかった俊哉は、冷静沈着になった代償として、まわりを気にするようになった。

 一度気になってしまうと、とことん気になるもので、冷静沈着な性格とは無縁な気がしたが、実際にはまわりの視線を気にすることで、自分を冷静な位置に置くことに気を付けるようになったのかも知れない。

 俊哉がまわりを気にしているように感じたのは、悟だけのように思えた。ドラマの中で一緒に演じている人たちにも分からない俊哉を演じている俳優の悲哀を感じることができるような気がしたからだった。

 俊哉の視線で見ていると、充希の自分を見る目が、以前とは違っているのを感じた。

――以前にも感じたような感覚だ――

 同じ視線を浴びたことがあったが、その主は充希ではなかった。その時、悟は自分が想像しているのは、役としての充希ではなく、演じている俳優であるさつきのことが気になった。

 誰かの視線を感じて、

――以前と同じ視線を感じたことがある――

 と思うのは、同じ人間でありながら、別人を意識しているからに違いないと思うからだった。

 充希というのは、さつきが演じる最初の主演女優だった。もちろん、さつきの他の作品を見たことがない悟にとって、充希、つまりさつきは初対面だといってもいいだろう。

 だが、充希の視線の奥に感じている相手が、さつきではないことを、悟は気づいていた。気づくことで、

――何かがおかしい――

 と感じるのだが、それが由香であるということを一番分かっているのは、実はさつき本人だった。

 いや、厳密にはさつきが気づいたわけではない。さつきが演じている充希が気づいたのだ。

――私は、本当に充希という役でいいのかしら?

 という違う次元を想像させる発想に、充希にとっては知らないはずの由香という女性の存在が見え隠れしていることを、なぜか悟が感じるのだった。

 悟は充希の中に、もう一人のキャラクターを感じていた。

 充希という女性は、繊細な神経を持っているが、もためは天真爛漫だった。だが、ビデオケースに書かれていた充希というヒロインのキャラクターには、天真爛漫という表現はない。

 普通、天真爛漫という性格は、最初に感じるものであって、その中に、繊細な神経を持っているという内面を見つけることになるのだろうが、ビデオを見ていて充希には、

――繊細な神経を持っているという性格を最初に見出して、よく見ると天真爛漫な性格もあることに気づいた――

 と思っていた。

 ということは、天真爛漫な性格は、最初なりを潜めていたことになる。後から気づかせるものとなるのだが、繊細な性格だと思い込むことで、なかなか彼女が天真爛漫だというイメージに結びつかなかったのも、すぐに気づかなかった理由の一つかも知れないが、説得力には欠けるだろう。

 しかも天真爛漫な性格というのは、そうそう潜めておけるような性格ではないはず、天真爛漫な人は、絶えずまわりの人に天真爛漫さを醸し出しているはずだからである。

 いわゆる「オーラ」と呼ばれるものなのだろうが、その天真爛漫というオーラが、最初の充希からは感じられなかったのだ。

 実際に充希を演じているさつきのことを、悟が知るわけもないし、ドラマを見ている以上、演じている人の普段を知る必要もなければ、知りたいという気持ちも最初からさらさらあるものではない。

 もっとも、さつきという女性が天真爛漫だというわけではないことを、悟は知るはずもないので、見ている目は、充希だけを見ているはずだった。

 しかし、充希の中に天真爛漫さを見出した悟は、充希というキャラクターが、本当は二重人格なのではないかと思うようになっていた。それがこの作品のミソであり、脚本家の策略なのかも知れないとまで思っていた。

 確かに、途中から充希の雰囲気が変わった。

――どのあたりから変わったのか?

 と聞かれても、ハッキリと言い切れる部分があるわけではない。ストーリー中心に見ていたので、キャラクターの性格を見ながら見ていたわけではない。どちらかというと娯楽性の強い作品ということで、あまり余計なことを考えずに見ていこうという思いが強いことから、ストーリーを流すように見ていると、キャラクターの性格は、無意識に感じている程度だった。

 それでも、気になるところが少しでも見つかると、時には巻き戻して少し前から見直したりすることもある。見直し始めると、今度はキャラクターのセリフ一言一言にも神経を使い、考えながら見直すことも少なくない。見直すくらいなのだから、余計に集中しないといけないと思うのだろう。

 見直していると、最初に感じていた漠然としたストーリー展開が、若干変わって見えることもある。今回見ている映画は、巻き戻して見ることはなかったが、気になるところを意識しながら見ていると、最初の頃に予想したストーリー展開が、若干変わってきていることに気がついた。

 今までに見た作品のほとんどは、最初の頃に思い浮かべたストーリー展開通りに進んでいることに満足していた。自分が想像した通りに進んでいるということは、自己満足につながる。もし変わってしまったら、変わった内容が、自分が想像したものと違った内容になったということを、自分の中で納得させられなければ、見たことを後悔してしまうほどの消化不良に襲われることだろう。

 それは、本を読んでいる時も同じだった。

 想像力が命である本は、映像と違って、幅広い想像力を掻き立てる。それだけ自由な発想ができるということなのだろうが、自由に発想できるということは、簡単そうに感じるが、実は一番難しいことだ。

 自由であるだけに、自分を納得させられないと消化不良に陥るのは目に見えている。

――言い訳は一切通用しない――

 というイメージが固まっているからだ。

 それを差し引いても、本を読んで幅広い発想を繰り広げられるというのは、魅力がいっぱいだった。最初はビデオを見て原作を読んだり、逆に原作を読んでからビデオを見たりしていたが、それができなくなったのは、自由な発想に魅入られたからではないかと感じていた。

 その思いは、正解だといえないかも知れないが、

――限りなく、正解に近い――

 と言い切ることはできるだろう。

 充希を見ていると、その顔が次第に変わってくるのを感じた。

 最初は子供っぽい雰囲気が、ナースの衣装に似合っていて、あどけなさが前面に見えていたのだが、そんな彼女がストーリー展開のせいだとはいえ、苦悩を表す表情も見せるようになっていた。

 あどけなさの中に苦悩の表情が現れてくると、その時に現れてきた苦悩の表情は、忘れられなくなってくる。

――この顔は、最後まで忘れることができないだろうな――

 と、目の奥に表情が焼き付いていくのを感じていた。

 充希の雰囲気が、その頃から変わってきていることに悟は無意識に気づいていたようだが、それがどういう言いを持っているかまで分からなかった。

 その雰囲気というのは、苦悩が表情に現れたからではない。

――ストーリーの展開上、表情の変化に矛盾がある――

 と言えばいいのだろうか?

 矛盾というのは、よほどストーリー展開と、キャラクターの表情の両方をタイムラグのない状態で見続けていて気付くものである。だから、普通に見ているだけでは気づくはずもない。気づくとすれば、何かのタイミングで、

――おかしい――

 と感じたことが、そのまま忘れられない印象を残してはいるが、なかなかその正体を見極めることができない時に感じることだろう。

 悟はもちろん、さつきを知るはずもなかったが、矛盾を感じたとすれば、それは充希だけを見ていたのでは見つけることはできないはずだ。充希の中にいる、あるいは充希の表に後光のように見えるオーラに、さつきを感じることができないと、見つけることはできないということだ。

 だが、これも一瞬のことである。

 一瞬だけ感じて、次の瞬間には、感じたことを遠い過去のように感じてしまう。思い過ごしのように感じるかも知れないということだ。

 思い過ごしというのは、本当の思い過ごしと、実際に感じたことが一瞬すぎて、思い出そうとしても、一瞬が終わってすぐに、

――遠い過去のことだ――

 と思うことで、思い出せるはずのないことだと感じるからだろう。

 一瞬だけではあるが、さつきのことを感じたはずだった。だが、その時に感じたのは、果たしてさつきのことだけだったのだろうか? どうにもそれ以外の人も一瞬感じられたような気がして仕方がなかった。

 それが由香だということを、悟に分かるはずもない。しかし、さつきの中では、演技をしながら、充希というキャラクターの中に、由香を感じていたのは間違いないようだった。それを証明するすべはあるはずもないが、充希が一瞬変わってしまったように感じられた人が見ている人の中にいるなど、その時の充希に分かったであろうか?

 悟は、このビデオを最初レンタルで借りてきたが、よほど気に入ったのか、レンタルではなく販売しているビデオを買ってきた。今までにはなかったことだった。

――どこか、違っているような気がする――

 ジャケットはレンタルのものと少し違っていた。

――販売用とレンタルとで少し違っているのかな?

 と感じたが、それ以上深くは考えなかった。

 悟が、充希に対して二重人格性を見出したり、

――少しおかしいな――

 と一瞬感じたりしたのは、買ってきた方のビデオを見た時だった。感じたのは、最初であって、何度も見返しているが、最初に感じた思いを感じることはできなかった。

――気のせいか?

 と思ったが、そうではない。最初に感じたイメージが頭の中に滞留することで、次に見た時に感じたことがまったく同じなので、何も感じていないように思っているだけだった。見かけは何もないようでも、最初と同じであれば、進展はなくても、後退することもない。

 悟は、そういう発想ができる男であったが、今回はまったくそんな発想はなかった。いざその場面に遭遇すれば、意外と考えていることが本当に起こるなどと思わないものなのかも知れない。

 ビデオの中で動いている充希を最初は意識して見ていたが、そのうちに意識することがなくなっていた。それは、何度も見ているうちにすべてのパターンが頭の中に入ったからであり、頭の中が飽和状態だといっても過言ではないだろう。

 充希の中にいるのが一人ではなく二人だということに本当の意味で気づいたのは、実は飽和状態になっている今だった。毎日日課のように見ているビデオは生活の一部となり、自分の呼吸や脈拍に微妙に影響してきているのではないだろうか?

 最近では、ビデオを見ながら頭の中が混乱しているのではないかと思うことがあった。その理由は、

――充希は実在の人物なのかも知れない――

 という、妄想としか思えない発想が頭をよぎることがあるからだ。

 ビデオを見ている時には感じないのだが、むしろ、ビデオを見ていない時に感じるのだ。ただ、それも部屋にいる時だけで、一旦部屋を出ていくと、妄想であるということを自覚していた。

 表では感じないので、充希を探してみようなどという発想は思い浮かばない。ただ気になっているのは、充希がビデオの中で、

「私は、誰かを探している」

 というセリフがあるが、セリフの根拠がどこにも表れていないのだ。このセリフもいきなり出てきたものだし、セリフの後で、充希が誰かを探しに行くシーンも見当たらない。一見まったく無意味に見えるシーンに違和感を感じるのだが、それについてこのビデオを見た人は誰も疑問に思わないのだろうか?

 このビデオが、最後尻切れトンボになっているというのをずっと意識していたが、それを裏付けるのが、

「誰かを探している」

 という充希のセリフでもあった。

 一体誰を探しているというのか、探し人が見つかりさえすれば、このお話は、大団円を迎えることができるということなのだろうか?

 もし、ここにさつきが存在していたら、探している人物は由香ではないかと思えるのだが、その由香の存在を悟は知る由もない。それどころか、さつきが演じる充希の中に、由香の影を見ている悟にとって、由香の存在を知っていたとしても、探し人が由香だとは思えないに違いない。

――もしかして、俺なのか?

 悟は、ビデオを穴が開くほど見たこともあって、現実世界とビデオの中の世界とを混同しているふしがある。混乱が昂じて混同となり、夢の世界と現実の世界すらも分からなくなっているのかも知れない。しかし、それはあくまでもビデオを見ている間、画面を消してから、部屋で一人佇んでいる時、何かを感じるということが最近はなくなっていた。しかし、それでもテレビもつけず、何も考えることもない時間を自分の部屋で過ごすことだけは日課になっていた。

 だからどうなるというわけではないが、その時間が貴重だということは意識していた。自分を納得させることも理解もできないが、それでも必要な時間というのは存在するものだという思いに駆られていた。

 ビデオを見る前に一人で何もせずに佇んでいる時は感じないものが、ビデオを見た後であれば、一人でいる時に感じるものがある。それは人の気配に似たものであるが、誰かがいるというものではない。どちらかというと、誰かに見られているという意識はあるのに、人の気配を感じないという意味で、まるで彷徨っている幽霊に見つめられているようなイメージと言っていいだろう。

 元々、悟は霊感の強い方だった。

 団体旅行の時には、必ず何かを霊を意識してしまう。最初に感じたのは、高校の時の修学旅行だった。中学の時には何も感じなかったのに、高校の修学旅行では、明らかに感じられた。

 五、六人が一部屋に寝泊まりする修学旅行。団体での行動はあまり好きではなかった悟は、部屋の中でも浮いた存在だった。自分は寝ようと思っているのに、まわりは話をしていて集中して眠れない。

「いい加減に寝ようよ」

 と、途中で痺れを切らせて声を掛けたので、

「じゃあ、そろそろ寝ようか」

 と、その部屋のリーダーが声を掛けると、

「そうだな」

 と電気を消して、眠りに就く。

 しかし、実際には、ひそひそ声で話が聞こえてきて、

――これじゃあ、却って気になって眠れやしない――

 と思わせた。それでもある程度の時間になると。声は止んで、皆眠りに就く。だが、悟だけは、気が立っているいるのか眠れない。まわりに掛けてもらった梯子に昇って、昇り終ると、すぐに梯子を外されて、置き去りにされてしまったような感覚だ。そんな状態では、まわりに人がいても、一人でいるよりも却って恐怖を煽られているようだ。そんな時に、幽霊が出たような気がして、怖くて確かめることもできず、布団の中でずっと震えていて、気が付けば朝になっていた。さすがに途中で眠くなったのか、寝てしまったようだが、朝になると、夜中の気配が本当に幽霊だったのかどうか、分からない。しかし、一度だけなら、

――気のせいだ――

 で終わらせることができるが、それから団体旅行のたびに似たようなことが起こるのだから、気のせいで済ませることはできない。一度気になってしまうと、ずっと気になるものなので、あまり意識する必要はないのではないかと思ったが、それにしては、確率的にかなり出現率は高かったのだ。

 そんなことを思い出していると、ビデオを見る目がおろそかになっていたよううだ。いつの間にか、ストーリーは進展していて、かなり先のシーンに変わっていた。

 そのまま見ていると、

――あれ?

 と思うところまで来ていた。

 幽霊の存在を感じたからだと最初は思ったが、まだ夢を見ているのかと感じた。なぜなら、映像は自分の知らない展開を見せていたからだ。

 違うビデオを見ているわけではない。確かに登場人物は同じで、俳優も同じだった。撮影現場も同じ病院やまわりの街並みで、現場が変わっているわけではない。

 ストーリーを見ていると、どうやら、中途半端に終わっていた内容の先のように思えた。充希は今まで通りの充希だったが、やはり二重人格だと感じた時も雰囲気があった。

――一体誰なんだろう?

 と思うが、よく見ていると、

――以前から知ってる人ではないか?

 と思えてくるから不思議だった。

 そういえば、悟は最近一人の女性と知り合った。彼女は、年齢的にはまだ二十歳くらいで、おとなしそうな雰囲気の女の子で、好感が持てた。知り合ったのは、最近馴染みになったバーで、マスターと話すようになってから少ししてのことだった。

 マスターが言うには、

「彼女も最近常連になった人で、ちょうどあなたと同じ頃から来はじめるようになったと思いますよ。確か一緒になったことはなかったですね。ニアミスみたいな時はあったと思いますが、本当に微妙なところでの行き違いもあったかも知れませんね」

 と話していた。

「こんばんは」

 最初に声を掛けてきたのは彼女の方からだった。

「こんばんは」

 悟は返事をするのがやっとだったので、戸惑いは誰が見ても分かったかも知れない。そんな悟に助け船を出してくれたのが、マスターだった。

「こちらは、常連の悟さん。あなたと同じ頃に常連になったんですよ」

 と、彼女に紹介してくれた。

「どうも」

 と、簡単な挨拶だったが、笑顔が印象的で、あまり人見知りするタイプではないように思えた。

「こちらは由香さん。いつもカウンターの奥に座られていますよ」

 と紹介してくれた。悟も同じように挨拶をしたが、何がおかしいのか、由香はさらに顔を崩して、ニコニコしている。

「私、このお店が好きなんです。前に一度お友達と来たことがあって、それ以来一人で来るようになったんですが、マスターは、私が最初に来た時のことを覚えていないっていうんですよ」

「それは申し訳ない。でも、きっとお友達と来られた時の由香さんと、一人で来られるようになった由香さんでは、雰囲気が違っているんでしょうね。そうでなければ、商売柄、そう簡単に人のことを覚えていないということもないような気がします」

 とマスターがいうと、

「ということは、僕も誰かと一緒に来ることがあれば、きっと違った雰囲気なんでしょうね?」

 と悟がいうと、

「そうだと思いますよ。一人でいると分からないことも、誰かと一緒に来られた時に分かる性格もありますからね」

 と言われたが、

「でも、他の人と一緒に来ることはないと思います。少なくとも、ここは僕の『隠れ家』のような場所だって思っていますからね」

 隠れ家という言葉は好きで、以前から使ってみたかった。そういう意味では、このバーはうってつけだったのだ。

 彼女とは何度か、そのバーd会っていた。それまでは、二人とも同じような周期でやってくる常連客のくせに、一度も出会ったことがなかったのに、一度出会ってしまうと、約束をしているわけではないのに、毎回出会うようになった。

 それは、二人の出現周期が同じだからだということは、マスターに聞かされていたが、こうやって出会うようになると、その言葉の信憑性がやっと分かってきた。

 悟は一度もこの店に他の人を連れてきたことがない。この店を、

――隠れ家だ――

 と思っているからで、一度そう思ってしまうと、この店が、俗世間と離れた夢の世界のようにさえ思えてきた。そんな店で知り合った女性はまるで女神のようで、どこか他の人と雰囲気が違っていることも、ポジティブにしか考えられなかった。

――彼女には孤独という言葉は似合わないんだ――

 と自分に言い聞かせるくらいで、ひょっとすると、彼女の方も同じように思っているのではないかと思った。だが、それが間違いであることはすぐに分かるのだが、その前に由香という女性を見ていて、

――どこか影が薄い――

 と、結構早い段階で気づいていた。

 早い段階というのが、どういう意味で早いのかというのは、その時に感じたわけではない。しかし、後になって思うと、決して早い段階だとは思わなかった。それなのに、なぜ早い段階だと思ったのか、それは、彼女が急に自分の前から姿を消してしまったことにその理由があるのだと思ったからだ。

 影が薄い人というのは、今までにたくさん見てきたつもりだ。何よりも自分が一番その影が薄い人間だと思ったことが何度もある。しかし、それも後になってから気づくことであって、その時には、なかなか気づくものではなかった。

 由香と会わなくなったのは、一度周期がずれてしまったからだと思っていた。少なくとも、悟は周期を変えたつもりもなかった。では、周期を変えたのは、由香だということになるのだろうか?

 悟は、由香の挙動をマスターに聞いてみようと何度も思ったが、実際に訊ねてみることはしなかった。聞けばすぐに分かることなのだろうが、なぜか怖い気がした。

――今は周期が合っていないだけで、すぐに会えるさーー

 という安易な気持ちだったのだ。

 しかし、

――どうして、あの時に確認しておかなかったのだろう?

 と思った。

 確認しておけば、もう少し早い段階で由香を探すこともできたはずだ。どうしてそれをしなかったのかというと、怖いという気持ちよりも、自分の気持ちが確立していないことが分かっていたからだ。

 もし、由香のことを訊ねて、

「由香ちゃんはあれから来なくなったよ」

 と言われると、どう感じるであろう?

――僕が来るようになったから、彼女は来なくなった――

 という思いを一番最初に思い浮かべる。

 さらには、自分が原因でないとしたら、彼女の方の都合がこの店に来させることを許さないのかも知れない。その理由とは、悟とはまったく関係のないもので、関わることは許されないだろう。そう思うと、彼女の存在が距離だけではなく、遠ざかっていくのを感じてしまう。

 由香も、そのことを悟られたくなかったに違いない。何も言わずに来なくなったのは、その小見が強いからだろう。

――僕だったら、そう思うだろうな――

 悟は、これが自分の勝手な妄想であることに、最初は気づかなかった。ただ、余計なことを考えるのは。まるで自分の首を絞めているようで嫌だと思っていたはずなのに、我に返ると、ハッとしてしまう。いつの間にか、由香のことを考えてしまっている自分がいるからだ。

 悟は、次第にその店から遠ざかるようになった。

――まるで僕にとってこの店は、陽炎か蜃気楼のような店だったんだ――

 隠れ家という意識とは違い、虚空の世界に存在している店であり。そこにいた人たちは皆虚空の世界の人たちである。

 その時頭の中で感じたのは、なぜか慣性の法則だった。

 走っている電車の中に乗っている時にジャンプしたとする。その時の着地地点は、表とは関係のないところで決着し、電車の中の同じ位置に戻ってくる。それが慣性の法則だ。つまりは、自分が見えていて、意識している空間は、誰にも邪魔されない世界であるということだ。隠れ家であってほしいと思っているのは、その時の電車の中のように、表をまったく意識することなく、中の世界だけの時間が支配している空間を、持ち続けたいという思いだったからに違いない。

 さらに、以前読んだ小説で、ずっと馴染みにしていたはずの店が、急に翌日になると消えていたという内容のものを見たことがあった。まったく同じ街並みのはずなのに、時間が違うだけで、まったく違った空間に入り込んでしまったと主人公は感じていた。

 それは、自分がおかしくなったという思いを心の片隅に残しながら、それを認めたくないという葛藤から、空間の違いを時間のせいにしていたのではないだろうか。

 その小説を思い出すと、自分があれだけ馴染みにしていたバーに行かなくなったという心境の変化も、時間のせいにしてしまおうと思っていることに気が付いた。どんなに辛いことでも、

「時間が解決してくれる」

 という一言で納得できてしまう自分が怖いくらいで、逆に、

――熱しやすく冷めやすい――

 という性格に繋がることで、

――どんなに好きな人がいたとしても、半永久的に好きでいることは難しい――

 と、考えるようになっていた。

 二十歳代の頃までは、熱し始めれば、留まるところを知らないとばかりに、好きになった人のことが少しでも冷めてくるなどありえないと思っていた。だが、三十五歳を過ぎた頃から、いつの間にか自分の考えが変わっていて、

――熱しやすく冷めやすい――

 という性格が自分の性格であるということが、ハッキリと自覚できるようになっていたのだ。

 そんな悟が、バーに行かなくなったのは、由香を想っている自分の気持ちに翳りが見え始めたことが分かったからだ。

――一緒にいるだけで、何となく億劫な気がする――

 由香は決してお喋りな方ではない。どちらかというと無口で、相手が何かを言わないと、自分から話題を出してくる方ではなかった。いつも悟から話題を出すのも、最初の頃は楽しかったが、そのうちに話題も尽きてくる。そうなると、自分ばかりが話題を出していることに何か納得のいかないものを感じていた。

 いきなり我に返ることは、悟には珍しいことではなかった。我に返ると、それまでの自分を他人事のように思えてくる。

――悪いくせなんだろうか?

 と感じていたが、そのことを感じ始めると、もういけない。相手と一緒にいることが億劫に感じられるようになる。

 理由なんて存在しない。悟がそう感じることが肝心なのだ。億劫だと思ってしまうと、身体中に気だるさを感じ、本能的に避けようとする自分に気が付くようになってきた。

 あれだけ足しげく通っていたバーのことが気にならなくなってくる。それまでは、毎日の生活の中で、心の奥に店のことがくすぶっていた。仕事中であれば、

――早く仕事を終わらせて、店に行きたい――

 と思っているし、寝る前も、

――今日もあの店の夢を見るかも知れないな――

 夢の内容を覚えているわけではないが、夢で店のことを見たと思い込んでいる。

 店から帰ってきて、部屋に入ると、店での出来事を思い出すが、頭の片隅にいつもくすぶっているほど、楽しかったというイメージはない。ただ、理想が高いため、いずれ近い将来、理想に近い夢のような時間を過ごせると思い込んでいるのだ。これも、具体的にイメージしているわけではなく、ワクワクしている気持ちの中で、

――次こそは――

 と、思わせることで、妄想が広がるのだった。

 逆に、妄想できなければ、一気に冷めてしまうのも分かっていて、それだけに、妄想というのは、一種の「諸刃の剣」のようなものだった。

 そんな思いを抱きながら、悟は毎日を過ごしていると、もう一つ大切なことに気が付いた。いや、気が付いたというよりも忘れていたといった方がいいかも知れない。意識はしていても、認めたくないという思いがあるからなのではないだろうか。それは年齢に対しての感覚であり、二十代の頃までは意識しなかったが、年を重ねるごとに、妄想や冷めてしまうような出来事に対しての思いが、次第に億劫な気分になってきていることである。

 要するに、考えることが億劫になってきた。そして、今まではそれが本能からくるものなのか、それとも意識しての発想なのかを切り分けできていたはずなのに、年を取るとできなくなる。そう思っていたが、実際には切り分けできているつもりでできていなかったことを自覚するようになったのかも知れない。

 最初は億劫になってきたのは、店の雰囲気に対してだと思っていたが、実は店の雰囲気に対してではなく、由香に対してだった。

 途中から、由香の様子が少しずつ変わってきて、それも分かっていたのだが、あまり気にはしていなかった。しかし、どこが変わってきたのかということが分かってくると、今度はハッキリと、自分が由香を避け始めていることに気が付いた。やっとその時になって自分が店に行くのを億劫に感じていると思えてきた。店に対して億劫だと思うと、そこから先は、由香への思いがどうでもいいことのように思えてきたのだ。

 由香に限らず、女性に対して億劫だと思い始めると、男性に対して億劫に感じるよりも、かなり神経を使う。

 人にもよるのだろうが、相手になるべく悟られたくないと思う時もあれば、逆に相手にわざと悟らせようとする時もある。由香に対しては後者であり、一見、後者の方が気が楽に感じるが、自分がある意味悪役を演じなければ、中途半端になってしまい、それが最後はお互いを気まずい思いにさせてしまうことで、お互いに後悔が残ってしまう。そうなると、もう二度と店に顔を出すこともできないし、完全に店のことや由香のことを頭の中から消し去ってしまわなければいけないという思いに駆られることが分かっていた。

 悟は、どうしていいのか最初分からなかったが、最終的に店に行かないという方法を選んだ。

 顔を見ても話すことができないと思ったからで、それに、

――時間が解決してくれる――

 という思いもあって、しばらくほとぼりが冷めるまで、店に行かなければそれでいいと思っていたのだ。

 悟は、その期間を三か月くらいのものだと思っていた。

 その店は、悟の通勤路の途中にあるので、下手をすれば、見つかってしまうかも知れないと思いながらも、通勤路を変える気にはならなかった。そこまでしてしまうと、自分が負けてしまうと思ったからだ。その一線が、悟にとってもギリギリの境界線だったに違いない。

 もし、自分が定めた三か月の間に、店の前を通って誰かに出会っても、それはそれで気にしなければいいと思っていた。

「やあ、久しぶり」

 と気軽に声を掛ければそれでいいだけだ。別に気まずいわけではない。

 そんなことを想いながら、時は刻々と過ぎていった。

 最初の一か月は、なかなか過ぎてくれなかったが、二か月目に入ると結構早かった。一か月の刻みに関しては気にしていないつもりだったが、ちょうど一か月経った頃から、気持ちの上で時間が早く感じられた事実から、一か月の単位を意識するようになっていた。

 二か月目からは、もう店を意識することもなかった。それは店に通い始めるようになるまでにもなかった意識だった。元々お店は以前から気になっていて、いつ入るかというのは、時間の問題だったように思えたからだ。

――もし、今由香と会ったとしても、あまり気にならないかも知れないな――

 それは、自分が熱しやすく冷めやすいからで、由香の方はどうだろう? もし、由香の自意識が過剰であったとすれば、自分を見た時、どう思うだろう?

 諦めていたとすれば、

「何を今さら。顔も見たくなかったのに」

 と、神経を逆撫でするかも知れない。神経を逆撫でしないとしても、嫌な気分にさせることは必至で、今までの悟であれば、

――そんなのは僕には関係ない――

 と思っていたはずなのに、気まずさを感じてしまうと、そう簡単に無視もできないだろう。

 幸い、一か月経つまでに由香に会うことはなかった。二か月目以降会ってしまうと、きっと神経を逆撫でするのは必至だと思っていたので、この道を通るかどうか迷ったが、結局、道を変えることはしなかった。

――今までこの道を歩いていて出会わなかったということは、道を変えると途端に出会う可能性が高くなるかも知れない――

 と思った。

 そうなれば、目も当てられない。後悔してもし足りないだろう。プロ野球の投手が、自分の得意な玉以外で勝負して、ホームランを打たれた時の気分と同じではないかと思うのだった。

 道を変えないことで、何とか予定の三か月までカウントダウンに入った。

――もうこの店で由香に会うことはないだろう――

 という信憑性などあるはずのない思いをかなりの確率で信じていたのだ。

 由香とそれまで話したことを思い出そうとするが、思い出すことはできなかった。その時の由香の表情はおろか、由香がどんな顔をしていたのかすら思い出せない。ただ、どんな表情をする女なのかということだけは覚えている。記憶装置の曖昧さはどのようなものなのかということも分かったつもりになっていた。

 由香を思い出そうとして思い出せないのと同じで、バーの雰囲気も忘れかけていた。

――他のバーとは明らかに違うところがあり、それが気に入っていたのに――

 ということまでは思い出せるが、それがどのように違っているのかということまでは思い出せない。

 一つのことが思い出せないと、そのことに関連するすべてのことに影響してきているようだ。しかし、逆に言えば、一つ何かを思い出すことで、連鎖するように他のことまでも思い出せるのではないかと思うのも事実だった、

 由香のイメージが思い出せないでいると、いつの間にか、自分が不安に感じるようになったのを思い出した。

――一体何に不安なんだろう?

 自分に直接関係のないことのように思えるが、この不安は一体なんだろう? 関係ないと思っていることで、ここまで不安がこみ上げてくるのは初めてだった。直接関係のないことだけに不安がこみ上げてくる理由が分からない。この矛盾が悟の中で、由香に対して冷めてきた原因なのかも知れないと思った。

 ということは、不安の対象は由香ということになるが、それだけではないようだった。由香とバーは、ある意味悟にとっては一蓮托生のイメージがあった。

 由香に冷めてきた悟は、それまで隠れ家として、自分一人のものだと思っていたバーだったはずなのに、由香に対して冷めてしまった自分が少し距離を置こうと思ったことでバーに行かなくなることに違和感を感じることはなかった。まるでバーが彼女の部屋であるかのように感じられ、今から思えば、バーの至るところに由香の思い出がしみついていたように感じられたのだ。

 ある日、急に由香のことを思い出したことがあった。それは、冷めてしまった由香ではなく、自分が好きだった由香である。悟は、一人の人に対して、複数のイメージを抱くことは苦手だった。今の冷めてしまった由香をイメージしていると、自分が好きだった頃の由香を思い出そうとしても、無理だったのだ。

 しかし、その日は急に好きだった頃の由香を思い出した。どうして思い出したのか自分でも分からなかったが、その日が珍しく、暖かい日だったからなのかも知れない。

 蒸し暑さも感じられ、由香の姿を見て、清涼な気分にさせられたのを思い出した。暖かさは気持ちのいいものだけではないのかも知れないが、蒸し暑さで思い出す女がいるというのは新鮮な気がしたのだ。

「君の浴衣姿、一度見てみたいな」

 という話をしたような気がした。恥かしそうに俯いていた由香が印象的だったが、

「私、浴衣って着たことないんです」

 と言っていた。

 ただ、その時の表情は寂しそうだった。

――浴衣を着せてあげたい――

 と思ったのも事実で、ひょっとすると、由香に対して一番好きだったのは、ちょうどこの頃だったのではないだろうか。

 由香という女性が自分にどういう影響を与えたのかを考えると、基本は自分中心にしか考えられなかった。年齢的にもかなりの年下だということもあって、まるで娘のようなイメージが頭の中にあったのかも知れない。

――知れない?

 娘のような存在だと言い切れない自分の中に、由香を女性として見ているもう一人の自分がいることに気づかされた。最初か分かっていたのだろうが、これこそ、どうやって自分を納得させればいいのか困っていた。

 由香に対して、本当はずっと好感を持っていたことに変わりはないが、それが本当の愛情だったのかどうか、自分でも分からなかった。

――愛情なら、そんなに簡単に冷めたりするものだろうか?

 と感じる。

 しかし、自分の中で恋愛感情を抱いたことを許せない気持ちになっているとすれば、冷めた気持ちになったのは、自分への戒めのようなものだと考えれば納得もいく。

 本来なら、冷めてしまったというだけなら、気まずい雰囲気になったというだけで、隠れ家にまでしようとしていた店に顔を出さないようにするというのは徹底している。由香のパターンは分かっているはずなのだから、自分から少しタイミングを外せば、会うことはないとも言えるだろう。

 しかし、それをしなかったのは、

――由香の方でも同じことを考えていたとすれば、結局同じだ――

 いや、同じではない。さらに由香と自分の関わりを考えてしまい、因縁を意識しなければいけなくなってしまうことだろう。

 そう思うと、安易にパターンを変えるということがどれほどリスクの大きなことだということを思い知らされることになるのが怖いのだ。

 その日は、一日の始まりから変な気分がした。

――まるで同じ日を繰り返しているかのようだ――

 と、ある瞬間に気がついた。

 それまで同じ日を繰り返しているなどという感覚はまったくなかったのに、一体どうしたということなのか? しかも、それがどの瞬間だったのか、過ぎ去った後になって思い出そうとすると分からなかった。そういうことは一瞬で理解しないと、気が付かないことのようだった。

 朝起きて、目が覚めるまでに最初気が付いていたような気がしたが、その時は、

――そんな馬鹿なことあるはずない――

 と打ち消していた。

 目も覚めていない曖昧な状態であるにも関わらず、そんなにハッキリと馬鹿なことだという意識を持っていたのに、目が覚めていて、意識がしっかりしているはずなのに、夢のようなことでも、ありえなくはないと思うのはどういうことなのだろうか?

――きっと、目が覚めている時の方が、たくさん余計なことを考えるからなのかも知れない――

 と思った。

 夢うつつの時の方が、夢に近いのだから、何が夢で、何が現実なのか、その瞬間は一番分かっているのかも知れない。そう思わせないのは、目が覚める前というのは、意識がハッキリとしてからでは思い出せないからだ。きっと、一人の人間の中にもたくさんの結界のようなものが存在しているものなのだろう。

 同じ日を繰り返しているなどと、常識で考えればありえることではない。しかし、小説のネタなどには結構使われているのではないかと思っている。確かに小説のネタとしては面白い題材だが、それだけではないだろう。ひょっとして、本当に同じ日を繰り返していると感じた人が小説で使ってから、それまで、

――そんなことはありえない――

 というのが定説のようになっていた人たちに、一つの警鐘を鳴らしているのではないだろうか。

 同じ日を繰り返しているという感覚を抱いた時、もう一つ不思議なことを悟は感じた。それは、

――数分ほど、自分よりも先を歩いている自分がいるように思える――

 ということだった。

 その人が自分よりも先にいることで、自分が他の人に対して初めて会ったとしても、

「あれ、戻ってきたの?」

 だったり、新しい話をしているつもりで話をしていても、

「何言ってるんだよ。それさっき話したじゃないか」

 と言われて、ビックリさせられる。

 最初は頭が混乱していたが、よく考えてみると、自分よりも少し前に、もう一人の自分がいるということを考えると、おかしいながらに辻褄は合ってくる。

――一体、どういうことなんだ?

 と思っているうちに、この思いが初めてではないような気がしていた。ただ、前に同じような経験をしたわけではない。ごく近い過去に、同じような思いをしたということだった。

――そうか、同じ日を繰り返しているんだ――

 自分の前に同じ自分がいるということに気が付くことで、同じ日を繰り返しているという前に感じた発想が裏付けられるなど、想像もしていなかった。

 この話も、SF小説などではお目にかかったことがあるような気がしていた。しかし、この二つはまったく違ったお話の中でテーマとして独立したお話になっていた。しかし、今回感じたものは、この二つの発想の原点が、同じところにあるということを示していることを証明していた。

――今日は、自分が考えているよりも、もっとおかしなことが起こる可能性があるかも知れないな――

 と感じ、これから後、どんなことが起こるのか、興味深く冷静に見守っていくことにした。

 それはどんなことが起こっても、平然とまではしていられないとしても、余計な神経をすり減らすようなことのないようにする、覚悟のようなものだった。

 そんなことを考えているといつの間にか日は暮れかかっていて、仕事が終わる時間を迎えていた。

 悟はいつものように会社を出たが、暖かかった昼間が、まだその余韻を残しているかのように、夕日は、身体に気だるさをもたらしているようだった。背中には仄かに汗が滲み、疲れがこみ上げてきているはずなのに、足取りは思ったよりも軽かった。

――まるで下半身が自分の身体じゃないようだ――

 足がもつれそうになるのを感じながら、自分が感じているよりもあまり進んでいないのは、風もないのに空気の抵抗を感じるということで、

――空気が重たい空間というのって本当にあるんだ――

 と感じた。

 足取りが重たい時は、汗がズボンに絡みついて、足取りがおぼつかないものだと思っていたが、その日は足元がふらつくこともなく、前には進んでいる。

 目の前に見えている光景だけが、思ったよりも進んでいないことを示していた。

――上半身と下半身、バラバラになっているようだ――

 と感じたことで、想像以上に気だるさが身体に纏わりついている証拠だと思うのだった。

――この角を曲がれば、バーが見えてくる――

 いつものようにそう思っていた。

 ゆっくりと曲がると、悟は思わずそこで歩を止めることになった。

――えっ、一体どういうことなんだ?

 その日は、前の日を繰り返しているということを朝から意識していたが、時間が経つにつれて、

――やっぱりそんなことはに。明らかに昨日とは違う日だった――

 と思いながら会社を出た。

 それと同時に、数分先を歩いている自分の存在もいつの間にか意識することもなくなっていた。本当のことを言うと、

――数分前を歩いている自分の存在を感じなくなったその時から、同じ日を繰り返しているのではないかと思うような意識が頭の中から消えていた――

 と思った。

 同じ日を繰り返しているという意識が消えたのは一気に消えたわけではない。やはり頭の中で、

――そんな馬鹿なことがあってたまるか――

 という思いがあったからだろう。その意識が一日を過ごしているうちに強くなってくる。その時に感じたのが、

――普段から、よほど何の意識もなく、時間をやり過ごしていたんだろうな――

 という思いだった。

 道を曲がって見えてきた光景、それは自分が想像していた光景とはまったく違ったものだった。

 しかし、その光景は知らないものではない。むしろ懐かしいと思わせるものだった。

 まず最初に目が行ったのは、そこにあるはずのバーだった。

――どこに行っちゃったんだ?

 我が目を疑うとはまさにこのことだ。本当に夢を見ているのではないかと思ったほどだ。その時に、

――そういえば、今日は最初からおかしな日だった――

 ということを思い出した。朝から、

――同じ日を繰り返している――

 あるいは、

――数分前を、もう一人の自分が歩いている――

 などという発想だった。

 その思いは会社を出る時にはなくなっていたはずなのに、最初からのその思いが残っていれば、ここまで驚きはしなかっただろう。意表を突かれたとはこのことである。

 最初はバーがあった位置だけしか見ていなかった。もし最初からまわり全体を見渡す余裕があったのなら、その光景が懐かしさを含んでいることにすぐに気づいたのかも知れない。

 道はなぜか舗装されていなかった。このあたりは、確かにまだ開発が行われているわけではなく、空き地もいくつか点在していた、バーのマスターの話によれば、

「この辺りは、以前から曰くがある場所で、店を出せばすぐに瞑れたり、マンションを建てると、災害に見舞われたりして、不吉な場所だって言われていた時期があったんですよ。でも、二十年位前にお祓いをして、そんなこともなくなったんですが、どうしても不動産関係の会社は足踏みするんですよ、他で利益を出しているところは、わざわざこんなところに作って、足元を危うくさせたくないですからね。さらに零細企業は余計に嫌がりますよね。こんなところで心中したくないと思うんでしょうね」

「じゃあ、マスターはどうしてここで?」

「この店は、ずっと昔から営んでいて、常連の人もついてくれていて、それなりに繁盛はしています。ここは、前からある店には不幸は訪れないようなんですね」

 信憑性の有無については、どこまで信じられるか疑問だったが、言っていることは事実のようなので、本当のことのだろう。悟はこの場所には因縁のようなものがあることを、その時から感じていたのだ。

 悟は、実は子供の頃、このあたりでよく遊んでいた。今から思えば、その時にも、このバーの存在は知っていたように思うが、何しろ未成年では入れないところ、最初から意識していなかったのだ。

 そう思って、バーがなくなったという思いで、最初バーに集中していた目を、次第に広げていった。

 それがいけなかったのかも知れない。最初から全体を見渡していれば、そこが自分の知っている昔の記憶であるということに気づかなかっただろう。しかし、次第にあたりを見渡すうちに、目線が広がることで、あたりが今まで知っているエリアに比べて広がっているように思えた。そのことが大人の視線だったものを、子供の視線に引き戻していく。

――子供の頃に見た光景だ――

 またしても、信じられない思いだった。

 子供の頃と言っても、このあたりを根城にして遊んでいた頃の記憶だ。遊び心でしかっ見ていなかったので、あることは分かっていても、バーを意識などしていない。

 遊んでいるのは昼間で、バーは電気も消えていて、中から人の気配がしてくることもなかった。そのせいもあってか、建物に対しては、ほとんど意識することもなく、記憶もしていない。

 子供の頃の記憶は、曖昧なものだが、大人になってから見えると、二回りくらい、

――こんなに小さいエリアだったんだ――

 と思い知らされたものである。

 悟が最初に店を意識したため、視線が子供の視線に戻ってしまった。いや、視線だけではなく、意識も子供の頃に戻っていたのかも知れない。

 店がなくなっていることに、悟は混乱した。それは消えてしまったことに対するものではなく、

――ここに店がないという光景を見たことがないはずなのに、普通に懐かしさを感じるのはなぜなんだ?

 という思いに対してだった。

 この店が、最近の悟にとっては「隠れ家」であり、一番落ち着くスペースだったはずだ。そんな場所が跡形もなく消えているのである。それなのに、違和感よりも先に懐かしさを感じるということはどういうことなのか?

――まさか、自分の中で、最近の出来事をなかったことにしたかったなどという意識があったんではないだろうか?

 よもや容認できる話ではない。断固否定したくなる思いであった。

 しかし、なかったことにしたかったと思ってから、マスターや、由香の顔を思い出そうとすると、まったく思い出せなかった。記憶の奥から引っ張り出しているはずなのに、そこにあるのは、二人の存在という意識と、のっぺらぼうで顔が浮かんでこない不気味な表情だったのだ。

――やっぱり最初からなかったのだろうか?

 そんなことを考えていると、

――早く、こんな日は終わってほしい――

 と思った。

 だが、考えてみればこの日の始まりは、

――同じ日を繰り返している――

 という思いからだったはずだ。

 その思いは途中で消えてしまったが、本当に消えてしまったのかどうか疑問だった。なぜなら、その少し後に、店がなくなっているというセンセーショナルな展開を用意していて、同じ日を繰り返しているという発想が消えたことが、センセーショナルな展開に、さらに深みを持たせるという相乗効果をもたらすことになったのだ。それは結果論だと言われればそれまでかも知れないが、結果論であっても、煙くらいはあったはずだ。その煙の出所がどこなのか、それが問題ではないのかと思うのだった。

 その日が終わってしまえば。翌日にもう一度くれば、きっと店は存在しているだろうと思っている。しかし、

――同じ日を繰り返しているとすれば?

 という思いが心の片隅にあるのも事実で、もしそうであれば、店はないに違いない。

 いや、それ以前に、同じ日を繰り返しているという状況を、自分が受け入れられるかという肝心なことを考えていなかった自分が怖かった。

 その日は、一点から、まわりを見つめる日だった。その思いを感じる時というのは、何かに不安を感じていたり、怖がっている時だと思っている。恐怖を感じるあまり、そのことに集中してしまい、まわりを見る余裕がなくなってしまうのだろう。

 そんな思いを感じていると、

――今までも本当に、まわりから先に見ていたのだろうか?

 という意識に駆られた。

 確かに、まわりから見ているか、一点から見てしまったのかということを意識したことはなかったが、そのことに違和感はなかった。違和感がなかったということは、問題なく意識できたということで、まわりから見ていたに違いないと思っていたのだろう。

 しかし、それは意識していなかったという思いが残っているだけで、本当は一点からしか見ていなかったのかも知れない。今日は最初から違和感があったので、そのつもりで神経も過敏だったと考えられるだろう。

 神経が過敏になっていたことで、店がなくなっていたことに必要以上の不安を感じた。しかし、少し落ち着いてみると、店がなくなっていて、自分の意識としては子供の頃の記憶がよみがえったことが悪いことだとは思わない。

――悪い夢を見ているだけなんだ――

 と、思えたからだ。普段だったら、これだけ信じられないことが起こっているのだから、自分がおかしくなったのではないかと思うに違いないが、その日は、信じられないことは虚空の出来事として、割り切ることができるような気がした。

――きっと明日はやってくるし、やってきた明日には、この店は復活している――

 と感じた。

 これを夢だと思えば、

――なぜ、このタイミングでこんな夢を見なければいけないのか――

 と思うのだが、その答えもやってくるはずの明日に隠されているような気がした。

 いや、本当は今も分かっているのだろうが、それを認めるに至っていない精神状態にあるのだろうと思えた。

――夢というのは、本当に覚めるものなのだろうか?

 朝が来て、目が覚めた時、夢の内容は覚えていないものだ。

 それは、目が覚めるにしたがって、夢の内容を忘れていくからであって、そこには、夢と現実の間に侵してはならない境界があるからだと思っている。この思いは今後も変わらないだろうが、今まで感じていたほどの境界は存在しないような気がしてきた。

 ということは、

――夢の中にも真実が隠されているのではないか?

 ということである。

 認めたくない真実があり、それを夢で見たものだとして意識することで自分を納得させようとする。その思いが夢を見させるのだとすれば、夢を見るということは、本能に近いものがあるのではないかと感じたのだ。

 夢には種類があると思っている。寝てから見るものだけが夢ではないと思っていた。幻だとして片づけられているものも、起きてから見る夢だと考えれば、分からなくもない。つまり、

――夢を見るということは、自分を納得させるための本能のようなものである――

 という考え方である。

 悟はその日、早く寝ようとは思わなかった。寝てしまうと起きた時、また同じ日だったら怖いという思いもあったのも事実だ。だが、それよりも、無理に寝てしまうことをしないで、自然に身を任せる方が、今の自分には似合っていると思っているのだ。

――もし、日が変わってもう一度同じ日を繰り返したとしても、必要以上に意識しないようにしよう――

 と思った。

 悟はその日、家に帰ってから、さつきの出ているビデオをいつものように見ていた。その時、初めて、さつきの中に誰かがいると感じた。だが、本人が意識したのはその日だけで、朝が来て翌日になっていれば、その意識は消えていた。

 だからといって、前の日に、

――同じ日を繰り返している――

 と感じたという意識が消えてしまったわけではない。

 悟は同じ日を繰り返していると感じたのはその日が最初だったが、それからしばらくの間、同じように同じ日を繰り返していると思える日を時々過ごしていた。

 しかし、その時は、最初の時のように、明らかに前の日と違った何かがあったり、懐かしいと思えるようなことを感じることはなかった。最初だけが特別だったのだ。

 翌日、朝起きると、本当に明日になっていた。ホッとしたという反面、

――昨日のは何だったんだ?

 という思いを残した。

 何かの警鐘ではないかと思ったが、その思いは由香に対してのものでしかなかった。仕事の帰りに昨日と同じように店の前まで行ってみると、店は存在していた。扉を開いて中に入ると、

「やあ、久しぶり」

 という返事が聞こえてきた。悟は挨拶もそこそこに気になっていることを聞いてみた。

「由香ちゃんは、最近も来ている?」

 すると帰ってきた答えは、

「由香ちゃん? 誰のこと?」

 驚愕の返事に、しばし我を忘れてしまった悟だった。

――昨日のことは、由香をこの世に存在したということを抹消するために必要だったということか?

 と思わないわけにもいかなかった。

――僕が一つの人間の存在を抹殺した?

 と思ったが、逆に由香の存在がなくなったことで、自分が同じ日を繰り返したとも考えられなくもなかった。

 店の常連にも聞いてみたが、

「知らないな」

 と、誰も由香の存在を口にする人はいない。まさか、全員が口裏を合わせて自分を担いでいるわけでもあるまい。そんなことをして、誰が何の得になるというのか。そう思うと、悟は背中にゾクッとするものを感じていた。

 だが、その可能性は低いと思った。なぜなら、由香の存在を自分が覚えているからだ。他の人も同じように同じ日を繰り返すような不思議な出来事に遭遇していたとすれば、自分だけが由香の存在を忘れてしまうというのもおかしな話だ。そう思うと、昨日の同じ日を繰り返しているという思いは、今日という日の前兆だったのではないかと思えなくもない。

 一日一日は連続しているようで連続しているわけではないと、昨日同じ日を繰り返したことへの理由として考えていたばかりなのに、真っ向からそれを否定するような出来事に遭遇したのだから、悟の混乱は、しばらく続くように思われた。

 もし同じ日を繰り返している人が他にもいるのだとすれば、そこには何かの法則が隠されているように思えてならなかった。保管お人が、その理由を知っているかどうか分からないが、同じ日を繰り返したとして、それが半永久的に続くなど、考えられない。

 一日を繰り返すだけでも、時空に大きな歪みを生じさせるはずだ。それを敢えて行おうとするのだから、そこに共通性がないといけないと考えた。複数の共通性が存在してしまっては、歪みを元に戻そうとする力も複数存在しなければならない。歪みを知らずに毎日を過ごしている人に悟られることなく大きな力を発することはなかなか難しい。せめて一つの理由に集落されていない限り難しいだろう。

 しかし、一度歪んでしまった世界を元に戻すのは、歪みを生じさせたそれぞれの人に委ねられるのではないかと思う。歪みを生じさせた人は、歪ませる一方で修復させることにまで関知していない。そう思うと、おぼろげながら同じ日を繰り返した人には、元に戻ろうとする瞬間、自分を納得させられるだけの理由に繋がるヒントを、大なり小なり気づくように仕向けられているに違いない。

 その時気づいたのは、

――由香はもうこの世にはいないのではないか――

 という発想だった。

 何かの虫の知らせのようなものがあったはずだが、それを思い出すことはできない。そう考えていると、もう一つ発展した考えも生まれてきた。

――由香という女性自身、存在していないのかも知れない――

 同じ日を繰り返していると思った翌日、当日存在していなかったはずのバーがまた現れて、何事もなかったかのように営業していたが、何も前と変わっていないという確信にホッとしかかっていた瞬間、マスターからの由香という女性の存在を否定しているかのような発言に、最初は戸惑いを覚え、驚愕したものだが、なぜか落ち着いて考えると、悟の頭の中にも存在していたはずの由香が消えていくのを感じた。

 それはかき消されるとい乱暴なものではなく、スーッと音もなく、誰にも気づかれないように消えていく記憶を感じるのは、心地よいものでもあった。

 だが、その時に消えてしまったはずの由香の存在が、今、ビデオを見ている中で、おぼろげに感じられるようになってくると、それまで忘れかけていたバーの中での意識がよみがえってきた。

 バーの中で、同じ日を繰り返していたという意識と、その日の証明として、数分前にもう一人の自分が存在していたということで、同じ日を繰り返す根拠のようになっていた。

 それぞれは単独では存在しえないだろう。しかし、副作用というべき数分前の自分の存在に、どれほどの人が気づいただろう。

 いや、その日の証明を頭の中で抱いている人はたくさんいるとしても、それがどのようなものなのか、頭の中に描くことは難しいに違いない。悟にとって由香は、この世に存在していない人だと考えると、由香が数分前の自分とかかわっていたと考えるのも無理なことではない。

 同じ日を繰り返している時だけしか感じることのできない数分前を歩いている自分、もっとも、そんな自分の存在は頭の中で、同じ日を繰り返しているという事実を裏付けるものであり、自分一人の妄想ではないことを証明するために、意識させるだけの相手が、由香という存在だったのであろう。

 ビデオを見ながら、バーのことを思い出していると、それに付随している感覚も一緒に思い出される。ただし、それはあくまでも妄想の世界だけのことで、見えているものは虚空でしかないのだ。さつきの中にもう一人いる女が由香であり、由香がさつきとどのような関係なのか、まったく知り由もないはずだが、悟は二人の関係がどのようなものであっても不思議ではないと思っているに違いない。

 虚空というものは、果てしないものだ。それは、夜空に煌く満天の星空を見ながら、今にも掴めそうで掴み取ることのできない世界を思わせた。

 果てしない距離のはずなのに、目の前に広がっているものを取れるのではないかという錯覚が、虚空を却って、果てしないものだと思わせる。逆効果を狙っているように見えるがそうではない。

 夜空に広がる星を掴み取ることなどできないことは、物心ついた子供でも分かることだ。それをわざわざ大人になって意識させるのは、

――この世に終わりのない果てしないと思えるものなど存在しない。もしそれを意識できるのだとすれば、それは堂々巡りを繰り返す発想にしかありえないことだ――

 という思いである。

 だからこそ、わざわざ次元の歪みを発生させるという大きなリスクを背負いながらも、同じ日を繰り返しているという意識を植え付けさせようとしているのかも知れない。

――他に方法はないんだろうか?

 と思わせるが、手っ取り早く相手に理解させることで、理解させられれば、そこから歪を戻すのは必至である。

 時間が経てば経つほど戻しにくくなるという発想は、冷静に考えると、思い浮かぶことであろう。

 虚空を掴み取るということは、堂々巡りを繰り返す中で、元に戻そうとする次元の歪みを、自らが意識しているという証拠である。

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