文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
初めまして。コメント失礼します。
本題は冒頭部分なのだと感じました。
そこを考えさせるために論を展開されたのかな、と。
ためになりましたし、良い戒めとしたいと思います。ありがとうございます。
作者からの返信
はじめまして!
お読み頂き、コメントまで賜りありがとうございます。
そうですね、ちょっと言い方に配慮してよ、と思う発言を見かけたもので。また、それによって傷ついている方が複数いらっしゃる印象があったので文章としてまとめてみました。
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
非常に面白く読ませていただきました。しかし、私個人として思うのは、というより疑問に思うのは、「この“上手い下”ではなく、“伝わるかどうか”」という意見は上手い下手を伝わるか伝わらないか、で変換しているだけで、本質的に言おうとしていることは一緒なのではないでしょうか。
確かに言いたいことはわかるのです。確かによそ様の文章を素人が下手だ上手いだ言うのは、一見如何なものかと思いたくもなる。
だけど、料理の上手い下手は、味を見たらわかる。文章の巧拙も読んでみて、それにどう人、すなわち、一般大衆が感じるかではないでしょうか。
要するに、わたしは卵を産むことはないが腐っているか、どうかはわかるという、やつです。確かに素人の意見です。しかしその文章の巧拙についてアレやコレやと話すのは、一部の専門家のみならず、大衆です。その大衆が話し合い、集合的に叡智になるというのは、いわゆる言論の自由の意義そのものとされるほどに力は大きい。その集合の叡智を以て、ある文学作品の評価をつくるにあたってな要素は、ストーリであったり、キャラの人間性ではありますが、これらを伝えるのは言葉であり、言葉の巧みは即ち伝わりやすさなように思えて仕方がないのです。
「このシーンのこのキャラの動きはどうだこうだ。」
というには、一般論では、やはり言葉が巧みに使われてる必要があると、言いますが、作者様の伝わるかどうかを用いて、この言葉を巧みに使うを、この言葉を使って伝わりやすくしていると言い換えても、それは全く一緒なのではないかと思うのです。言わば、光を見て光があると判別をするのか、影を見て光があると判別をするのか程度の差しかないように思えてしまうのです。
非常に共感することも多かった文章です。しかし、私にはどうも、そこら辺のニュアンス、言葉の意味というより、「上手い下手」と「伝わるかどうか」という伝達性の文章における差異がわからないのです。
最後に、非常にわかりやすく面白い文章でございました。ありがとうございました。
作者からの返信
ご意見ありがとうございます。
大前提としてこれは私個人による「一意見」にすぎないということ。
そして末文にも記したように「素人の意見など聞き流してよい」ということを再度提示させていただきます。
その上であえて私見を重ねるのであれば、「上手い・下手」と「伝わりやすい・伝わりにくい」は抽象度のレベルが違うと考えます。
「下手な文章だね」と評されるよりも「伝わりにくい文章だね」と評されたほうが修正すべき方向性を定めやすいです。
また、目標設定においても「上手い文章が書けるようになる」よりも「伝わりやすい文章が書けるようになる」のほうが課題設定が具体化しやすいです。
このような点で、「上手い・下手」と「わかりやすい・わかりにくい」は異なる表現だと考えます。
重ねて、あくまで素人による私見である点を強調させていただきます。
お読み頂きありがとうございました!!
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
はじめまして。コメント失礼いたします。
私も似たような発言をいくつか立て続けに目にしてしまい
自分が言われているような気持になって、打ちひしがれていたところだったので
このお話を拝読させていただき、気持ちが楽になりました。
「伝える」ために、最適な表現を模索していく
これは本当にそうだと思いました。
頑張ろうと思えました。ありがとうございました。
作者からの返信
はじめまして。
コメントありがとうございます。
真面目に書いている人で文章のことを気にしていない人なんていないでしょうからねー。正解のない領域ですし、強い口調には反応してしまいますね。
「伝える」ために、共に頑張ってまいりましょう!
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
「あなたがうらやましいから、僻みを言うんだよ」は母の言葉ですが、私はそれに救われました。
悪口を言ったからって、残るのは罪悪感と書いた言葉と思います。削除しても、言われた側は一生覚えていると言い切れますから。
作者からの返信
ありがとうございます。
悪い言葉は他人に吐くと同時に自分にも降り掛かっていますからね。炎上商法や迷惑系の方々が自滅するのは結構ですが、それまでに周囲へ不快を振りまくのは減ってほしいなぁ、と思います。
治安良く創作に臨みたいです。
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
ワタシは、「ワタシが好きな文章」を好き、「ワタシが好きじゃない文章」を好きじゃない、と考えます。※読み手の時
しかし難しいのが、全然好きじゃない文章なのに面白いお話しもあるんですよねぇ。
あれ。論点ずれてるなこれは。
作者からの返信
好き嫌いがあるのはエンタメや芸術である以上、当然のことですよね。僕の場合、好きじゃない文章で面白い物語に出会えたことは少ないかなぁ。うらやましいです。
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
面白かった!!
私、今日ぷりぷりしてたの!(近況ノートで)
まさに似たようなこと考えてたの!!
みんな違って、みんないいと思う。
文章や物語はね、上手い下手じゃなく、「好み」なんです!!
バカにしていいことじゃない。
作者からの返信
ぷりぷりが少しでも解消していれば本望です!!
バカにすんなバカやろう、って感じですよね!
バカっていうやつがバカなんだ、バ~カ、って感じですよね!!
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
名文信仰と駄文差別。自分の中にもそういうものが存在すると認めた上で、それでもヒトの書いたものにケチを付けるのは違うと思いました。
しかし野口英世のお母さんの手紙。マジでエモいですねぇ。
作者からの返信
無論、人それぞれに「上手いな」「下手だな」と思うことがくらいはあると思います。それら総てを否定するつもりはありません。
おっしゃるとおり、表に出して言わんでもええがな、というのが僕の言いたいところです。
母の手紙ってなんでこんなにエモいんでしょうね…伊藤計劃のお母さんの手紙でも僕、泣きました。
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
なるほど、確かに谷崎潤一郎の文章読本私も持ってます。さっぱり覚えてませんが(笑)
件の話題は知りませんが、エッセイの前提を理解した上で、私自身は上手い下手という基準は存在するという立場です。
でなければ「技術は存在しない」という、よく分からない世界観が生じる。
こちらのエッセイを私なりに理解した上で、表現の差異とも受け取りました。
全ては選択に過ぎないとも言えそうです。
そして主観は全てを凌駕します。
こちらいずれ記そうと思っていた「芸術論争」に通じる話だなあと思いながら拝読していました。
なんにせよ、素人玄人問わず議論を戦わせるのはある種いいことだと思います。
私は面倒なので関わりませんが(笑)
興味深く拝読し、勉強になりました。ありがとうございます。
作者からの返信
文章技法は数多あり、それぞれに巧拙があることに異論はありません。比喩が上手い。リズムが心地よい。など、技術力の高さを評価する言葉はいくらでもあります。それらの細かい点を端折って「上手い」……は、ともかく、「下手」とまとめてしまうのは横着かな、とも思います。というか、言わんでもええがな、って感じです笑
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
文章は、誰かへ一方的にマウントをとるためのツールではなく、お互いにコミュニケーションをとるための作法なのかなと、私は思います。
作者からの返信
ブログ、SNS等の発展でコミュニケーションツールとしての文章の役割は急増しましたが、マウント取りたがりは減らないものです。人の性なんでしょうかね…。
編集済
文章に上手い下手などないという一意見への応援コメント
私の一意見も書いておきます。
私も、「こう言うふうに書いた方がいいかも……と思う(個人的に)」みたいなことは良いかもしれないけれど、こき下ろす発言はどうかと思います。
(文章をどう言うふうに書くかは、書く人の自由だと思うので。また、文章作法と言われるものを守るか守らないかも、書く人の自由だとも思っています)
ただ、「文章に上手い下手があるかどうか」と言われると、それはあるんじゃないかとは思います。
「流れがある、流れがない」とか「読みやすい、読みにくい」、「伝わりやすい、伝わりにくい」、「感じやすい、感じにくい」、「まとまりがある、まとまりがない」みたいな違いはあるように感じます。
どういう文章が良いかとは言えませんが、こう言うふうに書きたい、と言うのを突き詰めて完成させていったものが良い文章なんでしょうね。
(個人個人の書きたい方向性による)
それよりも、私は「伝えたいものがあるか無いか」が重要なのではないかと考えています。
伝えたいものがないければ、いくら上手く書いてあっても、良い文章なのか疑問です。
音楽で言えば、技術的に問題はないけれど(もしくは技術的にはすごいけれど)、何も伝わってこない音楽(譜面をきちんと弾くだけ、こんなに弾けるんだぞと言うだけの音楽)。これって音楽なの?と思う演奏。
(音楽でなく、指の運動をしているだけなんじゃ、と思ってしまいます)
どんな文章かと言われると困るのだけれど、……無理やり書かされた読書感想文??
何にしても「伝わるか」「伝わらないか」と言う前に、「伝えたいものがあるのかどうか」という前提が重要であるように私は思います。
P.S.
もう一度考えてみたのですが、「伝わる」と言うことには3段階のプロセスがあると思います。
1. 伝えたいことがある
2. その伝えたいことを明確化する
3. 明確化した伝えたいことを言語化する
この3つの段階のどれかが欠けても、「伝わらない」文章になるのではないでしょうか。
1の伝えたいことがある、は当たり前かもしれません。伝えたいことがなくては、伝わらないのは当たり前。
2の明確化するですが、何か伝えたいことがあるけれど、それがぼんやりしている、良く分からないでは、伝わらない(伝わりにくい)と言うことです。
言っている本人がはっきり分からないのに、聞いている方が分からない(聞いている人に伝わらない)のは当たり前。
時々(良く?)、何かを言いたいみたいなのだけれど、焦点がどこにあるのか、一体何を話題にしたいのか分からない文章があります。こういう文章は明確化が欠けているのではないかと思います。
伝えたいことを整理して明確化しないと、伝わる文章は書けないだろう考えます。
3の言語化するですが、極端な例で言うと、日本語を全く知らない人が、日本語で「伝わる」文章が書けるのか、と言うことです。
伝えたいことがあり、それが明確であっても、日本語を知らなければ日本語で伝えることが出来ないのは当たり前。
いわば、言語能力ということになるのですが、ここが文章の上手い・下手に一番かかわるような気がします。
(1や2も関係あるとは思いますけれど)
以上の3つがそろって、初めて「伝わる」文章ができる。
そう思います。