ユンファ・ルーは苗字が嫌い

 あらわれたのは、すらりとした長身の女性だった。

 顔はにこやかに笑っている。蝶の羽模様が描かれたドレスマスクを小脇に抱えて、下はジーンズであるにもかかわらず、袖の短い振袖を羽織っていた。

 その来訪者は一、二秒、ふたりを眺めると、さらに目じりをやわらかく下げて、


「いやあ~、シルヴィちゃんっ。ひさっしぶりやわぁ。元気ぃしとった?」


 と、やけに快活な声で言った。


「ユ、ユンファ警参級。こちらこそ、おひさしぶりです。どうぞこちらに」

「おお、あんがとなぁ。あ、おばちゃーん、うち、ぜんざいとほうじ茶ねー! ぜんざい、白玉を増やしといてなー!」


 廊下に向けて大声で言うと、彼女はふんふんと鼻歌まじりに対面の席へと向かう――かと思いきや、いきなりシンのとなりで膝を曲げて、顔を覗きこんできた。

 シンはぞくっときて、こんどはシルヴィのほうに身を引いてしまった。一瞬のうちに、鳥肌さえ立ってしまった。


「あれぇ、この子は? まさかシルヴィちゃんの妹? 職場見学?」

「ち、ちがいます! 彼……こ、このひとは、わたしの新しいパートナーです」

「パートナー……ああ! そういえば、リリスちゃん異動になったんやって? まあまあ、そういうのは巡りあわせやからなぁ、そういうこともあるわぁ」


 ほんほんと彼女はひとりで納得した。


「ユンファさん、タイダラ警壱級からはなにもお聞きになっていないのですか?」

「ぜーんぜん? ボッチさん、このところたいして連絡取ってないんよぉ。あのひと地下に行ってばっかりなんやろ? ナハトくんも大変よなぁ」


 そこで一転、ユンファはハッとした顔になった。


「待った、シルヴィちゃん。うち、重大な事実に気づいたわ」

「な、なんですか」

「……この子、めちゃくちゃかわいいわぁ。なにきみら、そういう路線で売っていく気なん? これはどえらいことやで。――まるで隙がない」


 シンは、いよいよ耐えられなくなって、黒犬のマスクをすばやく被った。

 それから、掌を大きく開いて相手に突きつけた。


「やめろ。警参級だかなんだか知らないが、踏みこみすぎだ。あまり度が過ぎると俺は退席するぞ」

「わっ、機械音声になったぁ。なんでぇ?」

「やめろと言っているだろう!」

「やめるのはあなたよ、警伍級!」


 シルヴィが、あわてて黒犬の頭を持って下げさせようとしてきた。


「申し訳ありません、ユンファ警参級。このひとは、なんといいますか、少し型破りなところがあって」

「どっちが型破りだ。いきなり無礼な行動を取ってきたのは向こうだろう」

「だから、もうっ……」

「あはははっ」と、ユンファが声を上げて笑った。「いやぁ、きみの言うとおりやわぁ。たしかに、うちが失礼やったねぇ。このとおり、お詫び申し上げます」


 ぺこりと頭を下げると、こんどは腕を伸ばしてきた。


「うちは第四指揮所属、ユンファ警参級いいます。でも、もともとはきみと同じで、第七指揮やったんよぉ。よろしくなぁ、後輩ちゃん」

「……ふん、はじめからそうすればよかったんだ。それと、ちゃん付けはやめろ」

「チューミー、これ以上言わせないで……!」

「……地海進だ。シンでいい。階級は警伍級だ」

「そういうときは、二歩下っていうの! 前にも教えたでしょ、もう」


 ふたりのやりとりに、ユンファがころころと笑った。


「よかったわぁ、シルヴィちゃん、相性よさそうな子がみつかって。うちもひと安心やわぁ。ま、もともとべつに心配はしてないんやけど」


 ユンファがようやく席についたタイミングで、大盛りのぜんざいが届けられた。

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