第9話 出会いは素直になれなくて

 まるで春の木漏れ日が優しく包み込むように、暖かく人を受け入れてくれる人だと感じた。相手の言う事になんでもかんでも頷くという事では無い。

 己の考えも持ってはいるが、それが違うからといって他者を攻撃する訳でも無い。言い負かせようと眦を吊り上げるなどしない。

 ただ、ただ穏やかに違いを受け入れて、相手の存在を認めているようだった。


 それは、己にしっかりとした芯があるからなのだろうか。

 己を知り、余裕があるからこそ、相手にも敬意を持って接する事が出来るのだろうか。自分に自信が無ければ、人は違いを受け入れる事が難しいだろう。

 違う他者の考えよりも己の考えの方こそが良いはずだと、躍起になるかもしれない。

 本当の自信があるのなら、他者が何と言おうとも揺るがないのではないだろうか。


 彼女は、私にとって初めての存在だった。そんな人は、今まで見た事がなかった。





「まぁ、そのリボンは何ですの? まるで頭に鳥の巣が出来たみたいですわ。ねぇ? そう思わないかしら?」


 我が家主催のお茶会で、同じ年頃の娘を連れた母親達が集まる中庭の一角に、連れてこられた娘達だけが集まっていた。

 母親達は母親達で少し離れた茶席に座り、お茶とお喋りを楽しんでいる。話に夢中な母達は娘達が少し離れた所で何を話しているのか、聞こえていないだろう。


「7歳にもなって、そんな大きなリボンをつけてこられるだなんて、フラン様は随分と素敵なご趣味ですのね。私にはとても真似できませんわ」


 見下すように放つ私の言葉に、きょとんとまんまるい目を見開いたフランボワーズ子爵令嬢は、小首を傾げた。少しだけ考えるように顎に手を添えてから、パンと軽く手を合わせる。


「まあっ! ピーチ様もそう思われますの? 良かったわ、お母様も侍女達も未だに幼子のような恰好をさせては【かわいい!】しか言って下さらないから、私がおかしいのかと思い始めていましたわ。ふふふ、やっぱり、もうこんな大きなリボンは恥ずかしいですわよね」


 そう言うと、小さな指でするするリボンを解いた。まさか同意されるとは思ってもいなかった私は、胸を逸らしたままで一瞬固まったが、すぐにハッとして口を開く。


「ふ、ふん! 外せば良いというものではありませんわ! 外したら、そう、外したから、えっと、その、ほ、ほら! 何も飾りをつけていないだなんて、レディが聞いて呆れますわっ!」


 背後の子爵や男爵令嬢達が多少ざわざわしているが、気にせずなんとか言葉を続けた。

 だいたい、この子気に入らないのよ! 子爵の娘だっていうのに、伯爵家の私に挨拶したっきり、ついてこないだなんて。

 キッと私はフランを睨んだ。今日のお茶会で最初の挨拶が済んだ後、子どもは子どもで遊んでいらっしゃい、と母達の茶席から中庭の奥で遊んでくるよう言われた。

 メルバ伯爵家の一人娘である私に、男爵や子爵令嬢達は媚びるよう後をついてきたのに、フランだけはついてこなかった。

 挨拶こそキチンとしたが、その後は中庭のあちこちを一人でうろちょろしている。

 暫く無視して他の令嬢達と話していたが、いつまで経っても私へのご機嫌伺いに来ないフランにいい加減イラついて私から話しかけてやったのだ。


「あら、本当ですわね、何も飾りが無くなってしまいましたわ」


 まるで困っていないような笑顔で、フランは片手を頬にあてる。

 なに、なんなのこの子。理解できませんわ。なんで笑ってられるのよ? あんた今馬鹿にされてるのよ? しかもレディが飾り一つもつけてないだなんて、恥ずかしく思いなさいよ!

 イライラとして私は腕を薙ぎ払った。私の手が、すぐ近くの花を揺らして何かが花から飛び立った。


「きゃあっ!? 蜂ですわっ!」


 私の後ろにいた一人が声を上げて逃げ出した。それに続いて他の子達もキャーキャーと母達の所へ駆け出す。私はというと、丁度私の周りをブンブンと飛ぶ蜂に、怖くて動けなくなってしまっていた。

 去年、私は蜂に刺された。その時の痛くて痛くて大きく腫れた事、一匹が刺してきたら何処からか他の蜂も飛んできて数か所刺された事、あの恐怖を思い出して、動けなかった。

 ブンブン飛ぶ大きな蜂は、私の周りを周回して、不意に私の頭目掛けてきた。


 怖い! 死んじゃう!


 ぎゅっと目をつぶって、息を止めて、固まった私の手が誰かに掴まれて引き倒された。地面にコケた私の頭上を蜂が通り過ぎていく。

 小さな手が、私の頭から何かを急いで引き抜いて、遠くへ投げる。すると、通り過ぎて戻ってきかけていた蜂は、また何処かへと飛んで行ってしまった。


「ふわぁ、怖かったですわね。大丈夫ですか?」


 全然怖がって無いように、のんびりと間の抜けた声が話しかけてきた。声の方へ顔を向けると、やっぱりフランだった。


「ごめんなさい、ピーチ様の頭に飾ってあったお花。きっと、あれが目当てだったんですわ。匂いの強い大きなお花でしたから」


 そう言って、自分のドレスに付いた土をパンパンと叩いて、フランは自分で立ち上がった。それを私はコケたまま黙って見上げていた。

 私の視線に気付いたフランは、フワッと柔らかな笑顔を浮かべて私の手を引いた。されるがままの私を立たせて、私のドレスに付いた土を丁寧に払う。

 ふと、その手が止まって、泣きそうな顔で私を見上げてきた。


「申し訳ありません! 私ったら、慌てていたとはいえ、本当にごめんなさい!」


 さっきまで、フワフワと風に揺れる蒲公英の綿毛みたいにして、何を言われても笑っていたフランが急に泣きそうになって私はビックリした。

 そっと優しい手付きで私の肘を持ち上げると、フランは手にしていたあの大きなリボンを巻き始めた。


「私がコケさせたせいで、肘をすりむいてしまわれたのですね、血が滲んでとっても痛そう。取り合えずこのリボンで我慢してくださいませね。早く手当してもらいに行きましょう」


 そうして、黙ったままの私をお母様達の所へと連れて行ってくれた。





 結局、ただ転んで肘をすりむいただけなのに、伯爵家の一人娘に怪我をさせたとフランは叱られたらしい。らしいというのは、私はすぐに手当てをしに連れていかれて、お茶会でその後起こった事は見ていないからだ。

 後から、取り巻き令嬢その一から話を聞いた。

 それを聞いた私は、即座にお母様へ事情を話しに行った。そもそも、蜂が出た事もお母様は聞いていなかった。

 私を置いて逃げた子達が黙っていたのだろう。フランも、私を連れて行ってくれた時に、コケて怪我をしてしまったから手当して欲しいと、急いで端的にしか話していなかった。


 そうして、今、私は初めて自分でお茶会を開いた。招待客は一人だけ。


「まぁ、このクッキーとっても美味しいですわ、ピーチ様」


「あ、当たり前よ。この私のお気に入りなんですもの」


「流石、メルバ伯爵家の御用達ですわね。ふふふ、つい食べ過ぎてしまいそうですわ」


「気に入ったのなら、いっぱい食べなさいよ。まだまだたくさんあるんだから」


「嬉しいですわ、その……お友達と一緒に美味しいお茶が出来るだなんて、幸せですわね」


「ともだち……、そ、そうよ!この私の初めてのお茶会に招待してもらえた事を、光栄に思いなさい!」


「まぁ、初めてのお茶会でしたの?ふふふ、ありがとうございます」


 素直に微笑んで感謝の言葉を口にする、どうしてこの子はこんな風に笑えるのだろう。私には持っていないモノを持っているフランが、気になって仕方がなかった。ドレスの隠しに入れたアレにそっと触る。

 何してるの、ピーチ。メルバ伯爵家の一人娘ともあろうものが、将来入り婿取って伯爵家を継ぐ私が、こんな子一人相手に緊張して言い出せないだなんて。

 グッと唇に力を入れて、アレを取り出す。綺麗に洗ったつもりだったけれど、他人の血がついたものだなんて気持ち悪くて嫌だろう。いや、そもそもこのリボン・・・・・が汚れる事こそ、嫌だっただろう。


「まぁ! 私のリボン。ふふふ、綺麗に洗って下さったのね、ありがとうございます」


 笑顔で謝礼まで述べて受け取るフランに、私は眦を吊り上げた。


「何言ってるのよ! なんで怒らないのよ! なんでお礼なんていうのよ!」


 突然怒り出した私に、きょとんとまん丸い目を見開くフラン。


「このリボン、これ、これは……亡くなったおばあ様から頂いたものなんでしょう! 私、聞いたんだから!」


 怒鳴る私を見て、ただ静かにフランは話を聞き続ける。


「貴女の事、すっごく可愛がって下さっていたおばあ様から、貴女への初めてのお誕生日祝いに贈られたのでしょう!

 少し前におばあ様が亡くなって、落ち込んでいた貴女を気晴らしにと連れて行ったのが、この前のお茶会だったんでしょう!」


 なんでか分からないけれど、感情が高ぶって自分でもよくわからなくなってきた私は、わめき続ける。


「貴女の大事な物だったんでしょう! それを、貴女をイジメた私の為に汚すだなんて、貴女馬鹿なんじゃないの!? どうして、そんな……そんな事出来るのよ!」


 少し困ったように眉根を寄せたフランが、席を立って私の隣に来た。

 なによ、なんなのよ、やっぱり仕返しに髪でも引っ張ってやろうっていうの?

 座ったままの私の隣へ来たフランを、睨むように見上げる。フランはハンカチを取り出して、私の顔を拭った。ハンカチが少し濡れて、私は泣いていた。


「お優しいのね、ピーチ様。私の事を思って、私の大事な物を汚してしまったと心を痛めて下さったのね」


「はぁ!? あんたバカじゃないっ! 私を蜂から助けてくれたんだって、ちゃんと分かってるわよ。なんで、コケたのを自分のせいにして、リボンだって……」


 もう、フランが何を考えているのか全く分からないし、自分が何を言いたいのかもよくわからなかった。ただ、フランが穏やかに微笑んでいるのが、そうして一緒にいてくれる事に安心した。


「ふふふ、自尊心の高そうなピーチ様ですもの、蜂に怯えていたとみんなに知られたくはないかと思いまして。それに、どうあろうと、私が怪我をさせたのは事実ですわ。手当に使ったとあらば、おばあ様だって喜んで下さると思ったのです」


 私の涙を拭いたハンカチとリボンを仕舞って、少し照れたようにフランは私の前でもじもじと話し出す。


「その、私、ちょっと変わっていると言われますの。自分でも少しどんくさい所があるなという位は自覚しているのですが、その、なかなかお友達が出来ないんですの。何か気になった物があると、つい周りが見えなくなってしまったり……」


 そう言って、ドレスを掴んだり離したりして何やら言いよどんでいた。


「まるで凛と咲き立つ百合のように、ハキハキしたピーチ様は素敵ですわ。素敵で、そんな私に無いものをもっていらっしゃるピーチ様とお友達になれたら、とっても素敵だなって思ったんですの。あ! それだけで蜂から助けようと思ったわけじゃありませんのよ! もちろん、誰であっても危なければ助けたいと思いますわっ」


 なんだかよく分からない言い訳をしだしたフランに多少困惑したけれど、要は、この子も私も自分に無いモノがある相手に惹かれあったという事かしら?

 この子は素直に好意を示せるけれど、私はつい意地悪をしてしまう性分なのかしら。これは、一考の余地ありね。

 私は、わたわたと何やら言い続けるフランの手を取って、黙らせた。


「ふん、何よ、私のお友達になりたかったのなら、さっさとそう言えばいいのよ」


「え、その、お友達になってくださいますか?」


 おずおずとはにかむフランに、この子はどこまで馬鹿正直というか素直なのかしらと、将来が不安にもなった。


「当たり前じゃない、さっき貴女が言ったのよ? 【お友達と一緒に美味しいお茶が出来るだなんて幸せ】だって」


「あ、あれは、その、つい、そうだったらいいなって思ったら口に出てしまって」


「だから、もう私達はお友達なの。私の、初めての、ホントのお友達よ」


 私の言葉にフランは嬉しそうに頬を真っ赤に染めた。きっと私の頬も、おそろいなんだろうけれど。フランとなら、それもイイなと思えた。

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