32 秘密の依頼 ③
執事に必要なものの準備を頼んだカミーユは、待つ間に頭をフィンに寄せた。
「気になってることがあります」
周囲では新しくできるかもしれない商品のことで話が続いている。
カミーユに合わせて、フィンも声をひそめた。
「なんだ」
「ドラゴン便ってなんですか? 見たことないです。ドラゴン」
そう言いながらカミーユは、辺境伯邸の裏庭から続く岩山が見える窓に目をやった。山の上の方に視線を流し、ワクワクと探しているのが一目でわかる。
思っていることと違った問いに、フィンは姿勢を戻した。
「残念だが、君の思っているドラゴンとは違うと思う。大きさは羽の生えたトカゲに近い」
「羽の生えたトカゲ……」
「名前はドラグーニと強そうだが、手のりサイズの魔獣だ」
「手のりドラゴン! 手のりっ⁉」
カミーユの両手がクルクルと動いているが、どうやら手のりサイズを表したいらしい。
「羽はあるが、どちらかというと風魔法を使って高速で飛ぶ。首元に小さな鞄を巻いて書類を運ぶように慣らされている」
「それがドラゴン便」
ドラグーニはアルタシルヴァの森でもサウゼンド側で生息していて、サウゼンドにドラゴン便本部があるそうだ。
卵から孵すと懐く、匂いを覚えてそこに向かう、といった本当らしい噂から、キュウと甘える、地図を読める、食事が気に入るとシッポをふる、夜は布団で寝る、といった真偽不明の様々な噂があるらしい。飼育方法は秘匿されているからだ。
「サウゼンド以外にも、周辺国の王都や大都市には支部があって緊急連絡に使われる。ただ、高額だからそれを使えるものは限られているし、高速で一気に飛ぶから姿を見たものはあまりいないと思う」
「なんだ、そうなんですか……」
カミーユが残念そうな声を出したところで、壁が開いた。
執事がワゴンを運び入れる。
「あ」
カミーユがさっと近づき、すべてそろっているかを確認した。
「それでは始めます。まず紅茶に香りを付ける方法として、いくつか方法が考えられます」
準備をしてもらったサイドテーブルの後ろに立ち、少し緊張しながら、カミーユは声を張り上げた。
部屋にいる皆の視線は自分に注目している。
これからクリストフによって持ち込まれたベルガモータを使って、香料を使った香り付き紅茶はどんなものになるのかを試してもらうのだ。
執事が助手として、カミーユの側に控えてくれている。
「一つめは、紅茶を淹れて、そこにフレッシュなベルガモータを加える方法」
カミーユが視線を流すと、執事がベルガモータをさくっと切った。
部屋に漂う香りが強くなる。
執事はそのまま、ベルガモータを紅茶のポットに入れると湯を注いだ。
「この方法は手軽ですし、例えば、リモーナ、オランジェーナ、ベッリー、ジンジャなどで楽しめると思います。ただ、この方法はベルガモータには合わないかなと思います」
執事がティーカップを皆に配る。
「おお、ベルガモータとは良い香りなのだな。あまり見ない果実だが」
「ええ、香りはいいんです。でも、やっぱり少し苦みを感じますね。ベルガモータを減らしたらいいのだろうか」
辺境伯とクリストフが真っ先に感想を言う。
それにカミーユが頷いた。
「これはその苦みが出てしまうことを体験していただいたのです。じゃあ、お茶に香りづけする次の方法ですが、基本的には今のジャスミナ茶と同じやり方です。製法は秘匿されていると思うのでこの場では言いませんが、手間と時間がかかり、原料も大量に必要だと思います。ベルガモータでもできるかもしれませんが、すみません、ちょっとわかりません」
「ローザもできるのかね?」
「できるはずです。……まだ成功していないかもしれませんけど。そして、私がこれからご提案するのが、香料を使う方法です」
カミーユが黄色のベルガモータが山盛りになっているサラダボウルを引き寄せた。
「これは熟していますが、未熟の方が香りが強いと思うので、来年は未熟の果実で試してもいいと思います。ここで見ていただきたいのが、調香術を使うと他の方法より短い時間ででき、先ほど不快に感じた苦みなども排除できるところです」
テーブルの上には、カップやボウル、瓶、酒、など、調香術師のセットではないが、必要なものは揃っている。
「香料を採るには、この皮のみを使います。では、はじめます」
ベルガモータの皿を両手で持った。
「サウゼンドの大地に実るベルガモータよ。
目覚めよ。仄めけ。匂い起こせ」
カミーユの手から伝わる魔力が、ベルガモータを包みこんだ。
楽だわ。
まず、そう思った。アルタシルヴァ産の原料とは全く違う。素直で、押し返すような圧力もない。
これが普通の感覚なのだが、最近森の原料と戦うことが多くて忘れていた。
どうやら山の斜面にこのベルガモータはなっているらしい。
一歩そこに足を踏み入れれば、ベルガモータのフレッシュでフルーティな香りに包まれる。
果樹の間を風が吹き抜け、香りを運ぶ。ああ、そう。遠く輝く海にまで届くように。
「煌めく光を、豊穣なる大地を、力強く香に宿せ。その香を女神に捧げよ。歓喜とともに。
黄緑色の光が、渦を巻きながら果実から溢れた。
同時にベルガモータ香りが部屋に満ちていく。
「……これはすごいな」
「調香するところを見るのは初めてです」
辺境伯もクリストフも、それからギルドのトールやプリムローズも、圧倒されたようにカミーユを見つめている。
カミーユは空のカップをビーカーの代わりにして、空中で丸くなった香料の下に入れた。
ポチャンと落ちたと同時に注いでいた魔力を止め、ふうと息を吐いた。
途端に拍手が起きる。
「素晴らしい! 素晴らしいよ!」
「感動しました!」
「いやはや、こんなにすごいものだとは!」
「なんて見事な……」
テオドールやフィン以外、初めてカミーユの調香を見た者たちは口々に興奮を表している。
「……ありがとうございます。でも、これからですよ?」
カミーユはクスリと笑みをこぼした。
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長くなりそうだったので、ここで切りました。
次の更新は、明日予定。
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