円環の空・循環の海・破滅のオルドビス

葛鷲つるぎ

第1話 笑う人

 声がする。


 雑音混じりのそれは、徐々に、徐々にと明瞭になっていき、頭に鳴り響く。



 ――笑うな、と。



***



「オペレーターのニオです! よろしく!」


 笑顔を向けられていた。


 アシトヨ圏にある、ペルセウス機関アシトヨ圏支部のとある一角。ハトバは、凪のような表情を崩さず、目の前の少女を見つめた。


 ここはハトバが隊長となる部隊の部屋だった。入室しするや開口一番に言われた言葉が挨拶で、新部隊の隊長は瞬く。


 ハトバは今年で十六になる少年だったが、孤児であることが影響してか、身体が細い。


 長年手入れがされてこなかった黒髪は頭部がツンツンとしていて、後ろ髪は段々と癖毛になって肩まで伸びていた。何重にも線が引かれたような酷い隈をこさえた三白眼は、暗澹とした青色。


 黒色の指ぬきグローブを嵌め、白と水色のジャージを着ている姿は、まるで部活動の学生に見えるものの、彼の両目は見た者をぞっとさせる。


 対するニオは、明るい色合いの少女だった。


 薄桜色の豊富な髪の毛を肩甲骨辺りまで伸ばしている。ルビーのような瞳は友好を示すように柔らかい。


 肌寒い季節のせいか、ハトバは半袖の着圧ウェアの上にジャージを羽織ったが、ニオはパーカーだけでなくウィンドブレーカーを重ね着していた。袖の口から手をちょこんと出している。


 ニオの挨拶から、しばし無言の時間が生じていた。少女は笑顔のままだ。すると彼女の後ろに居る少年が、痺れを切らして口を開いた。


「黒持ちが、返事くらいしたらどうだ」

「おい」


 何故かニオが怒った。


「ごめんね、ハトバ。こいつはカシドリ。戦闘員。ハトバ隊の一人だよ」

「俺は黒持ちと馴れ合うつもりはないからな」

「黙らっしゃい」


 カシドリは、四角四面の印象を与える少年だった。不信感を隠さない紫色の瞳。まっすぐな黒髪もまた紫がかり、後頭部の上で結われた上でニオと同じくらいの長さまで垂れている。ペルセウス機関で支給される隊服と同じ深緑色の袴を身にまとい、腰に刀を佩いていた。


 喧嘩する二人。


「――ハトバだ」


 ハトバがようやく名乗ると、ニオは目を輝かせて振り向いた。


「じゃあ、この部屋を説明するね! ハトバはここが初めてだよね?」


 ハトバはまた無言になった。話を進められても困る理由があったからだ。ニオは我慢強く待ち、カシドリは苛立ちで眉根をひそめる。


「ここは俺の隊だと聞いた。本当か?」

「ホントホント」


 ニオがうなずく。ハトバはしかし、まだ信じがたい気持ちでいた。


「シキョウは――」


 刹那、警報が鳴った。三人揃って部屋の奥にあるモニター画面を見る。郊外だが町に近い場所で敵性反応が点滅していた。アルゴル出現の兆候。


「たぶん、私たちの隊に出動命令は出ないとは思うけど」


 オペレーターのニオが言う。隊員の二人、ニオとカシドリは隊長であるハトバを振り返った。


 出動がかからないのは、ハトバ隊はまだ正式に発足していないからだった。が、出撃するか否か、二対の目が指示を待つ。カシドリは既に袖が邪魔にならないよう、たすき掛けをしていた。


 ハトバはうなずいた。


「俺たちも出る」

「了解!」


 待ってましたと二人が応じる。


 戦闘員のハトバとカシドリは、ニオの激励を背に部屋を出た。





 アルゴルとは、人類ひいては世界の敵だった。


 この世界は円環によって成り立っているとされ、人類は世界の代表として円環の加護を得てアルゴルと戦い、今の栄華を手にしている。


 その為、現在の戦況がはかばかしくないことを知る者は、ごくわずかに限られ、ハトバはそのうちの一人だった。


 たった一人でアルゴルを倒していたところ、アルゴル討伐専門組織ペルセウス機関の幹部に声をかけられたのである。藁にも縋る思いだったのだろうと、ハトバは検討を付けている。ハトバ自身も喫緊の課題を知らされて、不承不承ながら入隊を決めていた。


 アルゴルの正体は誰も知らない。その存在を認識することは難しく、かろうじて捉えても半透明が良いところだ。むしろ、そうでなければならなかった。その姿は明確になっていくほど、アルゴルの危険度は上がるのだ。


 しかし弱ければ良いというわけでもなかった。


 子供でも倒せるくらい弱くても、アルゴルも生存本能を持つ存在であるため、しばしば返り討ちに遭い、死亡事故に至る事件が発生していたのである。法整備がなされ、ペルセウス機関の隊員以外は原則、討伐禁止となったのは今年のことである。ハトバが機関に入隊した最大の理由だ。


 そもそもアルゴルはハルペーという特殊な武器でしか、まともに倒せる手段がなかった。一般市民の包丁でも倒せないことはないのだが、アルゴルは蘇生するのである。しかもまったく別の場所で蘇る。


 ハルペーなら一度で倒せたが、それ以外の通常武器でアルゴルを倒し切るには、四度繰り返す必要があった。


 この為、アルゴルを倒すにはある程度の作法を要していて、この最大効率を図っているのが、アルゴル討伐専門組織ペルセウス機関というわけだった。


「キビシス展開完了!」


 ニオが宣言する。


 キビシスは、アルゴルを逃がさない特別な結界だ。万が一、ハルペー以外の方法で倒すことになっても、結界内で再生され倒し切れる。


「了解」


 ハトバとカシドリは応答すると、足輪のタラリアを発動した。光の鱗粉のような軌跡を残し、二人の走る速度が上がる。


 タラリアは、これを身に着ける者の身体能力を上げた。平素でも使用可能だが、キビシス内で行使すれば、さらに能力は向上する。


 ハルペー、キビシス、タラリア。


 これらが円環の加護であり、この三種の神器を以って、人類は長年アルゴルを倒してきたのである。




「アルゴル討伐を開始する」


 勢いをつけ、ハトバは宙を跳んだ。


 天気は曇り。風は強くない。郊外のアルゴルとの戦いで、打ち捨てられた瓦礫が眼下に広がる。


 丸っとした鉄球を鎖で振り回し、アルゴルを破壊した。聞こえないはずの悲鳴が今にも聞こえそうな存在感を放ちながら、大型のアルゴルが倒れていく。


 今回の敵は巨大だった。タコのようなクラゲような、よく分からない形をしている。アルゴルは、たいてい古代の水棲生物ような見た目をしていた。強くなるほど姿かたちをはっきりとさせ、巨大化していくのだ。


 危険度の等級はオルドビス級。続いてゴトランド級、デボン級、カルボ級、ペルム級の出現を確認。伝説のカンブリア級以外の、すべての等級が出揃っているようだった。総数から見ても大規模といって差し支えない。


 慌てて下級隊員の退避指示が出された。ハトバは入隊したてでまだ下級隊員だったが、指揮系統が特別であったため、退避せずアルゴルを討伐する。


 新人が瞬く間に化け物を、しかもオルドビス級を倒していくので、隊員は驚愕の目を向けた。オルドビス級は上級隊員でもさらに精鋭の特別隊員が相手になる。


 ハトバがシキョウ第二大隊長の推薦だと知られると、さらなる驚愕と納得の空気が流れた。アシトヨ圏支部のみなならずペルセウス機関の中でも上位にある実力者と名高い、隊員たちの誇りである。


 カシドリは自分の兄が連れてきた同い年の少年が、小型のアルゴルを足場にして、身の丈ほどある大きな鉄球を振り回している姿に絶句した。


 あの細い身体で鉄球を自由自在に操るとは、どんなカラクリか。黒持ちが、いったいどんな手を使っているのか。後で問い詰めなければと思うが、今は余計なことを考えられる余裕もなく、必死に中級以下のアルゴルを倒していく。


 カシドリは中級隊員になったばかりで己の実力は弁えていたが、ただ敵を倒し確実に倒せる弱さを相手にしていてさえ、こうも数が多くては疲労が溜まった。


 その疲れに、足を取られた。


『カシドリ、上!』


 隊員の様子を把握するニオが、悲鳴を上げる。彼女はさっきまで心の中で、さすがハトバと賛辞を送っていたが、カシドリに迫る敵は見逃さなかった。


 通信の声に急ぎ状況を確認したハトバは、間に合わないことを悟った。射線は通らない。無理に鉄球を投げても放物線を描く。


 その間にもカシドリにアルゴルの魔の手が届こうとしていた。小魚のような見た目をしたアルゴルだが、その口元は嘴のように硬く鋭い。人一人は容易くかみ砕ける。しばしば死亡事故が起きる原因だった。


 カシドリの手から刀が弾かれる。彼は頬に怪我を負い、血が流れた。数歩後退っている。小型のアルゴルごと、アメーバ状の中型アルゴルが、カシドリを飲み込もうとしていた。


 ハトバは、咄嗟に武器を手放した。

 指示を飛ばすように、利き手を差し出す。


 そして。

 次の瞬間。

 アルゴルは消えた。


 カシドリは来るはずの衝撃が来ないことを訝んで顔を上げ、瞠目した。目撃していた周囲も騒然とする。


 視線の先には、黒い球体。


「黒持ち!!」


 怒号が飛んだ。反対に逃げる者もいた。


 ハトバはカシドリの傍に寄らなかった。大きな怪我がないことを確認しながら、投げられた石を避ける。


『ハトバ!』


 ニオが悲鳴を上げた。


「なんで黒持ちがここにいる!」


 黒持ちとは、悪魔に魂を売りアルゴルの手先に下った罪人である。そういう、言説だった。黒持ちは何でも吸い込む黒い球体を呼び出せるので、まことしやかに囁かれたのである。


 もっともな理由として語られるのは、彼らが笑うことにある。不用意に。高らかに。そうして多くの命が黒い球体に吸い込まれ、消えていったのだ。今しがた、ハトバがアルゴルを消したように。


「ハトバ……っ」


 カシドリは自分の所為で起こったことに責任を感じ、心配げに見遣った。


 ハトバはずっと、眉根一つ動かさず、淡々とアルゴル討伐を続行していた。誰がどう詰ろうと、アルゴルはまだ残っているのである。


「アイロ大隊長!」


 大規模なアルゴルの出現に急遽駆けつけ、離れたところで町への被害を食い止めていたアイロ第一大隊長は、話を聞くとため息をついた。


 同僚のシキョウが勧誘したという黒持ちの話は聞いていた。そして彼女は昔から、黒持ちへの世間の目に懐疑的だった。


「黒持ちが気になるという者は、即刻この場を離れろ! それ以外の者はアルゴルをしっかり倒せ。良いな!?」


「そんな、黒持ちですよ!」

「無駄口を叩くなら、ここを離れろと言っている」


 にべもなかった。




 アルゴルの討伐が終わると、ハトバ隊はアイロの指示で早々に現場を離脱した。


 ハトバが先に部隊の部屋へ戻り、カシドリも医務室から帰るころだと、ニオは今回のレポートだけでなく陳情書も書いていた。


「あ~~~~、むーかーつーくー! ああいうことは怒っていいんだからね! ハトバ!」


 むぎゅ、とニオの台詞がハトバを押しやる。カシドリは呆れを止めきれなかった。


「それで書いているのか」

「絶対処罰させてやる!」


 させるんだろうな。とカシドリは思った。

 ハトバは無表情を崩さない。怒っていいと言われたが、そもそも彼女が何に怒っているのか分かっていなかった。


 ちらりと、カシドリがハトバを見遣った。カシドリは頬にガーゼを貼っていた。左腕も怪我をしていて、こちらは湿布の匂いがする。心配する必要はなさそうだったので、ハトバはそれ以上カシドリのことを考えるのを止めた。


「邪魔をする」


 インターホンが鳴って、アイロが入室した。アイロは、短く髪を揃え意志を強く放つ黒髪黒目の二十代の女だった。ペルセウス機関から支給された深緑の隊服を着ている。現場では薙刀を使用していたが、今はその手に何もない。


「アイロ!」


 ニオが嬉しそうに立ち上がった。アイロは苦笑した。


「こら。私は説教をしに来たんだがな」

「うっ」


 ニオだけでなくカシドリも一緒に呻いた。ハトバは瞬く。


「カシドリ、お前は兄の補佐をするつもりなら、引き際を心得ることだな。私が大隊長である限り、アシトヨ圏支部ではアルゴルを逃がさないためにあるキビシスを利用し、疲弊した部隊は退き、新たな部隊が現場を引き継ぐ。兄が連れてきた存在に気が散ったか?」

「……申し訳ありません」


 カシドリは畏まった。


「ニオ。お前はオペレーターとして、隊員の状態を把握しておく必要があり、疲労が溜まっているようなら、それをハトバとカシドリに伝えなければならなかったはずだ。お前もお前で、この者にうつつを抜かしたか?」

「おっしゃる通りと思います……」


 ニオはしおれる。


「ハトバ隊はシキョウの直属だ。あいつが居ない今、私が代わりにお前たちに言っておかなければならない。……しかし、これから言うことは私個人の意見だ。聞き流してくれて構わん」


 最後にアイロは、ハトバへ身体を向けた。ハトバはもう一度瞬く。


「ハトバ。私はシキョウより、お前の隊を作るが、隊長としての責務を負わせるつもりはないと聞いている。だから隊員としてのカシドリの監督はオペレーターのニオが行うことになる。今回も、これからも、お前にその責はない。

 しかし私は一隊長として、ハトバには、今からでも隊長としての責務を理解して欲しいと思っている。出来る範囲でいいから、気を掛けてくれ」


 ハトバはうなずこうとした。


「ああ、いや。頷かなくていい。シキョウが責を負わせないと決めていることだ。それを曲げて言っている、私の勝手な言葉だからな」


 ハトバはかしげた。


「……それは、それで、勝手な言い分じゃないのか」


 アイロは苦笑をこぼした。


「すまない。そうだな、詫びにもならないが、その陳情書は私が見よう」


 ニオは素早く差し出した。


「お願いしまぁあああす!」

「うん、受け取った。今回の戦い、ハトバ隊はよく働いてくれた。今後の活躍も期待する。ではな」


 第一大隊長が去っていく。雷のような人だと、ハトバは思った。夜、雷鳴もなく稲光が痛烈に目を焼くような。


「あのさ、ハトバ」

「?」


 カシドリが気まずそうに口を開いた。ハトバは振り返る。


「その、礼は言う。だが、なぜ俺を助けた? 黒持ちなのに」


 ハトバの目の端で、ニオがのけぞり、今にも襲いかかるような形相でカシドリの後ろにいた。睨まれている本人は、気づいていない。


「よく分からないが、人を助けることに理由が要るのか?」


 ハトバがそう答えると、カシドリの表情から毒気が抜けた。少し、罰が悪そうにうつむく。


「いや、ないな」


 ニオが歎息して、自分の椅子に座った。

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