第16話 Good bye, Merry-Go-Round.

 探検家という職業が生まれて以降、世界の医療水準は目覚ましい発展を遂げた。


 迷宮内での活動は常に危険と隣り合わせ。探検家免許ライセンスを持つ者でもそれは変わらない。未知の魔物、悪辣な罠、予測不能の大自然。それらの被害を受ける者は後を絶たない。


 そうした被害者を救済するため、現在では多くの病院が救急外来を備えている。迅速な処置は救命率に大きく関わるからだ。


 彼女が運び込まれたのもそんな病院の1つ。無事手術を終えた少女は今、ベッドの上で静かに眠りについている。そんな病室前に現在、3人の少女たちが屯していた。


「命に別状はないようです。ただ、いつ目を覚ますかはわからない、と」


 その中の1人──長髪の少女が淡々とした口調で告げる。普段以上に冷え切ったその口調には、なにかを拒絶するような空気が色濃く出ていた。


「術者である魔物の尻尾は私がまでもなく死んでいました。最後の魔法も悪あがきのつもりだったのでしょう。威力が下がっていたのは不幸中の幸いです」

「…………」

「……黙ってないで何か言ったらよいのでは?」

「さやか。やめれ」


 小柄な少女が見かねて声を上げる。


「かえで。今は貴方とは話していません。何も言わないでもらって結構です」

「いいや言わせてもらうで。あの場には居たんはシエラだけやない。あーしもお前もおったんや。たまたま狙われたんがシエラだったいうだけで、部長に庇われたんがあーしらの可能性も十二分にあった」


 長髪の少女が怒気を滲ませ、目の前に座る少女に詰め寄る。不穏な気配を察知した関西弁の少女がそれを窘めるも、その制止が響くことは無かった。


「偶然ではありません。かえでも気づいたでしょう?あの魔物は明確にシエラへ狙いを定めていました。最後の攻撃も、誰でもよいのであれば最も近くにいた私を狙うのが自然です。そもそも戦闘が始まったのだって勝手に1人で暴走したせいで──」

「そんなん言い出したらきりないやろが!お前ほんまにちょっと落ち着けッ!」

「ほのかがこんなになっているんですよっ!?かえでこそッ!!こんな時にどうして落ち着いていられるんですかっ!!」

「…………ごめん、なさい…」


 噛み締めるような、小さな声が廊下に囁く。それを聞き、言い合っていた2人の間にも静寂が訪れた。


 長髪の少女は暫く唇を震わせていたが、やがて目を潤ませながら口を開く。


「貴女が謝ったところで……」

「さやか」

「…………すみません。かえでの言う通りです。少しの間2人にさせてください……」


 扉を開き、病室へと入っていく少女。残された2人の間に無音の時間が流れる。彼女たちの近くを忙しそうなナースが横切って行った。


「…………」

「……戻ろか。雪蛍荘に」

「ん……」


 2人の少女がその場を後にする。

 あとに残された病室からは、誰かがすすり泣くような声が漏れ出ていた。


 ◆◆◆


 少女たちの帰り道、その間に漂う空気は依然重苦しい。

 病院での一幕は、少女たちの間に尾を引き続けている。曇り模様の空の色は、彼女らの心中を現しているようにも見えた。


 そうして暫くたったころ、少女の片割れがおもむろに口を開く。


「……堪忍してやってくれ。あいつ部長のこと好きすぎて時々おっかなくなるんや」

「いい。さやかの言う通り、シエラがみんなを危なくした。恨まれても仕方ない……」

「だからそれは気にせんでええねんて。さやかやって、あん時はシエラんこと助けとったやろ?」


 大げさに、身振りを交えてかえでは主張する。

 確かにさやかは竜巻に吹き飛ばされたシエラを助けている。それも頼まれたから、とかではなく、自分の意志で。


「今はちょいと余裕が無いけど、頭冷えたらいつものさやかに戻っとるはずや。それは2人の親友のあーしが保証する。もし違ったら木の下に埋めてもらっても構わへん」

「かえでは怒らない?」

「あーしが?怒る?誰を?」


 シエラが袖で自分シエラを指し示す。そんな彼女の行動が意外で、かえでは眉を上げた。


 それはシエラにとって当然の疑問だった。怒り狂うさやかと対照的に、同じ立場のはずのかえではいたって冷静。ほのかが怪我した直後は流石に焦っていたものの、病院へ連れて行って以降、さやかと言い合いの時以外には感情的にもなっていない。


「さやか、ほのかの事大好きだった。シエラもお姉ちゃんが大事だったから、さやかが怒る気持ちわかる。だけど、かえでの気持ちはわからない。かえではなんで怒らない?」


 この時、シエラの胸中の大部分を占めていたのは"不安"だった。ほのかの怪我が自分の責任だと考えている彼女にとって、シエラを責めるさやかの主張は全くもって正しい。だからこそ、責めずに自分を庇っていたかえでが何を思っているのか、シエラは分からずにいた。


 そうして俯くシエラの気持ちを知ってか知らずか、かえではあっけらかんといった面持ちで言う。


「怒るもなにも、覚悟はしとったからな」

「覚悟?」

「せや。いつかこうなるんちゃうかっちゅー覚悟。もちろんあーしも部長のことは大好きやねん。今だって心配な気持ちはめっちゃあるし、さやかの気持ちだって人並み以上にわかってるつもりや」


 親友やからね、とかえでは胸をトンと叩く。


「けどもな、あーしらが普段遊んどる迷宮っちゅー場所は何があってもおかしくない無法地帯や。魔物に罠に天災に、危険な要素は数知れん。そんなとこにずっとおったら、火傷じゃ済まんことだって必ず起こる。部長だって、その辺は覚悟してたはずや。覚悟したうえでやっとったはずなんや」


 据わった目で言い放つかえでの姿に、今度はシエラの方が目を丸くする。

 スポーツの道を断たれたかえでにとって、迷宮での日々は毎日が新鮮で楽しものだった。しかし、ルールあるスポーツの世界と違い迷宮内で常識は通じない。少しドライにも見えるその態度も、彼女の言う覚悟の表れなのである。


「それにさっきも言うたけど、元なんて辿り始めたらきりあらへんよ。シエラが反省せなあかんのは最初に1人で魔物に挑もうとしたこと。それと怪我してんのに無理して戦おうとしたこと。この2つや。責任はちゃんと分けて考えへんと、いつかパンクしてまうで」

「それは……。でも、ほのかは実際怪我して……」

「まあそれこそ大丈夫やろ。シエラは知らんやろけどな、部長はちょっと前に1か月も迷宮彷徨っとったんやで?あんときに比べれば今は顔見えてるだけ何倍も余裕あるわ」


 気持ちはわかるけど、とかえでが付け足す。


「ま、ひとまず部長は命に別状ないわけやし、どうせあーしらにできることは毎日見舞い行くことぐらいやし。気にすんのはこれ以上状況悪くなってからでも遅くないっちゅーこと」


 かえでは、シエラを責めなかった。

 さやかのように怒ってもおかしくない場面で、怒るどころかシエラのことを心配しているのだ。


 シエラにとって、その気持ちはとても心地良かった。今まで自分を気遣ってくれた存在が姉だけだった彼女にとって、姉以外から優しさを感じるのは初めての経験であり、同時に世界を広げた事象でもある。短い付き合いにも関わらず、優しくしてくれた探検部に対してシエラは親愛を抱いていた。


「(でも……)」


 ──同時に胸の奥がズキリと痛む。


 胸が痛むのはその時嫌な気持ちになったからだ。どうして嫌な気持ちになったのかがわからず、シエラはその理由を考える。


 かえでの優しさは嬉しかった。それは別に嫌じゃない。喜ばしいことだ。


 さやかの糾弾は悲しかった。でもそれも別に嫌じゃない。当然のことだ。


 ──ほのかに庇われたときは?


「(ほのかに庇われたとき、シエラはどう思った?)」



 胸の奥の痛みが強くなる。



『──お前のせいだ』


「ッ!」

「シエラ?」


 あの時の村人の声が蘇り、シエラはその場でうずくまる。

 脳の奥底、忌まわしき記憶の蓋が開く。季節はまだ春過ぎ。寒さが牙を剥くのはずっと先の話である。にも関わらず、彼女の全身には寒気が走る。その気持ちの名前がすぐにわかったことに、シエラは心底驚いていた。


「どしたん?やっぱまだ怪我痛む?ちょい待ちあーしも包帯ぐらいなら持って──」


(あぁ、これは、『恐怖』だ)


 それが分かった瞬間、少女はその場を飛び出していた。


「シエラっ!?」


 どうしてそんなことをしたのか、少女にその理由はわからない。


 わからないけど、1つだけ分かったことがある。


「シエラはここにいちゃいけないんだ……」


 曇天。シエラが去った灰色の空。それを見上げるかえでの頬を、大粒の雨が伝った。

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