第5話 ファームズヴィルの朝 後編

 僕たちは食事を終えると煉瓦の敷き詰められた小道を歩き、館の裏手にあるラルクさん達の住居と作業小屋が並ぶ一角へと足を運びました。

木立の中の緩やかな起伏の先に、丸太小屋を併設した煉瓦造りの二階家が数軒道沿いに並んでいます。

 丘はその先で草原へと下り、ビナイ山脈から流れ出たイサリ川の支流が、ちょうど丸太小屋の下辺りを通って、丘の裾を迂回するように沼地へと続いているようです。

その流れを横断するように何人かの人達が網を掛けているのが見えます。

海峡鱒かいきょうますは海からほとんどがイサリ川を遡上するのだが、なにやら間違って時々こちらの支流に迷い込んでくるものがあってね。それをああして捕っているのだよ」

「ああ、なるほど。あそこにラルクさんがいますね」

「うん、昨日仕掛けた網を巻いて、新たに仕掛け直しているんじゃないかな」

 僕たちは道を下ってラルクさん達の仕掛け場に向かいました。

「此方に住んでいるのはラルクさんとフォクシーさん達だけではないんですね」

「うむ、何軒かの農家があってね、浅い沼地を灌漑して麦や稲などを主に作っているね。農閑期の今はああして漁をしたり、機を織ったりしているよ」

道沿いには小さな商家もあって、細々とした物が店先に並んでいます。隣には酒場らしき建物もあり、どうやら館の裏手は小さな村になっているようです。

「どうかね、今日は」

「ああ、先生。さすがにそろそろ遡上も終わると見えて今朝は二本だけでした」

ラルクさんが指し示す樽を覗くと、丸々と腹を膨らませた海峡鱒が窮屈そうに収まっています。

「しかもこいつが二本とも雌なんでさあ。卵に栄養を取られているから身が細くなっちまって。鱒の卵なんざ生臭くって煮ても焼いても食えたもんじゃありませんや」

いかにもガッカリした様子のラルクさんに先生は嬉々として語りかけました。

「ああ、それは重畳。実はこのトビー君が旅の間に鱒の卵の調理法を見聞きしていてね。これから早速試してみようじゃないか」

「へええ、トビーさん。こいつをどうにか出来るんですかい」

「見様見真似ですが、手順は見て来ています」

 僕たちは後のことを手伝いの農家さんに任せて、早速ラルクさんの小屋に鱒を運び込み魚卵漬けに取り掛かりました。

ラルクさんの作業小屋には肉や魚を加工するための酒や調味料が整っていたので、僕は作業台に鱒を寝かせると風の刃で薄く腹を裂きました。

 切り裂いた鱒の腹にはたっぷりと鮮紅色の卵が詰まっています。

それを取り出してラルクさんが手に持つ樽に入れるのですが、ここでちょっと良い考えが閃きました。

「ラルクさん、桶は要らないのでガラス瓶を用意してもらえますか」

「お、そうなのかい」

ラルクさんには細かい手順を説明していなかったので、何の疑問も抱かずにいくつかのガラス瓶を机の上に並べてくれました。

そんな僕の様子を先生はニコニコして眺めておられます。

 僕はまず神気術で酒と塩を混ぜた温水球を作り、そこに魚卵を入れ表面張力を強化しました。

球の外側に近い部分とその内側に正逆二種類の回転運動を水流に与えます。

その境に入った魚卵がみるみるうちに膜から剥がされていきます。

「おおっ、これは」ラルクさんが目を丸くしています。

「上手くいきましたね」

「器用なことをするねえ」

水流を停止させると、温水球の底に剥がれた魚卵が溜まるので、それをガラス瓶に落としてやります。

後は塩やその他の調味料を混ぜ入れ蓋をすれば出来上がりです。

魚卵は今はいくらか白く濁っていますが、時間が経つと綺麗な紅色に戻るはずです。

 二本の鱒からカップサイズのガラス瓶六本の魚卵漬が出来たので、先生の発案でそれぞれに様々な調味料を加えることにしました。

中でも塩漬けの大豆を発酵させて出来る上澄み液は、まろやかな塩分と香ばしい風味があったので、これを量を加減して二本、塩を加減したのを二本、香草焼に使うハーブを乾燥させ粉末にした物と塩を合わせて一本、燻した香草の香りを付けたオイル漬けを一本作りました。

「これは、これは、漬け上がりが楽しみだ」

先生が揉み手をしながら嬉しそうにしています。

 こうして全ての作業を終えてラルクさんと別れると、先生と僕は丘を下って草原へと足を踏み入れました。

陽の光で温められた枯草の霜が溶け出して、足下でシャリシャリと音を立てます。

「ここから八千エーカー程が草原で、フォクシー達は普段ここで丘赤牛を狩っているのだよ。その先に林が見えるだろう。それがビナイ山脈への入口で、良く雪尾角ゆきおつのが出る。たまには大暁おおあかつきも出るがね」

先生の指し示した広大な草原には、今朝遠目に見えた丘赤牛の群が悠然と歩いて行くのが見えます。

 僕たちはイサリ川の支流に沿って丘の東側を歩いて行きました。

やがて足下の枯草はフカフカとした感触に変わり、地面が水分を吸っているのが感じられます。

前方には陽の光をキラキラと反射する水面が見え始め、その手前には刈田が広がっていました。

「この辺りが田畑になっているのだよ。今は草原豚そうげんぶた緑青鴨ろくしょうがもしかいないがね」

刈田の一角が木柵で囲われて、中には丸々とした草原豚が楽しそうに泥浴びをしています。

残念ながら鴨の方は見当たりません。頭から首に掛けて光りの加減で、青から緑に変化する金属のような煌めきを持った鴨なので見てみたかったのですが、夕方には戻って来るようです。

 沼の端には丸木橋が架かっており、ここから僕が昨晩通った橋に繋がっていました。

僕と先生は、そのまま丘を半周する形で、沼に生えた貴重な水草や、マルカ海牛の飼育場を見ながら昼前に屋敷へと戻ってきたのです。

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