第37話 その日の朝に。

「う……ううん……」


 早く寝れたせいで今日はだいぶ朝早く目を覚ますことが出来た。うん。横を見ればもうハンナは居ない。なかなかすきを見せない女ね。


 そのハンナは私が起きたのに気が付くと、すぐに紅茶を淹れてくれる。


「あれ? ハンナも昨日すぐ寝たの?」

「ええ。早めに休ませていただきましたよ」

「そう……。まだ時間は大丈夫ね」

「はい。どうします、一度シャワーでも浴びてきますか?」

「そうね……。陛下に会うのだからちゃんとしないと……」


 私はフラフラと、シャワー室の方へ歩いていく。使用人用のシャワー室の為、かなり狭いのだが、寝起きで共同浴場へ行く事を考えると、全然楽だ。

 軽く寝汗を流して、一度髪をリセット出来ればいいし。


 シャワーを浴びた私はバスローブを羽織り、鏡の前に座る。


 うん。隈もないし。お肌の調子はよさそうね。


 私はあまり化粧が好きじゃない。というよりこの完璧な体で化粧なんてむしろもったいないくらいだ。肌の質感も良ければ、眉毛だって整える必要がないほど完璧なラインを描いている。

 軽く紅を引くだけで、もう誰もが振り向く美人の出来上がり。年齢も若いしね。


「ご自分でやられます?」

「うん……」


 少し伸びてきてはいるが、バッサリ髪を切ってからお手入れも簡単になり自分で髪を整えるようになった。私はドライヤーの魔道具を使って髪を整え始めた。当初の予定は七三分け、少し流すようにと……。


「うう。なんか違う……」

「そうですか? 可愛いですよ?」

「ハンナの可愛いはあてにならないからなあ……。真ん中を巻く感じで上げるか」

「……どうしてもおでこを出したいんですね」

「なんとなく。ヘアピン使うか、何が良いかな?」

「これはどうです?」


 私の後ろから一緒に鏡を覗き込むハンナが、ヘアピンを渡してくれる。私はそれを使って真ん中を後ろに持っていき、何とかおでこを出すように髪を作る。左右の髪はそのまま下に下ろして、良い感じにおでこはアピールされる。


 うーん。こんな感じか。


 服はすでにハンナが全部そろえてくれている。私はそれを着て再び鏡の前に立つ。


 ――よし。犯罪級ね。


 たぶん、本当の自分の体ならそんな事、とても考えもしないのだろうけど。心のどこかで今の体が借り物であり、本当の自分でないと思っている部分がある。客観的にこの悪役令嬢のスペックをズルいと感じてしまう。 


 本当にシンプルなワンピースドレスだ。ひざ丈のグレー一色に、襟と袖口、あとボタンだけが白色という作り。シンプルながらも高級な生地と丁寧な作りで高級感は抜群。完璧だ。



「じゃあ、行ってくるわ」

「はい。頑張ってきてください」

「うん。応援していてね」

「泣いて帰ってきても良いですからね」

「……そんな事しないわよっ」


 ふん。もう色々覚悟はしたわ!


 私は部屋を出ると、食堂にも寄らず寮から出て行った。


 待ち合わせは学院の門の所と言われている。まだ殿下はいらっしゃっていないようだ。ふう。流石に殿下を待たせるわけにはいかない。私は誰もいない門の前でほっと一息ついた。


「おや、おはよう。待ち合わせかね?」

「おはようございます」


 門の前でぼーっと待っていると門番のおじいさんが顔を出して声をかけてきた。


「オシャレして。若いっていいねえ」

「ははは。学生の間だけですよ。こんなの」

「ふぉっふぉっふぉ」


 おじさんはニコニコと話しかけてくる。これまで門の外に行く事なんてほとんどなかったからここで待ち合わせなんてことも初めてだ。門番とはいえ、もしかしたら、年をとって役所などを引退したお年寄りの貴族なんかがこうして働いているのかもしれない。

 明らかに貴族の私にも気軽に話しかけてくる。


 ぐぅぅ~。


 と、その時私のお腹が何かを訴えるかのように音をたてる。

 げ。準備に必死で朝食も大してとっていない。空腹は我慢できるが、陛下の前でお腹が鳴ったりしたら不味いかも……。


「はっはっは。お昼に持ってきたサンドイッチがあるんだが、一つどうかね?」


 顔を真っ赤にしてお腹を押さえた私に、おじいさんが笑いながら紙袋を差し出す。


「え? ……いいんですか?」

「ああ。だが一つじゃぞ。はっはっは」

「じゃあ、お言葉に甘えて頂いちゃうかしら」

「おう。ちょっと待ってな。今お茶も入れてやろう」

「ありがとうございます」


 おじいさんは笑いながら門番の待機する小部屋から水筒を取りだす。そして、カップにその中身を注いでくれた。なるほど、水筒にお茶を入れているのか。


 おじいさんのサンドイッチはとてもシンプルで薄焼き卵が一枚挟んであるだけの物だった。それでも人のやさしさというのは絶妙なスパイスになる。私はお茶の入ったカップを片手にサンドイッチに齧りつく。


「美味しいです。朝急いでいて朝食を食べれなかったの。これで私の寿命も少しは伸びたわ」

「はっはっは。大袈裟じゃな」


 門番の詰め所の前で私はおじいさんと話をしていると、突然後ろから大きなため息が聞こえる。


「あ、殿下……。あの……。すいません。お茶を頂いていました」

「……見れば分かる」

「ははは……」


 殿下の後ろにはいつものようにクルーガーも呆れたような目で私を見ていた。


「お、おじいさん。ありがとうございました」

「いえいえ。なんの。そうか。待ち合わせの君は殿下でしたか……」

「連れが邪魔をしました」

「大丈夫ですぞ。邪魔も何も。良い時間を過ごさせていただきました」

「……そうですか」


 殿下は軽くおじいさんに会釈をすると、そのまま門から外へ歩いていく。黙ってついて来いっていう事なのだろう。私は再度おじいさんにおじぎをして殿下の後を追う。


 そして、私がはぐれないように、なのか。その後からクルーガーがついてくる。


 歩きながらふと思い出す。


 ――そうか。あのおじいさんか。


 外出できるようになったあと、再びエリーゼはカフェでバイトをするために街に出ていく。そのたびに門でおじいさんと挨拶を交わし、心の支えの一人として存在する。


 そして、そのおじいさんは……。


 ふふふ。私も友達になっちゃった気分。

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