第33話 罠と罠

 警備局の会議室で商務省海運局次官のガラントさんを交えての会議は、当初の予定を大幅に延長して深夜に及びました。

ガラントさんは少々傲慢で威圧的な人物ですが、筋の通った話ならきちんと理解されるようで、僕の話に何度も質問を繰り返して説明を求めましたが、最後には納得して協力を了承してくれました。

「それではノ・ラ殿、今後ともよろしくお願いしますぞ」

「ええ、こちらこそ」

しっかりと握手した際に、ちょっと神気を流してみましたが、特に反応はありませんでした。

ガラントさんは、当初僕が思っていた王宮の灰色高官とは違うようです。

「では、行くぞヨンキム」

「あ、へい」

 去り際にガラントさんが声を掛けたのは、今まで氏の巨体に隠れるように、ひっそりと佇んでいたガストルの男性でした。

「え…」

その存在に気づかなかった僕は、ガストルさんに続いて部屋を出て行くその人の後ろ姿をまじまじと見つめてしまいました。

ガストルにしては背が低く小太りで、薄くなった頭髪の隙間から脂のような汗が光っています。

「あの方は?」

ランディさんに尋ねると、「ああ…」と頷いてまるで興味のなさそうな様子で話してくれました。

「ヨンキムさんは商会連合からの推挙で商務省に出向している職員ですよ」

「商会連合ですか?」

「ええ、ガストル達の立ち上げた商会が加盟している団体で、加盟商会の意見をとりまとめて王宮に連絡したり、逆にこちらから通達を出す時にも、まとめて加盟商会に流してくれるので重宝しているんですよ」

「そこから推挙されて商務省に勤めているのですか」

「ええ、主に海運局関係なので、ああしてガラント氏にくっついているんですがね」

「はあ…なるほど」

 海運局次官のガラントさんに付いていれば、大抵の情報は手に入るでしょう。

まして商会連合という組織からの推挙です。

疑うべくして疑わねばならない人物なのではないでしょうか。

軍が気にしていた高官からの情報流出は、ガラントさんの周囲から漏れた情報が伝わっていると考えられます。

それにしても警備局の人達も、ガラントさんも何故ヨンキムさんに疑いの目を向けないのでしょう。

「今日の会議内容が、ヨンキムさんからモンジュスト商会に漏れてしまいませんか?」

「ああ、彼は無口でしてね。こう言っちゃなんだけど、ちょっとばかりぼうっとしたところがあって、言われたこと以外は何もしないんですよ。今日の話も分かっているんだが、いないんだか、ガラントさんの隣で居眠りしていましたよ」

「え、そうなんですか」

「ですから、心配はありませんよ。しかも今日はほとんどがガラントさんへの説明に終始してしまいましたから、肝心の内容については次回以降になりますし」

「はあ、そうですねぇ」

 確たる証拠があるわけでもないので、僕はそれ以上は話題にせずに王宮を辞去してきました。

しかし、王宮の情報が漏れていることは軍にも知られているほどで、今日会った人の中では、やはり最も怪しい人物に思われます。

ランディさんを始め、王宮の人々をあそこまで無警戒にさせるという事が、僕には返って手練れの間者のように感じられるのです。

 宿に戻るとターナー准将の使いとして、ジェイムズさんが僕の帰りを待っていました。

「困りましたよ、トビーさん」

開口一番、ジェイムズさんは僕に窮状を訴えてきました。

「モンジュスト商会が積荷の引き受けを拒んできたんですよ」

やはりと思いましたが、表情には出さずに尋ねました。

「いったいどういうお話になったんです?」

「ええ、オマーの浜に打ち上がった漂流物に商会のマークがあったので、ドゥーエに行く途中の我が艦が預かってきたから、引き取るようにとターナー准将が手紙を出したのですが、商会からの返事には失った船も積荷も無いから、それは商会のマークを悪用した偽物と思われる。当方には関係が無いのでそちらで御処分をと言ってきたのです」

「ほう」

「准将としては、一度商会の人間と接触して、積荷に破損が無いか立ち会わせてもらう交渉をするつもりだったのですが、その第一歩から躓いてしまって、この後どうすれば良いかトビーさんに知恵を借して欲しいとのことなのです」

「なるほど」

 あまりにも予想通りの展開に少々戸惑いながら、僕は今日王宮で打ち合わせた内容を早速説明することにしました。

「…では、警備局を中心とした調査班が積荷を調べ、有害物が出たら各商会に立ち入り検査が入るという訳ですね」

「ええ、軍には積荷を倉庫に移して、調査の経緯を見守って戴く事になります」

「それではわざわざ軍が出張った意味がありませんな」

「いえいえ、各商会の立ち入り検査でモンジュスト商会から証拠が出れば、敵も逃亡を企てるでしょうから、その時は湾の封鎖なり威嚇砲撃なりで軍の活躍には期待するところです」

「なるほど…軍が主体で動けないのは、少々不満ではありますが、ノ・ラ殿のお言葉として准将には報告しましょう」

 ジェイムズさんが不満顔で帰って行った翌日、僕は再び警備局を訪いました。

今回は謁見ではないので、八つある門の内の庁舎門からの入城です。

昨日貰っておいた臨時通行証を首から提げて、いかにも通勤者といった感じの人々と一緒に門を潜ります。

有事には軍も使用するために広く作られた道路の両脇に、煉瓦造りの美しいけど無個性な庁舎が整然と並んでいます。

 内務省エリアの警備局の建物に入り、昨日打ち合わせをしたランディさんの部屋に向かうと、廊下の壁に寄りかかるように立っているヨンキムさんを見つけました。

「ヨンキムさん」

その後ろ姿に声を掛けると、ほんの一瞬刺すような気配を感じましたが、次の瞬間には何事も無かったように、ぼんやりとした顔をしたヨンキムさんがゆっくりと振り返りました。

「ああ…トビー…さん」

「おはようございます。こんなところで、どうかされたのですか?」

「ああ…いや…迷って…」

「迷ったんですか?」

 その時、ヨンキムさんの後ろにあるドアが開いて、ランディさんが顔を出しました。

「おや、お二人とも。どうされたんですか?」

「ええ、ヨンキムさんが迷われたとか」

「またですか。ヨンキムさんはよく迷われるんですよ」

ランディさんが呆れたように頭を掻きました。

「ヨンキムさん、今度はどちらへ行かれるつもりでしたか?」

「あの…郵便事業の件で…書類を…届けるように…と」

「ああ、郵船の件ですね。それなら三階です。階段はあちらですよ」

「あ、ああ…ありがとう…ございます」

もごもごとまるで言いたくないような礼を言って、階段に向かうヨンキムさんの背に、僕はこっそりと導き玉を貼り付けました。

「やれやれ、三日に一度は迷ってるんですからねえ」

ランディさんは軽く肩をすくめました。

「勤め初めてまだ日が浅いんですか?」

「いいえ、もう一年以上になりますよ」

「ああ、それは…」

 寄りかかっていた壁の内側がランディさんの部屋だったこともあって、僕はもうヨンキムさんがモンジュスト商会の間者であると確信しました。

後は導き玉が上手くやってくれるでしょう。

この事はランディさんには暫く伏せておくことにして、昨日ジェイムズさんから聞いた話を伝え、いよいよ警備局として調査を開始する準備を進めることにしました。

「では、軍の方には漂流物を港の倉庫へ移送して貰うように通達しましょう」

漂流物は軍の管轄にあるので、移送には軍の許可がいるそうです。

「お願いします」

「軍は倉庫の警備をしたがるでしょうね」

「そうですね。商会が破落戸を使って倉庫を襲い、荷を取り返すだろうとは誰しも考えますからね」

「警備局としては、そちらを任せることで、調査から商会の捜索への足がかりとする方へはちょっかいを掛けて貰わないように調整するつもりです」

そうなると僕一人で賊を殲滅するという計画が狂ってしまうのですが、賊を逃がさぬようフォローに回れば結果的には商会を追い込むことが出来るので、問題ないでしょう。

「ええ、それでよろしいかと」

荷の移動を待って、それから調査を開始することにして、僕は警備局を辞しました。

 しかし、軍が威信をかけて警備している倉庫を襲う輩のいないのは自明の理です。

そうなると、強盗犯の線から商会に辿り着くのは難しくなってしまいます。

変な話ですが、なんとか強盗が襲いやすいように工夫してみなければなりません。

幸い軍には伝があるので、襲われやすい警備体制について相談してみましょうか。

いや、軍のプライドにかけて断られるでしょうね。

はて、どうしたものか…。

 そうこうしている内に導き玉からの情報が入ってきました。

僕の脳裏に映像が浮かび上がります。

最近、導き玉との意思疎通が強化されたらしく、離れていてもこんな事が出来るようになったのです。

 映像は会談を上がっていくヨンキムさんの後ろ姿から始まりました。

どうやら僕たちと別れた直後のようです。

『くそっ、あのネコめ。足音も立てずに近づきやがるから気がつかなかったぜ』

いきなりひどい言いがかりです。

まあ僕たちケット族は基本足音を立てませんが、疚しい事がなければ平気なはずです。

それにしても、やはりヨンキムさんは見かけ通りの穏やかな人という訳では無いのが、この一言で分かりました。

 次の場面は再びランディさんの部屋の前の廊下です。

どうやら戻ってきて僕たちの話を盗み聞きしているようです。

ヨンキムさんは話が終わる寸前に壁を離れて、階段へ姿を隠しました。

ふうむ、後は彼が得た情報を誰にどのように渡すかを突き止めればよい訳です。

 果たして夜になって、再び導き玉からの情報が入りました。

これは…どこでしょう。かなり豪華な調度品が置かれた執務室のようです。

彫刻の施された大きな机の向こう側に座っているのは、がっしりとした体格のガストルです。

短い顎髭と太い眉が特徴的で、鋭い目つきでヨンキムさんを睨んでいます。

『まさか、そのネコに気づかれるような事はなかったろうな』

『ええ、疑った様子もなかったし、心配ありませんや』

『それで荷が移されるのは確実だとして、軍の警備をどうするかだな』

『警備局が調査、軍が警備となりゃ、かなり厳重になりそうですぜ』

『正面から強奪と言うわけにはいかないか』

『軍相手にそれは無茶ってもんでさ』

『それならあらかじめ仕掛けをしておいたらどうだ』

 彼らの話から港の倉庫は全て運河に沿って建てられており、運河は築造の際に一旦川の流れを変えるための迂回路が作られ、それが用済みとなった今では溢水対策用の暗渠となって倉庫の下に埋まっているのだそうです。

『荷の入る倉庫が分かったら、暗渠から倉庫まで抜け穴を掘って、荷を盗むというのはどうだ?』

『そりゃ面白ぇ。奴らがピリピリ神経を尖らせて警戒している足下から、こっそり荷物を盗んでやるってのが痛快でさぁ』

『よしっ、それじゃ早速準備に掛かろう』

 なるほど…あちらは強奪から窃盗に切り替えてきたようです。

それならこちらにも遣りようはあります。

荷の移送先が決まったら一旦その情報を共有して、ヨンキムさんにも分かるようにしておきます。

それから、僕がそれとなく偽の情報をヨンキムさんに伝わるように流すのです。

 軍から荷の移送承諾が得られた翌日、僕たちは再び警備局に集まりました。

そこで軍が港の端にある五番倉庫に荷を移設すること。

そのまま軍の一隊が警備に当たることを確認したのです。


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