エピローグ

終幕

 そのようにして、遊郭の事件は幕を閉じた。


 幽霊左近の正体を知ったとき、ユンファは顎が地面につきそうなほどにおどろいていた。

 それも無理はない。犯人の古戸廉也は、赤町奉行御用達の検死医だったのだ。優れた知識、たぐいまれな砂塵能力を持ちながら、薄給にもかかわらず、この下町に寄与し続けた医者だ。

 それは、市民たちにとってもそうだったらしい。

 どうやら、古戸廉也は週にいちどの休日は、遊郭の反対側にある昔なじみの町医者のところへ赴き、無償で患者を診ていたという。

 それが、シルヴィには呑みこみづらい話だった。裏では何年も継続して遊女を殺害していたというのに、それでいて休日を返上して病人を診ていたというのは。


「どうだかな。かならずしも善意だったとはかぎらない。やつは、敷善切定に罪をなすりつけようとしていた。同じ燈火流だが、自分はまったく関係ない善人だという評判が必要だったわけだろう?」


 シンはそう言った。そういう見方も、もちろん可能だ。

 むしろ、そのほうが自然だ。

 それでもシルヴィには、真相はわからぬように思えた。彼女にはどうしても、真剣に死体を調べていたときの彼の横顔に、ただの悪を見出すことはできなかったからだった。


「犯行動機は、わからないままやなぁ。ただなぁ、あらためて古戸廉也の経歴を洗ってみたら、どうやら義理の親のところで育ったらしいことはわかったんやぁ。それと、本当の母親が遊女だったらしいってことも。……わからへんけど、そういうところが関係しとったんかなぁ」


 遊郭のとある飲み屋で、ユンファは赤ら顔でそう話した。

 結局、ユンファ主催のお疲れさま会を、ふたりはことわることができなかった。


「なぁ、やっぱり来なくてよかったんじゃないか?」


 ユンファが次から次へと肴を注文する姿をよそめに、シンが小声でそう聞いてきた。


「せっかくのご厚意なのだもの。無碍にするわけにはいかないでしょう」

「……いや、あの女はただ自分が飲みたい口実で言っているだけな気もするが……」


 ふたりとも酒を飲まない人間だと知ると、ユンファは露骨に「えーっ」と残念そうに言っていたが、自分が飲みはじめるとどうでもよくなったようだ。

 しかも、とくに意外というわけでもなかったが、酒癖がかなり悪かった。


「ねぇぇシンくぅん、もうちょっと遊郭に残ってやぁ。ほんでうちの仕事手伝ってぇぇぇ」

「絶対に嫌だ」

「即答やぁ、冷たい! ちょっとくらいええやぁん」

「ふざけるな。第一お前、一件落着みたいな雰囲気でいるが、お前の粛清案件はべつにあり、しかも手をつけていないのだろう。よくも満足して酒なんか飲んでいられるな」

「ふぇぇ、正論パンチが過ぎるぅぅ」


 シンに触れると本気で怒られるからか、ユンファはシルヴィのほうに寄りかかってきた。


「ショックやぁ。シルヴィちゃん、この傷心を癒してぇ」

「おい、そいつから離れろ」

「なんでやぁぁ」

「うるさい、斬るぞ」

「うぅん。でもシンくんの罵倒、なぜだか癖になるわぁ。なんでやろぉ、先輩に似とるからかなぁ……」


 むにゃむにゃとうろんなことを言うと、ユンファはとうとう目を閉じた。

 酒瓶が並んだテーブル越し、ふたりは目をあわせた。


「……帰るか」

「そうね。もう、いい頃合いだし」

「ああ、まったく意味のない時間だった」

「そんなことないわよ。あなたも、これから長く連盟にいるのだもの、少しは顔を広くしておいたほうがいいわ。またこういう機会があったとき、いろいろとやりやすいでしょ?」


 シルヴィは襖を小さく開けると、会計を呼んだ。すっかり酔い潰れたユンファをふたりで運ぶと、支部で降ろすようにと人力車を引く男に言って、去っていくのを見送った。


 後日聞いたところによると、ちょうどその日の晩、支部長が戻ってきたばかりだったらしい。自分の仕事をせずに飲みに行き、あまつさえ職場でぐーすかと寝ていたユンファがどんな目に遭ったのかは、ふたりにはわからずじまいだった。

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