第6話 伯爵は釈明したい

「父上! 母上が出て行ったとは、どういう事ですか!?」


 次男のラタムが怒鳴り込むようにしてキュラス伯爵の執務室へと入室した。

 プラタナス学院の寮に入っている筈が、早馬で駆けてきたのか乗馬姿のままだ。

 兄と同じく名門学院へ入学を果たしたラタム現在十六歳。父親である伯爵相手にも物怖じせず主張する。


「ラタム、まずは双方の言い分を聞かなければ、分からないよ?」


 穏やかに言い聞かせながらも、瞳には父親であるキュラス伯爵を断罪するかの如く冷徹さを滲ませて、長男のアークが後に続く。

 既にプラタナス学院は卒業して、王立騎士団の近衛隊を務めるアーク。物腰穏やかで常に笑顔だが、その瞳が本当に笑っているかは定かではない。


 既に己と同等か、少し大きい程に成長した息子達に囲まれて、絶体絶命のキュラス伯爵。

 厳格な父親の姿を見せてきたものだが、今は見る影もなかった。


 事実、妻に出ていかれたのだから、多少しみったれた顔となってしまったのも致し方ない。

 しかも、出ていく時に今までの自分へ対する恨みつらみを簡潔に分かりやすく述べてくれた。


 如何に妻の怒りを買っていたか……それに気付かず過ごした結果、遂に彼女を失う事に至ったのかを、一人茫然と思い返していた。

 そこへ、事態を知った息子達に突撃されたのである。

 しかも何故か詳細を知っている様子だった。

 疑問が顔に出ていたのか、椅子に座ったままで詰め寄る息子達を見上げる伯爵へとアークは告げる。


「母上から本日届くようにと手紙が送られていました」


 怒りを滲ませて話す息子の手に目をやれば、成程二人とも手紙を持っている。

 ……もしや、あの手紙の中には、先ほど私に話したような内容が書き記されているのだろうか?

 若干冷や汗を流しつつ、しかし確認しないわけにもいかない。


「そ、そうか。それで、手紙には……なんと?」


ゴクリ


 品良く整えた髭の下で、生唾飲み込むキュラス伯爵。

 そんな父親の内心を見透かしたかのように、アークが氷の微笑で手紙を投げてよこす。

 重厚で年代を感じさせるアンティークな机の上に、パサリと紙片が広がった。


 ざっと目を通しただけでも、要所要所ボカシつつも先程聞いた妻の恨み節が記されている。

 否、ぼかす事によって、より卑劣な事でも犯したかの如く読み取れてしまいそうだ。


「っち、違うんだ」


 考えずに口から出た言葉は、なんとも情けなかった。

 そこへラタムが机の上へ手を置き、紙片を丁寧に摘み上げながら言う。


「へぇ? 何が違うのですか父上。母上の手紙に嘘偽りがあると? ここに記されているのは母上の妄想でしょうか?」


「い、いや、それも違う、嘘は書いていない、嘘ではないが……」


 出来る限り誤解されるような書き方をされている気がする。

 しかし、嘘ではないし傍目には書き記されている通りでもある為に、なんとも言い難い。


 何故だ。どうしてこうなったのだ。今まで二十年近く、威厳のある父親であり伯爵として領民にも家族にも敬われていた筈なのだが……

 あまりに思いがけない出来事で、動揺してしまい思考が纏まらない。

 まさか、まさかだ。あの大人しく控えめに微笑んで何事も言う通りにしていた妻が(寝相は多少悪いなと思っていたが)このような暴挙に出るとは、誰が予想出来ようか!?


「父上、昔から母上への冷たい仕打ちは目に余ると思っていました」


 黙り込む父を見下ろして、アークは氷の微笑を浮かべる。


「母上へは労りの言葉をかけるでもなく、愛の籠った贈り物をするでもなく、家の事は執事に任せきりで……祝い事の贈り物すらご自身では選んでいらっしゃらないですね?」


 ぐうの音も出ない。

 いや、反論したい事はあるのだが、今までこれほどまでに息子達が怒りを露わにした事も無かった。

 妻と息子達の突然起こした暴挙に、ただただ大人しく座って話を聞く。


「父上、私は成人しておりますし仕事にもついている。貴方の生き様を見ていれば特段伯爵家に未練もない。

 このまま、母上を傷付けて捨て置くというのならば、私にも考えがあります」


ヒュン


 息子の冷たい視線と言葉に、体の一部がキュっとなった気がした。

 これ本当に自分の息子? こんな冷酷な表情を出来る遺伝子自分にあったか? と、遺伝子レベルで思考する。

 そういえば、父方の叔母に氷雪の令嬢と異名を轟かせた方が居たな。


「僕はまだ学院が後二年残っていますが、母上の下から通う事も可能だそうです。父上、貴方の行いは反面教師として役立たせて頂きました」


 怒りを滲ませたラタムは、緋色の髪が怒りで燃えているように錯覚させられた。

 あれ、こんなに激しく怒りを露わにする子だったか?

 あぁ……フランの従兄に焔の貴公子と異名を持つ方が居たな。


 思わず遠い目をしてしまったキュラス伯爵。

 それを睨む瞳と見下す瞳が、身を翻して出ていこうとした。


「ま、待て、待ってくれ! 誤解なんだ。彼女の手紙に記されている事を説明しよう……」


 このままでは家族から見捨てられてしまう!

 妻の時にはあまりの驚きように、そのまま見送ってしまったが、今度こそはっきり釈明せねば!


 キュラス伯爵の必死の呼びかけに、心底嫌そうな表情でアークとラタムは振り返ったのだった。

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