Khaki:クリスタル

「クリスタル…」


「すこぉ~し埃を被ってるがな。この時期のモノが最高傑作だと俺は思ってる」


 鞍さんは大切そうにソレをカウンターに置き、俺の方へスライドさせる。

 重厚な箱に入れられたクリスタルは、それだけで価値があるもののように俺には思えた。いつの間にか俺にとってもクリスタルは特別なものになっていたんだろう。そう実感した。


「鞍さん…俺」

「金はいらん。またいつか来てくれればそれでいい」

「いや、そんなわけには」


 俺はあいつから預かった金を取り出そうと鞄を手に取ると、その手を鞍さんが制した。とても大きく、ゴツゴツした年を重ねた男の手だった。


「クリスタルを探してるってことは、あいつにとってその時がゴールであり、スタートなんだろ? あいつの節目ってことだ。だから、金じゃないんだよ。俺はあいつにとってクリスタルがまだ特別だったってことを知れて、本当に嬉しいんだ」


 鞍さんは葉巻を口にくわえながら、そんなことを言う。昔観た映画のワンシーンのように、俺には過去の栄光に酔う寂しい男の姿に見えた。


「今も連絡とってるんですか?」

「いや…」


「結局、あいつは鞍さんさえも過去にしたってことっすよね?」


 ここ何日間で聞いてきた、あいつの非道っふりを思いだし、鞍さんも被害者じゃないかと考える。


「いいんだ、良いんだよ。俺は過去の遺物だ。それでいい。」

「鞍さん…」


「俺はこうして好きなモノに囲まれながら生きている。この街がどう変わっていこうともね」

「鞍さんは、まだあいつを信じているんですか? クリスタルのことも、あいつが鞍さんと同じ想いでいるか分からないじゃないですか?」


 俺はクリスタルを目の前にして、つい…鞍さんの大切にしている想い出に疑問を投げかけてしまった。


 そんな俺の言葉にも顔色一つ変えず、鞍さんはクリスタルを見つめながら呟いた。それは全てを包み込む覚悟の様な暖かさを含んだ言葉だった。


「どちらでもいいんだよ。俺はあいつの苦しみを知っている。それだけで十分じゃないか? あいつはな…俺が言うのもなんだが…」


 ジリジリと音が聞こえる。葉巻の燃える音だ。


「あいつは、ああ見えて…騙され続けた人生だったんだよ。俺と出会った日、こいつは死んじまうんじゃないか? っていうほど暗い目をしてた。ひどい母親にまとわりつかれててな。それが女に対しての不信感に繋がってるんだろう。そのくせ愛情に餓えてやがる」


 そんなのただのマザコンじゃないか。苦労したとしても、多くの人を傷つけていい理由にはならない。


「そんな時京香ちゃんと出逢って、あいつは変わった。愛を護るために、トップを目指すためにどんなことでもやって来た。全ては京香ちゃんのために。それでもどんなに努力しても、いつも母親と同じように裏切られ、自分の前から去る日が来るんじゃないかと恐れてる。京香ちゃんはそんな子じゃないのにな。大切に思うから、距離をとる。矛盾してるよな」


 京香さんはあいつを今も愛してるのだろうか? 俺は鞍さんの話を聞きながら、京香さんと初めて出逢った時のことを考えていた。こんな俺に手を差し伸べてくれた優しい女性ひと


「ま…、そういう生き方もあるんだよ」


 お前にもそのうち分かるさ、と鞍さんは俺の肩にがっしりと手を置く。


 俺には鞍さんの考えている事が理解できなかった。でも1つ言えることは、俺も鞍さんと同じ様に、翔さんや京香さんのことはどんなことがあっても無条件で信じられると思った。


 だから俺はあいつから預かった金を鞍さんに渡し、クリスタルを受け取った。


「これ、俺が預かった支度金です。コレの価値はわからないけど、ちゃんと受け取るべきです。想い出の対価としても」

「そうか…」

「あの人にも、理解してくれる鞍さんのような人がいたって言うことが、俺にとって救いです」


「お前さんは…あいつに似てるのかもしれないな」

「えっ?」


 俺にとって、その言葉は心外だった。あんな非道な男にはなれないし、なりたくもない。

 そんな俺の心境なんか完全に無視をして、鞍さんは話続けた。


「心の奥底で、苦しんでるんだろ? 期待してるのに裏切られたくなくて距離をとる」


 鞍さんは俺の胸を指で何度か押す仕草をする。


「いつかあいつみたいに、その矛盾がでっかくなってコントロール出来なくなる日が来るだろう。今以上に苦しいと感じる時が」


 鞍さんの目が俺を捕らえる。心の奥底まで覗き込まれ、俺のスイッチは継続不能になる。


「心に蓋をするもんじゃない。疲れるぞ」


 俺がこの胡散臭い親父を好きだと思った理由がわかった。京香さんと同じ様に、心の奥底で膝を抱えて泣いている弱い俺を受け入れてくれる大人だと…俺の本能が知っていたからだ。


「迷ったら、いつでもいい。ここに来い」

「鞍さん…」


 鞍さんは自分のグラスに酒を注ぐと、行った行ったと言わんばかりに、手を振る。


 鞍さんの背中が丸く寂しく、小さく見えた気がした。


「ありがとうございます」


 俺は深々と挨拶をし、店を後にした。


 ふわりと、葉巻の香りが俺の前を通過する。

 やっと手に入ったクリスタルを腕に抱え、俺は翔さんに連絡をいれた。

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