第16話

 かえりたい。心底帰りたい。


 口元を引き攣らせて、ヘラは背中に嫌な汗をかいていた。

 しかし、目の前には困っている様子の少女。

 ツンツン頭の影で良くは見えないが、そんな雰囲気は伝わってくる。何より、先程はっきり拒否していたのを聞いている。


 ヘラは、ビシっと指を突き出して、ヤケクソ気味に声を上げた。


「だっ、だから、その、嫌がってるじゃない。その子。えっと、そう、よね?」


 後半は自信無さげに少女へと声をかける。

 ラクスを挟んで立ち尽くしていた少女は、コクコクと何度も頷いて、ラクスの腕を振り払うとヘラの後ろに隠れた。


「なんだよ、別になんも悪い事なんかしてねぇーって……ま、いっか。なんか迷子みたいだからさ、行先に連れてってやろうぜ?

 ほれ、荷物はこっちに寄こしなっと。うわ、意外と重てぇな。お嬢ちゃんよく頑張ったねぇ」


 完全に子ども扱いしているラクスだが、ヘラは自分の後ろへ隠れた少女に視線をやって、思わず少女を二度見した。


「え? あんた、こんなとこで何やってんの?」


 そう、帽子で顔を隠して恥ずかしそうに眼鏡の奥で瞳を伏せるのは、つい一週間程前にヘラの職場へ配属された新人だった。

 大人しくて、お上品で、確かどこそこの男爵家の出身だったと思う。癖のある濃い茶の髪は、ふわふわと栗鼠みたいで愛らしい子だ。

 チャラ男は子ども扱いしているけれど、確か年はヘラとそんなに変わらなかったはず。


「なんだよ、君ら知り合い? まー、類は友を呼ぶってやつ? 可愛い子の周りには可愛い子が集まるもんだねぇ」


 そういって、ラクスはヘラの傍らに佇むリルルへもウィンクして見せる。

 軽い、軽い男である。リルルは営業スマイルで聞き流した。


「と、とにかく、この子の面倒は私がみるから、その鞄寄こしなさいよ」


「えぇ~? やめときなって、そんな重たいモン二つも持ってんだからさ、こんくらい俺が持ってやるって」


「ふっざっけんじゃないわよ! あんたいい加減にしなさいよ!」


 ヘラの胸へ意味ありげな視線を送るラクス。その鞄を持つ手へ、同僚の鞄を取り返そうと手を伸ばすヘラ。それをひょいひょいよけるラクス。

 傍から見れば、恋人同士がじゃれ合っているようにも見えるかもしれない。リルルは形の良い薄い唇を切なげに開き、ため息をこぼした。


「まったく、仕方のない子ね。

 ねぇ、あなた? ヘラの知り合いみたいだから助けてあげるわ。どうしたいの?」


「あ、あの、道を教えて頂きたいのです。アルタイル侯爵様へお届けもので……」


 ためらいがちに言葉を紡ぐ少女に、リルルの瞳が見開かれた。


「まぁ! アルタイル侯爵様だなんて、あなた一体……いえ、そういう事には首を突っ込まない方が良いわね。

 いいわ、地図を貸して。あぁ、地図を逆に見ていたのね。今居る場所がここで、こっち向きに見るのよ、こう行ってここでまっすぐ……で、到着。

 おわかりかしら?」


 細く傷一つないしなやかな指先が地図をなぞり、なぞった後に指先から発せられた光の跡が道しるべとなって残った。


「ありがとうございます! あの、あなたも魔法が使えるのですか?」


 先程までの遠慮しがちだった様子から、少し打ち解けた様子で少女が瞳を輝かせた。それを少女より背の高いリルルは妖艶な笑みで見下ろして、そっと指先を口元にあてる。


「えぇ、そうよ。でもそれは内緒なの。おわかりね?」


 魔法を使える者は極まれで、平民にはほぼいないと言える。

 魔力は在っても、それを魔法として行使出来るのは、王侯貴族の特権に近い。最も、単に魔法を使えるものを意図的に血脈へ取り込んだ結果でしかないのだが。


「は、はい。そうですね。すみません。私ったら」


 慌てて少女も口を閉じる。そんな少女に、リルルは少しだけ心配になった。同族意識ではないが、まるで不出来な妹を見るように優しく頭を撫でる。


「純真なのは美徳の一つよ。でもね、それだけじゃダメ。

 簡単に騙されたり利用されてしまうおバカさんでは、何事も為せないわ。今のあなたにやるべき事があるのなら、もう少しおりこうさんに立ちまわりなさい。

 分からなければ学べばいいのよ、少しずつね」


「あの、はい。ありがとうございます。えっと、私はデボラと申します」


「私はリルレィルよ。みんなはリルルと呼ぶわ。

 ふふ、旅芸人をやっているから、暫くしたらまた巡業にでるけれど。縁があればまた会うかもしれないわね」


 異国情緒漂うリルルの装いに、デボラは納得したと頷き返す。


「はい! あの、またお会いしたいです」


 はにかむデボラの手へ地図を返して、リルルはじゃれ合うラクスの手から鞄を取り上げた。音もなくラクスの背後へ回り、ヘラに気を取られている所で、素早く取ったのだ。


「げっ、全然わっかんなかった。凄いね、君。イイ女はやる事もスマートっつーかさ」


 ちゃらついた笑顔でリルルの肩に手を置こうとしたラクスを、ヘラが思い切りつまんでやった。


「いてててっ、おいおい、料理人の手だぜ? もう少し優しく扱ってくれよな」


「何言ってるのよ! とにかく、あんたはここまでよ。さよなら」


「はー、つれないねぇ。あ、そうそう、俺ラクスね。君は?」


「名乗る訳ないじゃない! あんた馬鹿なの?」


 きゃいきゃい言い合う二人を横目に、リルルは顎に手をやって一瞬だけ考える。考えた後、唇をにぃっと微かに持ち上げた。


「ね、デボラ、行きましょう。やっぱりもう少しお話ししたいの。構わないかしら?」


「はい! あの、でも、ヘレニーアさんはいいんでしょうか?」


「いいのよ。あの子もそろそろ婚期を過ぎる所だし、あのラクスとかいう男、その気ならヘラなんて腕力も瞬発力も適わないわ。分かってて加減しているのよ。更に言えば、仕事ぶりは真面目だと思うし、根は悪い奴でもなさそうだから」


 そう、先程鞄を取った時に分かった、ラクスの手は働き者の手をしていた。

 軟派なだけで根性無い男の手では無い。……浮ついた男というのは事実かもしれないが。


 気にかかる様にチラチラとヘラへ視線をやるデボラを連れて、リルルはその場を後にした。

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