34 あれがダメなら、これ

 緊張した会合が終わった。プレゼンテーションもうまくいったと思う。

 食品の香り付はパフューマ―ではなくフレーバリストの仕事だけれど、この世界にその区別はない、というより食品に香りを付ける、という考え方がそもそもない。

 今は周囲の状況的にこっそりとせざるを得ないが、未来にはこれも調香術師の仕事の一つとなって欲しいというのが、カミーユの願いだ。

 「香り」の種類も、使い道も増えて欲しい。そしてそれを誰もが自由に楽しめるように、もっと広まって欲しい。今のように王侯貴族が、ローザだけを崇めるのではなく。


 商業ギルドで馬車を降り、トールはこのままいそいで王都への報告を書くという。


「もしかして、ドラゴン便ですか?」


 手乗りドラゴンが見られるかと、前のめりで尋ねたのだが。


「わっはっは。残念ながらドラゴン便はそうそう使えませんよ。でも、定期便はなくとも、今夜船を出すという商会があるんですよ。それに王都まで運んでもらいます」

 

「カミーユはこのまま工房へ帰るのかい?」


 プリムローズが聞いた。


「ええ。パン爺のところに寄りながら」


 フィンは辺境伯の館に引き留められ、ここにはいない。

 テオドールはこのままカミーユの工房へ来て、フィンの帰りを待つことになっている。

                                       

「あ、例の話は私からするからいいんだよ?」

「別件です。先生やトールさんに持って帰ってもらえるようにカフェーが欲しいですし、シルヴァンピッギーの頬肉があるって、昨日言ってたから」

「頬肉が? 屋台で?」


 カミーユがうんうんと頷いた。


「じゃあ、私もそこまで一緒に行こうかね。明日にでも呼び出しがあるだろうから、知らせておかないと」



 

「カミーユ嬢ちゃん、来たか!」


 カミーユの顔を見て、パン爺は嬉しそうに手を挙げたが、その後にプリムローズの顔を見て、おや、という顔をした。


「こりゃこりゃあ。今日は大物と一緒じゃないか」

「ふふふ……」


 確かにこの街の商人からしたら、プリムローズは大物だ。


 カミーユがテオドールを紹介しているのを見ながら、プリムローズはやっぱり、と思った。

 屋台では肉の串焼きが焼かれ、ポタポタと脂を落としながらそこら中の腹ペコを引き付けているが、頬肉ではない。

 頬肉はそうそう屋台で出せるものではないのだ。なにせ一頭に頬は二つしかないのだから。それもシルヴァンピッギーなんていう高級肉。そうそう手に入るものでもない。

 きっとカミーユだけの特別メニューだろうし、それほどこの男はカミーユを気に入っているのだろう。

 そんなことをプリムローズが考えていると、話は進んでいた。


「それで、この間いただいたカフェーをちょっと多めに欲しいんですよ。お土産用に。ええと、四人分ぐらいかな」


 プリムローズが口を挟んだ。


「その倍にして欲しいね。例のだろ? 私も試してみたい。……たぶん今日の会合メンバーも欲しがるはずだよ」


 パン爺が驚いた。


「おいおい、なんだい。そんなにかい? ありゃあ確かに悪くないが、商業ギルドの会長が試すほどの最高級品じゃないがねえ」

「ええとですねえ……」


 香料で香りを付けることは、秘密だ。


「ああ、それは私から話すよ。たぶん、明日にでも息子と一緒に呼び出しがあると思うから」


 プリムローズが言ったとたんに、パン爺は真顔になった。


「ほう、そりゃそりゃ。大物が出張るわけだ」

「いい儲け話になるはずさ。で、その前に、カフェーは倍量になるんだが、間に合うかねえ?」


 カカカッとパン爺は笑った。


「もちろん。この国に最初にカフェーを持ち込んだのはうちだからね」

「えっ! そうなんですか?」

「そうさ。私の故郷のものでね。だから、カフェーの注文には十分応えられるようにしているよ。……嬢ちゃん、今夜、ローストして明日渡しでいいかね?」

「えっ! もしかして、ロースターがあるんですか?」

「もちろんさ。その方が、うんめえだろ? カフェーは香りよくなきゃいけねえよ」

「うんうん、そのとおり。うんめえは大事ですよ。それならロースト前の豆があるってことですよね!」


 パン爺はいったい何を言っているんだ、と不思議そうな顔をした。

 豆があるのは当然だ。


「明日! ええと明日カフェーをもらいに行きます。その時に試していただきたいことがあるんです」

「ちょっと、カミーユ……」


 プリムローズが慌てた。

 調香術で香り付けすることはまだ内緒だ。


「アレはまだダメなんだよ?」

「大丈夫。だからです。こっちは大丈夫」

「何でえ、何でえ。あっちだとかこっちだとか」

「いや、明日、私の方も明日説明するから!」


 三人でワイワイ言っているのを聞いていたテオドールが、ふうっと息を吐いた。


「……カミーユは、なにかまた新しいものを思いついたのかね?」

「ふふふっ。あれがダメならこの方法なら、ってちょっと思いついて。……楽しみにしていてください。先生はこれも大好きだと思いますよ」


 カミーユがニヤリとした。


「試作が上手くいけばすぐに売り出せます。製法は秘匿したいですが、登録は堂々とできます」


 プリムローズが反応した。


「堂々と?」

「ええ」


 そこでカミーユは声をひそめた。


「ジャスミナ茶のカフェー版、ってところですかねえ」

「……ジャスミナ茶」

「ほうほう。それはそれは……」


 ジャスミナ茶という大人気で、売れ筋の商品の名前にさらなる儲け話の匂いを感じて、プリムローズもパン爺も息を呑んだ。

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