第39話 美しいフランス語の街

 フランストゥールは古城巡りの拠点で、ロワール地方は王族が多く住んでいたので、フランス語も綺麗だ。

 綺麗だ。

 綺麗だ…と言われている。


 カタカナ表記では限界があるが、いわゆるありがとう「メルシー」はパリでは「メッシ〜」に聞こえる。Rの発音が日本語になく、特徴的な音なのだが、トゥールのお店で「メRシ〜」と言われた。

 美しいフランス語を話すというので、外国人留学生が多いせいもあるのか、正しいフランス語を教えようと頑張ってくれたのかもしれないが、初めて聞く「メRシ〜」に驚いた。


 トゥールは静かな町で、若者もいたが(ヤンキーもいた。なぜかいつも大型犬を連れていたパンクスタイルでたむろっている)老人が目についた。昼間は学生は学校だからかもしれない。老人がカフェでランチを取ったり、公園の椅子でお話ししたりしている。

 そんな町だった。


 古風なところがあるので、上記に挙げた理由で留学生は多いものの、古風な人が多く…。そしてなんとなく閉鎖的な空気を私は感じていた。


 私のホームステイ先の家は謎の家族構成で、一家族+他人のお婆さんが住んでいた。親戚でもなんでもない他人だという。でも食事も一緒に取り、同じ家に住んでいる。仲良しなのかと言えば、そうでもなく、家族は彼女を「辞書だから」と馬鹿にするように言っていた。

 そう言われると彼女は確かになんでもよく知っていたし、正しい知識を伝えられるのが毎度のことだと、うんざりしていたのかもしれない。ただちょっと住むだけの私からしたら悪い人のようには思えなかった。何より彼女は若い頃、国際便のスチュワーデスで、タイ人男性と結婚していたという過去がある。

 私は正直ものすごく興味があった。興味があったが、ホームステイ家族は「あまり彼女の話を聞かない方がいいわよ」と言った。

 

 ステイ先のマダムも悪い人じゃないけど、少々面倒くさいタイプの人間で、言うことを聞かないととばっちりを受けそうだと思った。いや、間違いなく受ける。


 しかし私の好奇心も止められない。


 ある夜、そのお婆さんを置いて、ステイ先の家族全員が夜出かけることになった。ご飯を用意しておくと言われたが、残念ながら、何を食べていいのか分からないようなレタスがさらに乗っているだけみたいな用意だった。(そもそも用意してたのか?)

 でもそんなことはどうでもいい。お婆さんとお喋りチャンスだと思って、私は思い切って話しかけてみた。そして彼女も私と喋りたかったみたいで、二時間くらい話をした。

 彼女の若い頃の写真も見せてもらったが、とても美しくて、可愛らしくて、女優のようだった。本当に若い頃の写真が可愛すぎて興奮してしまうくらいだ。

「スチュワーデス、私以外はタイ人で英語もとってもよくない英語で…。あの頃、飛行機に乗るって言ったら、上流階級の人ばかりだったから…私がよく通訳したの」

 仕事でアジアに行くことが多いから、アジアの古い家具やら、小物やらを持っていて、ステイ先のムッシューが預かってくれてるという。(預かる?)

「全部、貴重なものよ」

 タイ人と結婚して、離婚したことも話してくれたが、少し辛そうだったので、理由は聞いていいのか分からなくて聞けなかった。

 私は日本の故郷の歌を歌ったりして、その晩はやっぱり話をして楽しかったな、と思って眠りについた。


 翌日、マダムが「昨日は何食べたの?」と言われて、「お皿の上のレタス」と言うと「それは昼の残りよ」とため息をつく。

(おいおい、ため息を吐きたいのはこっち。ため息つく速さ選手権にでも出てたのか)

「マダムと喋ったの?」

 今度は私が内心ため息をついた。

「日本の歌を歌ったって言ってたけど」

(フランス人に察してとか空気読めとか…、ないわな。そして間違いなく面倒くさい)

「ええ。まぁ、暇だったし」

「そう。でもあんまり彼女と話さない方がいいわよ」

(マジで中学校か、ここは)と思いながら、適当に返事をしておいた。


 意外とフランス人も面倒くさいところがある。でも口にみんな出すんだよねぇ。言わなくていいこともあるじゃん。


 で、どうしてこのお婆さんと住んでいるのかっていうと、「老人一人だとかわいそうだと思って」と言う。でも絶対、そういう態度ではない。


 環が以前、ここに住んでいたので「ねぇ、どうしてあのお婆さんと住んでるんだと思う?」と聞いてみたことがある。

「それ、謎なんだよね」と環も言った。

 別に仲良くもなく、親戚でもない。

「ねぇ、もしかして…あのお婆さんの持ってるお宝が…」

「ムッシュはそういうのを扱う仕事してるって言ってたし」

「もしかして…」

 他人の家のことは考えたところで仕方がないが、二人でモヤモヤとしたのは覚えている。


 結局のところ、どうなっているのかは分からないけれど、あのお婆さんがどうなったのかも知らないけれど、ホームステイってなんか一筋縄ではいかないことを感じる。テレビでよく見る感動のお別れとかではなく、モヤモヤとしたまま生活する人も多いはず。


 さて、もう一つトゥールで驚いた話。

 たまたま入った帽子屋さんで、おばさんが店番をしていたのだけれど、突然話しかけられた。

「日本人よね?」

「はい」

「知ってる? プリンセスが生まれたのよ。おめでたいわよね」と言われた。

「プリンセス?」

 愛子さまの誕生を知った瞬間だった。私は特別皇室ウォッチャーでもないが、雅子妃がものすごく叩かれているのが、本当に嫌だった。皇室に嫁いだだけでも大変なのに…その上、バッシングまで受けていた。そしてプリンセスが生まれたとなれば、また辛い思いをするだろうと素直に喜べなかった。

「おめでたいわねぇ」と手放しに喜ぶので、私は驚いた。

 極東のアジアの王室のプリンセス誕生を喜ぶ帽子店の女性。私、多分、イギリス王室でお子様が生まれた時、イギリス人に話しかけてまで「おめでとう」とは伝えようとは思わなかった。

「…」

 私のテンションの低さに少しテンションを下げて不思議そうな顔で見る。

「プリンセスですか…。男の子…じゃなかったから、これから…また大変です」と言うと、「あ…。そうねぇ。まぁ、でもプリンセスでもおめでたいじゃない」とまた喜び始めた。

 この帽子屋のおばさんが日本国民全員だったら良かったのに…と私は思った。


 意外と日本の皇室はフランスで人気なんだな、と思った。ニュージーランドでも令和に変わった時に「エンペラー交替したの?」とフランス人に話しかけられたことがある。

「え? なんでそんな遠い他国の皇室が気になるの?」と正直思った。

 でもそれはフランスにも国王がいた時代があって、今は失われし過去になってしまったからかもしれない。日本の皇室の長さには畏敬の念があるのかもしれない。


 トゥールから周れる古城はみな立派で大きく、そして今は空っぽの石の建造物だ。かつての栄華と今では悲しいくらい時間を感じさせる。

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