40 輝きの泉
予定されていたマルモッタ狩りは、アントジアント討伐になだれ込んだが、成功に終わった。
マルモッタで一杯の手押し車は、それぞれ数名の探索者が付いて街へと戻っていく。
次は十日ぐらい開けて、また同じようにするらしい。マルモッタが脅威とならない数になるまで、数回繰り返されるのだとか。
切り落とされたアントジアントの脚は担がれて運ばれたが、ほとんどは空の手押し車が戻るのを待つらしい。
「フィン先生、薬用の蟻酸はどのぐらい必要ですかい?」
大蟻近くにいた探索者が、フィンに声をかけた。
「ああ、私が倒した一体分を、できれば欲しい」
側で噛みつき豆を食べていたカミーユは、目を見開いた。
「アレが薬になるんですか?
その薬が必要な病気にかからないように注意しなくては。
フィンが落とした頭がまだこちらを睨んでいる気がする。アレを見たら飲む気も失せる。
「あれは船の錆落としに加えると、効果が上がる」
「……なんだ。良かった。飲むのかと」
フィンが顔をしかめた。
「さすがにそれはない。……アルバン、我々も移動しよう。ここは採集にも、昼食にも向かないし。カミーユ、少し歩くが我慢できるか?」
「我慢? 何の?」
小首を傾げたカミーユに、アルバンが口添えしたのだが。
「腹具合はどうかってことさ」
ずっとモグモグしているのを見られていたのだろうが、あまりの言い草に口に運んでいた手が止まった。
「ちょっと! アルバンさん、腹具合って。レディーにそんな訊き方しないでくださいよ。フィンさんは気を使ってぼかしてくれたのにっ」
カミーユがツンっと胸を反らす。
「ははっ。こりゃ、失礼しました、レディー。……ぼかしたらわかんなかったじゃねえかよ。で、我慢できっか?」
「もう。まだ全然大丈夫です。……このおやつ、絶妙な塩加減なんですよ」
そう言って、カミーユは手にしていた豆を口に放り込んだ。
あれだけの火だの水だのを使って平然としているフィンとは違うのだ。魔力を使えばお腹も空くし、補給が必要なのだから。
「手が止まらないってやつか」
「ですね」
確かにさっさと立ち去りたい場所ではある。
首や足の落ちた大蟻はやっぱりにらんでいるし、激甘で、酸っぱくて、ツンとくる香りが充満している。
カミーユはパンパンと手を払うと、いそいで大岩から滑り降りた。
◇
「カミーユ、もうすぐだぞ」
カミーユはフィン、アルバン、ジャック、バート、ジーンと共に、小川に沿って遡っている。森の中とはいえ踏み固められた小道が出来ており、歩きにくいこともない。
先を行くアルバンが、並んで立つ三本の木を指差した。
「あの木見えるだろ? あの先に輝きの泉がある。目的地だ」
「輝き? ……何ていうか、こう、生命力が全回復しそうな泉ですね」
「ハハッ。生命力はどうか知らねえが、小さな傷は治るぞ」
「えっ? ホントに?」
「ホントだ。なあ、フィル」
フィルが頷いた。
「ああ。泉の水は光属性を帯びていて、わずかだが治癒の効果が確認されている。そのせいか、泉周辺の草花は薬のいい素材だ。木は採集したことないし、香料として適しているかどうかはわからないが」
「へえ、楽しみ。採集場所としてはもってこいですね」
カミーユの問いには、アルバンが答えた。
「ああ。森の入り口からちょうど泉までが危険度ランク1だ。駆け出しでも薬草採集に来られる。危険が少ないわりにいい収入になるし、助かってるよ。一番のお得意様はフィンだがな」
「探索者になって一番に教えられるのがココなんっすよ。『森で何かあったら、とにかくここまで逃げてこい』ってね」
「そうそう。泉に獣は来ても、魔獣は来ないんだよな」
「採集場所としても、避難、休憩場所としてもありがたいですね」
ジャック、バート、ジーンが続けた。
三本の針葉樹を抜けて開けた景色に、カミーユは息を呑んだ。
湖とまでは言えないが、思ったよりも大きさのある泉だ。奥のほうには、葉を茂らせた木が一本だけ生えた小島が見える。
丸い泉は、今日の空を映したようなほんのりと紫がかった青色。そしてその名の通り、光輝いている。
泉の周囲は草地で、隅にはひとつ小屋があった。半分は薪が積み上げてあるので、薪小屋に扉が付いたといった感じだが、休憩地として整備されているといったところだろうか。
「……絵のように美しいって、静謐って、きっとこういうことですよね。チラチラとして眩しいぐらいなのも、ホント、名前のとおり」
「な? あれ、光の反射じゃねえんだぜ。泉自体が輝いてるんだ」
「えええっ。そんなことって。うそお」
カミーユの反応に、アルバンが楽しそうだ。きっと毎年、駆け出しを驚かせているんだろう。
泉に近づき覗き込むと、確かに水の中から金の光を放っているような気がする。金粉が散っているようにも見え、手ですくってみたが、水は透明で金粉も見当たらない。
「うーん? これもアルタシルヴァの不思議ってことかなあ。 あ、指のささくれ治るかな」
「そのぐらいだったら治るだろうな」
フィンが後ろにいた。
「ほんとですか⁉ えっとじゃあ、傷が治るなら、美肌は? 乾燥でガサガサの肌とかスベスベに?」
フィンがまじまじとカミーユを見た。
「……カミーユも年頃ということか」
「な、なんですか……」
アルバンがふき出した。
「ぷはっ。フィンは、シルヴァンヴィルの女性全員にその質問をされたんだよな。『まあ! 光属性の泉ですって? お肌にはいいのかしら。シミは消えるの? シワは伸びないのかしらあ?』ってな」
アルバンが変な高い声を出して、その様子を再現する。
「ですよねえ。それでっ? 効果は?」
フィンがため息をついた。
「治癒の効果は確かにある。だが、肌トラブルの原因の一つである乾燥を防いで肌の調子を改善するなら、薬術師が作る薬草入りの保湿剤や軟膏のほうが、当然効果は高い」
「そうすると皆、薬に飛びつくんだぜ? いい商売だよなあ」
「アルバン、人聞きが悪い。事実だ。まあ、泉の水はそういう薬を使えない獣には十分効果がある」
フィンがちらりと泉の奥に視線をやった。
遠目に立派な角が見えるから、鹿だろうか。獣が水を飲み、水辺に座り込んだ。
「なんだ。じゃあ、水だけ持って帰ってもダメですか」
「いいんじゃねえか? できもののちっこい跡も許せねえご婦人がたは高価な薬を買うだろが、虫刺されや浅い傷なんかなら治っちまうぜ? なんたって自分で採りに来てるんだから
「無料」
魅力的で引き寄せられる、強力な言葉の一つだ。
「私は自分で光属性を持つからここの水は使わないが、カミーユはいろいろと試してみたらいいと思う」
「そっか」
そこに声がかかった。
「おーい、とりあえず昼にしましょう」
振り返れば、薪小屋の近くでジャック達が手を挙げている。
その前には火がすでに焚かれ、休憩の準備ができていた。
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