高校時代は楽しかったな 弓道部⑦

 春になり新入部員が入ってきて賑やかになった。。

 それからは、我々二年生が本格的に対外試合に出場するようにり、レギュラーチーム(五人立ち)の二的を担当するようになった。「大前」から「落前」は二年生をずらりと揃え「落」は三年生部長が務めた。


 このチームで出場した県大会予選で、自身としては公式戦初の皆中(四射四中)を達成することができた。

 ずっと目標にしていたことだったのに達成したときは驚くほど冷静だった。


 この時の成績。

 (予選午前) ※〇が当たり、×が外れ


 大前 ×××〇

 二的 〇〇〇〇

 中  〇〇〇〇

 落前 〇〇〇〇

 落  ×××〇


 二十射十四中。

 〇×が中を挟んで綺麗に対称形となっていたのでハッキリと覚えている。


 私含めて三名が皆中。ちょっとした快挙? 

 この年のレギュラーチームのベストスコアだったと思う。


 余談だが、我々は全然マークされてない平凡高校だったのでこの成績はインターハイとかを目指している県内屈指の有名校に少なからず衝撃を与えてしまったらしい。


 片や、長髪私服でちゃらちゃらしててもオッケーな校風の共学校。   

 片や、丸刈りでガッチガチの体育会系のノリの男子校。

 ちゃら共学校の方が好成績で午前の戦いを終えた状況だと思ってほしい。


 そんな中で部員揃って緊張感のない腑抜けた昼食をとったあとのこと。


 優勝候補だった強豪校が会場裏手で円陣を組んでいた。

 そこで上級生の叱咤激励(?)を受けた選手が涙を流している光景を見てしまった。


 あんなところに負けてるとかどういうことだ! とか聞こえた。

 パシっ とか音がしてた。


 今なら大問題になる事案。

 当時でも全員が見なかったことにしてそっと立ち去るレベルだ。

 だって怖いんだもの。


 幸い、午後の後半戦では強豪校が巻き返してくれた。

 ちゃら高校は散々な成績だった。


 結局、午前午後の総合成績では二位となったものの、本選に出場できるのは予選一位のみのため涙をのんだ。

 チームで羽分けにも達しなかったと思う。私も午後は四射一中(総合では八射五中)だったと記憶している。


 我々には荷が重いからほどほどの活躍にしてくれたのだろう。

 それが神様の意思と思うことにした。


 なお試合の前日に顧問の先生は、選手一同を前にしてこう発破をかけてくれた。


「今年のチームは過去最強だ。ここまで粒がそろったチームはいなかった」


 ははは。そこまで言ってもらえてうれしかったなあ。


 ありがとう、先生。このチーム、午前中だけ最強でした。

 そして県大会に出場できなくてごめんなさい。

 俺たちはみんなぬるいのが好きなんです。



 それから数か月後。


 二年生の秋も深まり、三年生が引退したころ。

 退部届を出して弓道部を唐突に退部した。


 理由は今でもよくわからない。

 当時はかなり悩んでから決めたことだったはず。


 でも何で辞めたのか正確な理由は思い出せない。

 顧問の先生に退部届を提出したときも「お前の退部理由はよくわからないが受理しておくよ」と言われたのを思い出す。

 最終的には何かの勢いを借りて退部したんじゃないかと思う。


 熱中していた弓に興味がなくなったのかと思ったけどそうはない。思い当たる理由が全く思い出せないのだ。

 ただ、辞めた後に後悔した記憶もないので、思い出す必要がない程度の相応の訳があったんだと思う。


 その後、知人の伝手で放送室に入り浸って昼の校内放送をしてみたり、アニメ好きの友人にそそのかされてガンダムの初回放送の感想戦をやったり、アコースティックギターをすごく熱心に練習したり、美術部に在籍して銅版画(エッチング)に興味を持ったり、ピアノが上手な知人の演奏を音楽室で聞かせてもらったりと、いろんなことに首を突っ込んだ。


 今から思えば、将来への不安があって焦ってたのかもしれない。


 弓バカだった自分の世界をもっと広げたかったのかな、とも思う。

 


 でも弓を引くことはずっと好きだった。

 身体が動作をいつまでも覚えていた。


 ある時、社会人になってから急に弓を引きたくなって、地元の弓道場を探して射させてもらったことがあった。


 十年以上弓に触れていなかったけどちゃんと射法八節を覚えていて、自然に射ることができた。身体が全て覚えていた。

 


 若き日の行動に理由なんてない。

 勢いだけだったし、それで充分だと思う。

 


 そして退部した後の弓道部では、キタさんが部長になっていた。


 黙っていればいい男だったが、口が悪くていろいろ台無しの男だった。


 でも彼の安定した「かい」を見ていると何故か安心する。

 部員の人望がそこそこあり、部長就任は当然と思った。

 堂々とした「射」はおちを任せるに相応しい主将のものだった。


 キタさんといえば「的貼り事件」を思い出す。

 どうでもいいことだが忘れられないので書き留めておく。


 一年生のころ、部活終わりに一年生だけで後片付けをしていたときのこと。


 片付けが終わり、中学校からの仲間と布を丸めて縛ったボールで暇つぶしの野球を始めたキタさん。


 もちろん場所は道場の中である。


 県内有数の立派な弓道場の射場(屋内)でお遊びの野球をするのはいかがなものか? と、遊びに加わらなかった部員はみんなそう思ったはずだ。

 しかし一年の時からキタさんは(悪巧みを含めて)リーダー格だった。仲間たちは誘われるままに野球に熱中していた。

 

 そしてお約束のような事が起きる。

 キタさんの打球が、顧問の先生が恭しく飾っておいた的を打ち抜いて破いてしまったのだ。目を覆いたくなるような大きな穴が空いていた。

 最近、我々の目の前で先生自ら作成して飾っていたものだ。


 ヤベっと思ったかどうか知らないが、キタさんはその場に居合わせただけの我々をも巻き込み、全員で偽装工作をするよう指示する。


 その時の半泣きなのに鬼気迫る可笑しなキタさんの姿が、ずっと脳裏に焼き付いて離れない。


 しょうがないと諦めた全員が協力して、それはもう必死で的を貼り替えた。

 そして張り替えた的に、何度もキタさんがNGを出てやり直した。

 そのお陰で先生が丁寧に貼った的と寸分違わない出来栄えになった思う。

 それをそっと神棚に戻して何事もなかったかのように道場を後にした。


 数日後には先生にバレてたけどね!




 その後、高校生活が終わるまで弓道部との接点は一切なかった。


 卒業したあと、アニメの影響やブームもあって後輩たちの弓道部は発展したとのことだ。

 数年前の新入生向けの資料には、運動部の中で2番目に部員数が多いのが弓道部だと紹介されていた。


 今ではインターハイに出場したり、部員がすごい数になったりと何かと話題が豊富なようだ。語り継がれるような名物部員も生まれたようで何よりである。


 先日、コロナ禍以降入場制限されていた文化祭が制限なしで開催されると聞いて、四十数年ぶりに高校に足を運び弓道場を訪れた。


 通い詰めた道場は立て直すこともなくそのままだった。

 外壁が一部壊れていたり射場の床がかなり傷んでいて歳月の流れを感じさせた。


 部員の増加に対応するためだろう。射場にあった巻藁二台は屋外に出されて、弓立が左右の壁に拡張されていた。それ以外は何も変わっていないように見えた。


 中に入れてもらって内部の壁に貼られた時代を感じさせる貼り紙を見ていたら、当時も見たことのある標語の紙などがいまだに残っていた。

 賞状もたくさん飾ってあったので順番に見ていったら、二年の梅雨に二位となった県大会予選のときの賞状が変色してボロボロになりながらも辛うじて額縁に入って残されていた。出場した五名の中に自分の名前を見つけて「ああ、確かにここに居たんだ」と懐かしく感じた。


 思い出はあの時のあの道場にすべて詰まっていた。

 その残滓が今も残ってた。



 一年生の夏の40日間、ほぼ毎日、大前のシャッターだけを上げて、蒸し風呂の射場で黙々と射続けた時間が今はとても大切に思える。


 ありがとう弓道部。


 高校時代が楽しかったのは弓道をやっていたからだ。

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