いつか失った夢の名残り 第2章(青春挫折篇)

ロッドユール

第1話 隆史の死

 部活を辞めて、純は今まで背負ってきたすべての重荷が下りたような安堵に似た心の軽さを感じていた。先輩からの重圧、敵意、そして、部活の練習も好きでやっていることではあったが、決して楽だったわけではない。それは、極限まで体を追い込む、かなり強度の高い辛いものだった。その毎日休みなく続くきつい練習からの解放。それは正直、得も言われぬ解放感だった。

 しかし、一方で、純は何か堪らない、心の奥底から突き上げるように湧き出す虚しさを感じていた。世界の色がすべて灰色になったような、心に感じるすべてが無機質で茫漠とした虚無――。

「ちょっと、あなたの高校の子が誰か事故で死んだわよ」

「えっ」

 日曜日、純が遅い朝食を食べていると、その向かいで地元の市民新聞を見ていた純の母親が、驚いた顔で向かいに座る純を見る。

「・・・」

 純は、普段ほとんど読まない新聞を母から受け取った。

「あなたと同い年じゃない?」

 母はさらに純の顔を覗き込むように見る。

「・・・」

 純が新聞を開くと、柳澤隆史という名がそこにあった。小さく顔写真もある。確かに純の知るあの隆史だった。東岡第三サッカー部とも書いてある。

 そういえば事故がどうとか言っていた。クラスの中でも学校でも、純の周囲でかなり大きく騒いでいるのは感じていた。

「・・・」

 だが、純は、サッカー部のことは、部を辞めてから、なんとなく見聞きすることすらも嫌で避けていた。もう、なんとなく、あの世界には触れたくなかった。考えることや思い出すことも嫌だった。

「隆史が死んだ・・」

 サッカー部を去る時、純を止めてくれた、あの時の隆史の顔が浮かぶ。結局、純が部活を去って行く時、止めてくれたのは、部の中で隆史だけだった。普段仲よくしていた部員ですらそれはなかった。

「・・・」

 あの隆史が死んだ・・。

「・・・」

 いい奴だった。同年代の中で、いや、部活の中で唯一と言っていい、誠実でやさしい奴だった。

「・・・」

 しかし、自分の知っている人間が死ぬということの、今まで経験もない、想像すらしていない事態に、純はそのことをどう受けとめていいのか困惑した。

「死んだのか・・」

 リアリティがまったくなかった。突然死んだと言われても、実感がまったくない。もともと隆史は部内ではレギュラークラスのAクラスにいたし、自分はCクラス。それほど、話をしたこともなかった。だから、この現実を、感情を、どうしていいのか分からなかった。純はただ戸惑い、意味もなく隆史のその写真の小さな顔をじっと見つめ続けた。

「サッカー部も出場停止だって」

 純の母が他人事みたいに言った。

「・・・」

「せっかく決勝まで行ったんでしょ。今年は」

「ああ・・」

 純の心の奥で何かがチクリと痛んだ。サッカー部は辞めた。しかし、心の奥底に堪らない何かがまだ熱く燃えていて、純を動揺させていた。

 

 日明はとりあえず謹慎処分となり、自宅待機ということになった。今後の処分は職員会議などでの判断ということになり、とりあえずは保留。だが、事故の大きさから退学は必至だった。あまりに大きい事故で、無免許運転、しかも、死者も出てしまった。さらに、その事故が大きく新聞に載ってしまったことは大きかった。いつもなら、万引き、ケンカ、バイクの運転といったよくある生徒の不祥事は、表に出さず内々で処理し、隠ぺいしてきた東岡第三高校だったが、今回の件は、大々的に新聞に載ってしまい、学校は隠すこともできなかった。体裁や名誉を重んじる私立の高校としては、由々しき事態だった。高校の名誉や世間体にもかなり傷がついてしまった。そのことに、校長はじめ、教師や学校関係者はかなり憤っているという噂だった。

「まあしばらく、家でゆっくり休んで頭を冷やせ。お前もいろいろあって混乱しているだろう」

 退院となり自宅に帰った日明に、日明のおじさんがやさしく語りかける。

「うん・・」

 自分がしてしまったことの大きさは日明本人も自覚していた。退学も逮捕もどんなすべての罰をも覚悟していた。

「隆史の葬式はいつなんだ」

 日明はおじさんを見た。

「お前は行かない方がいいだろ」

 日明のおじさんは日明を見た。

「俺は行きたいんだ」

「・・・」

「どうしても行きたいんだ」

 日明は懇願するようにおじさんの顔を見た。

「う~ん、だがなぁ・・」

 相手遺族の感情がある。おじさんは渋い顔で、腕を組む。

「頼む。行かせてくれ」

 しかし、日明はなおも頼み込む。

「頼む、お願いだよ。どうしても行きたいんだ」

「・・・」

 おじさんは困った顔でさらに腕を組む。被害者と加害者になってしまったが、二人は親友だった。そのことを小さい頃から二人をよく知る日明のおじさんもよく分かっていた。

「お願いだ。頼む。どうしても、どうしても行きたいんだ。勝手なお願いだってことは分かってるんだ。それでも、どうしても行きたいんだ。おばさんに直接謝りたいんだ」

「・・・」

 頭を下げる日明の前で、日明のおじさんは困り切った顔で、どうしたものかしばし考え続けた・・。

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