28 エターナルフロストタルト ③

 カミーユは工房の扉に鍵をかけた。

 エターナルフロストタルトは冷凍箱に入っていて、安定している。

 フィンの冷凍箱を借りっぱなしになるので、なるべく早く実験をしたいが。


「あ、今ならあの水の香りがわかるかな」


 お風呂に入ったので、ぷんぷんしていた虫除けの香りも消えている。

 エターナルフロストタルトが溶けて、というか無くなって、手のひらに残った水に香りがあるのかを探りたい。

 香料としてそのまま使えるのかどうか。

 冷凍箱の蓋を開けると、途端にぞくっとするほどの冷気と香りが流れた。


「おー! 確かに瓜系だ、これ。いいっ! このフレッシュさ。清涼な水っぽ、いや氷っぽさ」


 このぎっしりと詰まった花が相乗効果で冷気を増すというのだから面白い。


「急速冷凍になるなら、パン爺に頼めばお刺身で食べられる魚が手に入るかな。……いや、ダメか。こんなに花が必要なら高い」


 刺身の誘惑に頭を振って、カミーユはエターナルフロストタルトの花を一輪だけ手に取った。

 その冷たさに、触れた場所からじんと痛みが広がるが、さほど待つことなく花びらが落ちる。

 手のひらの水に鼻を近づけ、しばらくするとカミーユはため息を吐いた。


「ない。花と共に香りも消える、か。うーん、そうなると厳しいかなあ」


 念のためその水をピペットで瓶に移した。

 手の温度でダメなのだから、蒸留が使えるはずもない。

 柑橘類のように、圧搾法も難しいだろう。


「となると、アブソリュート? 材料も、道具も、施設もないけど」

 

 アブソリュートは、簡単にいうと、水蒸気蒸留ではなく、ヘキサンのような溶媒に香りを溶かし込んで抽出された香料のことだ。

 前世では、水蒸気蒸留で香りが変わってしまう花などに用いられた溶剤抽出法なのだが。


「調香術が使えないって、難しすぎ。 あとはチンクチュアーか、ポマードか。うーん」


 工房を歩き回りながら考えるが、とりあえず試すしかない。

 カミーユはナイトガウンの上から白衣を羽織った。

 手元にあって使えそうなものは、調香用アルコールぐらいだ。


「これだとなあ……」


 小さな瓶に、エターナルフロストタルトの花を詰めると、その上から調香用のアルコールを注いで蓋を閉めた。


「あっ! このままだと溶けちゃう?」


 慌てて冷凍箱に瓶ごと入れるが、少し考えてもう二瓶作った。

 一つはそのまま常温で。もう一瓶を持ちタタタタッと工房を走り出ると、そのまま階上の冷蔵庫に入れる。


「できそうな気がしない」


 これで成功すれば、チンクチュアーになるのかもしれない。

 だが、そこまでに何か月もかかる。

 あとは昔よく行われていたという、獣脂で香りを吸着してポマードにする方法。

 これも現実的とはいえないだろう。シルヴァンピッギーのラードはあるが、脱臭してないし、この方法は大量の花が必要になる。


 考えこんだままベッドに入ると、カミーユは枕元にある、先代調香術師ジョルジオのノートを手に取った。

 素材メモのノートだ。事典のようなそれを、カミーユは少しずつ目を通している。

 

「エタ、エターナル、エターナルスリープ。なにこれ。死んじゃうんじゃない? 眠り香? あった、フロストタルト」


『エターナルフロストタルト(ランク1/素材ランク 未)』

 

「えっ! あんなに大変でランク1? うっそー」


 今も足がだるいのに。

 考えてみれば、探索者でもないカミーユが行ける場所なのだ。初心者向けなのだろう。

『未』とあるのは、冷凍庫に使われる前なのだろうか。今は確か素材ランクが4だったと思う。


 続きを読んだ。


 『場所:氷の森 採取:種の季節のみ 

  熱に弱い。特殊採取。

  蒸留不可。圧搾不可。微香。

  水属性』


「『蒸留不可。圧搾不可』やっぱり試してたかあ。へー、水属性!」

 

 カミーユはパタリとノートを閉じた。

 ローザゲラニウムは、風属性だったはずだ。自分の魔力を押し戻す風が吹いたことを覚えている。

 フィンがその魔力を巻き取っていたが、魔力量があったらそんなこともできるらしい。

 そういえば、素材を大きく上回る魔力量があればできると言っていた気がする。

 

「ん? あれ?」


 カミーユはがばりと起き上がった。


「私、噛みつき豆に魔力通せたよ? 美味しかったもん。噛みつかれなかったし」


 分析アナライズは、フロストベッリーに跳ねられた。でも噛みつき豆は大丈夫だった。

 

「アルタシルヴァ産だよね? 豆の魔力量を上回ったってこと?」


 カミーユは再度ジョルジオのノートを手に取った。


「フロストベッリーは、光属性。 光ぃ? 魔力量は書いてないか。……噛みつき豆、噛みつき豆、あれ、なんて名前だっけ。ビーノ、ビーナ、優れた豆。リチェスビーナッ!」


 パラパラとノートをめくる。 

 リチェスビーナはなんと、火・闇の二属性で素材ランク2だった。


 他の植物素材を調べてみれば、属性ありに、なし、素材によって様々だ。

 中には同じ木でも葉によって属性が変わったり、季節によって属性が違うものもあるようだ。


 分析のような調香術は魔力が撥ねられ、普通に魔力を通すのは大丈夫ということだろうか。

 それともやっぱり素材の魔力量の違いだろうか。でも、二属性もあり、食べると魔力を回復するリチェスビーナの魔力量が少ないものだろうか。

 あと考えられるのは、属性の違いだ。噛みつき豆は、カミーユが火の属性を持っていたから魔力が通ったのではないだろうか。


 気になることは確かめるしかない。

 カミーユはまた白衣を羽織り、工房へと足を向けた。




「水属性の素材を、水の魔力で抽出ができるかどうか、だよね」


 カミーユは考察と疑問点を自分のノートに書くと、エターナルフロストタルトをビーカーに詰めた。

 お腹の底から指先へと魔力を流すと、ゆっくり、深く息をする。

 指先でぐぐっと魔力を絞らなければ、途中で魔力切れになってしまう。


「水よ、霧となり花を覆え。『ミスト』」


 最近使い慣れた『ミスト』を試した。

 ビーカーが白く煙る。

 細かな水滴が花に付き、そっと魔力を流してみるが浸透していく感じがない。

 

「花だから茎を通さないとダメなのかな。……清き水よ、湧け。『ウォーター』」


 一番初歩の水魔法だ。

 ビーカーに水が湧いた。その水を引っ張り上げるようにして、魔力と共にエターナルフロストタルトに流していく。

 凍っているからか、動きが悪い。

 なら、少しの熱を。そう思って手のひらでビーカーを覆った。

 ダメか。消えるか。

 そう思った時、スルスルと魔力が動きだした。

 パッとビーカーから手を離す。

 花びらに花脈が浮かび上がって見え、カミーユの魔力に青く染まる。

 ここだ。


 「アルタシルヴァに凍るエターナルフロストタルトよ。

 目覚めよ。仄めけ。匂い起こせ。泉に溶けよ。天へ帰れ」


 ググっと魔力が引っ張られた。でもローザゲラニウムの時のように、押し返されたりはしない。

 

 情景が浮かんだ。

 天の水が地に落ち、岩を走り、小川となり、エターナルフロストタルトに取り込まれる。花びらが落ちればまた水となり、天へと昇る。

 そうだ。そのまま連れて行け。香りも共に連れて行け。


「その香を女神に捧げよ。歓喜とともに。エクストラクション抽出


 青い魔力が糸となって、宙に浮かんだ。

 香りも滲みでている。

 透明な雫の、フレッシュで、さっぱりとした。ああ、でも同時になんと甘露だろう―――。

 水とはこんなに甘いものなのか。


 うっとりと浸りそうになったカミーユの額に、雫が落ちた。

 糸が丸く玉となっている。


 カミーユは慌てて瓶を取り出した。


 成功だった。

 たぶん属性だ。属性が合えば、魔の森の素材を扱えるのかもしれない。

 少ない魔力でもいけるのかもしれない。

 まだ一つめの成功だから、わからないけれど。


「うふふふっ。いい香りっ。噛みつき豆、持ってこよっと」


 カミーユはキッチンまで駆け上がった。



 ◇



 翌朝。

 約束の時間にフィンは工房の扉を叩き、作業台に突っ伏したカミーユを発見した。

 急病かと慌てたフィンに、カミーユはニコニコと機嫌よく抱きついた。

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